清潔で公平な人だつた。
「物書きは讀者を裏切つちやいけない」學問の嚴しさ教へられる。
冒頭に、小林秀雄がどこかで「福田恆存つて清潔な鳥みたいな人だな」と言つてゐた
、とある。小林秀雄と坂口安吾の對談「傳統と反逆」の事か。小林の發言は以下の通り。
- 坂口
- ……福田恆存に會つた? 小林秀雄の跡取りは福田恆存といふ奴だ。これは偉いよ。
- 小林
- 福田恆存といふ人は一ぺん何かの用で家へ來たことがある。あんたといふ人は實に邪魔になる人だと言つてゐた。
- 坂口
- あいつは立派だな。小林秀雄から脱出するのを、もつぱら心掛けたやうだ。
- 小林
- 福田といふ人は痩せた、鳥みたいな人でね。いゝ人相をしてゐる。良心を持つた鳥のやうな感じだ。
- 坂口
- あの野郎一人だ、批評が生き方だといふ人は。
福田が小林の家を訪ねたのは昭和15年の事、『福田恆存全集』第1卷の後書きにそのエピソードが出てくる。
「福田恆存を干した『S氏』」と云ふ小見出しの下、松原氏は猪木正道が福田氏を論壇から干した事實を述べてゐる。
……もう書いてもよいだらうと思ふから書くが、我が師福田恆存が私にかう打ち明けた事がある。「平和論の進め方についての疑問」を書いて後、多くの保守派知識人が私的に激勵してくれた。けれども、誰一人、公的に掩護射撃はしてくれなかつた。
その後、「諸君!」が創刊され、産經新聞が「正論」欄を設け、保守派は次第に自信を持つやうになつた。けれども、我が師はいつしか論壇に干されるやうになつた。保守派論壇のボス猪木正道に睨まれたからである。そしてその時も、私の知る限り、福田恆存が猪木正道に干される理不盡を「保守派」知識人は本氣で咎めはしなかつた。堪り兼ねて福田は「問ひ質したき事ども」を書いた。「S氏」などと書かずになぜ「猪木正道」と書かなかつたのかと私は恩師を詰問した。恩師を詰問したのは後にも先にもあの時だけである。
支配者の血筋を重んずべきか、それとも支配者の能力を重んずべきかと云ふ、天皇を戴く日本人が無視出來ない問題を含んでゐる事。