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2022年3月のダイヤ改正に伴い、東北本線小金井−黒磯間及び日光線で活躍した「205系600番台」が間もなく引退する。2月中旬から、一部の「205系600番台」に特製ヘッドマークを掲出した列車が運行している。この列車を撮りに東北本線等沿線へ行ってきました。 この日(26日)は、東北本線宇都宮駅へ、駅ホームで黒磯発・宇都宮行き上り「205系600番台」を撮りました<写真1>。列車はY12編成(4両)で、前から「クハ204-612」+「モハ204-612」+「モハ205-612」+「クハ205-612」でした。ヘッドマークが掲出されており、前側(宇都宮側)が「おつかれさま205系」、後側(黒磯側)が「ありがとう205系」でした。<写真2>は折り返し黒磯へ向かう「205系600番台」の先頭車(クハ205-612)をアップで撮ったものです。 また、日光線の観光列車「いろは」も同様に引退するとのことで、宇都宮駅ホームで撮りました<写真3>。列車は「205系600番台」Y3編成(4両)で、先頭車は「クハ205-603」でした。<写真4>は「いろは」を後追いで撮ったものです。 尚、ダイヤ改正以降は205系600番台はE131系600番台に置き換えるとのことです。
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◇上越新幹線:「サンキューMaxとき」:2021年10月16日
E4系は、1997年にデビューしたオール2階建て新幹線車両。1994年にデビューしたE1系と同じく、「Max」の愛称を持つ。全車2階建てとすることで定員を増強、2編成を連結した16両では、定員は1634人となり、高速鉄道では世界一の数値となる。そのE4系は老朽化に加え、最高速度が240キロと、他形式に劣ることなどから、今秋、引退することとなり、その最後の姿を撮りに上越新幹線沿線へ行ってきました。 この日(16日)は臨時「サンキューMaxとき」として、新潟−東京の往復運転があり、大宮駅は混雑が予想されるので、高崎駅へ行きました。新幹線下りホーム端で、通過線を高速で通過する新潟発・東京行き上り「サンキューMAXとき」E4系を撮りました<写真1>。列車はP82編成(8両)でした。高速で通過したので、後追いは撮れませんでした。この列車は東京駅で折り返し約2時間後に戻ってきた。新幹線上りホーム端で、東京発・新潟行き「サンキューMaxとき」E4系を撮りました<写真2>。待つ時間があったので、他列車で後追いなどが練習できたので、高速で通過中<写真3>、高速後追い<写真4>が撮れました。上り「とき312号」発車直前だったので被らず助かりました。
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◇「スーパービュー踊り子号」251系:ラストラン:2020年3月13日
首都圏と伊豆急下田駅を30年にわたり結んだJR東日本の特急「スーパービュー踊り子」251系が13日、ダイヤ改正に伴い、運転を終えた。スーパービュー踊り子は1990年にデビュー。専用車両の251系は先頭車が2階建てで、展望座席やグリーン個室など、豪華な設備と窓の大きな開放的な車内が特徴だった。13日の最終日、この列車を撮りに東海道本線沿線へ行ってきました。 この日は東海道本線平塚駅で下車、茅ヶ崎方面へ20分ほど歩くと相模川の土手に着く。ここは撮影地で多くの撮り鉄が集まっていました。待つこと50分、新宿発・伊豆急下田行き「スーパービユー踊り子3号」251系を撮りました<写真1>。列車はRE-2編成(10両)でした。<写真2>は先頭車をアップで撮ったもので、1号車(先頭車)「クロ250-2」+2号車「サロ251-2」でした。<写真3>は後追いで撮ったもので、10号車(最後尾)「クハ251-2」+9号車「サハ251-2」でした。その後、大船駅へ移動、駅ホーム端で次にきた「スーパービュー踊り子5号」251系:RE-4編成を撮りました<写真4>。また、戸塚駅で上り「スーパービュー踊り子2号」251系:RE-1<写真5>、京浜東北線蒲田駅で「スーパービュー踊り子7号」251系:RE-1<写真6>を撮りました。この7号が下りの最終でした。 JR東日本によると、251系は廃車の予定。14日から後継車は特急「サフィール踊り子」E261系と、特急「踊り子」のリニューアル車:E257系が引き継ぐ。
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東急電鉄で活躍を続けてきた最古参の「7700系」が引退の時を迎えた。「7700系」は、日本で初めて車体全体をステンレスで造った「7000系」を30年前に改造した車両で、全国の銀色の礎といえる存在。改造前から数えれば50年以上にわたり、東横線・大井町線・池上線などを走り続けた。11月24日に池上線・多摩川線でラストランがあり、東急多摩川線沿線へ撮りに行ってきました。 この日は、多摩川線鵜の木駅で下車し沼部方面へ、この沼部−鵜の木間は線路両側が道路で柵も低く、ほとんどの場所で撮ることができるが、多くの撮り鉄が集まっていました。鵜の木から徒歩5分ほど線路脇で列車の通過を待つ。待つこと1時間、蒲田方面からきた回送「7700系」を撮りました(写真上右)。この列車は多摩川駅で折り返して戻ってきた臨時「7700系」を撮りました(写真上左)。列車は7901編成(3両)、先頭:デハ7701、ヘッドマークには「惜別 さようなら7700系」と掲出されてました。さらに、この後もう1往復あり、場所を沼部よりに移動し、上り「7700系」先頭:デハ7701(写真下右)と下り「7700系」先頭:クハ7901(写真下左)を撮りました。引退した「7700系」は養老鉄道へ移籍するとのことです。
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かつての急行「りょうもう」号で使われ、鮮やかな赤一色に白帯が入った車体色が目を引く東武鉄道の「1800系」が引退した。1969年に登場し54両が製造され、色合いから「ペコちゃん」の愛称で親しまれた。りょうもう号の定期運用を外れた後は他の形式に改造されたり廃車になったりして、最後に製造されて現在も原形をとどめる1編成(1819F)だけが、団体列車などで予備的に使われていた。その1819Fのラストラン走行が20日にあったが、走行路線やダイヤが発表されてないミステリー列車となっていた。 山を掛け、走行可能性が高い東武伊勢崎線へ、和戸駅で下車、久喜方面へ15分ほど歩くと撮影地に着く。撮り鉄が集まっていたので一安心、待つこと40分下り「1800系」ラストランを撮りました(写真上左)。列車は1819編成(6両)、ヘッドマークには「ありがとう1800系SINCE1969」、先頭車の前面窓左上には「ラストラン2018.5.20」と書かれた行先表示板が掲載されていました。写真上右は先頭車:クハ1869をアップで、写真下左は後追いで「1800系」を撮ったもので、最後尾はクハ1819です。
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豊田車両センター所属189系M52編成(グレードアップあずさ色)の引退を記念した「さよなら189系M52編成ラストラン」が催行され、最終営業運転となる団体臨時列車が4月22日に運転された。この列車を撮りに中央線沿線へ行ってきました。 この日は中央線鳥沢駅で下車、猿橋方面へ急斜面を下り桂川を渡ると、撮影地に着く。この場所は鳥沢鉄橋を渡る列車が撮れる有名な撮影地で、既に多くの撮り鉄が集まっていました。運行ダイヤが不明だったので2時間30分ほど待ちました。ここで豊田発・甲府行き団体臨時「189系M52編成(グレードアップあずさ色)を撮りました(写真上左)。列車は6両編成で、前から「クハ189-11」+「モハ188-41」+「モハ189-41」+「モハ188-38」+「モハ189-38」+「クハ189-509」でした。写真上右は先頭:クハ189-11、写真下左は最後尾:クハ189-509をアップで撮ったものです。ヘッドマークを期待しましたが、残念ながら一般的な「団体」でした。この列車は甲府到着後、上り列車として戻ってくるが、数時間後の為、ここで撤収しました。
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E351系は1993年にデビュー。カーブを通過する際に車体を傾ける「制御付き自然振り子方式」を採用してスピードアップを可能とし、所要時間の短縮を図りました。2017年12月、新型のE353系が「スーパーあずさ」として営業運転を開始。2018年3月17日のダイヤ改正以降は、すべての「スーパーあずさ」がE353系に置き換わり、E351系は定期運転を終了した。4月7日にE351系のラストランとして「ありがとうE351系 松本〜新宿ラストランの旅」の運行があり、この列車を撮りに中央線沿線へ行ってきました。 この日は立川駅で下車、日野方面へ25分ほど歩くと多摩川の土手に着く。ここで松本発・新宿行き上り臨時「E351系」ラストランを撮りました。<写真1>がS23+S3編成(12両)、<写真2>が先頭車:クハE351-3、<写真3>がクハE350-103とクハE351-103、<写真4>が最後尾:クハE350-3です。この列車は新宿到着後、回送となって戻ってくるので、川の反対側へ、近くに橋がなく大回りをして移動する。日野側の土手から下り回送「E351系」を撮りました<写真5>。向きが変わり、先頭がクハE350-3となりました。この「E351系」S23+S3編成は、本日付けで廃車になるとのことです。
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◇189系M50編成富士急行線ラストラン:2018年1月20日
中央線・富士急行線で活躍した豊田車両センター所属189系M50編成(旧「あずさ」色)が、1月25日に引退する。これに先立ち20日に「富士急行線ラストラン」運行があり、この列車を撮りに富士急行沿線へ行ってきました。 大月から富士急行1200形に乗車し三つ峠駅へ、そこから寿駅方面へ15分程歩いた線路脇へ行きました。ここは有名な撮影地で、既に多くのファンが集まっていました。待つこと40分、中央線豊田発・河口湖行き団体臨時「189系M50編成(旧「あずさ」色)」を撮りました(写真上左)。列車は6両編成で、前から「クハ189-507」+「モハ188-44」+「モハ189-44」+「モハ188-20」+「モハ189-20」+「クハ189-14」でした。写真上右は先頭:クハ189-507、写真下左は最後尾:クハ189-14をアップで撮ったものです。ヘッドマークを期待しましたが、残念ながら一般的な「団体」でした。この列車は河口湖到着後、上り列車として戻ってくるが、数時間後の為、ここで撤収しました。
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9月30日(土)に定期運行を終えた107系は、10月1日(日)と10月7日(土)に引退を記念した団体専用列車「ありがとう107系」として吾妻線、上越線、信越本線、両毛線で運転され、7日に両毛線小山−高崎間の運転がラストランとなる。この列車を撮りに両毛線沿線へ行ってきました。 東北本線で小山へ、両毛線に乗り換え思川駅で下車、小山方面へ12分ほど歩くと踏切に着く。ここは有名な撮影地で、すでに多くの撮り鉄が集まっていました。ここで、上り小山発・高崎行き団体専用列車107系を撮りました(写真上左)。列車は4両編成で、前から「クハ106-115」+「クモハ107-115」+「クハ106-116」+「クモハ107-116」でした。ヘッドマーク「ありがとう107系信越本線・吾妻線・両毛線・上越線」と掲出されていました。写真上右は、近づいた先頭「クハ106-115」をアップでとったものです。 これより1時間10分ほど前に、同じ場所で下り高崎発・小山行き団体専用列車107系を撮りました(写真下左)。向きが変わり、先頭は「クモハ107-116」です。
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東武鉄道の特急「きりふり」・「しもつけ」や「尾瀬夜行」などで、26年間運転されていた300系が、ダイヤ改正に伴い本日(16日)運転を終了する。そのラストランを撮りに東武日光線沿線へ行ってきました。 この日は東武日光線上今市駅で下車、東武日光方面へ30分ほど歩くと踏切に着く。ここで待つこと40分、浅草発・東武日光行き“300系引退記念列車”特急「きりふり275号」を撮りました(写真上左)。列車は300系6両編成、前から「クハ301-6」+「モハ301-5」+「モハ301-4」+「モハ301-3」+「モハ301-2」+「クハ301-1」、ヘッドマークには「特急きりふり KIRIFURI」と掲出されていました。写真上右は同じ場所で300系(最後尾:クハ301-1)後追いを撮ったものです。 その後、上今市駅に戻り、東武日光駅へ移動する。東武日光駅では、300系の撮影会が行われ、これまで運転されたヘッドマーク「特急ゆのさと」などが時間毎に掲載されました。写真下左は「特急しもつけ」が掲載された300系を撮ったものです。
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JR烏山線で38年間運転されてきた気動車(ディーゼル車)「キハ40形」が3日、運行最終日を迎え、各駅で見送りイベントが実施された。4日のダイヤ改正で同線を運行する車両は全て蓄電池電車EV−E301系「アキュム」に切り替わる。ファンから「たらこ色」と呼ばれた朱色の車両、烏山線独特の白い車体に緑色の帯の車両、首都圏でよく見られた朱色とクリーム色の車両と3種のカラーリングがあり、この日は3種3両を連結し、運転されるとのことです。この列車を撮りにJR烏山線沿線へ行ってきました。 東北本線で宇都宮駅へ、ここで烏山線へ乗り換え、宝積寺駅で下車、駅から下野花岡方面へ徒歩20分程で撮影地に着く。平日にも関わらず多くの撮り鉄が集まっていました。ここで宇都宮発・烏山行き「キハ40形」3種3両連結列車を撮りました(写真上左)。列車の前後には、ヘッドマーク「ありがとうございました烏山線キハ40形」と掲出されていました。この列車は烏山で折り返し、宇都宮へ戻ります。再び烏山へ向かう見送りイベントが宇都宮駅であり、混雑のなか発車する「キハ40形」を撮りました(写真上右)。また、別の「キハ40形」2両を宝積寺付近で撮りました(写真下左)。
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1994年以来、22年の長きにわたって親しまれてきた銚子電気鉄道の「デハ1001」が本日(28日)に引退する。「デハ1001」は旧営団地下鉄(現東京メトロ)銀座線で運用されていた2000形(2046号車)を改造し、「昭和の名車」として運転されていました。 この「デハ1001」を撮りに銚子電鉄沿線へ行ってきました。この日は総武本線千葉からおよそ2時間かけ銚子電鉄の起点:銚子駅へ、ここから銚子電鉄2000形に乗車し君ヶ浜駅へ行きました。駅から海鹿島方面へ5分程歩いた線路脇に着く。遠方にも関わらず、多くの撮り鉄が集まっていました。ここで銚子発・外川行き下り臨時列車「デハ1001」を撮りました(写真上左)。ヘッドマークには「昭和の名車おつかれさま」と掲載されてました。場所を100メートルほど海鹿島よりに移動、次に来た「デハ1001」を撮りました(写真上右)。その後、列車で犬吠駅へ移動し、外川方面へ5分程歩いた線路脇で「デハ1001」を撮りました(写真下左)。この日は快晴だったので、順光となる外川側を撮りましたが、銚子側には銀座線時代の2046号車の表示になっていました。
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2002年以来14年間、富士山麓を走り続けてきた、富士急行2000系が本日(7日)に引退を迎えた。2000系は元JR東日本のジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」を改造した車両です。この列車を撮りに富士急行沿線へ行ってきました。 大月から富士急行6000系に乗車し三つ峠駅へ、そこから寿駅方面へ15分程歩いた線路脇へ行きました。ここは有名な撮影地で、既に多くの撮り鉄が集まっていました。待つこと1時間、大月発・河口湖行き2000系フジサン特急5号を撮りました(写真上左)。列車は2001号編成、前からクロ2001(展望車)+モロ2101+クモロ2201でした。この列車は河口湖で折り返しフジサン特急6号となり、約1時間後に戻ってきた2000系を撮りました(写真上右)。なぜか?この列車のヘッドマーク掲出はなく、他の列車6000系(写真下中)や1000系(写真下右:小さく)に掲出されてました。三つ峠駅へ向かう途中、都留市駅ですれ違った2000系フジサン特急2号を撮りました(写真下左)。この日は明け方に降った雪が残っていて寒かったです。
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南武線で1989年から活躍してきた「205系」が、1月9日ラストランを迎えた。 2014年10月に新型車両:E233系の導入が開始され、移行が完了した。 最後の「205系」を撮りに南武線沿線へ行ってきました。最後の営業列車は下り快速:川崎−登戸で運転される。午前の下りはほとんどの場所が逆光と、この区間の線路脇の柵が高く、写真を撮る条件が悪い。武蔵溝ノ口−武蔵新城間に歩道橋が2ヶ所あり、そこから撮ることで柵の高さは克服できる。南武線武蔵溝ノ口駅で下車、武蔵新城方面へ徒歩10分ほどで歩道橋に着く。ここで逆光の中きた、川崎発・登戸行き臨時快速「205系」を撮りました(写真上左)。列車はナハ46編成6両、ヘッドマークに「南武線ありがとう205系」と掲出されていました。また、同じ場所で通過後(後追い)の「205系」を撮りました(写真上右)。この列車は登戸到着後、回送となり戻ってくる。この回送列車を別の歩道橋で撮りました(写真下左)。JR東日本によると、205系の一部はインドネシアへ譲渡されるとのことです。
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◇北総線7260形ラストラン:2015年3月22日
千葉県北部を走る北総線の7260形が、本日(22日)引退を迎えた。7260形は、元京成電鉄3300形の3308編成(4両)+3316編成(4両)を改造した車両です。 この列車を撮りに北総線沿線へ行ってきました。この日は北総線西白井駅から新鎌ケ谷方面へ15分ほど歩くと、高架橋[下記地図]に着く。ここは北総線上り線の見通しのよい場所の撮影地です。ここで、印西牧の原発・京成上野行き上り臨時特急7260形を撮りました(写真左)。列車は7268編成(8両)で、ヘッドマークに「さよなら7260形 2015.3.22」と掲出されていました。この列車は京成上野駅到着後、下り臨時特急となり、1時間30分後にこの付近を通過する。この場所は下り列車を撮るには不向きなので、新たな場所を探すため下へ降り、線路脇へ移動する。ここで京成上野発・印西牧の原行き下り臨時特急7260形を撮りました(写真右)。ラストラン終了後、車両基地で事前応募当選者の撮影会などがありました。 尚、京成電鉄3300形も2月28日に引退した。 |
およそ46年間に渡り、京成電鉄を支えた3300形が、本日(28日)に引退を迎えた。かつて京急線の三浦海岸駅と京成成田駅を結んでいた「特急成田山号」を一日限りで復活させ、京成上野駅から京成成田駅間でさよなら運転をした。 この列車を撮りに京成電鉄本線沿線へ行ってきました。この日は京成酒々井駅から大佐倉方面へ15分ほど歩くと、上下線とも見通しのよい場所に着く。ここで待つこと50分、京成上野発・京成成田行き3300形「特急成田山号」を撮りました(写真上左)。列車は3304編成(4両)と3344編成(4両)を接続した8両、先頭はモハ3301でした。ヘッドマークは前後でデザインが異り、前側(成田側)が「特急成田山」、後側(上野側)が「さよなら3300形」と掲出されていました。同じ場所から通過後の3300形を撮りました(写真上右)。また、最後尾のモハ3344をアップで撮りました(写真下左)。この列車は京成成田到着後、宗吾車両基地まで運転され、その後廃車になるとのことです。
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東急電鉄7600系が引退する。7600系は、かつて東急各線で活躍していた7200系(1967年〜2000年)車両の一部を改良し、1986年に再デビューした車両で、近年では池上線・多摩川線で運行されていました。 本日(7日)に、池上線・多摩川線蒲田駅の構内で、7600系の引退を記念した「ありがとう7600系イベント」が開催、また7600系も池上線五反田−蒲田間で4往復運転された。 この日は、イベントの開催されている蒲田駅へ、多くの鉄道ファンが待つなか、五反田方面から最初に到着する7600系を撮りました(人が多く写ってしまったので写真略)。次に沿線へ移動、御嶽山駅で下車、久が原方面へ5分ほど歩いた線路脇で、蒲田発・五反田行き上り7600系を撮りました(写真左)。列車は3両編成、前から「クハ7601」+「デハ7681」+「デハ7661」でした。その後、御嶽山よりに場所を移動、五反田発・蒲田行き下り7600系を撮りました(写真右)。向きが変わり、先頭は「デハ7661」になりました。昔から馴染んだ7600系(7200系)の見納めになってしまいました。 |
◇東武東上線:8175+8506編成ファイナル:2015年1月17日
東武東上線を支えてきた8000系が、池袋−小川町間での一般営業列車の運行を終了する。その最後の列車が「ありがとう8000系Finalツアー」として、本日(17日)に運転された。この列車を撮りに東武東上線沿線へ行ってきました。 この日は東上線川越駅へ、ここでJR川越線に乗り換え西川越駅で下車、北方向へ5分程歩くと東上線の踏切に着く。ここはまわりに建物がなくて見通しがよい場所で多くの撮り鉄が集まります。ここで逆光の中きた、池袋発・小川町行き臨時列車8000系を撮りました(写真右)。列車は前から8506編成2両+8175編成8両、ヘッドマークには「ありがとう8000系」と掲出されていました。この列車は小川町から戻り、森林公園まで運転されました。 これよりおよそ1時間45分前に同じ場所で森林公園から池袋に向かう上り回送8000系を撮りました(写真左)。こちらは順光で撮ることができました。 |
1994年以来約20年間走り続けてきた、銚子電鉄「デハ1002」が本日(10日)に引退する。「デハ1002」は、旧営団地下鉄(現東京メトロ)丸ノ内線で運用されていた2000系(2040号車)を改造し、赤・白帯の塗装(丸ノ内線分岐カラー)が施され、運転されていた。 この「デハ1002」を撮りに銚子電鉄沿線へ行ってきました。この日は総武本線千葉からおよそ2時間かけ銚子電鉄の起点:銚子駅へ、ここから銚子電鉄2000形に乗車し君ヶ浜駅へ行きました。駅から海鹿島方面へ5分程歩いた線路脇に着く。ここで銚子発・外川行き下り臨時列車を撮りました(写真上左)。列車はデハ1001とデハ1002との協調運転で、前(外川側)が「デハ1001」銀座線色と、後(銚子側)が引退する「デハ1002」です。ヘッドマークはデハ1001には「最後の共演」等と、デハ1002には「ありがとう1002」等と掲出されていました。下りは順光で撮れるが、上りは逆光となるので、外川から戻ってきた上り臨時列車を側面から撮りました(写真上右)。その後、犬吠へ移動し、逆光の中きた、上り臨時列車を撮りました(写真下左)。この臨時列車は銚子−外川間を2往復しました。
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◇ひたちなか海浜鉄道:キハ222ラストラン:2014年12月6日
現役の気動車としては、全国で最も古いひたちなか海浜鉄道の「キハ222」が、本日(12月6日)引退を迎えた。この「キハ222」の最後の姿を撮りに、ひたちなか海浜鉄道湊線へ行ってきました。 この日は常磐線上野からおよそ2時間をかけて水戸の1つ先の勝田駅へ、ここからひたちなか海浜鉄道湊線に乗車、イベントが開催されている那珂湊駅へ行きました。ここでは、ラストラン前の「キハ222」等が展示されており、車両を撮りました(写真右)。車両は前から「キハ222」+「ミキ300」+「キハ2005」で、ヘッドマーク「ありがとうキハ222 ひたちなか海浜鉄道」と掲出されていました。 その後、ラストランを撮るため、高田の鉄橋駅(新駅:今年10月1日開業)へ、ここから中根方面へ10分ほど歩いた踏切に着く。ここで勝田発・阿字ヶ浦行き下り列車「キハ222」ラストランを撮りました(写真左)。列車は3両編成で、展示されていた時とは変わり、前から「キハ222」+「キハ2004」+「キハ3710」でした。 |
JR東海の371系が本日(30日)を以って引退した。371系は以前(2012年3月まで)、小田急線との相互乗り入れしていた特急「あさぎり号」として運行、その後は団体専用列車(臨時)として運行されていた。 本日、「御殿場線80周年」キャンペーンとして、東海道線の浜松と御殿場線の松田間で371系のラストランがあった。この列車を撮りに御殿場線沿線へ行ってきました。 この日は、御殿場線の御殿場駅で下車、足柄方面へ20分歩いた場所へ着く。この場所は有名な撮影地で、すでに多くの撮り鉄が集まっていました。ここで、浜松発・松田行き上り列車371系を撮りました(写真左)。列車は7両編成、先頭(松田側)がクモハ371-1、特製ヘッドマーク「御殿場線80周年371」が掲出されていました。尚、この場所は、背後に大きく富士山が入りますが、残念ながらこの日は曇り空で見れませんでした。 その後、松田駅から国府津方面へ二つ目の上大井駅へ移動、ここで回送停車中の371系を撮りました(写真右)。向きか変わり、先頭(浜松側)がクモハ371-101でした。 この列車は松田発・浜松行き下り列車となりますが、発車が日没後となるので、あきらめて帰りました。 |
横浜線で26年間にわたって活躍してきた「205系」が、23日ラストランを迎えた。 今年2月にE233系の導入が開始され、半年間をかけて、本日に移行が完了する。 最後の205系を撮りに早朝、横浜線沿線へ行ってきました。下り列車を撮りに中山駅へ、駅ホーム端で東神奈川発・八王子行き普通205系を撮りました(写真左)。列車は編成番号:H1、ヘッドマークに「すべてのお客さまへ感謝」と掲出されていました。 その後、成瀬で下車、長津田方面へ6分程歩いた線路脇へ移動しました。 八王子で折り返し、八王子(午前8時55分)発大船行き上り快速205系を撮りました(写真右)。この列車が横浜線205系のラストランで、ヘッドマークに「横浜線すべてのお客さまへ感謝」と掲出され、前後でデザインが異なっていました。JR東日本横浜支社によると、205系の一部はインドネシアへ譲渡されるとのことです。 |
◇寝台特急「あけぼの」ラストラン:2014年3月15日
寝台特急「あけぼの」が3月14日発車の列車を最後に、44年間の運行を終了した。 下り列車は上野を午後9時すぎの発車、写真は夜で撮りずらく、また混雑が予想されていたのであきらめて、翌日15日早朝に首都圏へ到着する、青森発上野行き上り「あけぼの」ラストランを撮りに高崎線沿線に行きました。高崎線と並行する京浜東北線東十条駅付近(高崎線尾久−赤羽間)の線路脇が有名な撮影地で、早朝にもかかわらず多くの人が集まっていました。ほぼ定刻の7時すぎにブルーの車両が見え、寝台特急「あけぼの」が通過して行き、その最後の姿をカメラに収めました(写真上左)。牽引が「EF641052」、客車が「24系」(電源車を含め9両)でした。通過後、後追いを撮ろうとしたら、下り列車と被り撮れませんでした。一部の人たちは被りで前面からも撮れなかったようです。 その後、直ちに京浜東北線で日暮里駅へ移動、並行している常磐線駅ホームから推進運転(機関車が一番後ろにいて客車を押す形で運転する)で、尾久車両センターに向かう「あけぼの」を撮りました(写真上右)。ここでも多くのファンで混雑していました。これでブルートレインは「北斗星」のみと、なってしまいました。 名残惜しいので、3日前の3月12日にも「あけぼの」を撮りに行きました。日暮里駅付近の高架橋(高崎線上野−尾久間)から上り寝台特急「あけぼの」を撮りました(写真下左)。牽引が「EF641031」、客車が「24系」(電源車を含め9両)でした。また、京浜東北線鶯谷駅ホームから、推進運転の「あけぼの」を撮りました(写真下右)。
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◇西武鉄道3000系 3003編成ラストラン:2013年10月6日
西武鉄道3000系の3003Fが、本日(6日)ラストラン運転があり、撮りに行ってきました。 ラストランは、西武池袋線池袋から西武秩父線横瀬まで運転されました。 この日は、西武池袋線で元加治へ、仏子方面へ5分程歩いた場所で、入間川を渡る3000系3003編成を撮りました(写真左)。列車は10両編成で、先頭車両はクハ3003、ヘッドマークには「3003F Forever 2013.10.06」と掲出されていました。 その後、西武秩父線西武秩父1つ前の駅、横瀬へ移動しました。この日は横瀬車両基地で「西武トレインフェスティバル 2013 in 横瀬」が開催され、ここまで運転された3000系3003Fは展示車両として公開されました。横瀬駅ホームから、その3003Fを撮りました(写真右)。列車は向きが変わり先頭がクハ3004、背後に武甲山が見えます。 |
◇流鉄流山線2000形「なの花」ラストラン:2013年4月28日
流鉄流山線の2000形「なの花」が、本日(28日)ラストラン運転があり、撮りに行ってきました。 流山線は千葉県松戸市の馬橋から流山市の流山まで、5.7キロの路線で、日中2編成が運転されている。その1編成がラストランを迎えた「なの花」です。 「なの花」は元西武鉄道701系で、1997年から流山線で運転されている。 この日はJR常磐線で馬橋へ、流山線ホームへ移動し到着する「なの花」を撮りました。この列車に乗車し小金城址で下車、流山方面へ2分程歩いた場所で流山から折り返してきた「なの花」を撮りました(写真右)。この列車は、前から「クモハ2005」+「クモハ2006」で、ヘッドマークには「哀別 なの花 2013.4..28」と掲出されてました。その後、さらに流山方面へ10分程歩いた線路脇から、往復してくる「なの花」を撮りました(写真左)。いずれの場所にも多くのファンが集まっていました。 |
秩父鉄道1000系の1007号が、本日(8日)ラストラン運転があり、撮りに行ってきました。 ラストランは、熊谷−三峰口間を1往復しました。 この日は、西武鉄道で西武秩父駅へ、さらに徒歩6分で秩父鉄道御花畑駅へ行きました。ここから秩父鉄道下り三峰口行き1000系に乗車、武州中川で下車し、武州日野方面へ徒歩15分程の場所で列車の通過を待ちました。この場所で、熊谷発三峰口行き臨時列車1007F(1000系)を撮りました(写真左)。列車は先頭から「デハ1007」+「デハ1107」+「クハ1207」の3両編成で、ヘッドマークには「さよなら&おつかれさま1007F LAST RUN」と掲出されてました。 その後、徒歩で武州日野駅へ、さらに白久方面へ5分程歩いた場所で、折り返してきた1007F(先頭クハ1207)を撮りました(写真右)。背後には奥秩父山塊の一部が見えています。 |
房総半島中央を走る久留里線の旧型気動車3タイプ(キハ30形、キハ37形、キハ38形)が、本日(12月1日)に引退し、新型車両へ移行する。旧型気動車のラストランを撮りに久留里線沿線へ行ってきました。 この日は、内房線で久留里線の始発駅木更津へ、ここには久留里線の車両基地があり、キハ37形・キハ38形を撮りました(写真省略)。 キハ37形上総亀山行き下り列車に乗車し東清川下車、10数分後に来た木更津行き上り列車「キハ30形」を、東清川駅ホームから撮りました(写真上左)。その後、線路沿いを横田方面へ25分程歩くと小櫃川へ、橋を渡った土手から鉄橋を通過する久留里行き下り列車「キハ30形」を撮りました(写真上右)。さらに横田方面へ移動し、この日にデビューした「キハE130形」を撮りました(写真下右)。この頃から天候が急変し、大粒の雨が降り始めたため、撤収し横田駅へ行きました。 写真下右は横田駅ホームから撮った、久留里行き下り列車「キハ38形」です。
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上信電鉄で4年前(2008年10月)から運行されていた銀河鉄道999号が、本日(9日)「さよなら運行」を迎え高崎−下仁田間を2往復した。最初の列車は999号にちなみ9月9日9時に高崎駅発車した。 この日は高崎から2つ目の根小屋駅で下車、南高崎方面へ15分程歩いた場所で列車の通過を待ちました。下仁田発高崎行き上り列車「銀河鉄道999号」を撮りました(写真上右)。
その後、この場所で高崎から戻ってくる下り列車を1時間20分程待ち、やっときた下仁田行きの「銀河鉄道999号」を撮りました(写真上左)。向きが変わり先頭がクモハ501、ヘッドマークのデザインが前後で異なっていました。 この列車の車内にも「999」のキャラクター等が描かれており、以前にこの列車に乗車したときに、車内を撮りました。その天井に描かれた「メーテル」と「松本零士さんのサイン」を掲載します(写真下右)。 |
◇流鉄流山線2000形「青空」ラストラン:2012年7月15日
流鉄流山線の2000形「青空」が、本日(15日)ラストラン運転があり、撮りに行ってきました。 流山線は千葉県松戸市の馬橋から流山市の流山まで、5.7キロの路線で、日中2編成が運転されている。その1編成がラストランを迎えた「青空」です。この日はJR常磐線で馬橋へ、流山線ホームへ移動し到着する「青空」を撮りました。この列車に乗車し小金城趾で下車、流山方面へ2分程歩いた場所で流山から折り返してきた「青空」を撮りました(写真左)。前から「クモハ2001」+「クモハ2002」で、通常掲出されているヘッドマーク以外に正面左上に「惜別」(赤色)と掲出されてました。その後、幸谷方面へ10分程歩いた線路脇などから、往復してくる「青空」を数回撮りました。また馬橋まで戻り、常磐線ホームから、到着する「青空」を撮りました(写真右)。この列車の馬橋側には、ヘッドマークが「ありがとう青空2000形」等と「惜別」(青色)、流山側には「青空type2000さようなら」等と「惜別」(青色)と掲出されていました。 |
伊豆箱根鉄道駿豆線の1100系が、本日(13日)ラストラン運転があり、撮りに行ってきました。 ラストランは、三島−修善寺間を1往復しました。 この日は東海道本線を乗り継ぎ三島へ、三島から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗車、三島二日町で下車し、大場方面へ20分程歩いた場所(中村踏切)で列車の通過を待ちました。この場所は下り列車には順光で、背後に富士山が入りますが、残念ながら この日は曇り空で見れませんでした。
写真上左が、この場所で撮った下り1100系3両編成で、前からクハ2005+モハ1010+クモハ1009です。ヘッドマークには「ありがとう1100系さよなら運転」と掲出されてました。 これより50分ほど前、上りを回送として1100系が通過し、同じ場所で撮りました(写真上右)。先頭はクモハ1009です。 その後、中村踏切から大場方面へ10分程歩いた線路脇から上り1100系を撮りました(写真下右:後追い)。 さらに、大場駅まで歩き、駅から上り列車に乗車、三島駅へ、そこでホームに回送停車中の1100系を撮りました。車両基地のある大場まで回送運転された1100系を見送りました。 |
◇小田急電鉄10000形・20000形ラストラン:2012年3月16日
小田急電鉄のロマンスカーHiSE10000形とRSE20000形が、本日(16日)に引退、これを撮りに行ってきました。10000形は1987年から、20000形は1991年から、特急形車両(ロマンスカー)として運転されてきた。20000形はJR御殿場線沼津まで乗り入れている。 この日は、小田原線渋沢駅下車、駅ホームから上り「はこね8号」10000形(写真省略)と、「あさぎり4号」20000形(写真上右)を撮りました。 その後、下り列車に乗車し開成駅で下車、栢山方面へ20分程歩いた踏切付近で、下り「はこね21号」10000形を撮りました(写真上左)。 その後、上り列車で新松田まで戻り、渋沢方面へ30分程歩いた線路脇で、下り「あさぎり5号」20000形を撮りました(写真下左)。そこへ行く途中、川音川を渡る上り「はこね22号」10000形を撮りました(写真下右)。それぞれの列車は平日ダイヤに従い、この夜に役目を終えた。
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◇東急電鉄デヤ7200(検測車)ラストラン:2012年2月26日
東急電鉄の検測車「デヤ7200」+「デヤ7290」が、新検測車「TOQi」の導入に伴い、26日にラストランを迎えた。田園都市線長津田検車区から、目黒線・東横線などの東急各線へ運転された。 この日は、駅ホームからの撮影は混雑していたのでやめ、各線沿線4か所にしぼり撮影をしました。 まず、田園都市線藤が丘で下車、市ヶ尾方面徒歩5分程の高架橋から上り走行中の検測車を撮りました(写真省略)。次に多摩川線沼部で下車、鵜の木方面徒歩5分程の線路脇から下り走行中の検測車を撮りました(写真左)。先頭が「デヤ7290」、後方が「デヤ7200」です。ヘッドマークは前後で異なっており、デヤ7290側(前側)は「さようならデヤ7290」と、デヤ7200側(後側)は「ありがとうデヤ7200」と掲出されていました。 その後、目黒線奥沢付近へ移動、上りカーブ走行中の検測車を撮りました(写真右)。多摩川線撮影時と向きが変わり、先頭が「デヤ7200」です。次に東横線綱島付近へ移動、鶴見川を渡る検測車を撮りました(写真省略)。検測車は東横線・大井町線などを走行し、長津田検車区へ戻りました。各場所とも多くのファンが集まり、最後の姿をカメラにおさめていました。 |
1962年(昭和37年)から京王電鉄井の頭線を支えてきた3000系が来月12月に引退する。 これを記念して、11月3日・6日・13日の3日間に限り、ヘッドマークを掲出した3000系が運転された。 最終日13日に、この列車を撮りに井の頭線沿線に行ってきました。列車は渋谷−吉祥寺間を何回も往復するので、場所を変えて撮ることができました。 まず永福町駅ホームから上り3000系を撮ったあと、西永福で下車、浜田山方面へ徒歩5分ほどの線路脇から、下り3000系を撮りました(写真右)。 さらに浜田山方面へ徒歩で移動、上り急行を浜田山付近の踏切から撮りました(写真左)。 ヘッドマークには「ありがとう3000系」と掲出されており、デザインが前後で異なっていました。 その後、高井戸駅・吉祥寺駅などで同列車を撮りました。いづれの駅もファンで混雑していました。 |
◇伊豆箱根鉄道「さよなら青電1100系」:2011年10月29日
伊豆半島を走る伊豆箱根鉄道駿豆線の1100系が来年6月引退する。 本日(29日)に1100系のイベント列車(青電としてはラストラン)の運転があり、撮りに行ってきました。 東海道本線を乗り継ぎ三島へ、三島から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗車、三島二日町で下車し、大場方面へ20分程歩いた場所で列車の通過を待ちました。この場所は下り列車には順光で、背後に富士山が入ります。写真左が、この場所で撮った1100系3両編成で、前からクハ2005+モハ1010+モハ1009です。ヘッドマークには「ありがとう1100系」と掲出されてました。 その後、修善寺へ移動し、修善寺駅に停車中の1100系を撮りました(写真右)。三島二日町−大場間で撮った写真とは逆方向で先頭がモハ1009です。 今後、1100系は、車体カラーを現在の青色から、別色に塗り変えるとのことです。 |
関東鉄道常総線のキハ350形が、本日(10日)ラストラン運転があり、撮りに行ってきました。 ラストランは、下り列車が守谷から下館まで、折り返し上り列車が下館から水海道までの運転です。 この日は新守谷から守谷方面へ10分ほど歩いた場所で、キハ350形を撮りました。下り列車は逆光でしたので写真うつりがよくなく、同じ場所で8分程前に回送で守谷へ向かうキハ350形を掲載しました(写真左)。編成は「キハ358」+「キハ3511」の2両で、ヘッドマークには「さようならキハ350形 おつかれさまでした」と掲出されていました。 その後、水海道へ移動し上り列車を撮りました(写真右)。ヘッドマークが「さようならキハ350形 ラストラン10月10日」と掲出、下りと異なっていました。水海道駅で停車した後、ラストランの終着水海道車両基地へ向かいました。 |
半世紀にわたって首都圏で活躍してきた昭和を代表する名車両「113系」が24日、最後の運転を終え引退した。ラストランとして、9月23・24日に「THE FINAL 113」が運転された。 24日は総武線両国から内房線で館山と、外房線で館山へと2編成が運転され、これを撮りに行ってきました。総武線の下総中山駅のホームから先発した外房線経由館山行き(4両編成)を撮りました(写真上右)。ヘッドマークには「快速白い砂」と掲出されていました。 後発の内房線経由館山行きは1時間後でしたので、内房線の田園沿線に移動しました。内房線の袖ヶ浦で下車、巌根方面へ15分ほど歩いた場所で内房線経由館山行きを(4両編成)撮りました(写真上左)。ヘッドマークには「快速青い海」と掲出されていました。 また、前日(23日)は総武線両国から総武本線経由で成田線の銚子まで運転(8両編成)されました。出発の両国駅では普段使用されない3番線を使用(写真下右)、多くのファンが集まっていました。その後、上総中山へ移動し、駅のホームから銚子行き113系を撮りました(写真下左)。ヘッドマークには「ありがとう113系」と掲出されていました。
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![]() ラストランの列車が東京から新習志野まで運転された。 この日は京葉線南船橋下りホームから新習志野へ向かう201系(K4+54編成)を撮りました(写真上左)。前側(蘇我方)4両がK4編成、後側 (東京方)6両が54編成です。 ヘッドマークには、「ありがとう京葉線201系」と掲出されていました(写真左:後部を南船橋で撮影)。 その後、この列車に乗り、1駅先の終着駅:新習志野まで行きました。 新習志野駅で回送となり、多くのファンとともに車両基地(京葉車両センター)へ向かう201系を撮りました(写真上右)。 昨年の「中央線201系」に続いての引退で、首都圏から201系が消えました。 |
![]() ![]() 小田急電鉄の5000形は6両編成と4両編成が活躍しているが、1月30日をもって6両編成が引退する。これを記念して29日に両者を接続して、10両で新宿駅から唐木田駅まで「5000形10両さよなら運行」が行われた。 この日は、小田急多摩線の栗平駅で下車し黒川方面へ10分程歩いた場所で5000形を撮りました。写真左が5568を先頭に10両すべて(前6両が引退する車両)を、写真右が後追いで最後尾:5065を撮りました。「さよなら5000形10両」とヘッドマークが掲出されていた。 |
![]() ![]() ![]() これを記念して、競馬場線でヘッドマークを掲出した6000系が運転されている。競馬場線は東府中から府中競馬正門前までの0.9キロの路線である。 この日は、東府中付近でヘッドマークを掲出した上り6000系(写真上左)を撮り、府中競馬正門前付近で下り6000系(写真上右)を撮りました。 ヘッドマークのデザインが前後で異なっており、東府中側には(写真左)のようなヘッドマークが掲出されていた。 |
◇中央線201系ラストラン:2010年10月17日 30年間に渡り中央線を支えてきたオレンジ色の201系が、本日(17日)引退した。 |
中央線201系H4編成の引退(2010年6月20日)に続き、中央線201系最後のH7編成引退が近づいて |
◇中央線201系(H4編成)ラストラン:2010年6月20日 中央線201系(H4編成)がラストランをむかえ、豊田(東京都)から松本(長野県)まで、臨時列車が運転され |
30年間に渡り中央線を支えてきたオレンジ色の201系が、この夏に引退します。 |
引退する「北陸」・「能登」の上野到着を撮りに上野駅及び鶯谷駅へ行きました。 |
Last Update:2022/05/24