沖縄民族の独立を祝うメッセージ

―日本共産党第5回党大会より沖縄人連盟全国大会あて(1946.2.24)

 沖縄人連盟が本日大会を催されることに対して日本の共産主義者たるわれわれは心からお祝い申し上げます。数世紀にわたり日本の封建的支配のもとに隷属させられ、明治以後は日本の天皇制国主義の搾取と圧迫とに苦しめられた沖縄人諸君が、今回民主主義革命の世界的発展の中についに多年の願望たる独立と自由を獲得する道につかれたことは、諸君にとっては大きい喜びを感じておられることでしょう。これまで日本の天皇主義者は国内では天皇と国民が家族的に血のつながりを持ち、国外では朝鮮人が日本と同じ系統でありアジア民族が日本民族と同じアジア人であると主張し、日本の天皇がアジアの指導者であることを僭称してきました。沖縄人諸君に対しても、彼らは同一民族であることを諸君におしつけました。諸君はこの奸計の帝国主義的本質をもはや見きわめられたと思います。

 たとえ古代において沖縄人が日本人と同一の祖先からわかれたとしても近世以後の歴史において日本は明かに沖縄を支配して来たのであります。すなわち沖縄人は少数民族として抑圧されて来た民族であります。諸君の解放は世界革命の成功によってのみ真に保護されるのであります。

 現に日本には多数の沖縄人諸君が本国との交通を断たれ、戦時中微用された人々は職をうしない、多数の学童やよるべなく南方から帰還された人々は収容所でみじめな取扱いを受けています。諸君とわれわれとは力をあわせて日本政府の怠慢といぜんたる支配者的態度とを糾弾し、至急その救済を実行させるため努力しなければなりません。

 さらにわれわれ日本人は諸君とともに日本の帝国主義的天皇制がふたたびアジアの諸民族を支配する野望をいだいていることを寸時も忘れることなく民主主義革命の徹底化に邁進することを誓うものであります。ここに日本共産党第5回大会は、満場一致をもって貴連盟大会へメッセージを送りいたします。

(「アカハタ」1946.3.6−中野好夫編「戦後資料沖縄」より)


講和に對する共産党の基本方針

日本共産黨中央委員會總會

民主・獨立・繁榮へ
  主權の完全な回復


(一)
 ポツダム宣言日本の民主主義化が徹底し、民主主義的、平和的政府がつくられたあかつきには「連合國の占領軍はただちに日本國から撤収しなければならない」ことを言明している。こういう時が1日も早くきて、わが國が完全な独立を回復し、國際社会への復帰が実現することは、我が國の全人民が熱望するだけでなく、また自由と平和を愛する世界の全人民の切望してやまないところである。ところが、日本政府がポツダム宣言を受諾してから、すでに3年を過ぎたにもかかわらず、講和会議はまだ開かれず、その見通しさえもつかない有様である。
 それは何故であろうか?敗戦後の歴代の内閣が、講和促進のために、なんら積極的な努力をはらつていないだけでなく、その対外依存の愛國政策、民主主義に反する政策と、戦争にみちびく低賃金政策とのために、逆にこれをおくらせているからである。
 たゞわれわれ日本共産党だけが、あらゆる妨害とたたかいながら、講和促進の基礎条件である軍國主義勢力の一掃、民主々義の徹底、自力再建、人民生活の向上のために全力をあげて奮斗して来た。しかし、これ以上に講和がおくれるなら、わが國が民主々義と平和に逆行する方向にみちびかれる危険な情勢さえ生まれてきた。
 そこで、わが共産党は人民の要望する公正な講和の原則を発表して、この基礎の上に1日も早く講和が結ばれることを、内外の民主的全人民を訴え、われわれとともに、これが実現に努力されんことを望むものである。

(二)
1、民主主義  軍國主義的、ファシスト的勢力の絶滅、民主主義の徹底。人民生活の安定と向上。
2、[ヌケ]復(主権を侵害するような一さいの義務を何國にたいしても負わぬ)
3、領土  民族的、歴史的にみて、もともと日本に属すべき島島の日本への帰属。
4、撤兵と軍事基地化反對 日本領土内からの完全な撤兵、また領土の軍事基地化に反対。
5、戦争ほう棄と自衛權  戦争ほう棄、日本を國際的紛争にまき込むようないかなる條件にも反対。日本の自衛権の承認。
6、經濟  わが経済の自主性と人民生活の向上を保障。世界各國との平等にして、対等な経済関係の結成。
7、賠償  わが産業の軍事化を防止するに必要な程度を越えないような、あるいは自力再建と平和産業の発展とをさまたげないような賠償。
8、國連  國際連合、世界労働組合連盟、その他の國際機関への参加。
9、講和  單独講和反対、旧連合國との全面的な、かつ1日も速やかな講和の締結。講和会議には、民主人民政府が日本國を代表する。これができない場合には、全國の民主的諸組織から選ばれた人民代表が正式使節として参加。

(三)
 以上のような諸條件が、ポツダム宣言の趣旨にしたがつた公正な講和條件であり、また民主、独立、繁榮を願望する日本全人民のもとめる講和である。しかし、こういう講和が、できるだけ早く締結されるためには陰に陽にこれを妨げる政策と勢力、−すなわち、政治的、経済的に外國に依存しようとする賣國的政策と反人民的な反動勢力とだんこたたかわなければならない。わが共産党は、この斗争の先頭に立ち、全人民とともに目的達成のために奮斗することを、こゝに誓う。

一九四八・八・二六
日本共産党中央委員会総会


(「アカハタ」1948.9.1−『戦後初期沖縄解放運動資料集第3巻』不二出版2005年5月30日より)
琉球対策を強化せよ<『平和と独立のために』349(1954.4.1)>

(一)
 アマミ大島返還は、米帝の占領支配の弱い環がどこにあるかということを、みずからバクロした。アメリカは、やむなく返したアマミ大島の代償として、沖縄基地の永久保有をもちだし、吉田政府もこれをみとめた。/アイゼンハウワー大統領の年頭教書や、沖縄軍政長官のさいきんの宣言も、この点をロコツにあらわしている。

(二)
 朝鮮休戦以後、極東において、米帝が不利な立場においこまれるにしたがつて、日本への重圧をくわえ、MSA協定を中心に、軍国主義を強要しており、朝鮮にあつた侵略第一線を、日本にうつすために、日本基地群の大増強を実施している。その最前線拠点として、沖縄基地の永久保有と増強は、帝国主義者にとつて、至上命令となつている。

(三)
 冒険的な米帝侵略者にとつて、沖縄基地の意義は大きい。
@、沖縄上陸作戦による占領直後から、米帝はポツダム宣言をふみにじつて日本単一支配のいん謀のために、沖縄を分割し武装して、日本内地の軍事基地化の地ならしをした。
A、軍事的には、米帝のアジアに向けての太平洋侵攻ルートの尖端として、飛石作戦の跳躍台となり朝鮮侵略の爆撃基地であつた。/さらに日本内地の基地群の、外かく包囲網の拠点として、人為的なマツクライン、クラークライン、李ラインとともに、日本国民の包囲を固めている。
B、沖縄基地は、国民の民族独立のたたかいを妨害し、破滅的打撃をあたえる根拠地として、準備されている。ここに、米帝のしつようなこんたんがあらわれている。/沖縄は米帝の憲兵的特高基地でありアジア諸民族と日本国民にむけられる監視哨である。
C、こうして米軍は、沖縄基地を、日本から追いだされたのちも保有して、日本に圧力をかけ、これを永久に従属化するために、とつておこうとしている。沖縄基地の永久保有は、日本の永久従属化の野望をあらわしている。

(四)
 米帝の沖縄支配は、第一義的に、軍事的な弾圧の制度によつて、なされている。日本の基地にみられるリヤクダツと、ドレイ化と、貧困と、野バンと、ザン酷は何層倍かのヨク圧となつて沖縄島民の肩にのしかかつている。
@、侵略者にとつて、洋上の島々は、武装されているいないにかかわらず、すべて作戦的意義をあたえられている。米帝によつて、太平洋の島は、すべて攻撃的性質をもつものとして準備され、計画されている。それゆえ、およそ島にあるものは、物と人とを問わず一切が軍事的要素として利用され、犠牲にされ、島民は司令官の下に絶対服従を強制されることになる。米帝が、沖縄住民を基地奴隷として、祖国から奪いとつて、非人道的な軍事支配をつずけている根拠はここにある。
A、沖縄の基地権力は、軍事植民地支配の絶対権をもつ、米軍司令官である比嘉政権は、アメリカによつて任命された特務機関であつて、復帰反対、軍政絶対服従を公言している。基地権力に結びつく御用商人、パンパン業者、売弁官吏、売弁反動勢力の政治的地位は極度に低く、民族産業は、わざと発展をおさえられている。民主主義はカケラほどもなく、立法院や自治体の議決は、長官の意志一つで拒否されている。
B、軍作業における民族差別の低賃金をはじめ、一般に奴隷的な低賃金をあたえられ、土地取上げ、強制立ちのきなどの農業破かい、生活破かい、高物価、重税で、島民生活は失業と餓死線上にあり、パンパンと犯罪者の道に追いこまれている。ここでも旧い土地関係による封建的支配が、基地権力維持の基礎となつている。
C、教育と文化は、植民地的、原住民的な状態に低下している。かれらの支配を容易にするため、虚偽の宣伝を行なつて、琉球民族の独立をけしかけ世界主義をうえつけ植民地文化をひろめている。

(五)
 このような米帝の、非人道的、反民族的掠奪政策は、多くの矛盾につきあたり、抵抗をうけずにはすまない。
@、彼らは、みずからの侵略と、領土分割をもつて、ポ宣言に違反することをかくすために、沖縄を信託統治とし、日本の潜在的主権をみとめるなどといつたデタラメなごまかしをやつているが、ソ同盟と中国は、この陰謀をバクロし、信託統治に頑強に反対している。
A、米帝は、沖縄領有を合理化し、ごまかすために、共産勢力の侵略にそなえるとか、アジアに緊張が存在するからとか、自由諸国の安全保障のために、とかいつている。しかし、国民とアジアの諸民族は、いかなる理由も、米帝がとつている非人道的な蛮行を、正当ずけるものではないことを、知つている。
B、米帝の沖縄領有は、民族的矛盾を集約的に表現している。/国民の一部を引きさき、奴隷狩りで狩られた奴隷みたいに、島に収容し、これを基地奴隷として、みずからの戦争野望の犠牲に供し、無権利のままに酷使している彼らが、いかに日本の味方ずらをしようとも、沖縄の真実は、その化けの皮を一ペンでははぎとるものである全国民は、沖縄の即時返還を要求している。
C、沖縄では、生活防衛と生活補償を要求し、民族の自由と結合をもとめて、抵抗運動がしつようにつずけられている。/53年4月の立法院選挙で、社大、人民両党の統一候補の勝利にたいして、米帝の不法な、当選無効の命令があつたが、両党と民主団体は、反植民地斗争委員会に結束して斗つた。あわてた米軍は、米国を侮辱するものとして解散を命じた具志部落の農民は、土地取上げにたいして、ブルトーザーの前にすわりこみ、米軍は二コ中隊の軍隊を出動させて、この斗争をおさえた。那覇市の強制立退きに際しては、実力をもつて反対の市民集会をもち、警察を包囲してたたかつている。/カルテツクスの労仂者は二カ月にわたる長期のストをもつて米帝にたいする抗議斗争を敢行し、日本道路会社のハンストを基点として、全政の労仂者は、その斗争のつみかさねの成果として、労仂三法をたたかいとり、団結権を確立した。
 一方復帰運動は年ごとに発展し、アマミ返還をきつかけに、全琉におよぶ形勢となつた。米帝は、沖縄島民の民族感情を刺戟し、手に負えない反抗をよびおこすことを、もつともおそれている。

(六)
 吉田反動政府は、米帝の沖縄領有、民族分割による日本従属化政策を支持している。彼らは、米帝に盲従することにより、沖縄住民を犠牲に供することによつて、利益をひきだしている。
@、沖縄を永久に保有する対価として、アマミを吉田の手に返し、アマミの支配をより確実にし、あわせて吉田を愛国者にしたてようとした。
A、吉田は、沖縄問題のなかに、純然たる軍事問題だけあるように宣伝し、その反民族性をおしかくそうとして、千島、樺太などと同列の領土問題として、取り上げることにより、対米要求を緩和し反ソ反共の排外主義にすりかえ、沖縄問題の緊急性と、民族犠牲の事実を不問に附している。
B、復帰運動を反動ボスの手に握らせ反ソ反共の宣伝をもつて対米退從の無力な運動にしようとする。
C、沖縄出身にたいする差別待遇をつずけ、警察とスパイ、アメリカ機関による脅迫を加えている。
D、米日反動は、MSAによる軍国主義復活を軸として、いつさいの反動支配を強化して、戦争の道を進んでいる。/これは沖縄永久支配の条件である。現在、アマミにおいては補充選挙、沖縄においては、改悪小選挙区制による立法院の総選挙がおこなわれているが、これは一挙に反動勢力の支配を打ち立てようとするものである。/この状態のもとに沖縄とアマミの民族離反を深めることによつて復帰運動をおしつぶそうとしている。
E、とくに、復帰後のアマミについて、吉田は全然復興の意志をもたず、ヒン死の状態でかえつてきた島民の生活補償と、生活再建のための支出を、軍事費にまわしている。一方では、反動勢力の手先きを大量に送り込んで反動的空気をあおり、復帰運動をアマミでくいとめ、その防波堤にしようとしている。吉田は、沖縄の基地のためにアマミの特殊的地位を考慮するということを、アメリカに一札入れている。依然としてアマミは実質的に沖ナワ基地群の一つとなつている。

(七)
 われわれにとつて沖ナワ問題の真の内容をなすものは、いうまでもなく基地反対の斗争であり、現地の斗争は、すべて日本国内の全面的な基地反対斗争の一環とし、取りあげられねばならぬ。/すなわち、米帝の対日包囲網の外かくをなす拠点としての、オキナワ基地における軍事権力を、どうして孤立させ弱めるか、という問題である。それは、現地における斗争が主要なものとなり、基地権力をマヒさせることであるか、現地の玉砕戦法や即決戦法をさけて逆包囲を形成するために、国民の全体の斗争と結合することと、直接オキナワ現地の斗争に即応する統一行動を具体化することが、配慮される必要がある。オキナワ、アマミ、内地を通じての統一戦線を強化発展させることが大切である。

(八)
 現地住民の統一行動として大きく発展して来た復帰運動を、国民全体の斗争として発展せしめることは、当面の中心的な斗争である。これは祖国に復帰して、国民としての自由を得たい、現在の差別待遇をやめて、国民とともに生活したい、という民族的、国民的要求のたたかいである。/これは正面からアメリカの領有反対、軍事基地反対、占領制度反対を呼ぶ段階にはきてないが、客観的にはその内容があることは勿論である。/この運動は、全国民によつて、同情と正義感をもつて支持されており、アメリカと国民との矛盾をあますところなくバクロするものである。われわれはこの運動を、無条件に支持し、すなおに発展させなければならない。

(九)
 このような状勢と条件のもとで、沖ナワ問題を民族解放斗争の立場から、全国民の斗いとして拡大し、発展させるためには、先ず第一に、沖ナワ問題にたいする党内にある日和見的な誤つた考えを克服する必要がある。
 これまで党内には、日本の完全解放なしには、琉球の日本復帰はあり得ないという思想が、相当根強く浸透していた。/この見解は、日本と琉球はともに、日本民族解放斗争の両翼をなす、一体のものであるという基本点を見うしなつて、米帝が、占領支配を維持するために、人為的に武力で切断した民族の分割、支配の、既成事実をそのまま容認する、ブル民的社民的思想に根ざしている。/問題は、民族解放斗争において、日本と琉球のいずれが先であるかということにあるのではなく、占領支配の弱い環が、どこに存在するかという点にある。琉球の一部であるアマミ大島の返還は、米帝の占領支配の弱点を遺憾なくばくろしている。敵のこの弱点は斗争がすすむにつれてますますあきらかになるであろう。したがつて、現在の状勢では、日本の、完全解放のたたかいと、琉球の全面的復帰のたたかいは、固い結びつきをもつて、統一的に発展するであろうし、発展させねばならぬ。
 この確信の上に立つて当面のたたかい方としては、
@、オキナワ住民の日常斗争を支持し、これに激励と援助をあたえるとともに、内地の労仂者、農民を主としてあらゆる国民が、直接にオキナワの基地権力に対して、要求と抗議の統一行動を起す。
A、現地では、生活防衛と損害補償と、人権擁護と、差別的な奴隷賃金の引上げ一切の土地斗争(土地防衛重税、低米価供出、肥料、災害、水利、借金、営農)をおこす。/内地の労仂者と農民は、これを支持し、現地では軍事権力にたいしてだせない要求を内地からだして援助する。
B、全日本の国民が、オキナワにおけるフアツシズムに反対し、団結権、罷業権、集会、結社、言論の自由を要求する。
C、国民的な救援運動を起し、現地住民を激励し、敵の掠奪と、暴圧を暴露する。
D、オキナワ領有反対、オキナワ基地反対をア大統領教書とオグデン勧告に抗議する運動をおこす。労組をはじめ、各種の民主団体に申入れ運動をおこない、オキナワ無期限保有反対にたたせ、ア大統領教書とオグデン勧告に抗議運動をおこす。このさい、地方自治体をもこの抗議運動に参加させるよう工作する。
E、基地労仂者、基地農民にオキナワ問題を入れる。
F、横須賀のような軍支配地の市民に、オキナワ復帰の運動をおこさせる。港湾労仂者に港湾軍事化と、オキナワ増強反対をとり上げさせる。
G、平和をまもる運動、赤十字運動、救援運動、人権擁護、憲法擁護、国民教育運動、文化運動、それぞれの立場からオキナワ問題をとりあげさせる。
H、国会で、オキナワ問題を真正面から取上げるよう、対策を強化する。
I、国際連帯性をつよめる。世界平和運動のなかで、オキナワ問題をつねにいれる。ジユネーヴのアジア平和会議の、朝鮮、ヴエトナムの平和回復支持の国民運動の中に、オキナワ住民の現状を訴え、オキナワ軍事基地反対、解放の要求を統一する。
J、とくに平和をまもる運動では、オキナワ基地の軍事的意義を明らかにするとともに、現地住民の上にのしかかつている戦時体制と、その犠牲を宣伝し、玉砕反対、ひめゆり反対、軍事要員反対、基地奴隷反対、オキナワ戦場化反対、朝鮮爆撃反対、中国・アジアへの侵略反対をアピールし、オキナワ問題をとくにとりあげる。
K、アマミを、オキナワ基地とりのけのための、平和勢力の拠点として、住民の生活補償と復興のたたかいを、人民の立場から取り上げてたたかう。
L、復帰促進会は、当面次のような点に努力する。
(イ)、オキナワ出身者の統一。
(ロ)、現地の復帰運動との結合。
(ハ)、オキナワ問題の内地における宣伝センターを確立し、通信と情報を提供する。オキナワ復帰問題の正しい内容を、系統的に宣伝する。
(ニ)、復帰促進のカンパニヤ集会。
(ホ)、同情・激励・援助・交流の運動をおこす。
(ヘ)、国会対策の推進。
(ト)、政府とアメリカ機関への抗議。
(チ)、内外民主団体とのー提携。
(リ)、平和を守る運動との提携。
M、復帰運動を中心にしてオキナワ問題の当面の統一行動の目標は、交通の自由をたたかいとることにある。
N、国民のあらゆる斗争のなかに、オキナワ問題があり、オキナワ領有反対、オキナワ基地反対の斗争がある。オキナワ問題を国民の日常斗争に入れることが、取りもなおさずオキナワ問題と日常要求とを結びつけることである。
O、各方面における斗争をオキナワ問題を解決する斗争の見地からしだいに系統化し、統一行動を発展させる。復キ運動だけでオキナワ問題は解決できないし統一戦線も強化されない。われわれは独自に民主団体、知名人などを集めて、早急に国民的規模で、オキナワ問題を取上げるようにする。
P、大宣伝の必要があるオキナワの大衆団体が、機関紙をもつよう援助する。現地との敏速な連絡体制が確立され、現地の斗争の正しい動きをは握する。
Q、現地での基地反対斗争を系統的に指導する体制を強化する。
R、オキナワ、アマミ出身者の密集地帯の各級機関は党がこれを直接に指導する体制をたてる。各細胞で条件のあるところでは、オキナワ、アマミ大島の出身者を活用して、沖縄問題を取上げ平和運動と結合する。
S、活動家を養成する体制をつくる。
21、オキナワ、アマミ大島の現地に調査団、文化工作者を送る。
22、平和帰郷運動を発展させる。
23、内地の斗争をオキナワ現地に敏速に入れる。

※『平和と独立のために』とは、1950年代初頭に朝鮮戦争の勃発により半非合法化された日本共産党が発行した非合法機関紙で、発禁となった共産党中央機関紙『アカハタ』の代わりに発行された。


沖縄・小笠原返還の国民運動について(抄)

―所謂「高安(重正)論文」

(前略)
 党は琉球・小笠原の解放についてどのような政策と方針をとってきたか。
 党は終戦以降長い期間にわたって、アメリカ帝国主義者がその世界支配の侵略政策を強行するために琉球列島、ならびに小笠原諸島を武力で人為的にきりはなした結果生じた既成事実目をつぶり、これにたいする方針を不明確のまま放任した。
 この誤りは沖縄・奄美大島を少数民族視する見方とも深く関連している。

 沖縄・奄美大島・小笠原の解放問題は1947年10月に開かれた第6回党大会で「南方諸国の完全独立」という表現で行動綱領第27項に包含されている。
 また党内には民族自決の原則の上に立って軍事力領下のきずなを脱し、高度の自治をかくとしたのちに日本と対等な立場で結合するという思想が生まれた。このような少数民族的見方が誤りであることは今日全く疑問の余地はない。

 沖縄・奄美大島人の祖先は紀元数世紀にわたって日本列島における縄文式文化園一帯として同質的文化を発達せしめていたことは考古学上からも証明されている。彼らは14世紀以降は琉球独特の造船技術と航海術を発展させ、中国沿岸から遠く東南アジアに進出して貿易を営んだ。16世紀に入ってヨーロッパ人がアジアに侵入するまで、この地方の貿易はほとんど琉球人が独占していた。
 しかし17世紀のなかば、秀吉の朝鮮侵略のさいに賦役を拒否したという理由で、島津の琉球征服となり、その植民地支配をうけるにいたった。島津が琉球の北半分の奄美大島を直轄植民地とし、南半分の沖縄地方を従属国的な形で支配したのは、1つには封建時代の領土拡張のための侵略であり、2つには徳川時代の永い鎖国期において唯一の貿易港であった沖縄の中国貿易の莫大な利潤をかすめとる略奪的財政政策からであった。

 沖縄は島津に征服される以前から地理的環境を利用して海洋に雄飛してアジア諸国との貿易を営んでいたために、これらの地方の文化を大胆にとり入れて特殊な文化を発達せしめるにいたった。しかしこの特殊的な文化形式は、琉球が異民族であるということを証明するものではない。
 沖縄人は300年にわたる島津の植民地的支配によって、昔日の海洋民族としての進取性を失い、退嬰的となり、明治維新によって、直轄植民地であった奄美大島は鹿児島県に編入され北緯27度以南の沖縄本島を中心とする諸島は沖縄県となった。

 これが歴史的事実である、しかし明治以降の新興ブルジョアジーと、それと固くむすびついた天皇制官僚、軍閥どもが島津の伝統うけついで、沖縄と奄美大島の半植民的支配をつづけ、苛酷な税金をしぼりとり、経済的窮乏から日本本土に出嫁ぎを余儀なくされた沖縄・奄美大島出身労働者を、朝鮮人と併称して意識的に差別待遇し、労働者の低賃金の維持と分裂政策に利用したために、少数民族的偏見を助長するような条件をつくりだした。これは日本帝国主義者の侵略政策を遂行するための離問策に外ならない。

 アメリカの侵略者どもは占領当初から琉球人は非日本人であるという宣伝を行ない、これを立証するために沖縄・奄美大島はもちろん、広く国内の琉球にかんする諸文献を蒐集して研究したが、研究が進めば進ほど琉球人即日本人であることが明らかになったので、独立国琉球のカイライ政権を通じての支配という統冶政策を放棄し、ひたすらサンフランシスコ条約第3条にしがみついて沖縄基地の永久保有を施行する決意をかためている。
 このことは沖縄県民の祖国復帰の切実な要求とこれを支持する国内的・国際的世論を無視できなくなったからである。少数民族的見方は沖縄・小笠原返還のたたかいに大きな障害となっている。この見方は徹底的に克服されなけれならないし、闘争の発展はこれを粉砕するであろう。
 長い間の不明確な状態から、党中央は1954年4月と1955年1月に、沖縄・奄美解放についての政治方針を発表した。闘いの発展は基本的にはこの方針の正しいことを証明している。しかしわれわれは六全協の決定にもとづいて、この方針を更に具体化し、戦術面においてもより一層明確にしなければならない必要に迫られている。
(後略)

(「前衛」1956年2月号−中野好夫編「戦後資料沖縄」より)

※高安重正(旧性高江洲)―戦前の全協二代目委員長、戦後は党沖縄対策責任者―

2・4統一行動の成果と教訓
沖縄人民党中央常任委員会決定


 これは、沖縄・むかし洞古書店さんから提供された「沖縄人民党中央委員会書記局」発行の「2・4統一行動の成果と教訓/沖縄人民党中央常任委員会決定」の巻末に付された「資料」の採録である。ちなみに本文・は目次「一、2.4統一行動の成果とその意義 二、主な事実と経過 三、総 括 四、沖縄人民党のとった態度 五、今後の統一行動と統一戦線の発展のために」となっている。


[資料]

2・4統一行動にいたる主な事実と経過

[1968年]
[11月19日]○嘉手納基地でベトナム向け発進したB52が墜落大爆発。
    ○沖縄人民中央常任委員会は「B52墜落に厳重抗議し、米軍基地の即時撤去と米軍撤退を断固要求する」と題する抗議声明を発表した。
    ○県原水協抗議声明、嘉手納村五千人を動員して抗議集会。

[20日]○米政府、国防総省スポークスマンはB52墜落爆発事件に対して「大事故でない」と強調した。
    ○木村官房長官、衆院決算委員会でB52撤去を政府が米国側に申し入れる意思はないと述べた。
    ○主席、米陸軍次官にB52撤去申し入れ。
    ○高教組B52基地即時撤去*ウ期限リボン闘争にはいる。
    ○全軍労三役会議ではじめて基地撤去打ち出す。
    ○県原水協と原水禁、B52原潜問題で共闘方針決定。
    ○嘉手納村議会、基地即時撤去決議。午後7時から村民大会。基地撤去の要求宣言決議採択。

[21日]○復帰協、県原水協、原水禁三者会談で「B52即時撤去、原潜寄港阻止県民教頭会議」(仮称)を組織。
    ○自民党もB52撤去打ち出す。
    ○沖実連の連絡会議はB52墜落爆発事件を重視し、「沖縄県民と呼応して全国各地で共同の抗議行動に立ち上がろう」とのアピールを発表した。
    ○県労協組委員会議「ゼネスト」を提起。

[22日]○嘉手納村長、マレック司令官に抗議、「交通事故」なみの発言に県民の怒り集中。
    ○県労協事会で、ゼネスト体制の闘争方針で意思統一。

[23日]○全軍労緊急中執委、基地撤去の基本に立ちB52・原潜・核兵器の三つの柱に全島的な撤去闘争を打ち出す。

[24日]○嘉手納の母親「子供の生命を守る」ために立ち上がる。

[26日]○沖縄市町村会でB52撤去を決議。

[29日]○婦団協、B52爆発事故で米民政府に抗議。
    ○嘉手納村当局、議会、教育委員三者会談でB52撤去の長期闘争を申し合わせる。

[30日]嘉手納の母親750人「B52即時撤去総決起大会」で座り込みとデモ行進。

[12月2日]○B52の滑走路逸脱事故、村民再び不安と怒り。
    ○琉大生200人、嘉手納基地へ抗議デモ、警官隊とこぜり合い。

[3日]○「いのちを守る県民共闘」準催会、立法院にB52問題処理を要請。
    ○立法院、B52問題で臨時議会を招集することで一致。
    ○県労協評議会、B52対策のための臨時大会を開くことを決定。

[4日]○教職員会総会、B52撤去を決議。
    ○嘉手納教職員会、7日にB52で12時間ストに突入することを宣言。

[5日]○嘉手納村全婦人抗議大会実行委、屋良主席にB52撤去を訴える。
    ○屋良主席、カーペンター民政官にB52の早急撤去を要請。
    ○B52撤去闘争を強化するため、嘉手納村基地被告対策協議会を結成。
    ○嘉手納PTA、教職員会のスト宣言を支持。

[6日]○県労協「年末闘争労働者総決起大会」、B52撤去ストライキ確立のスローガンを採択。

[7日]○嘉手納教職員会抗議ストへ突入、全村民も立ち上がる。(約5000人)
    ○屋良主席上京、B52などの基地公害を訴える。

[8日]○安保破棄、沖縄全面返還、米軍基地撤去、12・6横田基地包囲青年学生総決起集会が開かれ、約8000人が参加した。

[9日]○屋良主席、首相にB52撤去要請。

[14日]○ゼネストに向けての第一次統一行動として「いのちを守る県民共闘」(139団体)主催の総決起大会開く。(高校生7000人をふくむ4万人参加)、本土派遣代表を選出。
    ○婦連20周年記念大会でB52撤去を決議。

[16日]○「B52撤去要請本土派遣団12人」上京。

[18日]○本土派遣団、衆参院沖特委でB52撤去を訴える。
    ○県労協臨時大会、ゼネスト突入を最終的に決定。
    ○愛知外相、衆院沖特委で「B52撤去遠くない」と発言。

[19日]○安保破棄諸要求貫徹中央実行委員会は佐世保の松浦公園で「安保破棄、沖縄返還、米原潜『寄港』抗議佐世保集会」を開いた。

[21日]○屋良主席帰島「首相はB52、原潜解決に関心あり」と述べる。

[23日]○立法院臨時議会はB52核戦略爆撃機撤去、原潜寄港阻止を全会一致で採択した。
    ○沖縄教職員会は理事会を開き、B52撤去要求ゼネストを決定した。

[24日]○官公労は第14回臨時大会を開き、B52撤去要求ゼネストに参加することを決定した。

[25日]○「平和をつくる沖縄キリスト者の集い」は那覇とコザで平和行進を行ない約100人が参加、平和、祖国復帰、B52撤去を訴えた。
    ○平良市議会はB52撤去、原潜寄港反対の決議を全会一致で採択した。

[26日]○高教組評議員会、ゼネスト参加を決定。
    ○沖実委、沖縄連B52撤去で共闘体制固める。

[27日]○立法院「B52撤去要請団」5人を決定。

[31日]○アンガー高等弁務官は屋良主席を招き、ゼネスト回避の圧力を加えた。

[1月6日]○県労協は幹事会を開きB52撤去ゼネストの期日を2月4日に決定。
    ○いのちを守る県民共闘会議は幹事会を開き、2月4日のゼネストを決めて規模を24時間で嘉手納基地に10万人以上の動員、主なゲートにピケを張ることを決めた。

[7日]○上京した屋良主席は、愛知外相と会い、B52問題で、具体的な政策で住民感情をおさえゼネスト回避がのぞましいと要請、外相は米側に善処をもとめると答えた。
    ○上京中の屋良主席は、佐藤首相に会い、B52撤去を要請した。これに対し、佐藤首相はB52にまつわる不安はよくわかる。撤去で対米折衝をつづけると答えた。
    ○全逓は臨時大会でB52撤去要求ゼネスト参加を決定した。

[9日]○全軍労は、キャンプ桑江で米軍合同委との団交をもった。米側は席上、全軍労のゼネスト参加で集団欠勤すれば賃金カット、懲戒処分をすると通告した。

[10日]○屋良主席は本土折衝から帰任したが、B52については佐藤首相・米大使館とも常駐ではないとのことだったと述べた。

[11日]○米「民政府」は高等弁務官布令第63号(総合労働布令)を公布、25日から発効すると発表した。
    ○「人民」(358号)は「B52撤去、原潜『寄港』阻止のゼネストを祖国復帰民主勢力の大結集で成功させよう」の主張を発表した。

[12日]○沖縄人民党中央常任委員会は「『総合労働布令』の公布に断固抗議しその即時撤廃を要求する」と題する抗議声明を発表した。
    ○全軍労は臨時大会を開き2月4日のゼネストに全組織をあげて参加することを決議した。

[13日]○県労協は幹事会を開き、“総合労働布令”の無効宣言を行ない、17日に総合労働布令撤廃要求総決起大会を開くことを決定した。
    ○米「民政府」のフェーラー労働局長は記者会見し、“総合労働布令”は基地労働者だけではなく、すべての人に適用され、軍用道路もその範囲に含まれることを明らかにした。
    ○総評は幹事会で沖縄の2・4ゼネスト支援で各単産での実行行使をきめた。

[16日]○教職員会は役員合同会議を開き、B52撤去要求ゼネスト参加をきめ、「B52撤去闘争声明」「総合労働布令に抗議する決議」を採択した。
    ○屋良主席と仲松労働局長はカーペンター民政官と会い、“総合労働布令”の撤廃を要求した。

[17日]○県労協主催の「総合労働布令撤廃要求総決起大会」が立法院横広場で開かれた。
    ○立法院は来島中の衆院沖特委調査団と会い、B52の駐留は住民を不安におとしいれているので撤去は外交ルートで解決してほしいと要請した。

[18日]○立法院の人民、社大、社会の議員団は連署で屋良主席にたいし、“総合労働布令”議会を招集するよう要請した。

[20日]○生命を守る県民共闘会議は幹事会で1月24日に「総合労働布令撤廃、2.4ゼネストの成功をめざす県民総決起大会」を開くことを決定した。

[22日]○カーペンター米「民政府」は“総合労働布令”の施行を延期すると発表した。
    ○港運労はB52撤去要求ゼネスト参加を決定した。
    ○知念副主席は亀甲県労協議長、上原全軍労委員長に対し、ゼネスト決行からの不測の事態が予想されるとしてスト回避申し入れの意向を示した。
    ○高校長会は高教組に対し、ゼネストに高校生が自主的に参加するのはやむをえないが、よびかけや、校区外での、デモは中止してほしいと申し入れた。
    ○上京した星立法院議長は佐藤首相と会ったが、同首相は、ゼネストについて、目標は復帰であり、誤った行動で復帰を遠のかすことのないよう注意してほしいとのべた。
    ○B52撤去、原潜寄港阻止への最終的な要請をするため県民共闘会議の4代表が上京した。

[23日]○立法院の「B52撤去、原潜寄港中止、総合労働布令撤回」を訴える代表団が上京した。

[24日]○生命を守る県民共闘による「総合労働布令撤廃、2.4ゼネストの成功をめざす県民総決起大会」が那覇市内、与儀公園で開かれ、労働者、婦人、青年、学生、市民など約5万人が参加。「B52撤去、原潜寄港中止を要求する決議」を採択したあと、市内をデモ行進した。

[25日]○全軍労中執委はウェィトレスの請け負い制への切り替え問題は低賃金を強いるものとして反対することを決めた。
    ○生命を守る県民共闘会議は全県下で2.4ゼネストへの結集を訴えるビラ入れ、カンパの一斉統一行動をおこない、大きな成果をあげた。

[26日]○B52撤去、原潜寄港阻止宮古地区共闘会議は平良市の教育庁ホールで原爆写真展をおこなった。

[27日]○県民協の加盟単組52組合、153職場で総数4万6千人余が2.4ゼネストに組織された。
    ○自民党三役は、屋良主席にゼネスト回避を申し入れた。屋良主席は、ページ嘉手納空軍司令官に会いB52撤去を要請した。同司令官は、申し入れをワシントンに伝えると回答。
    ○通常国会で佐藤首相は、ことしの適当な時期に訪米して、返還の時期を決めるとのべた。また基地の役割りをじゅうぶん認識して国民の納得のいく解決をするとものべた。

【28日】○県労協は、ゼネスト参加人員について4万5千人の体制を決定。
    ○上京中の県民共闘会議の亀甲議長は、現地の仲宗根事務局長に対し「2.4ゼネスト準備指令」をだした。
    ○屋良主席はB52撤去と原潜寄港阻止で本土要請をするため上京した。
    ○那覇商工会議所はゼネストによる影響は大きいとして、行政府に回避の要望書を提出した。
    ○嘉手納村議会、28日の臨時議会で「ゼネスト行動に対する反対陳情書」を賛成多数で採択した。
    ○米軍は、全軍職場に「無許可欠勤の規則」を配りゼネスト参加の規制を行なった。これに対し全軍労は抗議声明を出した。

【29日】○上京した屋良主席は佐藤首相と会ってゼネスト問題を話し合ったがスト回避の唯一のキメ手となるB52の撤去時期の明示がみられなかった。
    ○文教局は、ゼネストへの高校生参加は好ましくないとの見解をまとめ、各高校長に通達した。
    ○沖縄高校教職員組合は、ゼネストによる代替授業は、しないことを決めた。
    ○那覇市内の牧志公設市場、新天地市場、ガーブ川商店街がスト参加を表明。

【30日】○全沖労連加盟の全労組がスト権を確立、ゼネスト宣言を発表した。
    ○那覇市議会は全会一致で「総合労働布令の撤回」を決議した。
    ○沖縄返還要求中央実行委員会幹事会は沖縄の2・4ゼネスト呼応の方針を決定。民主勢力に奮起を訴えた。
    ○那覇市議会はゼネスト回避の決議をめぐって与野党が対立、結局、決議なしで、米国政府に善処を要望することになった。

【31日】○中部地区教職員会はB52特設授業を指導案を使って、授業を行なうことを決めた。各地区の小、中、高校もこれを参考に1日から2日間実施した。
    ○沖縄経営協理事会は「ゼネストは政治ストで違法である」として回避への基本態度を確認した。
    ○米軍はゼネストをひかえ警備に力を入れることになり当日は北部の海兵隊、中部の陸軍基地に配置される消防車や沖縄ガードで固めてゆく方針。
    ○行政府は緊急局長会議を開いてゼネストに対する政府の態度を協議した結果、共闘会議に「ゼネスト回避に関する要請書」を手渡した。
    ○反戦平和教育とB52、コバルト60の恐ろしさを教える中頭地区教職員会の特設授業が、中頭の小、中、高校で行なわれた。

【2月1日】○生命を守る県民共闘幹事会が開かれ、県労協代表は「ゼネスト回避を組織決定した」と報告した。
    ○共闘会議加盟の各組織は屋良主席の「要請書」について討議する。その結果を共闘会議に持ち寄り幹事会を開く。
    ○官公労、高教組、自治労の組合員が傍聴につめかけ「スト回避」を打ち出した亀甲県労協議長ら県労協代表幹事に釈明を求めて騒然となる。
    ○仲宗根共闘会議事務局長が会場の変更を宣言す。傍聴人から「公開維持」「会議続行」を求める激しい声が乱れ飛ぶ。
    ○県労協加盟の官公労、自治労は2・4ゼネスト闘争委員で検討した結果、再度スト決行を確認す。
    ○「人民」「2・4ゼネストを必ず成功させて、祖国復帰・米軍基地撤去の闘争を前進させよう」の主張を発表した。
    ○県労協幹事会開会(非公開)。多数の県労協加盟単組の組合員が押しかけ公開を要求するが入れられず待機。
    ○亀甲議長ら教職員闘争委と会談。3時間半にわたってゼネスト回避の説得をしたが不調。
    ○亀甲議長ら福地教職員会政経部長にゼネスト回避説得失敗。このあと議長らは屋良主席と密談。
    ○共闘会議幹事会は亀甲議長欠席のまま共闘会議幹事会を教職員会館で開いたが、革マル派トロツキスト暴力集団が押しかけたため、会場を復帰協に移す。

【2日】○屋良主席、福地氏を呼んで回避の説得。
    ○亀甲議長、上原全軍労委員長、安恒総評政治福祉局長、福地氏ら真夜中の幹事会に夜中出席。
    ○幹事会、ストライキを中心とする統一行動を決行し、県民大会、デモ、座り込みなどで嘉手納基地を包囲してたたかう方針を発表。
    ○トロツキスト集団幹事会を封鎖、破壊活動を強行する。
    ○幹事会一部幹部の警官導入要請で那覇署から20人出動。
    ○人民党、民青は革マル派トロツキスト暴力集団の破壊活動を重視し、断固としてこれを排除した。

【3日】○沖縄教職員会は中央闘争委員会を開き、「生命を守る県民総決起大会」に全員参加することを決定した。
    ○生命を守る県民共闘は2・4スト突入宣言を発表した。

【4日】B52撤去、原潜寄港阻止、総合労働布令を要求する生命を守る県民共闘の2・4統一行動が全県下で展開され、嘉手納総合グラウンドでの県民総決起大会には約5万4千人が参加、基地を包囲した。
    ○安保破棄、諸要求貫徹中央実行委の「安保破棄・沖縄全面返還・統一戦線促進行動月間」が開始された。


2月1日〜2日の生命を守る県民共闘幹事会メモ(1)

1969年2月1日(土)11時 於 立法院
 開会前に総評の政治福祉局長安垣氏と自治労の副委員長の紹介があり、討議に傍聴を許可される。

 亀甲議長 主席の「要請書」を検討した結果を各団体から報告してもらうことにする。

 教職員会 10時、闘争委員会をひらいて主席の要請を討議した。その結果@B52を撤去する条件はない。したがってスト回避の条件とはなり得ない。4項については行政府が心配している点を注意する必要がある。その点確認する必要がある。処分問題がおこった場合も行政府の一方的責任にもっていかないようにすべきだ。結論としては当初のとおりストは決行すべきだ。最終的には幹事会の決定にしたがう。

 全沖労連 政府の要請についてあらたな事態でない。具体的な理由がないのにスト回避した場合には下部に説得できない。今後の大衆闘争を発展させる立場からも大きな影響をおよぼす。予定どおりストは決行すべきだ。

 県労協 主席の要請について検討した。スト決行した場合の事態回避した場合の事態も検討した。@これまでの運動の成果を評価すべきだ。AB52も非公式ではあるが移駐の時期が明示されたこと。Bストを打ったことが今後の日米交渉にプラスになるかマイナスになるかも検討した。そこで屋良政権をバックアップする立場からも回避と決定した。

 婦連 25日の総会で2・4ゼネストを決議した。輸送の件で困難を感じている。革新主席の要請も考慮する必要がある。2・4は回避ではなく延期してもらいたい。

 沖青協、社会、祖青、民青、嘉手納住民代表、琉大、国大、沖大、原水協(両)、人民党スト賛成を主張。

 午後ひきつづき討議する。社大党控室
 県労協がスト回避を決定した直後だけに、官公労、教職員会、自治労の組合員、約200名が傍聴にかけつけ、県労協代表にたいし、「裏切り者」などの声あり、「総評の分裂屋は帰れ」という声もあった。

 県労協の立場を説明するため議長を交替して亀甲議長から説明する。

 亀甲氏 県民の要求をきく耳をアメリカはもたない。アメリカと相談しなければ解決できない沖縄問題をどう解決するか、沖縄問題はアメリカと日本政府との間にあるピンポン玉みたいなものだ。それでゼネストでたたかわねばならないという決意をしたのが経過だ。
 12月7日以降の立ちあがりはすばらしいものがあった。日本政府を沖縄に目をむけるところまでもってきた。回避の中心は屋良主席がだしたから回避するのではない。B52の問題だ。このようなもりあがりで評価したのは
 @沖縄問題を施政権でにげまわっていた日本政府をして外務省と正式な外交ルートにのせたということ。
 Aアメリカ本国が2・4ゼネストに関心を示したこと。この二点をお互いの闘いの成果として確認しなければならない。日本政府の責任ある人からB52問題で明らかにされた。アメリカと日本政府とで解決できるものだ。それをお互がやろうというのである。
 県労協の主体性の問題。ゼネストに入った場合の事態、入らない場合の事態について全軍労をはじめ重大なことがおこるであろう。ふりかぶる弾圧にそれをはねかえすことは主体的には、その組合が中心だ、その立場からつっこむのはけんめいさをかくと思う。同時に大衆運動の今後の問題もある。これは各組織の問題だ。一発かますというだけで解決できるものではない。今後継続して闘いをすすめていく立場から屋良主席と協力してやっていくべきだ。

 沖青協 県労協の立場はくるしまぎれな説明だ。今後のたたかいについて大衆は納得しないだろう。

 祖青同 全軍労以外にとくに問題があるのかどうか。28日の準備指令をだしたときと今日と情勢の変化があるかどうか。

 県労協(仲宗根氏) 屋良主席との話し合いのなかで、総評同盟も、確認している。これが情勢の変化だ。ストのうちかえしでいったい、いつまでつづくか、全軍労問題が中心になった。2・4をつっこめばつっこめないことはない。労働組合を守ることが大切だ。組織がズタズタにされることではこまる。

 全軍労(上原康助氏)つぎはやりかえすことはできないおしかりもあるでしょう。それは覚悟の上だ。去年も処分をうけ、闘争中だ。このさい全軍労をつぶせといっている。そのような中で、つっこむと、再びおきあがれない。

※スト回避の理由が、上記の二点にしぼられていたのが、2月1日の午後の時点からはもっぱら全軍労の組織問題にかわり、「ゼネストを決行して全軍労はつぶせというのか」という脅迫に変わった。

 県労協(仲宗根氏) 犠牲者をだすことは基本的に絶対あってはならない。かいめつ的な打撃をうけるよりも回避した方がいいという結論に達した。

 亀甲議長 つっこめといったらすぐつっこむことができる。そのためには力が三倍も必要だ、私達としては、それでは責任はもてない。

 ▽幹事会の公開を要求して官公労、教職員を中心にあけろ、あけないで、押し問題をくりかえす、官公労の大田氏が代表として亀甲議長に面会を要求、仲吉、芳沢、副議長が話し合いに応ずる。その後亀甲議長が会う。2、3分して亀甲氏帰る。婦連の仲宗根侑子氏が席をたち、私はこのような情勢では討議ができないから帰るといって戸をあけた。大衆がどっと押し入って来た。しばらく亀甲議長ががつるしあげをくう。議長、即座に閉会を宣言、森田議員の居室で芳沢、平敷、福地、新垣、宮里の各幹事が集まり、相談、6時から幹事会を開くことを話し合い、散会。

1969年2月1日(土)
 県労協、再度スト回避の決定を行なう。教職員会、再度スト決行を決定。午后10時30分なるも亀甲議長の姿みえず幹事会招集の気配なし。午后11時頃芳沢氏と相談、教職員会に行く。会長室に平敷、仲吉、芳沢、新垣、福地、宮里の各幹事が相談、教職員会で幹事会を再開することを確認、議長不在のまま仲吉、芳沢、両副議長で議事を進める。平敷副議長は福地氏と屋良主席にあうため席をはずす。傍聴人の人員について意見がまとまらず、その間トロツキストが会場になぐりこむ。再び会場を復帰協に移す。午前1時37分亀甲、上原、仲宗根、安垣(総評)の諸氏が姿を見せる。その前に平敷、福地氏らが会場に着く。芳沢氏から議長不在のまま再開され、復帰協に会場を移すまでの経過を説明、亀甲議長に議事を引きつぐ。説明のなかで、芳沢氏からとくに、ここに集まっている幹事は、予定通りゼネストを決行する立場で討議に参加している旨を発表、その前に教職員会でひらかれた幹事会で予定通りスト決行を確認した。傍聴者にたいしてスト回避のために幹事会が開かれているのではなしに、ストを成功させるために開かれているのだからこの幹事会の成功のため、幹事以外に各団体代表1名の参加を認める。以上の説明後、2月2日午前1時45分に正式に議長を交替して議事をすすめる。

 ※社大党控室で開かれた幹事会でさんざんつるしあげをくった亀甲、上原、仲宗根の三氏は姿もみせないので、ついに議長不在のままゼネストの決行を主張する全幹事(ゼネスト回避を主張した幹事団体は県労協だけ、その時点では婦連も婦団協としてゼネスト決行を主張)が集まって幹事会を再開した。亀甲氏らは議長がいなければ幹事会は開けないと思っていたのではないか。行方不明で連絡もつけない状態で幹事会が午前1時30分から再開されることをだれも連絡もしないのにかかわらず、総評の安恒氏をともない、三氏が大いそぎで幹事会にかけつけてきた理由は、ゼネスト決行を幹事会で決定されるのをおそれたからにちがいない。

 福地氏 (個人的発言だがということわりの前おきをして)「教職員会がどうしてもゼネストをやるというのであれば、教職員会からでた私としては、今後責任をもって仕事をすることはできない」という内容の発言が屋良主席よりなされた。そこで私としてはこのような新しい事態であるので会長不在では執行部としては責任をもてない。

 平敷氏 したがって明日午後1時喜屋武会長が帰任するので、理事会を開くので、それまでの共闘会議として結論をまってほしい。

 知念氏(高教組)私は闘争委員としての発言はできないのか。闘争委員会としては予定どおりストは決行するということだが。

 福地氏 それはそれとしていい。いまの件はあくまでも私個人の発言だ。

 亀甲氏 もう次元をこえたものだ。場合によっては主席の進退にかかわる。

 宮里氏 その後、その態度はあやまり、福地、平敷氏の態度もふくめ、軽率だと主張。

 ひきつづき仲吉副議長も主席の進退問題の重要性にふれて発言。いったん、休けいに入る。

 ○全軍労の弾圧を最少限にする立場から戦術ダウンの問題が提起された。

 岸本委員長(自治労) 県労協は再度、スト回避を決定している。そこで、もちかえって再び回避と決定した場合はこまる。この席には県労協三役もいることだし、充分話し合ってみたらどうか、の提案。

 また休けいにはいる。その間亀甲、上原、仲宗根、安恒氏らも相談する。

 ▽午前3時40分、再開して亀甲議長から次の提案がなされた。@教職員会から出された問題について、組織内部の問題なので、組織で討議してもらうこと。A2・4行動のありかたについて、@生命を守る県民総決起大会午后1時Aデモすわりこみの抗議行動を行なうB各団体は2〜3割の年休闘争で参加する。これにたいし、自治体の岸本氏から2〜3割と決めないほうがいい。ストをうてない組織は2〜3割というかたちで結構だが、教職員会や、官公労はスト態勢で参加するのだからその点も考慮に入れて、はばをもたせた決定をすべきだとの修正意見が出た。そこで記者会見のため文書をまとめた。その間、トロツキストが会議の公開を要求して階下でさわいでいる。2日午前5時幹事会の決定を説明するため、仲吉、芳沢両副議長がトロツキスト学生ともみあう。仲吉副議長の要請もあり、幹事会決定を文書化する。
 ※幹事会のヤマ場という感じ。教職員会の闘争委員会(2月2日午后10時頃)で再度ゼネスト決定した直後に、組織の決定とは反対に個人発言というかたちであくまでも幹事会でゼネスト決行をくいとめる策謀(そのようにしかうけとれない)が為されている感じをうけた。教職員会の組織としての態度は闘争委員会で再度確認されているにもかかわらず、喜屋武会長(日米京都会議出席)の帰任をまって理事会を開くということは闘争委の決定をくつがえすために開かれることは、あまりにも明らかであった。スト回避で全県民の不信をかっている県労協が教職員会に「無理心中を強要」即ち教職員会説得を総評の安恒氏や県労協がどれだけ重視していたかがわかる。とくに注目しなければならないのは、屋良主席のじにん問題までもちだし共闘会議(ゼネスト決行を主張する幹事)を脅迫し、教職員会を脅迫したが、失敗に終ったことである。その時に最も印象的なのは安恒氏の表情が急変したことであった。

 芳沢副議長が次のとおり文書化した。
 生命を守る県民共闘会議全体としては予定どおりゼネストを決行する。ただし、ゼネストをもって参加できない組織は県民大会、すわりこみ、には最大限の動員をもって参加する。

 これにたいし、亀甲氏は、即座にこれではいかん、とはねつけ、下記のとおり修正した。
 2・4の行動は共闘会議全体としては24時間ゼネストはとりやめ、午後1時の県民大会に最大限の動員をもって参加し、大会後、デモ、すわりこみ行動を決行する。以上のことを各組織で持ち帰って検討する。

 明日の幹事会は午後3時から開くことを決定して閉会。

 ▽これを、仲吉、芳沢の両副議長が説明するとトロツキストが「亀甲をだせ」とさわぎだす。午前4時頃になって会議も終了したので幹事が帰ろうとするとトロツキストのスクラムで阻止され、外側からクギをうちつけ、事実上のかんきん状態となる。
 午前5時すぎ、仲宗根(復帰協事務局長)当山哲男(社会党代表の幹事)氏等がトロによって、階段から引きづりおろされ、会議場(2階)になだれこんできた。この状態をみて総評の安恒氏は亀甲氏に機動隊の出動要請を命じ、亀甲氏は久高(県労協書記)君につたえ、2階のまどをぶちこわし、屋根からとびおりて、警察にかけこむ。(しばらくしてから)復帰協事務所のちかくに機動隊が出動していたが芳沢副議長から、機動隊の出動を要請したおぼえはないから帰ってもらいたいという要請で機動隊はひきあげた。共闘会議決定を組織におろし、2・4闘争をとり組むことをあくまで阻止しようとやっきになっているトロツキストを、人民党、民青が中心になって6時半頃、実力で排除した。

1969年2月2日(日)
 ▽午後3時からの幹事会がおくれる。県労協は昨日のもち帰り案を中心に5時幹事会を再開、その結果「このさい、県労協としてはいっさいがっさい行動に参加しない」との決定を行ったとのニュースが入る。

 教職員会は喜屋武会長の帰任とともに理事会が開かれる。8時現在になるも教職員会の結論はない。闘争委員会の決定をくつがえすために理事会が開かれている旨の連絡をうける。幹事会の再開のメドたたず。10時半になるも亀甲氏姿みせず。幹事会招集の気配なし。午後10時、教職員会の理事会で再度スト決行を確認。県労協の幹事以外は全員出席。

 会場を復帰協から八汐荘に移す。傍聴人の件で話し合いがまとまらず、その間、仲吉、平敷、芳沢、仲宗根(復帰協事務局長)の4氏が、亀甲、上原、仲宗根氏らと会議のもちかたについて話し合った。ところが、相談もまとまらないまま、亀甲氏は安恒氏とともに姿をくらます。再び会場を復帰協に移し、トロツキストの妨害を実力で排除することを確認して官公労、民青、人民党を中心に約100名が復帰協周辺の防衛にあたる。亀甲議長の幹事会出席をあくまで要請すべきだという意見もあって仲吉副議長が連絡をとる。午前2時頃仲吉副議長から県労協の緊急幹事会がもたれているのでしばらく待ってもらいたいとの連絡あり、午前3時25分、もうこれ以上はまてない、さむいなかを組合員は防衛の任にあたっている。はやく幹事会を再開せよ、仲吉副議長は早く引きあげて議事をすすめるよう強い要望あり、3時50分、仲吉副議長から次のような電話あり、県労協3役が、仲吉、平敷、芳沢、仲宗根の4氏と合いたいとのことだがどうするか、幹事会で検討してもらいたいとのこと。亀甲、上原、仲宗根氏らにたいする不満が頂点にたっしたとみえて、何を言うのか、何時間も人をまたせておいて人を呼びつけるとは………

 桃原用行氏 私の委員長でもあり、みるにしのびないものがある。彼ごときものがストにビクビクするような男ではないと思う。全部の前では言えない色々な問題も、なやみあるようだから4名で会ってもらいたい。それは私個人の立場からお願いします。

 ▽県労協3役が是非4氏と会いたいとの意向が再び伝えられ、仲吉、平敷、芳沢、仲宗根氏らが合うことを確認した。

 4時20分、4氏帰って来る。会談内容について芳沢副議長から次のようになされた

 海員会館の2階1室で会った。そこには、亀甲、上原、仲宗根氏らが同席した。

 亀甲康吉氏 県労協としては協議した結果幹事会に出席することはできない。皆さんを呼んで誠に申し分けない。

 上原康助氏 皆さんに御迷惑かけて申し分けない

 亀甲康吉氏 昨日のもちかえり案を県労協として、しんけんに討議した結果@昨日のもちかえり案はうけ入れがたい。したがって2・4にはいっさいがっさい参加しない。Aスト回避を決定した以上、県労協からでている幹事は辞任したい。B今後の共闘については、県労協としてもしんけんに討議を深めていきたい。これまで色々とめいわくをかけた点おわびする。これでおわります。

 芳沢副議長 もちかえり案がうけ入れがたいということだが、その理由を説明してもらいたい。

 亀甲康吉氏 共闘会議結成以来、諸活動のなかで政治闘争としては不満足ながら成功だったと思う。その成果をふまえながら、ストを決行する場合の問題点、回避する場合の問題点を考慮し、屋良主席が日本政府にたいして、ものを云える立場をつくるためには回避が望ましい。戦術ダウンについては現段階では不測の事態を生ずるおそれがあるので、県民大会というかたちであっても参加することはできない。

 ▽以上の報告を確認のうえ、議長事故あるものとして、3副議長で議事をすすめることを確認、執行議長に芳沢氏を決める。

午前5時20分幹事会開会
1、議長辞任の問題について

 長嶺氏(沖青協) 責任問題の追求もあるし、このままやめられてはこまる。

 宮里氏 2・4闘争をどう成功させるかが当面の緊急課題だ。辞任問題は引きつづき討議すべきだ。

2、執行態勢の強化について

 四名の副議長共同で議長の任務を遂行する。議長代行に仲吉良新氏を決定。休会

5時40分再会
3、2・4の闘いについて

 官公労 県労協がゼネスト回避したことは誠に残念だが、官公労としてはストライキ態勢でのぞむ。もちかえり案はスト態勢で一時からの行動にとり組む。その他ガーブ川商店組合もスト決行を主張、全会一致で、次のとおり決定。
 @2・4の統一行動は生命を守る県民共闘全体として、予定どおり決行する。
 Aこの行動への参加を全県民に呼びかける。
 Bこの行動の具体的内容は次のとおりとする。
  イ、2月4日午後1時より嘉手納総合グランドで生命を守る県民総決起大会を開く。
  ロ、各組織は可能な限りストライキでもってこの大会に参加する。ストライキが困難な場合においても最大限の動員をはかる。
  ハ、大会後デモ、すわり込みを実施する。

午前8時頃幹事会終る。



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