制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
闇黒日記 平成二十一年五月十日
公開
2009-12-06

柳田國男の文章・文體

城ヶ崎文化資料館發行(名著出版製作・發賣)の木村博編『柳田国男』は相模民俗学会關係の記念誌(實際には書籍)との事で、柳田の文章、郷土史研究家の人々の文章も收められてゐるが、後半は木村氏自身の文章で占められてゐる。

木村氏が「先生の文体」と題して柳田國男の文章についての隨想を書いてゐる。民俗學の研究家・研究者や郷土史の研究者は柳田の文章を讀んでゐても當り前だが、意外にも民俗學と餘り關係がないであらう人々が柳田の文章を讀んでゐる事がある。年老いた農家のご隠居さん高齡の仏教学者が柳田の愛讀者である事實があつて、木村氏はそれを知つて驚いたと言ふ。

そして木村氏は以下のやうに續けてゐる。

大体において、年配の方達は先生の文章の「味」がわかるらしく、そこに惹かれるらしいのだが、若い人達には理解しにくくなっているらしい。私自身も、先生の文章は立派だとは思うものの、容易に理解できないことがある。

現代風の新聞記事やルポルタージュ、さらに所謂論文調のものを読みつけているものにとって、先生の文章は次から次へと話題が移ってゆくので、論旨をとらえにくいのではないかと思う。そういう意味では「甚だ難解」なのであろう。しかしながら、或る青年から「柳田国男って人は文章が下手ですね」といわれたときは、あいた口がふさがらなかった。反撥する気にもならなかった。これが時代の差なのか、とまず思った。高校時代に文学をやったという青年であった。

私は「文章の上手・下手」よりも、普通の学者の書くものを、二度三度と読み返すことはまずないが、柳田国男の文章は何度でも読み返したいと思う。