制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
1999-10-09
改訂
2004-10-10

保田の文體について

龜井勝一郎が「保田の文章は譯がわからない」と評した事がある。(保田與重郎の印象に書いた)

保田の文體を日本の傳統的な文體だと評價する向きもあるが、私はそれに與しない。

飜譯調

保田には獨特の用語法がある。その用語は、傳統的な日本語ではなく、飜譯の言葉である。ツヴァイクの『昨日の世界』を讀んでゐて氣附いたのだが、保田の文體は飜譯の文體に近い。

保田の「レトリック」がわかりにくいのは、惡譯の海外小説がわかりにくいのと同じ理由による。ドイツロマン派の影響を受けた保田は、自分の思想を表現するのに飜譯の文體をレトリックとして利用した。

方言

保田は、標準語でなく、奈良・京都の言葉を用ゐて文章を綴つてゐる。もちろん、文章語だから、話し言葉のやうに露骨な感じでは露はれてはゐない。しかし、例へば、「負つてゐた」が「負うてゐた」になるだけで、讀者の感ずる印象は大きく變る。

かうした、ちよつとした文章の「味附け」が、保田の文體のイメージを「獨特」のものとしてゐる。特に、文章を限定された範圍でしか讀まない讀者にとつて――殊に、標準語に據る批評しか讀まない讀者にとつて――保田の文體は極めてエキゾチックで、古風に感じられるものである。

保田の文體の持つエキゾチシズム、雅びやかさ、或は古風な感じは、奈良・京都の邊の言葉が醸し出すものである。だから、保田特有の文體と見られるものは、必ずしも保田の專賣特許である訣ではなく、案外一般的なものである。批評以外の領域の文章に接する機會がある讀者ならば、「保田風」の文體の隨筆を時々、目にする事もあらう。

例へば、ゐでしげみは、福井出身だが、著書『京洛ところどころ』(時事通信社・時事新書で復刻された。初版は昭和十六年)を「保田風」の文體で書いてゐる。

上代の日本語には、東京語よりは關西の言葉の方が近い。だから、現代語であつても、京都や奈良の邊の言葉を使へば、それなりに「古典的」な印象を與へられる文體となる。保田が意圖的にさう云ふ文體を採用したか何うかは、極附けられない。が、その文體が、保田の信奉者に、保田の「復古主義」のイメージを強烈に植ゑ附ける效果を發揮してゐる事は、否定出來ない事實である。