アンカラ (2003年9月23〜24日)
トルコの首都であるが、人口では2番目に大きな都市(1番はイスタンブール)である。
イスタンブールから空路1時間でアンカラ空港に降り立つ。時刻は午後11時(現地時間、以下断りのないかぎり現地時間を示す)、日本では徹夜して朝5時といったところ。首都のある空港にしては荷物のターンテーブルが1つとこじんまりしている。空港の近くに最近建てられたホテルに宿泊した。アンカラ市内だと道路に面してうるさいとのことだが、ここはあたり一面畑が広がり、静かそのものであった。内陸部のため、朝晩はかなり冷え込む(10℃以下)が、日中は日差しが強く、25℃くらいと暑くなるが湿気は少ないため、日陰はさわやかである。天気は雲ひとつない快晴であった。
アナトリア文明博物館
アンカラ市内の旧市街の小高い丘の上にあり、もとはバザールと宿舎であった建物をトルコ建国の父アタチュルクが改装して設立したものである。その名残として、バザールの天井にはドーム、宿舎の天井には煙突が残されている。ここには、旧石器時代(1万年前まで)から新石器時代、青銅器時代、ヒッタイト時代、フェニキア時代までのトルコで出土したものが展示されている。中には、BC3000年頃のシルクロード貿易の取引を記録したくさび形文字の入った粘土板や、「王様の耳はロバの耳」で知られるミダス皇帝の墓の様子なども再現されており、歴史の重みが感じられる。
アタチュルク廟
市内中心部の南西の小高い丘の上にあり、1922年、それまでのオスマントルコ帝国から政教分離を果たしたトルコ建国の父、アタチュルクを祀る霊廟である。入口には空港なみのセキュリティーチェックがあり、中庭には衛兵が交代で見張りを行っている。霊廟の墓の真上には、これまで皇帝のみが使用を許されていた「ヘレケ」のじゅうたんの模様が描かれている。アタチュルクがこれを一般の人も使えるようにしたことによる。また、墓のすぐそばの窓からは、旧市街と「文明博物館」を見ることができるが、これもアタチュルクが死後も自分が作った博物館をいつでも見れるように、との後世の計らいによってのことである。