5.偶然をつかむ:セレンディピティとは何か?(おとぎ話の解説)
引き続き、ツイッターを舞台に、前章で紹介したおとぎ話から、セレンディピティとは何か?について語っています。 |
7:35 AM Apr 4th mobile webから |
18世紀のイギリスの首相、ロバート・ウォルポール(大学受験で世界史を勉強したとき聞いた名前)の子供で作家のホレス・ウォルポールが「セレンディピティ」という言葉を作りました。 |
7:43 AM Apr 4th mobile webから |
その言葉の元となった話が「セレンディップの三人の王子たち」というペルシャの昔話です。 |
7:45 AM Apr 4th mobile webから |
その昔話を、ちょっと、かなり、とっても、膨らましてみました。 |
3:08 PM Apr 4th mobile webから |
セレンディピティという言葉は、ノーベル賞級の発見をしたときのエピソードとともに語られることが多いようです。失敗や偶然が科学上の大発見につながったというやつです。全くの作り話だそうですが、リンゴの落ちるのを見て万有引力を発見したとか、分かりやすいし面白いですよね。 |
6:38 PM Apr 4th mobile webから |
セレンディピティは、とても重要な概念なので、もっと日本語でも使われるべきです。ところが、この言葉の流布している定義が間違っていると思います。 |
1:24 PM Apr 5th mobile webから |
探していない価値あるものを偶然見つける能力、と言われますが、この定義では、どんな能力かさっぱり分かりません。醤油が切れていたので、たまたま、年末大売り出しの時に買ったら、福引きのくじで1等のハワイ旅行が当たる「能力」? |
11:28 PM Apr 6th mobile webから |
ホレス・ウォルポール自身が、定義付けるより、物語を読めばその意味が分かると言っています。 |
6:31 PM Apr 7th mobile webから |
彼が引用している能力というのは、ラクダの通った跡から、見てもいないラクダや乗っている人の様子を当ててしまう能力のことです。 |
8:25 PM Apr 7th mobile webから |
上の定義では探していないものを見つけるとあります。確かに、王子達はラクダを探してはいませんでしたが、人の役に立ちたいと願っていたはずで、結果的にはその目的は果たされています。当初の目的が叶ったのですから、探していないものを見つけるという定義は的を外しています。 |
2:45 AM Apr 8th mobile webから |
定義の中にある「偶然」という言葉も一人歩きして、世の中で伝わっているセレンディピティの意味を曲げてしまっています。王子達は、「偶然見かけた」草の様子だけを見てラクダは右目が見えないといっている訳ではありません。 |
2:52 AM Apr 8th mobile webから |
ラクダは草を食べるために、なるべく道の左側を歩いています。ところが、障害物や野犬を避けるためにわざわざ、道の右側に寄っている足跡が残されています。また、まっすぐ歩いて良い場所で、やや左に斜行している様子も伺えます。 |
4:19 AM Apr 8th mobile webから |
このような証拠から、王子達は、たとえ草の食べ方に気が付かなくても、ラクダの右目が見えなかったと結論したはずです。決して、偶然見つけたことではありません。 |
7:34 AM Apr 8th mobile webから |
人の役に立つ為には何をなすべきか、という観点で世界を見ている王子達にとって、そういう観点を持っていない人であれば見過ごしてしまう、ラクダの足跡、食べ残された草の様子は、とても重要な何かを表しているものとして、立ち現れていたはずです。 |
5:41 PM Apr 8th mobile webから |
それでも、第三者から見れば、あるいは、直接のきっかけだけを見れば、「探してなかったものを見つけた」、「偶然見つけた」という印象を持たれてしまう状況ではあります。 |
7:00 PM Apr 8th mobile webから |
それは、立ち現れている現象と解決すべき問題との連関があまりにも意外な組み合わせだから起こる錯覚です。この昔話を知らなければ、ラクダの通った跡から、騎乗者の妊娠を結びつける、などということは、誰も考え付かないのではないでしょうか。 |
9:52 PM Apr 8th mobile webから |
意外なこと、理解できないことの多くを、偶然という言葉で片付けてしまうのは間違いです。そもそも、「偶然」というものの正体も、じっくり考え直す必要があると思います。 |
11:57 PM Apr 8th mobile webから |
セレンディピティの正しい定義は、自分にとって重要なこと、解決すべき問題を、誰もが見過ごしてきた意外な連関をもった現象により発見し、解決すること、またはその能力、です。その現象は多くの場合、身近にあったり、特別なきっかけで見つかるものですが、そのこと自体は副次的なことです。 |
1:11 AM Apr 9th mobile webから |
(本当は、数年前話題になった奇跡のリンゴとセレンディピティの関係とか、偶然と必然の正体とか、王子達と違い凡人である我々がセレンディピティを発揮するためのノウハウ=当事者意識、とか、いろいろ書こうと思っていたのですが、) |
1:45 AM Apr 9th mobile webから |
(すでに、アウトプット超過です。頭の中の蓄えが枯渇してしまいました。これ以上何か書いても、薄っぺらにしかならないような気がするので、この辺で止めておきます。) |
2:06 AM Apr 9th webから |
さようなら。 |
返事のあて先である、ある人からは相変わらず微妙な反応しかありませんでしたが、好意をもって読んでもらっていると思うようになっていました。 ところが、それは、やっぱり私の妄想かな?と思い直して「さようなら」をしました。 その後すぐに、好意をもって読んでもらっていることが分かります(はやまっちゃいましたねぇ)。 それで、次のような修正です。 |
1:41 AM Apr 16th webから |
頭の中の蓄えが貯まったら、また書き始めます。それまで、so long です。 |
本当に蛇足ですが、昔、高橋留美子さんの『めぞん一刻』という漫画で、主人公にあこがれている高校生が、そのあこがれは、妄想、思い違いだと考え、主人公あてに「Long Goodbye」とメモを残し二度と会わない決心をします。 でもやはり、忘れられないので、そのメモを次のように書き換えます。 「So Long、Goodbye(またね)」 英語の使い方として、どちらも正しいのかどうか、よく分りませんが、なんかこの話を思い出したので、上のようなつぶやきをしてみました。 |
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アップロード日 2010.10.11