唐木順三

著作紹介
2011-08-24

略歴

もともと思想性の強い評論家であり、初期の近代における樣々な思想・思想家への言及も批評的な觀點からなされたものであつた。さうした評論の代表作が『現代史の試み』である。所謂「近代の超克」の流れに含まれる思想を抱いてゐた訣だが、當然關心は日本人の精神史・文化史、そして宗教史へと向ふ事になる。

近代への疑問から近代以前へと立返り、日本の中世文化の檢討を行ふやうになつて、主要な著作が生まれる事となる。『無常』『中世の文學』『無用者の系譜』など、佛教への關心に基いた、禅の思想を論じたものが一時期、數多く執筆された。特に不立文字の禅を唱へながら膨大な文章を遺した道元に強い興味を抱いてゐて、以來、發想が禅に接近してゐる。

これらの著作の中では、宗教家、藝術家、或は無名の人々の言動を採上げ、飽くまで個別性の中で論じつゝ、例へば「わび」「さび」から「すさび」への進展を、「捨てる」事から「捨てる事をも捨てる」事への移行を見出すなど、體系化への志向が依然として存在してゐる。この點、單純に過去へと囘歸した訣ではなく、飽くまで近代以降の批評家として、過去の事物に改めて位置を與へる複雜な作業を續けてゐた訣である。

晩年は大悟したかのやうな外貌を見せ、大家として知られるやうになるが、一方、現代の思想・文化への關心も引續き抱いてゐた。それは、核兵器の開發に關する科學者の態度を檢討し、或は非難を浴びせる『「科學者の社會的責任」についての覺え書』を書殘したところにはつきり看て取れる。單に悟りすました大人物と化した訣ではない。が、それが必ずしも評價すべき事であつたか何うかは話が別で、直截的な現代批判には些か深みを缺いた面がある事は否めない。

實際、思想的には、多くの人が言ふほど、深みがあつたとは思はれない。一面、常識的で、現代的だが、他面、小林秀雄と同樣、鬼面人を驚かす式の張つたりじみたところがあつたと言つて良い。禅の影響のみならず、禅を專門としたと云ふ理由で、「悟りすました」印象を強めたとすら思はれる。

初期の文藝批評や、その後の『千利休』『良寛』等の著作は、穩健な内容で、それだけに、安心して讀める。禅・佛教關聯の著作は、基本的に史書でなく思想書であり、精神史の本である爲、現代人の視點からは必ずしも全面的に信頼出來るものとは言へないらしいが、著者の解釋を通して見た歴史として見る限り非常に興味深い内容を含み、また整つた良い文章で書かれてゐる爲、文藝作品として讀む事が出來る。

個人的には、大學生の頃に隨分熱心に讀んだ人であり、文章が上手で、大變好きな評論家・思想家であるので、多くの人にすすめたいのだが、客觀的な評價となると決して高いものにはならない。

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松岡正剛の千夜千冊『中世の文学』
藤永茂による村上陽一郎批判
筑摩書房
筑摩叢書で多數の著作が刊行され、のち全集が出た。ちくま学芸文庫で現在も『日本人の心の歴史』が出てゐる。
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