山田博士は……中學中途退學後、小中學校教員檢定試驗に合格、幾つかの中學を歴任、大正13年に東北大講師、教授、昭和15年には神宮皇學館大學學長になり、昭和20年7月には國史編集院長になり、間もなく終戰、……昭和33年に86歳で死去した。
國字改革には一貫して反對の立場をとつた。改革反對の運動の先頭に立ち、正字正かなを擁護する意見を發表して改革に抵抗したのは、矢張り國字改革に反對の立場であつた森鴎外の意志を繼いだものと言はれる。
昭和32年文化勲章受賞。