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菓子鉢と酒器 呉須赤絵を描く

  

 呉須赤絵の名品はほとんど日本に伝世する。赤い上絵の具で豪快に描かれたざんぐりした味わいの皿や鉢、愛らしい香合。手擦れにすこし薄れたのも、釉薬に縮れや、ボロ(窯や莢などから落ちた、ちいさなかけら)が見られたりするのも、赤絵の華やかさに鄙びた趣をそえている。昔の茶人の闊達な美意識は、下手といわれる器の中にかえって初々しく生きた物を見出した。上等の服を粋に着崩すように、やつし、侘びるセンスはこの時代(明末清初)、世界的に見て稀有な鋭さといえると思う。

 赤は命の色。陽気で激しく、どこか厳かでもある。今日は元気だ。」と感じられる日でないと赤絵は描けない。赤色の色調をきめるものは二つある。上絵の赤の組成はほとんどが酸化第二鉄、つまり弁柄でそれに多少釉薬と巧く焼き付くように調整をするだけなので、色調はひとつは弁柄の産地できまる。つまりそれぞれの産地によって含まれているな不純物が色に微妙な奥行きをあたえてくれる。

 しかし今日、山奥に昔の弁柄御殿や弁柄の町の街並みだけを残して、弁柄産地のほとんどが廃業となってしまった。昔ながらの弁柄を多分一生もつだろう量は買っておいたけれど、心寒い現状である。

 もうひとつは、ひたすら擂ること。、明代の陶工が赤を親から子、子から孫へと三代にわたって擂ったという話がある。幸い今は機械が休まず擂ってくれるから助かるがそれでも使う前に一週間は手で擂らないとなにか調子が違う感じがする。そうやって擂りに擂った赤は、労力に換算すると金より高くなってしまうので困る。

 呉須赤絵の絵柄は比較的単純だ。それは文様化の寸前で奔放な線自体の踊るような表現になっている。また同時に簡略になっているとはいえ文様は固有の文法を持っている。紋様化とそれを新たに掴みなおす勢いのせめぎ合いが呉須赤絵の絵付けの面白さかもしれない。

 無名の職人の無心の仕事から生まれたものに、あまりこだわるのも行き過ぎかもしれないが現代の工業生産品を見慣れた目には、そのまえにたたずんで少しの間、往時の人の心を思い巡らす時間が無いと、文様はなかなか語ってくれないものだ。

 深い朱赤と鶸色そしてわずかに浅葱色を散らして描かれているのは、鳳凰が舞い、花と実がともに樹上にある楽園の光景だ。それもはるかな天上の、では無く、この世のどこかに隠された楽土のように懐かしい世界である。

 呉須赤絵の生まれた時代も戦乱はあった。飢餓もあった。それでも人は美しい焼物を作りつづけてきた。今日もテレビのニュースは悲惨な映像を流している、そんな中で昔ながらに赤をガラス板に擂って描くのは、エゴイストの楽園かもしれない。

 それでも日々の食卓の生き生きとした喜びには、栄養を摂るだけではないなにかが、人間にとってかけがえのないものが、ある。地上のアジアの片隅の一軒の家のテーブルの上のちいさな楽園を夢見る。そしてその三度の食事がつつましくとも楽しい祝祭でありますようにと祈る。

おるか  2001/10/15

呉須手の器 その1、2、3

    

赤絵の窯、焼く前(左)、焼き上がり(中)、窯から出した所(右)

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