もとは昭和十三年の「主婦の友」(正月号から三月号)に掲載され、五月に岩波書店から出版された、二人の女性(クララ・バートンとストウ夫人)の傳記。
本書『戰爭とふたりの婦人』は、その内容よりもあとがきの「この本を出版するに當って ――国語に對する一つの意見」(「っ」「対」の表記は原文のまゝ。)が話題になつた。即ち山本は、この書物では、いっさい、ふり假名を使はない
、ふり假名がなくっても、誰にでも讀めるやうな文章を書く
、と決心し、それを實行した、と言ふのである。
山本はルビをみにくい虫
と呼び、このやうなものを使はないと國字で書かれてゐるにもかかはらず自國の文章が讀めないのは異常な事態であると指摘した。
しかし、現在の日本では、ルビをつけることを、さして怪しむ人はないやうです。誰でもこれを當りまへのやうに思って、へいきな顔をしてゐます。が、考へやうによるとこんななさけない國字の使ひ方をしてゐるのは、文明國として恥かしいことではないでせうか。近頃私はルビを見ると、黒い虫の行列のやうな氣がしてたまりません。なぜ、あのやうな不愉快な小虫を、文章の横に這ひまはらしておくのでせう。
山本はルビへの憎惡を書き綴る。そして、文明國である以上は、その國の國語をもって書かれた文章は、それがそのまゝ、誰にでも(義務教育を受けた人になら)讀めるものでなくってはいけないと思ひます。
と主張する。
いったい、立派な文明國でありながら、その國の文字を使って書いた文章が、そのまゝではその國民の大多数のものには讀むことが出來ないで、いったん書いた文章の横に、もう一つ別の文字を列べて書かなければならないといふことは、國語として名誉のことでせうか。
と山本は述べ、ルビを用ゐるのは日本が文明國でない決定的な證據であり、また同時に、文明國には「なる」べきであると盛に主張する。
ルビを憎惡する理由がぼかされてゐるものの、その後の文章の論理展開は明晰で、多くの人が山本の主張に納得してしまふだらうと思はれる。しかし、この山本がルビを憎む動機は明らかにされて然るべきだらう。また、文明國云々とルビの關係は、山本が言ふほど必然的なものであるかどうかも、檢討されるべきだらう。
山本は、ルビを廢止するメリットを列擧してゐる。
文章にルビをつけるとか、つけないとかいふことは、誰でもなんでもない事のやうに思ってゐますが、かうして考へて行くと、それは一國の國語としての尊嚴にも関係することですし、文体の革新といふやうな問題にも大きな関係を持ってゐることです。しかし、書物の「あとがき」のなかで、かういふ問題をながながと論ずることは、ところを得たものとは思へませんから、あとは手短に、箇條書にいたします。ルビをやめると、いま述べた二点の外に、なほ次のやうな、いくつもの利益があります。
- 一、むづかしい文句や、あて字を使はないやうになるから、おのづから漢字制限を實行することになる。
- 一、眼で見て讀みやすいばかりでなく、耳で聞いても分りやすい文章となる。
- 一、國語が淨化される。
- 一、國民が心から國語を愛するやうになる。
その他、執筆者も印刷工も校正係も二重の手まがはぶけるから、時間の上に大きな利益があるばかりでなく、視力もそこなふことも少いので、目のためにも非常にいゝし、また多数の活字が不要になるから經濟上の利益も少くありません。……。
なるほど、一見大變尤もらしいし、實際、その種の「利益」が「ある」のならば、我々は容易に山本の主張に反對する事は出來ないだらう。しかし、山本の言ふ「利益」が、果して「ルビを廢止する」と云ふ手段によつて實現せられるべきかどうかは、本來ならば愼重に檢討されるべきであつたし、そのやうな「利益」が本當の意味での利益であるのかどうかも檢討される必要がある。と云ふのは、そのやうな方法が實行された時、喪はれるものについて、山本が一切考慮してゐないからである。「良い結果」だけが生じ、喪はれるものは何もないかのやうに、山本は主張してゐるが、歴史的に成立したものである以上、ルビが何らメリットを持たず、廢止される事で一切デメリットを生じないとは言切れない。
われわれはわれわれの子孫のことを思ふ時、また今日のやうに、日本の國力がどんどん海外に伸びて行く事實を考へ合はせる時、國語國字の問題はどうしてもこのまゝに放任しておくわけにはいきません。
と山本は述べてゐるが、表音主義者の例に洩れず明治以來の「富國強兵」の發想に捉はれてゐると言つてよからう。或面、山本も眞摯ではあつた。が、さうした眞摯な態度も、日本に於ては常に傲岸不遜な態度に直結し、敵對者に對する居丈高な態度に繋がる。山本が今、ルビを廢止するメリットを理路整然と説きつゝも、その中でルビを罵倒する事で快感を得てゐる一面がある事を、誰が否定出來ようか。
續けて山本は言つてゐる。書く上からも、讀む上からも、そして聞く上からも、もっと樂な、もっと分りのよいものに改めなければ、國家のため、國民のため、非常な不利益と信じます。
「言葉は道具である」と云ふのが表音主義者の信ずるところの思想であるが、何の爲の道具であるかは良く檢討してみる必要がある。國語國字の問題は、文学者にとって大きな課題の一つです。
と山本は言つてゐるが、文學者にとつて扱ふべき眞の課題は何であらうか。山本は後に國會議員となるのであるが、政治家でなく文學者として國字問題に對する事は出來なかつたと言ふのであらうか。