制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
1999-10-30
改訂
2011-01-15

『入門IBM-PC』より

「序章」

先の大戰後、日本の教育は根本から變へざるを得ないことになつたが、その混亂の中で漢字教育についても相當な戰ひがあつたらしい。當時日本語のローマ字化を推進する動きすらあつた中で、漢字教育、ひいては漢字文化を守らうとして文部省に座り込んだ學者達がゐた。

コトバ、文字は人間生活・歴史の中で生まれてきたもの、變化していくもの、ましてや漢字は1つ1つの文字、さらにはその文字の一劃一劃が意味をもつてゐる。政策的、人爲的な變更はその人間社會の成立ちを支へてゐる文化を失はせ、少なくとも變質をうながす。

結果、時代の選擇は當用漢字を制定して使用文字を制限し、かなりの文字の略字化も行はれた。このことが戰後の社會にどのやうに作用したかの評價は、この際論點外だが、いまや老いた坐り込み漢學者は、現在のパソコン(ワープロを含む)の發展を感慨深く見つめてゐる。

いまやパソコン上に當用漢字にない字、舊字體がどんどん飛び出してくる。求める人間には技術的な制約なしに日本語世界を廣げ、深めることができる。制限なしの言葉を驅使して各自の專門世界を表現できる。當用漢字はもはや無意味になつたわけで、あわてて枠を廣げ常用漢字としたりしてゐるが、計算機印刷が當たり前となつたいまではあまり意味はない。かつて主張してゐた文字をめぐる日本語環境がパソコンといふ科學技術の利器によつてもたらされたことに、彼の老學者はいまさらの溜飮をさげてゐる。

IBM-PCの世界は、比喩的にいへば、かつて西歐のビジネス文書を支配してゐたIBMタイプライタのアーキテクチャと、計算機のアーキテクチャが結婚してできてきたやうなものだ。ここにいたつて、初めてパソコンがいはゆる計算の世界から言語の世界に一躍をどりでたのである。

ビジネス文書を扱ふ裝置で商賣してきたIBMがこの段階で一役買つたのは、歴史の必然であつたのかもしれない。科學文明の利器であつたパソコンは、かうして、文化の領域に踏み込んできた。そしてパソコンはこれまでの紙の上に印刷する活字に代はつて、文字文化を擔ふ役割を受け持つことになつたのだ。まさに過去の文化遺産をすべて1臺のパソコンにのせ、個々人が手にすることができるやうになつた。これは、人類の歴史にとつて、グーテンベルグの活字の發明に匹敵するかそれ以上の出來事であつた。その餘波はまだ續いてゐる。

もともとIBM-PCは西歐文明の中で使はれる事を意圖したマシンである。だから各國語の文字フォントを積んでゐて、イギリス、フランス、ドイツ、スカンジナビアなど、要するに西歐社会のどこででも使へる。しかし、同じIBM-PC、とくにAT以降の進んだアーキテクチャでは、アジア圏の漢字やタイ語、そして中東のイスラム語を扱ふ能力をもつに至つた。

このことはIBM-PCが西歐の合理化され超がつくほど簡單化された表音文字系を乘り越え、さらに漢字の複雜さを乘り越えて、漢字に蓄積された豐かな表現力を世界に廣めることができるやうになつたことを意味してゐる。先の老漢學者の感慨の根はここにある。計算コード化された漢字は、單にアジアの漢字文化圏の財産ではなく、廣く世界の財産であるはずだし、このローカルな文字文化を西歐圏とわかち合ふことができれば、世界はまた一歩前進する。その最初の希望を與へてくれたのがIBM-PCといふ文明の利器であつた。

いま、現時點のコンピュータの世界では、擴張ATバスのATクローン、マイクロチャネルのPS2、マッキントッシュ、値段の安いUNIXワークステーション、そしてスーパーコンピュータなみの拘束ワークステーションなど、撰擇の幅ばかり増えてをり、これから何が主流になるのか定かでない現状である。かういふときにこそ、原點に立ち返り、西歐の技術から始まつたIBM-PCが、日本を含むアジア圈に與へたインパクトをながめ振り返つて見ることは有益だらう。

……。


ここで紹介した『入門IBM-PC』は、DOS/Vの事もWindowsの事も當然書かれてゐない「DOS/V以前」の本――「ドッグ・イヤー」と言はれるPCの世界で10年以上も前に出たこの本は、既に「歴史的」な意味しか持たない。けれども、それだけに、このやうな記述が埋もれてしまふのは大變にもつたいない事だと思ふ。

『入門IBM-PC』
平成2年1月25日 初版 第一刷発行
岩戸南北・宇佐見明・瓦谷孝一ロバート・邦好・西田雅昭著
技術評論社

「當用漢字」「常用漢字」と云ふ「漢字制限」の試みが何の意味も無かつた事は、技術の發展により證明されてしまつた。2010年に「常用漢字表」の改訂が實施されたけれども、既成事實を楯にとつて改革派・漢字制限派が現状を維持し得たに過ぎず、「制限」の不合理と不便さが改めて浮彫りにされただけの結果に終つた。

昔話

DOS/Vの出現

PC-98が一世を風靡したあの頃、「日本人向けのパソコン」には漢字ROMが必須だとすら信じられてゐたものだ。だが1991年、IBM DOSバージョン4.0J/Vがリリースされて、その「神話」は崩れた。

のちにDOS/Vと云ふ通稱が與へられるIBM DOSバージョン4.0J/Vは、漢字を含むフォントをファイルで持ち、OSの起動時にメモリに讀込んで表示や印刷に使用する、と云ふ仕組で「日本語のテキスト」を表示する「日本語OS」であつた。かうしたテキスト表示の仕組は、現在のPCでは常識となつてゐるが、當時は極めて斬新な發想であつた。

DOS/Vは、$disp.sysでグラフィック畫面を假想テキスト畫面として利用出來るやうにし、$font.sysで日本語フォントを讀込んで假想テキスト畫面に表示する、と云ふ仕組を採用してゐる。ダブルバイトのテキストの處理が可能となるやうに機能を追加してはあるが、ベースは英語のDOSそのものである(英語DOSにDOS 4.0J/Vのドライヴァを入れて日本語テキストを表示させる試みは極めて早くに行はれてゐる)。英語DOSの動く機械では、DOS/Vも大抵動いた。DOS/Vの最大の意義は、世界中で使はれてゐる多くのIBM PCをソフトウェアだけで日本語に對應させた點にあつたと言はれる。

この、「テキスト表示をハードウェア的にではなくソフトウェア的に處理・實現する」と云ふ仕組は、標準のDOS/Vでは固定的なものだつた。當初のDOSの標準の機能では、640×480ドットの畫面に16ドットのフォントを表示する事だけが可能だつたに過ぎない。しかしユーザは、早くからこの仕組の擴張の可能性に氣附いてゐた。それを早くに實現したのが「ハイテキスト」である。のちに商標の關係から「V-Text」の名に改められて知られる事になるDOSテキスト畫面の擴張は、DOS/V黎明期、「古き良き時代」にPC廢人の間で大流行したものである。

DOS/Vの假想テキスト畫面は通常、VGAのグラフィック畫面を利用して表示されるが、そこをSVGAで表示させて高解像度化する事が出來る。これが「V-Text」の概念の一側面である。PC-98等でDOSの畫面は一般に80桁×25行程度だつた。DOS/Vの「V-Text」では160桁×106行などに畫面を擴張して利用する事が出來た。DOS/Vユーザは廣大な畫面のVzエディタを使つて、悦に入つたものである。これは$disp.sysの機能を擴張したdispex.exe/disp32.exe等によつて實現されたものである。

一方、$disp.sysの擴張のみならず、$font.sysの擴張も同時に行はれてゐた。fontex.exe/font32.exeでは16ドットフォントに限定されず、12ドットフォントを利用する事も、逆に24ドットフォントを利用する事も可能となつた。12ドットフォントを利用すれば、解像度の低い畫面でも澤山の文字を表示出來る。一方、24ドットフォントを利用すれば、高解像度で高品質の文字を表示出來る。

フォントは交換可能であり、現在のWindowsほど自由かつ容易ではないが、複數のフォントを切替へて表示に利用出來た。勿論、基本的にDOSで利用可能な文字コードは限定されてをり、「V-Text」でも自由に文字數を増やせた訣ではない。しかし、コードの範圍内で或程度の文字の入換へは可能であり、フォントの書換へを行ふツールも配布されてゐた。

DOS/Vの出現によつて、解像度が制約されてゐたDOSテキスト畫面は擴張可能となつた。それはDOSの可能性を擴張したものであつた。けれども、利用可能な文字の綜合的な數は、必ずしも擴張されてゐた訣ではない。しかし、ハードウェアによつて制約されてゐた文字の數が、ソフトウェア的に大幅に増やされるチャンスを得てゐた事は大變重大な意義を持つ。

「V-Text」は過渡期の技術であつた。しかし、其處で示された可能性は、Windowsで實際に實現される事になる。

Windowsの一般化

DOS/Vは、IBM PCと云ふハードウェアを日本に齎しただけではない。歐米で急速に滲透しはじめてゐたWindowsもまた、「DOS/V」が日本に持込んだのである。

從來DOSはテキスト畫面を用ゐてきたが、Windowsは全てグラフィック畫面を利用する。速度に制約のあつた1990年第初期以前のPCで、Windowsは「遲い」と云ふレッテルを貼られて(それは事實だつた)さつぱり使はれなかつた。しかし、グラフィック畫面に文字も表示すると云ふ事で、より高度なプレゼンテーションが可能になる事は明かであり、IBM PCの世界でもWindowsの高性能化・一般化が期待されてゐた。

DOSは、テキストベースで表示が貧弱であるだけでなく、基本的な入出力の機能すら不十分であつた。DOS用のワープロソフトは、WYSIWYGが實現し辛い、フォントの撰擇範圍が限られる、等々、DOSの制約を受けてゐた。しかし、Windowsが一般化すれば、入出力環境が強化される。Windowsの上で動くワープロは、DOSのそれに比べて相當高機能なものとなり得る。操作性の向上は勿論の事、フォントが自由に使へ、しかも表示通りの出力が行へるやうになる。

だが、Windowsは、表示・印刷の見映えがすると云ふ目に見える部分での強化がなされてゐたのみならず、文字セット・文字コードの擴張が可能なやうに設計されてゐた。Windows 3.1は、英語版と日本語版とでまだまだ大きく異つてゐたのだが、C・F・コンピューティング製のWin/Vが英語Windowsの直接的な日本語化の可能性を示した。Windows98以降、unicodeが實裝され、使用出來る文字數は飛躍的に増大した。Windows2000は、OS自體が國際化され、使用言語の切替へも可能となつた。

背景には、IBM PCの高速化とその普遍化がある。物質的な充實が即、精神レヴェルの充實に繋がり得る状況を出現せしめた珍しい例である。アメリカ的な物量攻勢が、日本の傳統文化復權に貢献するとは奇妙な話だが、從來、漢字削減論者の主張してゐたやうな「特権階級專用の漢字」と云ふテーゼはここに崩潰し、一億總中流階級の日本人の殆どが、容易に漢字を扱ひ得るやうになつたのである。

二十世紀末にはインターネットが一般化し、世界中のウェブサイトを表示出來るやうにする爲、ブラウザは國際化が進んだ。既存のWindows98でもInternetExplorerでは多くの言語を扱ふ事が出來るし、WindowsXPは最初から多言語環境を實裝して發賣されてゐる。

技術の進歩と傳統文化

かうした技術の發達は、「難しい漢字は書けない」と云ふ主張を繰返した從來の「漢字反對」の論者の論法が誤であつた事を、事實として立證したと言つて良い。ところが、「漢字は難しいものだ」と依然信ずる勢力はなくならない。彼等は、漢字を不便なものに見せかけずにはゐられない。現在、彼等は「難しい漢字は讀み辛い」「だから使へるやうになつても使ふべきではない」と主張し、積極的な「啓蒙」活動を續けてゐる。

なるほど、今のPCの解像度で、劃數の多い漢字は、細かい部分が潰れてしまふ。だが、「24×24dotで表示の出來ないDOS/Vでは、日本語を美しく表示出來ない」と言つてDOS/Vのリリースに難色を示した日本アイ・ビー・エムの堀田氏(當時、PC營業開發本部長)は、「將來V-Textをサポートする」と云ふ開發スタッフの説明に納得した。歴史はその通りになつた。日本アイ・ビー・エムはIBM DOS バージョン6.1/Vを發賣したのと同時にDOS/V Extensionを發表、サードパーティ製の「V-Text」と同樣の機能を公式にサポートしたのである。

それどころか、その後の歴史はIBMのスタッフの豫想を超える形で展開した、と言つて良い。もちろん、豫想以上の成果を擧げてゐる、と云ふ意味である。Windowsでは、早くから高解像度の表示が可能となつてをり、そこではdpi値の變更も可能となつてゐた。高解像度の畫面で高精細の文字を表示する事は、Windows 3.1でも可能であつた。その後もフォントのスムーズ化技術は進化してゐる。2006年になつて「メイリオ」フォントが將來のWindowsに搭載される事が發表された。フォントレヴェルでの讀み易さの改善は進んでゐる。

ただ、印刷時ほど畫面の解像度は高くない。150dpiの印刷は商業印刷でも普通に行はれてゐる。一般家庭向けのプリンタでも1600dpi程度の印刷能力は普通に持つてゐる。ところがディスプレイの解像度は精々96dpi程度であり、ウェブでは72dpiが「標準」である。かうした乖離は、實はMacintoshの世界では早い時期に問題になつてゐた。Windowsでさうした問題が顯はれたのは比較的最近の事と言つて良い。何れにしても、慥かにディスプレイの進化は遲れてゐる。しかし、技術の進歩は近い將來、「難しい漢字」をも讀み易く表示し・表現する能力を、ディスプレイに與へよう。

技術の爲に、一時の妥協をする事はやむを得ない。しかし、妥協を永續化し、固定する事は、寧ろ技術の進歩を阻害するものと言へる。「タイプライタ」の使用を前提に、漢字の廢止を主張したかつての「表音主義者」が誤つてゐた事は火を見るよりも明かな事である。と言ふより、技術の進歩を信ずる者が、現在の未完成の技術を理由に、傳統を破壞しようとするのは、本末轉倒ではないか。それは進歩でなく退歩である。

技術は人間の生活を豐かにする爲のものであらう。ならば、將來の技術の進歩を信じないで、現在の技術を以て人間を制約しようとする主張をするはをかしな話でないか。かつて、國語國字改革で、日本人はその誤を冒した。誤を改めない・反省しないのは、人間として善い事なのであらうか。「善い」と云ふ事にする爲、誤を「誤でない」と云ふ事にすると云ふのが國字改革を行つた人々のやり方である。しかし、それは「無理を通せば道理が引込む」と云ふ事を地で行くものである。

現在の不便は、將來の改善を期すべきである。無理な事をごり押しするより、道理に適つた事を實現する方が、自然である。「当用漢字」「現代かなづかい」は、極めて無理があるものであつた。現在の文字コード・文字セットの問題の直接的な原因は國字改革にあると言つて良い。國語國字改革が間違ひであつた事を、我々日本人は素直に認めるべきである。「何を今更」と言ふ人は大變に多いであらうが、さう云ふ言ひ方で無理を通さうとするのは寧ろ不自然である。

參考