制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-08-10
改訂
2002-05-05

『漢字の未来』

漢字廢止論者野村雅昭氏(以下敬稱略)の著書。

83JISの改正は、この野村が中心になつて行つた。


なほ、『漢字の未来』は三元社から「新版」が出てゐるらしいが未見。

内容紹介

漢字が支那から入つてこずに、日本人が独自の文字を発達させていたならば、それはカナのような音節文字であった可能性がおおきい、と、野村は言つてゐる。野村は、日本人が漢字とであったとしても、独自の文字の創製は不可能ではない、と述べ、日本人が漢字以外を採用する可能性があつた事を強調してゐる。なるほど、それはさうであらう。しかし、その可能性をもつて、漢字を排斥すべき事を主張してゐる邊は、勘違ひも甚だしいと言はざるを得ない。可能性は飽くまで可能性でしかないのであり、可能性がある、と云ふ事をもつて必然的な事實を否定するのは、逆コースである。

また、漢文訓讀によつて、日本人が漢字を自らのものとした努力を、一應野村は評價してゐる。しかし、漢字を讀むと云ふ事は所詮知識人階層の特權的な行爲でしかない、庶民はカナを用ゐて表現活動を行つてゐた、と云ふ印象を與へようと、野村は努めてゐる。庶民と特權階級との對立と云ふ、マルクス主義的なものの見方をもつて、野村は假名と漢字の性質を規定しようとしてゐる。

文字の知識が煩雑なものになるほど、それをみにつけているものは、そうでないものへのいわれのない優越感をもつことになる。『徒然草』一三六段には、医師篤成が「しお」という字は何偏の字かとたずねられて、「土偏」とこたえたために、わらわれたはなしがのっている。このはなしは、当時「しお」という字が、本字の「鹽」のほかに「塩」という異体字をもっていたことだけでなく、識字層の内部にも階層が存在したことをうかがわせる。

優越感を持つ人間性こそが論じられるべきなのだが、野村は恰も「文字の知識を持つ事」或は文字そのもの(詰り漢字)が惡いかのやうな印象を、讀者に與へたがつてゐるやうである。ちなみに、野村の獨特の「假名遣」は、漢字を殊更に避けてゐる爲生じてゐるものだが、それによつて可讀性が増してゐるやうには思はれない。

ローマ字の傳來の項で、野村は性懲りもなく、織田信長のような進取的な支配者のもとで、鎖国がおこなわれず、キリスト教の布教がみとめられていたら、日本語の表記はどうなっていたかという仮定は、興味深い、と、讀者を變な方向へ誘はうとしてゐる。

可能性、可能性、と野村は言ふ。この「可能性」と云ふ言葉自體には何の意圖もない、と野村は言ひ譯するであらう。しかし、野村はこの「可能性」を執拗に繰返す事によつて、「漢字以外の表記が用ゐられた可能性」を「何か素晴らしい事」であるかのやうに見せかけてゐるやうである。「可能性」のプラスのイメージを、野村は惡用してゐる。野村の著作は、一見論理的であるやうに見えるが、實はイメージ戰略に基いた「洗腦」の爲の書物であるやうに、私には思はれる。

ヨーロッパ合理主義によるめざめの項の先頭で、野村は眞先にローマ字とのであいについて述べ、次いでカナモジ論のさきがけと云ふ言ひ方でカナモジ論を紹介してゐる。そのあと、国学者の文字観についてで、眞淵が「國意考」で示した漢字批判を採り上げてゐる。

「かれにおほはれて」とか「わづらはしきことをつくりて」という表現は、国学者的な発想であるが、どのくにのことばも数十程度の文字で表記できるはずだという認識は、合理的な思考態度だといってさしつかえない。

「文字の數が少いサンスクリットの方が漢字よりも勝れてゐる」と言つた眞淵の態度を「合理的だ」と襃める事で、少い文字による表記の方が、多くの文字による表記よりも合理的である、と野村が信じてゐる事は明かである。もちろん、なぜ合理的か、と云ふ事の證明は全くなされてゐない。ただ單に、眞淵はかう言つた、と事實を野村は述べてゐるだけである。要は、眞淵の權威を野村は利用してゐるのである。

そして、多くの國學派の態度を、野村は非合理的と決めつける。

「皇御国も、いかなる字様かはありつらんを」というのは、漢字渡来以前のわがくにの文字についての言及であるが、慎重ないいまわしである。おなじく神代文字に否定的な本居宣長をへて、平田篤胤にいたると、中国の影響を完全に無意味なものにしたいという観念論的な要求から、神代文字が肯定されることになる。その時点では、国学からは合理的な思考はうしなわれ、ただのイデオロギーにすぎなくなる。明治時代になって、表音文字遅動に対抗するひとつの勢力が、平田派の門人であったことは、真淵のような柔軟な思考のもちぬしからは、かんがえられなかったことにちがいない。

野村が鈴木朖や富士谷成章の事を知らなかつたとは言はせない。鈴木や富士谷が合理的な思考に基いて動詞の活用表を作つた事實を、後に野村は『日本語事典』に載せてゐるが、事典を編纂するまで「國學派は全く合理的な思考を失つてゐた」と野村は信じてゐたのだらうか。要は、野村は承知で事實を歪め、嘘を書いたのである。目的は、國學派による反論を、はじめから「非合理的」と決めつけ、封殺するためである。卑怯極まる論法であるが、野村は漢字廢止と云ふ目的の爲に、自分の卑劣な手段は正當化される、と信じてゐるのであらう。

時枝誠記の日本ニ於ル言語觀念ノ發達及言語研究ノ目的ト其ノ方法(明治以前)に、江戸時代以前の國語の研究がいかに實りの多いものであつたかは、詳しく述べられてゐる。

續いて、明治に入つてからの「表音文字運動」について、野村はかう述べてゐる。

幕末にちかづくにつれ、洋学をまなぶものが増加し、表音文字の便利さを実感として体験するひとびとがふえてくる。そのなかから、前島密、西周、柳川春三、南部義籌など、具体的な案を提出するひとびとがあらわれるわけである。かれらの主張の根拠となるのは、漢字の字数がおおく、記億に不便なこと、および、そのよみかきの複雑さが学習上の負担となることである。また、それが国家の不利益となることを指摘する点でも共通している。その点では、本多利明の発想がふくらんだともみられるし、ヨーロッパ的な重商主義が無意識裏にあらわれたともみることができよう。

ただし、それらは、かならずしも、国家主義的なかんがえかたにたつものばかりとはいえない。そこには、国民の漢字習得の負担が軽減されることによって、真に必要な知識の獲得にその余力をふりむけることが可能になる点に、意義をみとめるかんがえかたも存在する。たとえば、ベンタムやミルなどイギリスの功利主義的な思想の影響をうけたとみられる西周は、「人世三宝説」(一八七五年)で、つぎのようにのべている。

而其三宝トハ何物ナルヤト云フニ第一に健康、第二に知識、第三に富有ノ三ツノ者ナリ、(中略)之ヲ貴ヒ之ブ重ンシ之ヲ欲シ之ヲ希ヒ之ヲ求ムルヲ以テ所謂最大福祉ノ方略トスルナリ

このようなかんがえかたが、どれだけ啓蒙期の改良主義者たちに浸透していたかは疑問である。また、その主張が実現したとしても、それが富国強兵の国策のなかに吸収されてしまう可能性は、すくなからず存在した。しかし、その背景に「最大多数の最大幸福」という理想があったことをみのがしてはならないだろう。まして、これを、西欧文明と当時の日本の文化水準との落差にがくぜんとした西欧崇拝主義者が、その原因を文字数の多少にもとめて、漢字廃止をとなえたものとみるような批判が浅薄なものであることは、いうまでもない。

疑問である筈の功利主義思想と云ふ根據を、再び野村は可能性と云ふ言葉で決定的で動かす事の出來ない眞理であるかのやうに見せかけてしまふ。そして、理想を見逃すな、と言つて、西欧文明と当時の日本の文化水準との落差にがくぜんとした西欧崇拝主義者が、その原因を文字数の多少にもとめて、漢字廃止をとなえたものとみるような批判浅薄なものと根據ナシに決め附けてしまふ。もちろん、反論出來ない痛いところを衝かれたので、野村は居丈高な態度で一蹴して見せてゐるだけである。野村は浅薄と決め附けるだけで、文字数の多少で表記の價値を決定する事が合理的である事を證明しない。

日本語と歐米諸語が異るものである、と云ふ認識を缺くがゆゑに、野村は單純な數の比較と云ふ量の議論で滿足してしまつてゐるのであらう。マルクス主義の唯物論を聯想させるが、恐らく野村はマルキストではあるまい。日本人がそもそも唯物的なのであり、階級鬪爭的なのである。そもそも日本人は、政治主義的なのである。政治的な目的を達成する爲に、學者でさへも平氣で嘘を吐く。

「国字改良論と擁護論」でも、野村はイメージ戰略に頼る。あひかはらず「改良論者は合理的」である。そして、國字擁護論者に野村は国粋主義的な思潮と云ふレッテルを貼る。野村は「國字擁護論」の背景に、理想を見ない。そして、野村は「國字擁護論」が無效であるゆゑんを、以下の樣に説明する。

しかしながら、擁護派の主張は、結局は伝統文化の保持と教授法の改善の二点につきる。理論的に、漢字が表音文字よりもすぐれているという反論をだすことはできなかった。言語研究者のがわから、そういう学説があらわれるのは、第二次大戦後のことである。

表音文字が漢字よりもすぐれてゐる理論的な證據を全く出さない野村が、良く言つたものである。自分は「可能性」「可能性」と言つてゐるだけの癖に、何を偉さうに。しかし、この野村の論法は、現在の日本國で、どう云ふ譯か有效なのである。自分の主張を「可能性」と言ひ、反論に「理論的でない」とレッテルを貼る事で、なぜか獨斷的な主張が「定説」と化す。しかも、傳統と云ふ一般的な事實は、自分たちの勝手に選擇した特定の事實に劣るものとされてしまふのである。

野村の論法が出たら目なのは、明治以來(或はローマ字傳來以來)の國字改良論を稱揚する一方で、江戸時代以來の(或は定家以來の)歴史的假名遣を傳統として認めず、否定する事である。これを私は「二枚舌論法」と呼びたい。

このように、敗戦以前における漢字制限のこころみは、種々の障害から不成功におわった。しかし、「標準漢字表」から四年後に制定される「当用漢字表」が、短期間に作成されたものではなく、かずかずの試行錯誤の結果として誕生したものであることをたしかめることができる。また、のちに「当用漢字表」が「常用漢字表」にあらためられていく過程でのいくつかのバターンが、すでに原型としてあらわれていることも興味ぶかい。

しかしながら、歴史的假名遣が、或は日本語の表記そのものが、かずかずの試行錯誤の結果として誕生したものであることを、野村は認めようとしない。御都合主義そのものである。

国語審議会は、一九四六年九月に「現代かなづかい」を、また同年十一月に「当用漢字表」を答申した。そして、どちらも十一月に、内閣の訓令・告示によって、国民に公表された。第二次大戦後の一連の国語改革のための施策は、このようにしてスタートした。

このようなうごきを、占領軍の圧力によって、政府・文部省が少数の表音主義者のちからをかりて強行したものとするみかたが、のちになってあらわれるが、それはまったくあたっていない。GHQ(連合国軍総司今部)のCIE(民間情報教育部)には、国語の改革、具体的にはローマ字化を支持する空気があったことはたしかである。また、アメリカの教育便節団の総司令部への報告(一九四六・三)で、ロ−マ字採用を勧告していることも事実である。しかし、当時の国語審議会の委員は、そのような強制があったことを否定しているし、審議会のメンバーは、かならずしもいわゆる表音主義者ではなかった。前項までにみたような漢字制限やカナヅカイ改良運動のつみかさねがあったからこそ、「当用漢字表」「現代かなづかい」のすみやかな制定が可能だったわけである。決して、どさくさにまぎれて、でっちあげられたものではない。そのことは、事実をみつめることによって、だれにも納得されることである。

もっとも、ローマ字遅動家にとっては、積年のゆめを実現する、絶好の機会であったこともまちがいない。しかし、それを利用するには、かれらは、あまりにたちおくれた。例の日本式とヘボン式の対立が、たがいにあしをひっばる結果となった。国語審議会に、ローマ字調査分科審議会が設置されたのは、一九五○年のことである。

ちよつと待て、と野村に言ひたい。審議会のメンバーは、かならずしもいわゆる表音主義者ではなかったにもかかはらず、日本語の表音化にゴーサインを出した、と云ふのはなぜか、答へて貰ひたい。審議会のメンバーの大半は「どつちでも良い」派であつた筈である。それは、國語改革を批判した福田恆存がはつきり述べてゐる。(その意味で、野村の言ふ「國語改革に反對する意見」の内容は虚僞である)しかし、さう云ふ「中立的」なメンバーの「總意」を「改革支持」に見せかけたのは、少数の表音主義者のちからではなかつたか。福田によれば、「どつちでも良い」中立派は、どちらかと言へば改革反對であつた、と云ふ事である。

野村の詭弁に欺されてはならない。少数の表音主義者のちからによつて、國語改革は強行されたのである。彼らの牽強附會で我田引水の論法によつて、表音主義でも何でもない中立派の意見は、「表音主義的改革支持」に見せかけられたのである。

そして、密室的な審議會での議論と表決が可能である事を幾ら強調した處で、國民の生活は混亂に陷つてをり、國民は國語改革に何の口も挾めるやうな状況ではなかつた、と云ふ意味で、この國語改革がどさくさにまぎれてなされたものである、と云ふ事實は覆らない。それに、国語審議会が民主的に選ばれたメンバーによる、民主的な審議の場であつたかと云ふと、さうではなかつた、と云ふ、重大な事實を、野村は無視してゐる。審議會が互選により委員會を決めると云ふ閉鎖的な制度によつて成立つてゐた事、國語改革反對派が意見を述べるのを、議長をはじめとする表音主義のメンバーが徹底的に妨碍した事は、福田恆存が暴露してゐるが、さう云ふ事實を無かつた事にして、野村は国語審議会の民主的なる事を述べるばかりである。

そのことは、事実をみつめることによって、だれにも納得されることである、とは、全くもつて盜人猛々しい言ひ草である。野村は事實を見つめてゐない。そして野村は、自分にとつて都合の惡い事實は隱蔽する。事實は事實であるが、選別された事實には選別された時點で價値觀が混入する、と云ふ事を野村は無視してゐる。

さて、野村は「当用漢字表」の性格に就いて、以下の樣に述べる。

ここで「範囲」「制限」ということが、はっきりでていることに注目してよい。すなわち、この表にない漢字をつかわないことを前提としたものであることがあきらかである。ただし、その究極の目標が漢字廃止か漢字制限かは、はっきりしない。それについて、ローマ字化やカナモジ化を目的としたものだと断言するこえがあるが、それはためにする推測であり、とりあえず、漢字をある範囲に制限してみようというのが共通した理解だったとみてよい。そのことをしめしているのが「当用」という名称である。制限が目的であるにせよ、廃止を目的とする過程としての制限にせよ、この表が完全なものではなく、ちかい将来に改定されることを予想していたことは、まちがいない。 つぎに注意すべきは、新聞、雑誌、一般社会、今日の国民生活といった適用分野である。内閣訓令には、「今後各官庁においては、この表によって漢字を使用するとともに、広く各方面にこの使用を勧めて」とあり、訓今すなわち内閣の下級官庁に対する命令としては、官庁にしかその拘束はおよばない。しかし、「各方面に勧め」ることや、その分野がしめされていることは、法的な効力はともなわないものの、政府がこの表の実施を国民に対しても、つよくのぞんでいたことを否定する必要はない。

これについて、政府が国語に関する政策を強要したという批判に対して、改革の支持者は、あくまでも訓令であって、一般国民をしばるものでないという弁明をすることがおおい。しかし、それはくるしい説明である。むしろ、政府が国民につよく要望したとみるべきであろう。もっとも、改革の反対者が、新聞や雑誌がいやいや強制にしたがったとするのも過言であり、特に新聞は積極的にその遂行者となったのである。国民のすべてではなかったにせよ、民主国家の実現のために、国語改革が、とりわけ漢字制限が必要だとかんがえた国民が大部分であったことを、われわれの記憶から抹消してはならない。

國語改革反對派の意見が歪められて示されてゐる事に、讀者は注意しなければならない。ローマ字化やカナモジ化を目的としたものだと断言するこえ、と云ふ言ひ方の断言は、野村の言葉を借りればためにする表現である。国語審議会のメンバーの大半が「中立派」であつた以上、とりあえず、漢字をある範囲に制限してみようというのが共通した理解だったのは當然の事である。しかし、カナモジ派やローマ字論者がこの國語改革を、日本語を表音化する足がかりと考へたのは事實であらう。同時に、反對派にしてみれば、不徹底な表音化で濟んだ事は「妥協」であつた。

また、改革の反対者が、新聞や雑誌がいやいや強制にしたがったとすると云ふ野村の解説は嘘である。福田恆存は、新聞や雜誌が率先して「現代かなづかい」と「当用漢字」に從つたから、國語改革は成功したのだ、と述べてゐる。自分に都合良く、反對派の意見を捏造するのは止めて貰ひたい。

それにしても、国民のすべてではなかったにせよ、民主国家の実現のために、国語改革が、とりわけ漢字制限が必要だとかんがえた国民が大部分であった、と云ふ野村の解釋は、御都合主義的だと思ふ。戰後のどさくさまぎれになされた國語改革に、國民は迷惑したのである。漢字制限によつて自分のところの看板を「さかなや」と讀めなくなつた、と魚屋が歎いたと云ふ、笑ひ話とも悲話とも見得るエピソードがある。

そして、「現代かなづかい」は「現代仮名遣い」になつた。野村は常用漢字表がノバナシにひとしいというのは、いいすぎだろうが、当用漢字表の存在に不満をおぼえていたひとびとの主張は、かなりの程度で実現したとみられると述べる。もちろん、福田恆存が、中公文庫版『私の國語教室』あとがきで何と述べたかなど、野村は氣にしないし、紹介もしない。

野村は、このように、当用漢字表と常用漢字表の性格は、あきらかにちがっている。しかし、われわれの文字生活で、なにがちがったかということを指摘することは、むずかしいと言つてゐる。福田は、兩者の性格に大差はない、と言つてゐる。どつちにしろ、「常用漢字表」の以前と以後で、漢字制限は全く變る事なく行はれてゐる。

このような状況をみるかぎり、常用漢字表は現代の社会に適応しているかのようである。当用漢字表の時代におこなわれていたことが、常用漢字表になって追認されたとみることも可能である。しかし、それならば、なぜ当用漢字表を常用漢字表にかえる必要があったのかという疑間がおこる。逆にいえば、当用漢宇表は失敗だったのかということにもなる。

当用漢字表による漢字制限が失策だったとするひとは、すくなくない。その論拠は、漢字使用を一定範囲にとどめようとしながら、それに成功しなかったということにつぎる。しかし、そのような批判は、当用漢字表の理念を一面からしかみていない、ものいいである。なぜならば、当用漢字表は、漢字制限をめざしてはいたが、徹底した制限そのものではなく、そのための第一歩だったということを、批判者たちはみのがしている。

(略)。

つまり、当用漢字表は、実施されてから、そうとおくない時期に改定されるべきであった。また、実際に、補正のこころみも、すくなくとも二度はおこなわれた。それが実現しなかったのは、批判者たちの抵抗がつよかったためである。その意味では、批判者たちが当用漢字表は失敗だったというのも、あながち不当ではない。しかし、それは批判者を説得することに失敗したのであって、制限のこころみそのものが失敗であったわけではない。

漢字制限の推進者たちに、過失があったとすれば、それは制限をもっと効果的におこなうための努力をおこたったことにある。たとえば、字種の制限が語彙の制限につながることは、一面ではたしかであるが、そのイイカエ・カキカエなどのこころみが、かならずしも十分だったとはいえない。安易なマゼガキなどの手法が、批判者たちの反感をかったことは、記憶にあたらしいところである。語彙の減少という批判に対しては、古語や方言の発掘や和語による造語などの努力を、もっとおこなうべきであった。また、漢語によりかからない文体をつくりだすべきであった。そうすれば、批判者たちの不満は、すこしは、やわらげられたかもしれない。

しかし、そのような推進者たちの怠慢を別にすれば、当用漢字表による制限そのものは、かなりの程度で成功していたとみられる。(略)

さらに、当用漢字表による制限のこころみは、国民の一般の文字生活にも、おおきな影響をおよぽした。当用漢字表の「使用上の注意事項」にあることがらの大部分が、表記の慣習として定着したことがそれである。代名詞・副詞・接続詞などは、カナガキが普通になった。外来語、外国の地名・人名のカタカナ表記も定着した。動植物名のカナ表記も、かなりねづよい習慣となっている。それよりも宣要なのは、「嬉」「羨」などが表外字であることによって、「うれしい」「うらやましい」などの一般の和語をカナでかくことに抵抗がなくなったことである。「あいさつ」「あいまい」などの漢語のカナ表記さえ、普通になっている。そして、表外字をつかう語だけでなく、表内漢字で表記できる語でも、カナでかけるものはカナでかくことが、めずらしくなくなったことである。

当用漢字表が常用漢字表にかわっても、一見なんの変化がないようにみえるのは、当用漢字の時代に定着した、これらの習慣に、国民がなんの違和感もおぽえていないためである。常用漢字表では、これらの便用上の注意事項はすがたをけしたが、実際にはなんの不都合も生じていない。したがって、当用漢字表を批判するひとびとのねらいは、その面では成功していないといえる。字種をふやしただけで、性格を制限的なものにとどめておいても、表面上はなんら変化は生じなかったとみられる。

要は、制限と言はれずに、國民は自ら表記に制限を課すやうになつた、と云ふ事である。寄よらしむべし、知らしむベからず、が實現した、と野村氏は喜んでゐるのである。しかし、テーゼとアンチテーゼが對立した時、アウフヘーベンされないままその對立による中途半端な事態が「現實」として定着してしまふ、と云ふのは、日本的な餘りに日本的な結果であり、その日本的な餘りに日本的な結果が生じたに過ぎない、と云ふ事を、野村は認識すべきである。

續いて、野村は「漢字制限は可能か」を論ずる爲、福田恆存の「陪審員に訴ふ」から一節を引用してゐる。

私の言ひたかつたことは、第一に、小学校の生徒でも当用漢字以外の字をおのづと知るやうになるといふこと、第二に、他のすべての教科と同様、国語教育、漢字教育も、決して学校内だけで行はれるものではなく、また就学期間だけで終るものではないといふこと、第三に、文字はいつの間にか覚えるもので、その覚えた一々の文字に植物園の草花のやうな標示礼が附いてゐるわけではないから、それらの一つ一つについて学校で、あるいは義務教育期間中に覚えたものか否かの判別は出来ないといふこと、第四に、それが可能なのは大新聞のごとく用字係を傭つてゐるところだけであるが、その他で守られなければ、漢字制限など全く無意味であるばかりでなく、むしろそれを守つてゐる世界と守つてゐない世界とに国字を分断し、国民に二重生活の虚偽を強ひることによつて、種々の矛盾と混乱とを起すだけだといふこと、第五に、審議会はなぜさういふ当用漢字を十数年間放置し、再検討を怠つてきたかといふこと、等々である。

みぎの福田氏の主張は、つぎの三点に要約できるだろう。

  1. 漢字を一定の範囲に制限しても、それ以外の漢字を自然におぽえてしまうこと
  2. 普通の人間にとって、その範囲を記憶するのが不可能であること
  3. その範囲をまもった文字生活が一部でおこなわれたとしても、それをまもらない文字生活が他に存在するかぎり、混乱の原因にしかならないこと

野村は、この指摘は、現象の分析としてはただしい、と述べてゐる。そして、野村は反論して、もし、漢字カナまじり文による文字生活と漢字以外の文字だけをもちいる文字生活との文字生活との二重生活が実現していたら、どうだったろうか、と、例によつて「可能性」の議論に持込んでゐる。そして、ハングル専用漢字制限はおこなわれていない韓國を持出してゐる。韓國での二重生活矛盾や混乱とはうけとめられていないぢやないか、と野村は言ふ。

この野村の指摘は、かつて「正論」が、最近の學生は漢字を知らないから困る、と韓國の大學の教授が述べた事、韓國に漢字復活の兆しのある事を報じたのを見れば、虚僞である事がわかる。即ち、韓國にも「漢字廢止を反省すべきだ」と云ふ意見はある。

しかし、この「事實」を野村は知らないか、無視するから、取敢ずそういうめでみれば、漢字制限は、漢字廃止への一過程としては存在しうるとしても、それ自体を目的とすることの有効性はうたがわしくなる、と述べる。「可能性」に次いで「有効性」なる言葉を持出す邊り、野村の「抽象思考」は困つたものだが、その妄想は平井昌夫の「漢字制限は、急進派の主張を抑へる爲の、保守勢力の便法」と云ふ内容の文章を野村に聯想させ、このようにかんがえると、漢字制限ないしは漢字廃止が可能か不可能かということは、かならずしも原理的な問題だけではないことがわかってくる、という、何だか良くわからない結論に行つてしまふ。そして、ちらと『1984年』に觸れたあと、(聯想の過程で觸れるだけ)野村は以下のやうな要約を突然提示する。

一般に、言語改革派の主張は、言語を人為的に変化させるものとうけとられている。そして、保守派は言語を自然の変化にまかせることを原則とするものとみられている。

この「一般に」と云ふ言ひ方で野村が提示する要約は、大嘘なのであるが、その嘘を恰も事實であるかのやうに見せかけつつ、野村は話を進める。念の爲、嘘の嘘たるゆゑんを述べておかう。

國語改革推進派は、「国語は変わっていくものだから、その変化に応じて表記を変えなければいけない」とする自然の変化にまかせることを原則とする勢力である。一方、國語改革の反對派は、「国語は變つていくものだから、その變化を人爲的に抑制しなければならない」と云ふ「言語を人為的に変化させ」ない勢力なのである。

野村は、保守派が改革派に抵抗し、自然にまかせよということは、実は伝統的な言語形式を変更したくないことの表明である。その意味では、伝統的な言語形式をそのままにのこそうとすることは、やはり言語に人為をくわえることにほかならない。と述べてゐるが、變な定義をしないで、最初から改革派も保守派も人爲的である、と言つておけばよろしいのではないか。一度、保守派の態度をねぢ曲げて定義し、それを改めて自分で否定する、と云ふ、八百長的な解説は止めて貰ひたい。何が何でも保守派のする事は否定したい、と云ふ事なのだらうが、無意味であるし、冗長である。原稿料の荒稼ぎは表音主義者の常である、と福田恆存は喝破してゐるが、野村もその口か。

そして直後に、野村は、改革派のひとびとには、漢字廃止論にしても、目的としての制限論にしても、明確な論拠がある、と言ふ。だが、漢字擁護論者は、廢止論者を批判するけれども、自己の主張の原理は全然述べなかつた、と述べる。森岡健二氏や鈴木孝夫氏のような論拠をともなう主張は、近代以降の論争史では、ごく最近の現象である。と言ふのである。傳統の尊重は自明のものだと擁護派は信じてゐるのだらうが、その革新は盲信に過ぎない、と野村は言ふのである。

私には、漢字廢止論者或は國語改革派は所詮、文字数の多少で表記の價値を決定する事が合理的であると勘違ひしたに過ぎないとしか思へないのだし、そのろくでもない勘違ひを明確な論拠と呼ぶ野村も勘違ひしてゐるとしか思へない。

伝統を尊重するたちばからの漢字擁護論は、観念論的になりがちである。なぜ漢字を制限することに反対であるかといえば、それが伝統を破壊することになるからである。そして、伝統は、すべての価値に優先する。伝統の尊重というテーゼに対しては、どのような改革も改悪につながる。日本語の表記法がいかにあるぺきかという議論に、この伝統主義がかおをのぞかせることによって、改革派は沈黙をしいられることになる。漢字による表記がなぜただしいかということよりも、ただしいものはただしいのだという精神論が優先される。

人は自分を罵るべき文句で以つて他人を否定する。民主主義と合理主義を信奉する漢字廢止論が觀念論的である事、なぜ漢字を制限するのに贊成であるかと言へば、それが民主主義と合理主義を守る事になるからであると云ふ事、そして、民主主義と合理主義とは全ての價値に優先する事、民主主義と合理主義の尊重と云ふテーゼに對してはどのやうな反動も改惡に繋がると云ふ事、日本語の表記法がいかにあるべきかと云ふ議論にこの民主主義と合理主義とが顔を覗かせる事によつて反對派は沈默を強ひられる事になる事、カナ或はローマ字による表記がなぜ正しいかと云ふ事よりも、表音主義は民主主義と合理主義の砦だと云ふ精神論が優先される事、は、餘りにも明かな事實であらう。野村は、自分の姿を敵と云ふ鏡に映し出してゐるのである。

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