制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-07-05
改訂
2005-07-23

『國語問題と國語教育』

書誌

初版
昭和24年11月15日
中等学校教科書
『國語問題のために』表紙畫像
増訂版
昭和36年10月15日第1刷發行
中教出版
『國語問題のために ──國語問題白書──』カヴァ畫像

なほ、昭和24年版から國語教育に關する論攷だけを拔出した刊本『國語教育の方法』(習文社・昭和29年4月)がある。

論文の解説

原本より引用。但し、割註で示された出典は省略してゐる。漢字は原本のまゝ。

昭和24年版より

一 「切替へ」か「手入れ」か
片々たる随想に過ぎないが、私の学問、國語政策、國語教育に對する根本的な態度を表明したものとして、特に卷頭に置くこととした。
二 國語問題に對する國語学の立場
私の國語本質観に從つて、國語問題そのものを國語学の対象と考へ、その立場から、國語問題といふ事実そのものを究明しようとした。
三 國語問題について
一般向け雑誌に予定したもので、未発表。國語問題の解説をしたもので、前項と重複するが、相補ふ点もある。
四 國語審議会答申の「現代かなづかい」について
「現代かなづかい」の解説と批判。
五 國語仮名づかひ改訂私案
仮名づかひ問題解決のための私案を述べたもの。
六 國語科学習指導要領試案(總説・購読編)
七 同 (文法編)
八 同 (作文編)
九 同 (習字編)
一〇 同 (話方・聞方編)
一一 國語教育に於ける古典教材の意義について
一二 或る國語教師に答へて
一三 國語の交通整理
漢字制限に対する感想を述べたもの
一四 國語において敬語を用ゐることの意義について
一五 子供の名前

昭和36年版より

本書に新しく加へたものには「新」と註記した。

一 「切替へ」か「手入れ」か
片々たる随想にすぎないが、私の學問、國語政策、國語教育に對する根本的な態度、大きく云へば、私の人生態度を表明したものとして、特に卷頭に置くこととした。
二 國語問題に對する國語學の立場
私の國語觀に從つて、國語問題そのものを國語學の對象と考へ、その立場から、國語問題といふ事實そのものを究明しようとした。本書を貫いて、「國語學原論」、特に「同續篇」各論第一章、第二章の言語の傳達及び機能についての理論に基づいてゐる。
三 國語問題について
一般向け雑誌に豫定したもので、國語問題の解説をしたもの。前項と重複するものもあるが、相補ふ點もある。
四 國語政策と國語教育「新」
「國語教育の方法」の中の一項を移したものであるが、全面的に改稿した。
五 スターリン「言語學におけるマルクス主義」に關して「新」
ソ連邦の言語政策に關するスターリンの見解であつて、我が國語政策にとつて他山の石ともなるべきものと考へた。
六 國語審議會答申の「現代かなづかい」について
「現代かなづかい」の解説と批判。
七 國語假名づかひ改訂私案
私の立場からする假名づかひ問題解決のための私案を述べたもの。
八 「かなづかひの原理「新」
從來の假名づかひ政策を、その基礎となつてゐる言語理論の點を批判したもの。
九 利用者の立場から見た「送りがなのつけ方」「新」
十 漢字政策上の諸問題「新」
當用漢字表に對する批判と漢字政策に對する私案。
十一 國語において敬語を用ゐることの意義について
十二 ある國語教師に答へて
終戰直後の社會的不安とともに、問ふ者も答へる者も、一種いふべからざる悲痛の氣分に包まれてゐたことを思出す。明治二十七年に書かれた上田萬年博士の「國語と國家」と題する講演と對比して、時勢の変転に對して感慨無量である。當時の悲痛な氣持ちが、単なる杞憂であつたと、にはかに斷ずることは出來まい。
十三 國語の交通整理
國語政策のあるべき方向を比喩的に述べたもの
十四 國語政策のための基礎的研究について「新」
昭和三十四年三月六日、國立國語研究所創立十周年祝賀式典に、國語學會代表として述べた祝辭を基にして國語研究所の研究調査に對しての要望。
十五 國語國字政策論の盲點「新」
主として傳達論の立場からする國語政策に對する批判。
十六 子供の名前

「國語假名づかひ改訂私案」について

初出
「國語と國文學」昭和二十三年三月號
内容
假名遣の性質を檢討した上で、改訂が許される範圍と、改訂の方向を定めようとする。傳統が濃厚な語は歴史的假名遣を保存すべきであり、傳統が稀薄な語は表音的に修正する事が許される。具體的には、以下のやうに改訂する事が可能だと考へる。
字音語
假名で記載する機會が少く、傳統が稀薄であるから、表音的に修正出來る。「兄弟」。
外來語
矢張り傳統が稀薄であるから、表音的に表記する方法を定めて良い。
和語でも、漢字で表記する事が多い語は、假名による表記の傳統が稀薄なので、表音的に修正して良い。「川(かわ)」「故(ゆえ)」「遠(とお)い」「倒(たお)れる」「鮑(あわび)」。
但し、假名で表記する機會が多い語は、假名による表記の傳統が濃厚であり、歴史的假名遣を保存するのが望ましい。和語の「なほ」「まづ」「けふ」、字音語でも「やう」「さう」、と云つた語は、歴史的假名遣を保存すべきである。
表音的な修正が許されると言つても、嚴密に方言や個人差を表記するのを目的とすべきではなく、歴史的にも地域的にもより廣い範圍の音聲還元が出來るやうに定められる必要がある。表記は、大體の音聲的な手がかりを提供するものだから、或程度まで發音の幅を許容出來るやうな形を殘すべきである。「經營(けいえい→ケーエー/ケイエイ)」「新しう(アタラシゥ/アタラシュー)ございます」「笑ふ(ワラウ/ワロー)」「書かう(カコー/カカウ)」。
假名遣ひは、語の語義を喚起し、文法體系を表示する役目も持つ。だから、假名遣ひを修正するにしても、語や文法の體系を破壞しないやう、留意する必要がある。

リンク

内部