2.(7)関係に感情移入できますか?その1
送信者: 山田 日付: 2010/03/09 07:56 PM
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件名: 当事者意識 Season2 episode:6【関係に感情移入できますか?】
国語の勉強です。
「一人相撲」という言葉の意味は?
答え
ひとり-ずもう[-ずまふ]【一人相撲/独り相撲】
1.二人で相撲をとっているような所作を一人でしてみせること。また、その芸。神事・大道芸として行われた。
2.相手がないのに自分だけで気負い込むこと。また、実りのない物事に必死で取り組むこと。「むなしい−をとる」
[大辞泉 提供:JapanKnowledge]
補題六
関係に感情移入できますか?
恋愛に感情移入できるということが分かる人であれば、人ではなく関係に感情移入するということがどういうことか分かると思います。
私がペットの話題のとき、妻の気持ちの一部分にも感情移入していたと言いました。
私のペットに対する思いと、妻のペットへの思いを繋ぐ何かがあります。
ペット自身の心の存在は疑っていませんが、ペットの心は同時に私の心のある部分と妻の心のある部分を繋ぐ関係を象徴しています。
犬に心があり、うさぎに心が無い(という人がいるのは、)ように見えるのは、人に懐きやすいかどうかということもありますが、(その人が)うさぎを人の心を映す象徴として見ていないということだと思います。
重要なポイントは、ペットが象徴する私と妻の関係は、直接的な二人の関係とは異なるものだということです。
ペットが象徴する私と妻の関係には厳しい妻の心は除かれています。
妻の全人格がペットに投影されているわけではなく、投影されているのはその一部分にすぎません。
私もペットに対する態度は、私の人格の一部分からでているものです。
妻の心の一部分と私の心の一部分を繋ぐ関係が存在し、その関係をペットが象徴しています。
家族ということばは関係を表すものです。
幸せな家族、不幸な家族、絆の強い家族、絆の弱い家族、温かい家族、冷めた家族。
家族という関係は、もちろん家族を構成する各人の気持ちを通じて把握できるものです。
家族は各人の気持ちを単純に足し上げたものではありません。
各人の心の一部分を繋ぐものです。
もともと人の気持ちから構成されているので、感情移入しやすいのかもしれませんが、関係である家族という概念があたかも人格をもっているかのように様々な形容詞を付けることができます。
私にとっての小学校の校舎は、多くの人の共通する気持ちを繋ぐ関係の象徴です。
なぜ見知らぬ人の気持ちに感情移入できるかは、良い音楽を聞いたときを想像すれば分かります。
音楽を聴いて感動するということには、他の人にもこの感動が伝わるはずという信念がついてきています。
他の人というのが「分かる人」ということでもいいのですが(分かる人には分かる、という感覚ありますよね)。
その人達は必ずしもあなたが知っている人だけではありません。
日本人一般、あるいは人類一般(あるいは見知らぬ「分かる人」達)を想定しているはずです(スーザンボイルやポールポッツは国境を越えています。二人を知らない人はググってYOUTUBEを見て下さい)。
このように見知らぬ人にも感情移入はできます。
初めて会ったお客様に感情移入を通じて本音を読みとることができるのも同じ能力です。
(喩え話ですが、実感がこもっていることを書きます。
私の心の中の倉庫には全ての人類の思考と感情のパターンが積み上げられています。
それぞれには簡単な索引がついており、その索引を基にどんな人の思考や感情も捜し当てることができます。
指紋の照合と同じ事です。
何十万人もの指紋のストックから個人を割り出すのは、たった五つのポイントが索引となっているそうです。
こう書くと不思議なことを言っていると思われるかもしれませんが、人類全体といっても、そもそも思考と感情のパターン自体は思ったほど複雑ではないということが背景としてあります。
「しょせん人間の考えるこったから、たかがしれてらぁ!」)
小学校に投影されている見知らぬ悪い人の気持ちは、心の一部分です。
心の悪い部分は含まれません。
ペットのときと同じです。心の一部分を取り出して、(自分も含めた)他の人の心の一部分と関連づけるということが重要です。
抽象的な話が苦手な人には辛い読書ですよね。
ちょっと中断します。またあとで。
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アップロード日 2010.10.08