制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2000-11-27
改訂
2001-06-15

「奇想天外詩歌狂室」より

空之巻・日録是万年韻律打砕故之章 ── 日々恐怖変質者襲撃篇 ──

<某月某日>

ああ、ぼくは大先生であつたのか、と思ふ。

『奇想天外』編集部から読者投稿がドサッと送られてくる。封を開くと大半の原稿に手紙が添へられてをり、
仙波大先生ないし天才先生
の文字がみえる。謙遜を以つて美徳とし、大先生はおろか、先生と呼ばれるだけで全身に鳥肌がたつほどだつたのに、人間といふのは不思議なものだ。大先生、大先生との文字を眺めるにつけ、「さうかぁー、うーむ、ぼくは大先生だつたのか。さうだつたのか。言はれてみれば確かにそんな気がしないでもないなぁ」などと腕組みをし、深く頷く。

殊にこの「大先生」といふのは「先生」以上に人を馬鹿にした響きがあつてなかなかよろしい。しやれてをる。「狂室」の大先生だから、大狂授との呼称も悪くはないとまで考へ始める。しかし、大大大大大大大大先生までになると、これはちとゆき過ぎである。(自分をさん付けで読(ママ)んでゐる松見吉郎、君のことですぞ。今回、大作力作かつ大有望作を送つてきたので詳細は後述する。が、一応予め忠告しておいた方が松見君のためになるだらう。相手がたまたまぼくだつたからよかつたが、冒頭の手紙文だけで中身を読まれずクズ籠行きのケースがあるから、注意すること。"ワルのり"といふやつは、時と場所を間違へると、とんでもないことになることを肝に命(ママ)じておくべし。それも、えてして"ワルのり調"の文章を書く人にかぎつて逆に生真面目な人間が多いから、挨拶だけはきちんとしておくやうにおすすめする。本文は"ワルのり過多"でかまはない。が、手紙で自分を「さん」付けする習慣は、わが国にはない)。

大先生は、今日はやけに真面目である。どうせだんだん狂つてゆくから安心されたし。

「狂つてゆく」所が面白いのだが、全文転載すると著作権云々に触れるやうな気がするので一切省略。

例へばゴーストライターとして某社社長の代りに書いてゐる歴史小説の話とか、「不眠不休でコレクションのビデオを観る」話とか、「いきなり変質者に襲はれ、ケガをする」(編集者にではない。変質者に、である)話とか、面白いエピソードが幾つか。ただし、仙波大先生のこの文章は、本来SF専門誌のSF短歌教室である訳で、作品の掲載とそれらに対する評もある。

とりあへず、面白い文章を面白がつて読み進めて下さい。

<某月某日>

残された枚数がほとんどないことを知り、ガクゼンとする。

大作を送りつけてきた自称「蜀山人の生れかはり」こと松見吉郎に触れるのがせいいつぱいだ。実に原稿用紙三十四枚、約二百三十首、多ければよいといふものではないが、この努力ばかりは捨て難い。もう少しで小歌集が一冊できあがる量なのである。

面白い存在なので幾首か掲げ、次号にてまた触れる。しかし、冒頭に述べたとほり、この人には大きな欠点があつて、どうしてもそれが気になる。心を鬼にして再度説教する。

とにかく玄関先での挨拶がまづい。背景、一筆刑場仕り早漏。オート三輪ハイエースもダイハツミゼットも、めつきりお目にかからなくなつた今日この頃、どーおすごしでせうかに始まり、(うさぎ)(つの)、ありていに言えば、掲載してほしいのでア(ママ)□(ます)に終る口上。しかも「背景」があるのに「刑具」も「軽薄」もないまま、自分を「松見吉郎さん」と呼んでしまつてゐる。これでは、先生の上に百万回「大」をつけても、それこそだいなしである。

せめてどーおすごしでせうとやつた以上、すべて旧仮名にすべきであつた。

せつかく、夏の日のお肌によくない市街戦/恋はとつても格闘技です!色黒で筋肉質の吸血鬼/ただそれだけで大ボケであるかたつぱし下手な鉄砲も数うてば/あたるはうちのダーリンだつちや等、落語でいふ「フラのある」コピー感覚を持つてゐるのだ。正直いつて大先生も顏負けの幾首かがあつた。このの作品作者の中では、今までで最高レベルである。

この人は真を打てる存在ではなく(円朝はもちろん、先代金馬、円生の粋には死んでも到達できないであらう)邪道の巨匠たるべき存在である。

ステテコ踊りや破礼噺に徹したら当代随一になりうること、ここに保証する。時代もまた、とりあへずはそんな存在を求めてゐる。はあ!はあ!はあ!ぼくの動悸は不純です/穴さへあれば年の差なんて!芸者ガールゲイがなければシャガールの/後記印象派風秋の夕暮れなど、一見誰にでも簡単に作れさうで、案外才能がいるのである。しかし、千早ぶる高千穂遥かに天降る/あたり前田のクラッカージョー等芸に稽古不足な面も散見する。才に溺れてはお先まつ暗である、また少しでも真面目な作風を目指すとたちまちズッコケるのが特徴。黄金なすススキの譜面に風音譜/牧神(パーン)は奏でるドレミファ空色月の夜をダイヤにとじこめて/割つて砕けば僕だけのものさ灰重石ミネラルライトに照らされて/銀河を宿して蒼くまたたく等、すべて不可。子供のころ空が落ちるほど不安だつた/今は宇宙に落ちてくみたいだに至つては非。(早大文学部には不可以下の"非"といふのがあつたと伝へ聞く)。

ほかの人だつたら讃める箇所を捜す努力をするが「フラ」の強烈な人に、人情噺のコツは説かない。せつかくの才能を殺すことになるからだ。ただし、辞書をもつとひくこと、読書量をふやすことだけは守つて欲しい。例へばカラダぢう快感物質の「ぢう」は旧仮名では「ぢゆう」、新仮名で「じゆう」。暗黒星雲(ウスターソース)をかけてたべやうは新旧ともに「よう」。辞書的に言へば、助動特活、意思の「よう」で、「あのやうな」とか「彼の言ふやうに」とかと混同夢してはならぬ。

とまれ、この松見吉郎に、ぼくは、"SF短歌"ならぬ"SFコピー狂歌"なるものの可能性を見い(ママ)出してゐる。次回、また触れる。

<某月某日>

紙数すべて尽きたことに気づく

それにつけても東八郎の死は残念でならない。

空の巻・日録是万年韻律打砕故之章 ── 日々恐怖変質者襲撃篇 ── 初出「小説奇想天外」第5号・大陸書房

と云ふ訳で、お終ひのところに、この文章を貰つてきた目的であるかなづかひの問題が出てゐる。

出たら目な「似而非歴史的假名遣」が、単に辞書を引く努力を怠つただけの手抜きである事、知識をインプットする努力をしてゐない事の証拠でしかないことを、仙波大先生は述べてゐる。

そして、余計な事を付加へれば、「だうぞ」だの「おもしろひ」だの「でせふ」だのといつた異常なかなづかひを「歴史的假名遣」と称して「異常だ」と言つて批判するのもまた勉強不足だ、と云ふ事になる。自分の理解してゐない事を自分の足りない知識に基いて愚論として再構成し、論破しても、論破されたのは自分のでつち上げた愚論でしかない。正かな批判をする前に、まじめに假名遣の勉強をするやう御願ひする。閑話休題。

山之巻・頭蓋骨骨折恥骨骨折之章 ── 日々恐怖事故連続篇 ──

俗に二度あることは三度あるといふ。

ぼくは今年二月、JR渋谷駅ホームで足をすべらせ頭部を数針縫つた。四月、自宅の階段から転落して右手を骨折した。さらに六月、変質者に襲はれ、左耳後方を数針縫つた。つまり、今年に入つて、すでに三回救急車のお世話になつたわけである。

さいはひにして、いづれの傷も順調に治癒。仕事には大いにさしさはりがあつたが、生来の美貌をそこなふことはなく、阿呆にも強靱にもならず済んだ。

傷が癒えればすべては笑ひ話。『奇想天外』随一の美人編集者Nさんとも、

「いやー、災難続きでしたね」

「まつたくです。でも、三度めが済んだから、今年はこれで終はりでせう」

「さうですねえ。今度、何かあつたときは、死ぬときぐらゐぢやないかしら」

「ええ、仏の顔も三度までつて言ふくらゐだし。ま、四度目に拝謁するとなつたら、相手は閻魔大王ですかね」

ハハハ、ホホホと、美男美女どうし笑ひあつた。

初夏の夜。赤坂にある一流ホテルのロビー。コンサバティヴな会話。さりげなく決めた服装。舶来のシガーをくはへ、憎らしいほどニヒルな微笑を浮かべたぼく。英国直輸入のブラック・ティーを飲み、ときをり長い髪をけだるげに掻きあげるNさん。だからといつて愛の言葉を交はすでもなく、指と指が触れあふこともない。

ワッ。な、なんとトレンディ!

爽やかで、自然で、それでゐて華麗。

絢爛、醇美、清澄、閑雅、霊妙、幽寂、高雅。かういつた表現は、きつとぼくや彼女のために発明されたのであらう。──ロビーに居あはせた人々は誰もがさう感じたに違ひない。まさか、この気品の権化のごとき男女が、あのエスエフ関係者だなどとは夢にも思はず! まさか世界一卑俗な人種、淫靡醜悪不浄下劣の破廉恥界糞味噌界に巣喰ふ便所虫だらうなどとは想像もせず! そのうへ口にするのもおぞましい「原稿授受」行為のまつ最中であつたとは、いつたい誰が察したであらうか!?

さう。人は滅多なことでは真実に気づかないものなのである。たとへ、エスエフなんぞがすぐかたはらにゐてさへも

だから無理はないのだ、「二度あることは三度」といふ言葉が、実は、決して真理ではないと気づかずとも。

「二度あることは三度」。それは運のいい人だけのための言葉。運の悪い人にとつては、真理でもなんでもない。むしろ逆の言葉なのである。

いまこそ声を大にして言ひたい。運の悪い人にとつて
一度あることは何度でもある。
のだと──。

どうでもいい様な文章が続いてをりますが、省略するのも詰らないのでもう少し引用を続けます。

ぼくがこの大宇宙の真理に気づいたのは深夜営業の店でラーメンを食べたくなつたといふ、ほんの小さなキッカケによつてである。

Nさんと会つた十日ばかりのちのこと。深夜、ぼくは急にラーメンが食べたくなつた。しかし、わが家は岩下志麻の家から徒歩六分、『フローレス聖子・自由が丘店』から電車で五分のところにある。つまり、高級住宅街の一劃に住んでゐるのだ。ラーメン一杯を食べるにもタクシーを利用しなければならない。

めんどうでも外出し、大通りまで出てゆく。タクシーを求め、右を見たり左を見たり、前や後ろや斜めや上下、どぶの中まで覗きみる。と、その瞬間であつた、ぼくの躯が宙高く浮いたのは。……ボンネット、フロントグラス、ハンドル、運転手さんのやけに大きな顔、路傍の茂み、そして地面。正に絵に描いたやうな撥ねられぶり芸術の域に達してゐたと思ふ。

時間にして四秒あつたか、なかつたか。凡人なら「パノラマ現象」でも体験する所であらうが、そこは大先生、ひと味ちがふ。突如『撥ねられて』といふ題字がイラストつきで目に浮かび、その目の前を三十一文字の大名行列が三回よこぎる。記念に行列の顔を書きとめておく。

最後の行列が一番意匠を凝らしてゐたが、ぼくとしては最初の方に好感を覚える。たぶん石高は低くとも誠実な殿様の行列であらう。

──といふわけで、ぼくはまたしてもケガをしてしまつたのである。

傷病名→全身打撲、頭蓋骨骨折、頸椎捻挫、頭部裂創、左前胸部、左肩肉筋挫傷、両前腕、両手首挫創、左恥骨骨折、ほか。

以下は運の悪い人間の血と涙で綴られた鬪病日記の抜粋であるが、これによつて諸君が少しでも大宇宙の真理を体得し、更に詩歌の奧義にわづかでも近づき得ることをぼくは心から望むものである。

「鬪病日記」の部分もやはり全文引用したい下らなさなのだが、心を鬼にして(?)省略。面白いんですがね。

<八月八日・晴時々雷>

病室にてトートツながら仕事を始める。

Nさんがブドウといつしよに持つてきてくれた投稿原稿の数々が刺激になつたやうだ。

長かりし時は見えざる君の耳/髪切りし後なまめかしく誘うくちづけをあつくかわして君の唾/飲みほしているワインのようにあじさいを大きなボールと思つてか/子猫はじやれて花めがけて飛ぶ

柏木円

柏木円。名前が綺麗である。字も美しい(ぼくの経験では、天才は別として、名前と字の美しい人は、まづ詩歌の才能があるものだ。最初はぎこちなくとも、よき指導者のアドバイスによつて、次第に花開くものである)。

さて一首め。一読レスビアンの歌かと錯覚する。もし事実さうなのであれば問題はないが、相手が男性だとすると、ちと「作りすぎ」である。表現が甘つたるすぎる。こんな男は、ぼくを除けば、少女まんがにしか存在しない。男相手ならば長かりしときは見えざる君の喉仏/髭剃りしのちはなまめかしく誘う程度が妥当。また見えざるでは時勢(ママ)がをかしくなると思ふが如何? 二首め。上句抜群。但し下句「ワイン」がまづい。「みそ汁」か「豆乳」の方がリアリティがでる。ラスト。下句をもつとシンプルに。<子猫は不意に飛びあがりたり>程度でよい。

いまはまづ(1)多作すること。(2)表現を簡素にすること。(3)美しく作らうと考へないこと。──以上に留意して書いてもらひたい。(なほ、お手紙によるお問ひあはせの「あじさい」と「あぢさゐ」の表記の違ひの件。前者は新かな、後者は旧かなであるといふだけの相違にすぎない。どちらを使用するも自由だが、「あぢさゐ」を用ゐた時は、死んでもほかの(※「部分を」或は「語を」を脱落か)新かなでは書かないやう。さもないとパーソンズを纏つた江戸つ子が「お、親分、てェヘンだッ!」、パンチパーマの花魁が「あちきロメロの映画は嫌ひでありんす」、戦国時代の鎧武者が「あのよー、謙信ツーマッポが今川のヤローにチクリやがつてよォ」──といつた具合になつてしまふので……)

一貫したかなづかひを用ゐよと云ふ指示。ふざけた文章を仙波大先生は書いてゐるが、それでも仙波大先生は筋を通すべきところで筋を通さうとしてゐるのである。

「〜でせう」と云つた表記をふざけて現代かなづかいの文章の中に突然出現させる人が時々ゐる。例へば、かの野田昌宏宇宙軍大元帥も、エッセイでさう云ふ事を時々してゐる。個人的に、さう云ふ事をするのには、賛成しない。

例によつて途中の記述を省略。

<八月十九日・晴のち地震>

『ガラスの仮面』の舞台を観るため、病院をぬけ出す。新橋演舞場。三階一列七席。

夕方、肩を落とし劇場を出る。……ぼくは舞台であの幻の名作『紅天女』をやるとばかり思つてゐたのだ! しかもわがファンである大都芸能の若き総帥、速水真澄様の役は、当然、岡田真澄桑田真澄のダブルキャストだとばかり思つてゐた!! ……そ、それがこともあらうに川崎麻世(うを座)だなんて!? まつたくのミスキャストである。北島マヤ大竹しのぶ(かに座)はいいとしても、あの姫川亜弓藤真利子(ふたご座)などといふカスだなんて! そのうへ……そのうへ、つひに『紅天女』をやらずに幕とは!! 人を馬鹿にしてゐる。病院に電話を入れ「今夜は外泊しますので」と言つて切る。わが家でまんが『ガラスの仮面』三十五巻を再読する。

<八月二十日・晴時々雷>

『ガラスの仮面』三十五巻をリュックと紙袋につめこみ、松葉杖をつきながら病院へ戻る。怒られてしまふ。同日、午後、シャワーを浴び、病室に戻ると、看護婦がヘンな顏をしてゐる。どうしたのかとベッド上を眺め、思はず「し、しまつた!」と叫ぶ。松見吉郎(改め松見ヨシヒロ)の手紙と投稿原稿が出しつぱなしであつたのだ。手紙の「大天使仙波龍英大和尚大陰唇様へ・めいつぱい載せて!!」などといふ大きな文字が目を射る。……確かこの病院には精神科もあつた。退院がおくれるかもしれないが、「ままよ」と居直り、松見ヨシヒロの作品に触れることにする。

さて、松見君については前号でずいぶん讃めたつもりだ。相変らず玄関先での挨拶がまづいのはともかく、最初の大作以来、送られて来る作品のボルテージがだんだん落ちてゐる気がする。どうしたことか、何が問題なのか、最初の原稿から読みなほし、検討してみた。で、気づいたのは決してボルテージが落ちてゐるわけではない、100が70になつてゐる程度だ、といふこと。問題は別にある。

松見ヨシヒロは才だけで短歌を作らうとしてゐる、基本的なテクニックを軽んじてゐる──といふのがそれである。

最初の大作を見たとき、ぼくは、なぜ驚いたか? それは奇襲攻撃を受けたからである。ほかの軍隊が空からばかり攻めてきたので、当方はミサイルのことだけに気をとられてゐた。そこへ、いきなり海からの攻撃を受けた、といふのが前号の衝撃である。しかし、一度目で驚いたぼくは、すぐに潜水艦「なだしお」を海底に配置した。するとどうだらう、最初は小型原爆ほどのショックだつたのが、たちまち火焔壜程度のショックになつてしまつたのである。

誤解しないでもらひたい。ぼくは相変らず松見ヨシヒロの才能を評価してゐる。いづれ邪道の巨匠たるべき人物と信じてゐる。

しかし彼が、短歌の基礎を学ばぬかぎり、火焔壜が投石に、投石が水鉄砲にかはつてゆくのは目にみえてゐるのも、また事実だ。そこで大先生が発案したのが、あの大短歌養成ギブスである! 響きも恐ろしいこのギブスとは、「すなはち……松見ヨシヒロに、文語体、旧かなで五百首のまともな短歌を作らせるといふ道具なのだ!」(「おお」「ザワッ」=観客の反応)。モノマネでよろしい。石川啄木調から塚本邦雄調まで、徹底的にマネしてマネしてマネしつくして、再度友人に用田(ヨーダ)とゆーなのヤツがいる/それがどーしたと言われても困るの世界へ戻つてみたまへ。絶対に世界がひろがる。もしひろがらなかつたら、大先生は責任をとつて、白昼ドードー素つ裸になつてみせよう。一糸纏はぬ裸身を風呂場の壁に晒し、ひとり「悪かつた!」と呟いてみせようではないか! (「おお」「ザワッ」=再度観客の反応)

もちろん、これまでどほりの作品も並行して書くこと。さもないと数日で老人病人死人になつてしまふ。人知れず修行を積み、一方で恐ろしや親の銀河が子に報い/可(ママ)想ながらこの異星人(エイリアン)雪の朝狼男の爪の跡/ヴァンプはコタツで血をすする哉等にみられる「フラ」を失はずガンバッテもらひたい。

次号では松見君の作品いくつかを大先生が添削・改作してみせるから参考にすること。(ところで、それがどーしたと言はれても困るのだが、あの染之介、染太郎だつて少しは英語が喋れるのだ。……何ごとも芸のコヤシなのである)。

仙波大先生は、邪道の作者にまづ正かなづかひで正統的な短歌を作る事を勧めてゐる。アヴァンギャルド的なものであつても、日本語の基礎が出来てゐなければ面白い短歌は出来ないよ、と言ふ。

言葉遊びをするのならばまづは正しい言葉を知る事が肝要であらう。日本語の基礎が崩れれば、日本語を使つた言葉遊びもまた出来なくなる。俳諧といふ言葉遊びの名人である芭蕉は、俳諧が口語を正すものである事を言つた。言葉で遊ぶものは言葉の破壊を目指すべきではない。逆に言へば、国語を破壊するやうなものは言葉遊びではない。

実際のところ、表面的な面白さを表現できればよいと思つて、本当に表面的な知識しか学ばない人が多い。しかし、見た目が派手でも、その背後に基礎がなければ、面白いとは思はれても、決して感心はされない。それでも良いと人は言ふかも知れないが、名人と言はれる人々がどんなに馬鹿馬鹿しい芸をするのであつても裏でしつかりと勉強をしてゐる事実は認めるべきである。

なほ、後の文章を省略した。

山之巻・頭蓋骨骨折恥骨骨折之章 ── 日々恐怖事故連続篇 ── 初出「小説奇想天外」第6号・大陸書房

書誌

「奇想天外詩歌教室」は「小説奇想天外」の連載。所謂「SF短歌」の教室。

「小説奇想天外」と云ふ雜誌は、1987年12月〜1990年6月に12冊刊行された、所謂第3次「奇想天外」である。第1号〜第4号が「ホラーハウス」増刊、第5号6号が「MSX Oendan」増刊、第7号が「コットンSt」増刊、(第8号未見)第9号「クロスワードキング」増刊、(第10号未見)第11号「クロスワードキング」増刊、第12号「ホラーハウス」増刊といふ無茶なSF雑誌であつた。

野暮な解説を付けたが、まづは深く考へずに仙波大先生の御喋りを楽しんで下さい。

ワープロの誤変換によると思はれる誤字が多すぎるが、その旨注記して訂正せず、原文のままとした。これもまた、時代の記録であらう。また、原文は新字新かなだが、正かなづかひに改めた。當サイトが正字正かな專門サイトであるが爲である。

なほ、仙波龍英氏は平成12年4月10日に逝去。