吉田富三は、昭和三十七年十二月十三日の第六期国語審議会に於て、一つの提案を行つた。ところがこれは主流派(国語改革の推進派)の委員に握り潰されてしまふ。
吉田氏は昭和三十九年三月十三日の第七期国語審議会に於て、改めて提案を行つた。「国語審議会が審議する「国語」を規定し、これを公表することに就いて(提案(一))」は第六期に於る提案を改めて行つたもの。之に加へて氏は「現代かなづかい」制定の基本方針について(提案(二))」、「小学校の漢字教育について(提案(三))」、「国語に於ける伝統の尊重について(提案(四))」を提出、国語審議会にその立場を明かにするやう迫つた。しかし相變らず審議会主流派はまともに取合はうとしなかつた。
本書には是等の國語問題史上大變に有名な所謂「吉田提案」と、昭和四十年十二月九日の総会に於る「提案(一)の趣旨について再度の説明」が收録されてゐる。
- 議案
- 国語審議会が「国語」に関して審議する立場を、次の如く規定して、これを公表する。
- 「国語は、漢字仮名交りを以て、その表記の正則とする。国語審議会は、この前提の下に、国語の改善を審議するものである。」
- 議案
- 「現代かなづかい」は、日本語の新しい仮名遣ひを創造することを企図したものか、歴史的仮名遣ひを基準として、その不合理、不備の点等を正すことを方針とするものか、何れであるかを明かにすること
これら吉田氏の一聯の提案や五委員脱退事件を經て、當時の国語審議会の閉鎖的な體質と偏向が問題となり、「国語改革の推進=漢字の廃止」と云ふ「明治以來の大方針」が見直される事となる。「吉田提案」は、「漢字制限」の性格が強かつた「當用漢字」が、「目安」としての性格を賦與された「常用漢字」へと改正される機縁となつた。