私はこの小稿に於いて、國語學史上の個々の研究内容を詳細に記述しようとは企圖しなかつた。併しそれは限られた紙面を理由として、記述を簡略に止めて置くといふことを意味するのでは決してない。私の企圖する第一の事は、日本に於いて、獨自に發達した國語研究が、從來或る歪められた角度から觀察せられ、剩へ、その要求せらるべき當然の地位さへも與へられずに、非科學的なもの、無價値なものとして、冷遇せられて來た事實に對して――若しそれが當然のことであるならば、致し方がないとしても――それが物を素直に觀察する態度の缺如によるものであることを知るに及んで、在來の國語研究に、それが持つ正當の地位を與へようとする事であつた。近世國語學については、それが所謂國學體系の内に有機的に位する正當な位置を要求する爲に、此の論稿の大半を費やしてしまつて居る。それは國語研究の内容そのものを明にする爲にも亦止むを得ない事であつたと同時に、私が今の場合爲さねばならぬ義務でもあつたのである。個々の研究の内容を詳に歴史的に記述することは、又他日の機会を是非得たいと思ふ。
西洋言語學の影響のない舊國語研究の築き上げた業績の正當の位置を理解するならば、讀者は恐らく國語學の爲し得た結果の上からのみ汲み取ることが出來る國語研究の最も大きな暗示を得ることが出來るであらう。私は自らの拙い研究にも拘はらず、讀者に期待する最も大きな點はそれである。