制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
闇黒日記 平成二十一年十一月十二日
公開
2009-12-05

『時局問題批判』より柳田國男「政治生活更新の期」

民論輿論といふ語は、昔の通り又は書物の通りなのは名目だけで、用心をせぬと此の中にも無茶な宣傳が隠れ潛んで居ます。これにつけても新聞に從事する者の大なる責任は、感ぜずには居られません。

英國は新聞投書の實に盛んな國で、又社説の態度の最も鮮明な國であります。而も昨年九月の末、私が通りすがりに參つた頃、二三の英國人は斯う言つて歎息してゐました。曰く此頃のやうに輿論の新聞に反映せぬ時代も珍しい。此が爲にどの位國民は大きな不安を感じてゐるか分らぬと。實際あの時分の新聞には、いくら熟讀して居ても、其後の政變を推察し得る材料はなかつたやうです。三月後の勞働内閣出現は申すに及ばず、二月後の議會解散までも、其時分の讀者には露ほども豫想が出來なかつたのであります。

飜つて我邦の實状はどうかと申しますと、こんな事は殆ど常態と謂つてよいのです。世間も又略之を承知で、東京などでは政治通と言はれるやうな人は、明けても暮れても新聞に出ないニウスをあさりまはり、尾鰭を附けて之を人に話しますから、世間の噂話と、之に伴ふ動搖が絶えぬのであります。

此調子では、安心して普通選擧の世の中に臨むことは頗る六かしい。願くは公衆の隠れたる感覺を以て、徐々に且つ實着に、此の如き惡い傾向を改めて貰ひたいと思ひます。實際どんな新聞をても、其購読者の多數が無意識に編緝して居る部分が、存外に大きいのであります。從つて國々に國の新聞の特色があり、英の新聞と米のそれとは同じ英語でも一目で判別し得られます。

今若し日本の青年にして、昔のやうに諷刺を愛し逸話の類を好み、恰も江戸時代の落首文學や秀句文學の如き短評に隨喜してゐる間は、到底澤山の政治生活の新材料を新聞から收穫することは六かしからうと信じます。流言蜚語に由つて新しい政治の理想を妨げられざらんが爲には、理由を附した落付いた意見を公の機會に提供し、且つ留保無く勇氣を以て互に之を批判せねばなりませぬ。

此方面にはまだまだ未開地が中々廣いやうに思ひます。(終)

以上は、大正十三年二月十二日、大阪中央公會堂で行はれた朝日新聞記者・柳田國男の講演より、その末尾の數節を引いたものだ。吉野作造と柳田國男の入社を機會に朝日新聞社が主宰して開いた時局問題大演説會である。

時代も状況も、當時と今とで、大きく變つてゐるやうで、案外變つてゐない。柳田氏の批判は、未だに今の日本で通用する。ここではメディアとして新聞の事を採上げてゐるけれども、今の状況ならばウェブと云ふメディアもまた柳田氏の批判の對象として捉へ得る。

今の朝日新聞の「素粒子」欄の事を聯想して、自分とは關係ない、他人事だ――みたいに思つてゐてはならない。今のウェブにも、短い言葉で面白をかしく嘲笑して見せるのを好んで行ふ人々がゐる。明治・大正どころか、それ以前の時代と、今に生きてゐる人とが、全然變らない――これは本當、どう云ふ事なのだらう。

出典
『時局問題批判』(朝日新聞社・大正十三年三月二十五日發行)所收・柳田國男「政治生活更新の期」