本書は、時枝博士が如何にしてその學説を構築していつたかを祖述した囘想録みたいなもので、所謂學術書ではない。文學的に面白い本だ。ソシュールの記號學が自然科學に近寄り過ぎてゐると時枝博士は批判したが、時枝博士の學説はすぐれて人文科學に近いものだ。
博士は、言語學と文學との間に境界を認めなかつた。だから、その學説に從へば、本書は、言語學の專門書ではないにもかかはらず、文學的な價値を持つがゆゑに、時枝學説を知る上での重要な資料となる。
「言語とは何ぞや?」と云ふ問を出發點とした博士の學説は、その問の提出から研究の進め方まで一貫してゐる。本書を讀むと、博士の「言語過程説」は、いかにも博士らしい學説であると思はされる。博士の學説の一貫性は即ち博士自身の態度の一貫性の反映である。博士の學説は、極めて人間的で、その意味で個性的かつ有機的なものである。
或イデオロギーに忠實にひたすら從ふ事が學問に於る誠實な態度である、と勘違ひしてゐる人がゐる。さう云ふ人には、時枝博士の學問の方法が誠實なものである事、そして、價値のあるものである事は、理解出來まい。しかし、それが誠實であるとわかる人にとつて、本書は二重の意味で價値のあるものだと思はれるだらう。