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文様あれこれ 「蝶」 うつつなき抓ミごころの胡蝶かな 蕪村 荘周胡蝶の夢を踏まえて、胡蝶が我か我が胡蝶か。実体あるものををつまんでいるとも思えない蝶の儚いつまみ心地に、儚さでは人間もおなじだと思いかえせば一入うつつとも思えない。 蝶の美しさは古来人を魅了してやまなかった。その色彩、文様、の完成度に人間は嫉妬してきたといえるかもしれない。蝶の大好きだったヘルマン・ヘッセは「蝶について」でこう書いている。 <蝶は花と同じように多くの人々から特別に優遇された小さな被造物であり、あの「おどろき」の特に重要な、効果的な対象であり、偉大な奇跡を体験させたり、予感させたり、生への畏敬の念をおこさせたりしてくれる特別に愛らしい生き物であります。(中略) たしかにギリシャ語のプシュケーは気息・霊魂とどうじに蝶のこと。人から離れた最後の息が蝶になるというのは美しい。 漢字の蝶とその音「てふ」が入ってくる八世紀以前、この華麗な虫を表す大和言葉には「かはひらこ」があった。明治じだいごろまではは各地にそこから派生したとおもわれる蝶を指す言葉があったという。また、一説にその「ヒラ」という語は東北地方の「シラ」→「おしらさま」と関連があるともいう。 これほど世界的にポピュラーな魂の象徴なのにもかかわらず、「かはひらこ」は万葉集にも古事記にもでてこない。不思議である。むしろ意識的に避けたと考える方がよいのかもしれない。つまりタブーだったと。 うすく濃き苑の胡蝶はたはぶれてかすめる空に飛びまがふかな 後鳥羽院 群蝶は不吉という。「吾妻鏡」に鎌倉に黄蝶が大発生して北条氏に不吉との託宣を得た話があるが、まさにこの天皇の歌の呪力かと思わせる。 蝶の物語として忘れられないのは鴨長明の発心集にある大江佐国の話だ。佐国は世に知られた博士で生前深く花を愛し詩にも作り、「他生にも定めて花を愛する人たらん」というほどだった。しかし或る人が夢の中で蝶になった佐国にあったと語ったのでその息子は「罪深く覚えて」あるいは父がこの庭に蝶の姿で迷うているかも知れぬと思って花園を丹精したという。あわれ深い話だ。 平家の家紋だった蝶もはかなく西海に散った。能登でも福井県でも平家の落人伝説のある所、揚羽の紋がひっそり柱の裏などに隠れている。落人と蝶は良く似合う。 しかし蝶を家紋にしたのは平家ばかりではない。大体、家紋の動物の中で一番多いのが蝶だそうである。ヘッセの「紋章として描かれる動物となったのです」という言葉は江戸時代の日本のためのようなものだ。なにしろ大名旗本を含めて二百以上の蝶の家紋があったというのだから。華麗に滅び、美しく再生する蝶は、武士の理想のエンブレムだろう。 古九谷の牡丹文大皿には豪奢な大輪に揚羽蝶が遊ぶ。牡丹と蝶は中国では富貴と長寿の意らしい。(原文に当たっていないが岡泰正によると同音の吉字と掛けて蝶は八十歳のことだそうだ)。 蝶も寄らぬ枯山水のむつかしや 橋 關ホ 枯山水が悟りの風光だとしても、蝶もいないじゃないか。關ホ翁おそるべし。たしかに蝶のいない浄土は猫のいない天国と同じくらい殺風景だろう。 しかし、この藍古九谷の中皿の蝶は草の中へと落ちてゆく。。皿を裏返すと朝顔の花が一輪描いてあって、これでもかとばかり「槿花一朝の栄」つまり生命の儚さを指し示している。 蝶は「命短いものの象徴であると同時に永遠なる物の象徴でもある」らしい。プシュケーにも、もう一つの顔があった。 蝶になる途中九億九光年 關ホ 蝶が地球上に現れたのは二億年ほど昔のこと。九億九万年といえば弥勒菩薩の十万億土よりもっと未来なのかどうだろうか。蝶への人間の思いは遥かだ。 お終いにヘッセの蝶の詩の最終聯だけ載せておこう。 すべての美しいもの 亡び行く者の象徴 2007年4月16日
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