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手仕事つれづれ 「梅、桜、桃、のうつわ」

  

染付金彩梅文八寸四方平鉢  染付花筏文大鉢  染付猿桃文桃形鉢

●・・・写真をクリックして大きな画像をどうぞ。

  「梅のうつわ」

     山里は万歳おそし梅の花   芭蕉

 こんな句がありますが、家の裏の梅はようやく咲き始めたところです。華やかな薔薇科の家族の中で、梅はもっとも野趣がありますね。

 ご存知のように、奈良時代以前に中国からつたわったという梅は万葉集では萩に次いで多く詠われています。、それほど愛されたのはなぜでしょう。春一番に咲くからでしょうか。それともその香でしょうか。中国の唐の時代には梅花粧といって、女性の額に梅の花を描くお化粧がはやったそうです。そのころの俑の額に色褪せた梅花粧がうっすら残っているのなど哀れ深いものですね。唐代の美人たちも流行の春着を新調して野遊びにでかけたりしたのでしょうか。万葉の歌人たちには唐文化への憬れの花だったのでしょう。樹相や枝ぶりは南画の大事なお手本で芥子園画傳にもたっぷりページが割かれています。正法眼蔵「梅華」の章に道元は先師の言葉としてこう書いています。

     本来ノ面目生死無シ、春ハ梅華ニ在テ画図ニ入ル

 説明は難しいですね、梅の花を描くのが空恐ろしくなってしまいます。この「梅華」で、道元は先師天童和尚のことを感動を込めて語っています。梅の花がお好きだったのかもしれません。梅をヨーロッパへ持っていってプルヌス・ムメの学名をつけたのはシーボルトです。

 花が終って、青梅が葉の間にのぞくのもかわいい。梅干は食卓にかかせませんし、梅酒も大好き。花も実も日本人の暮らしになくてはならないものですね。

 写真のうつわは染付の上に金彩をほどこしたもの。図案化した花に金の輝きで変化をつけてみました。もの寂びた華やぎという矛盾したねらいです。

     骨もろき女の手首梅の花     おるか

 私の手首は全然女らしくありませんが、ときどき使いすぎて筋を痛めます。

(おるか 2004・3・1)


  「桜のうつわ」

 先週から北陸は雪になりました。花が待ち遠しいころなのに春の雪とはいえあんまりな降りです。芽をだしかけた庭の草花の上も真っ白に覆われて、雪折れの枝は樹液が動いているのか強く香ります。残酷な雪、憎らしい雪、でも綺麗。

 うつわだけでも桜を眺めようと大鉢を出しました。花筏の文様は春もたけなわを過ぎるころの気分でしょうか。高台寺蒔絵の花筏では繊細な水流がなんともいえず艶ですが、ここでは轆轤の指跡に、描かなかった水流を想像してもらおうという趣向です。焼き物はひと味磊落さを残したいものですが、実用との兼ね合いが微妙なところです。それが面白いところでもありますね。あまり暴れすぎていると使いにくいし、きちんとしすぎもつまらない。料理する人の心を挑発して、しかも「おや!」というわせるほど使い映えのする、そんな器をつくりたいものです。この大鉢にはなにをもったらいいでしょう。季節柄、筍料理?豪快な盛り付けはもちろん、案外おにぎりなんかをゴロゴロ山盛りにしても美味しそうかもしれません。

     古書雪崩花待つなどと書きをれば    おるか

 今年は桜が早そうだと情報が出ています。暖かい地方では今月の半ばにも咲き始めるとか。これからしばらくは桜前線を追って「心は身にも添はずなりけり」の時がつづきそうです。

(おるか 2004・3・8)

手仕事つれづれ「桜の器をつくる」


  「桃のうつわ」

 庭に桃の木があります。実を食べた後の種を埋めておいたら芽をだして、いまではすっかり大きくなりました。毎年明るい花を見せてくれます。桃は花も愛らしく実も美味しいのに桜に比べると人気のない木ですね。桜のような嫋嫋とした趣がないからでしょうか。健康的すぎるのかしら。桜が平安時代の理想の女性像なら桃は家持の歌の「紅にほふ桃の花下照る道に」たっていた万葉の乙女というところ。よく見るとはなびらに皺があってひなびた風情があります。

     さくらより桃にしたしき小家哉    蕪村

 という句がありますが、桃の花の賑やかでも気取らない雰囲気はたしかに田舎の小さな家に似あうかもしれません。

 写真は、桃の実のなかに桃の木があってその木の上のサルの手にまた桃の実という入れ子風のデザイン。桃と猿という取り合わせは中国の焼き物に見られる図柄です。サルは中国では「猿」とけものへんに候のコウと区別されていますが図はコウのようです。

 キンシコウは西遊記の孫悟空のモデルといわれていますね。西遊記で三蔵法師はなぜか桃が大好きです。それがあの仙人果騒動にこじれていくわけで、女性の妖怪に桃がらみで誑かされそうになったり大変。桃ってどこかエロチックですものね。

     中年や遠く実れる夜の桃   西東三鬼

 桃はもともと仙人の女王の西王母のとりものです。不老不死の仙果の象徴です。桃太郎さんは西王母の子供だったのかもしれません。サルと桃は長い長い物語でむすばれていたんですね。

     付け焼刃やうやう剥げて桃の花    おるか

(おるか 2004・3・29)

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