2004(H16)
3/25 愛と青春の旅立ち
今年も桜の季節となった。
日本列島を駆け足で北上する桜前線は今どのあたりだろう。
今年は暖冬だったためか
桜の開花が例年よりかなり早い。各地の花の名所はいつもどおりの賑わいを
見せているだろうか。桜は花の見頃が一週間と短い。まるで先を争うかのように散り急ぐ。それにしても
何故桜は樹全体を覆い尽くすほど花を沢山付けるのだろう。花の命が短いのは花の数が多い故の
自然の摂理としての帰結かもしれない。
春は別れの季節でもある。
卒業生はそれぞれの進路に向って歩み出す。友達とも家族とも別れて巣立ち行く季節だ。
それは社会人とて同じ。人事異動で別の部署に配属になったり転勤で引越しとなったりもする。
さまざまな別れと出会いが交錯する不安と期待とが入り混じった新たなる旅立ちの時でもある。
人は時としてその歩みの中で幾つかの分岐点に差し掛かる。何れを選択するかの判断を求められる時がある。
小さな事柄から大きな事柄まで様々だが、人はそれぞれの生きる道を模索し決断を下さなければならない。
若き人々の新しい生き方を求めての彷徨はそのひたむきな精神が投影されて切なくも愛しいものがある。
少年から大人へと脱皮する過程もまたドラマチックな要素を多く含んで興味深い。
昨年の今頃の事だった。植木畑の人目につかぬ一隅にやや大きめのダンボール箱を発見した。(左写真)
何だろうと不審に思いつつ開けて見ると、中には18禁ビデオやポルノ雑誌がぎっしり詰まっていた。(右写真)
生後間もない子犬や子猫が植木畑に捨てられているのを発見する事も少なからずあったが、このような物は
初めてのケースだ。一冊や二冊なら時々見かけるが、ダンボール一杯というのは珍しい。
誰かが一時的に隠し置いたのだろうと思い一週間ほどそのままにしておいたが一向に無くなる気配がない。
そこではじめて捨てられた物と判断した。モノがモノだけに無造作に捨てる訳にはいかなかったのだろう。
それにしても、こんなモノ、こちらとしても困ったものである。どんな人が捨てたのか分らないので気味が悪い。
友人知人からビデオの一本二本貰ったのならニコリとしないでもないワタクシだが、こんなワケアリ的な物は
血気盛んな年代でもあるまいし迷惑な話だけである。
さてこれをどう処分したものか。家に持って帰るわけにも当然いかない。焼却するのにも量が多いので大変だ。
貰ってくれそうな知人も思い浮かばない。よほど遺棄物として警察に届けようと思ったが、それも大人気ない。
警察もこんなもの困るだろうし第一税金の無駄遣いになりそうだ。個人的に駐在さんに届けたらどうだろう。
喜んでくれるだろうか。いやまてよ、今の駐在さんは確か妻帯者だったような気がする。ウウム・・・よわった。
人が人として成長して行く過程の中で、その転機となる節目には人それぞれの思いや決意といったものが
あるはずである。このビデオや雑誌を捨てた少年か青年あるいは立派な大人かもしれないが、どんな思いで
あったのだろうと想像する。高校生や大学生であったのなら進学や就職を機に、これまでため込んであった
若干の後ろめたさを伴う負の宝物を整理し、輝く未来に向って清々しい旅立ちを決意したと言う事かもしれない。
あるいは長い独身生活を終えて、めでたく結婚が決まった青年かもしれない。これまでお世話になった品々に
どのような思いで別れを告げたろうか。これもまた明るい将来を予感させる別れのヒトコマである。
既婚者であったらどうだろう。だれにもわからないように隠し持っていたものを奥さんに発見され酷く怒られ
廃棄するよう命ぜられてやむなく犯行?におよんだか。だがこれは滑稽で情けないので想定外としよう。
寒く暗い冬が去って躍動の春の到来を告げる桜の花は毎年同じように咲き続けるが、人間のそれを見る
心情は変化する。<歳々年々人同じからず>
大人への階段、人として一歩一歩成長する過程は決して
楽しい事だけではなく、むしろ苦しい事の方が多いかもしれない。しかしそこにこそ本物の喜びと幸福の芽が
潜んでいると思いたい。
ビデオと雑誌をそっと置いて行った日本のリチャードギア君、君の旅立ちを祝福しよう。
3/10 筑波山
埼玉の国道4号バイパスを北上すると左に富士山が白く大きい。右手には名峰筑波山が指呼の間だ。
紫峰の名の如くその色合は独立峰の存在感をますます際立たせて秀麗。876mの低山でありながらも
関東平野の中心に鎮座する様は、その数字を超越して堂々たる山容が圧巻だ。
富士山を頂点として日本には数多くの名山があるが、人は何故山に惹かれるのだろうか。
昔から山岳信仰という宗教の対象として捉えられた歴史もある。少しでも天(天国)に近づきたいとの
人間の本性が成せるものか。神々が棲み給う神聖な領域としての憧憬とは別にして、唯単に山は麗しい。
その土地の風物の象徴としての意味合いや、そこに住む人々の日々の生活の一部としても、歴史や
精神文化の象徴としての意味合いも含めて、己を対比する存在として山は尊い。
< 畔道にどっこいしょ浅間の山と俺 小沢昭一 >
鹿児島の桜島は誰もが知る天下の景勝地だが、写真や映像では子供の頃から見慣れた風景だった。
これを自分の眼で実際に見たのは植木組合の青年部で視察旅行に行った折の事だった。それは突然
観光バスの車窓に現れた。錦江湾を挟んで桜島が雄大な風景として目の前にあった。まったく驚いた。
「百聞は一見に如かず」「感動した!」の世界。薩摩は明治維新前後に多くの傑出した人物を世に送り出し
た土地柄だが、豪快で勇壮で明媚な桜島の風景の産物としての精神性が感じられて、一瞬にしてこの
土地に生きとし生ける人々の気概や心意気というものの理解に及んだのであった。それは今日尚、気骨
ある政治家を少なからず輩出している事実としても肯けるものである。
< 我が胸の燃ゆる思いに比ぶれば煙は薄し桜島山 >
さて、筑波山だが、私がこの山に登ったのは三度。最初は中学1年生の遠足の時だった。クラスに好きな
女の子がいましてねぇ、写真を撮りましたよ、まだ白黒でしたよハイ。純真を絵に描いたような頃でした。
二度目は青春の真只中、好きな女の娘がいましてねぇ、ドライブに行きましたよハイ。登山道の中腹には
白い綺麗な山百合が盛りでした。今でも眼に焼き付いています。今頃あの娘は何処にいるのでしょうか。
三度目はこれも古い話ですが、ある中年のご婦人と一緒でしたハイ。いえいえ不倫なんてとんでもない。
頂上からやや下ったひっそりとした林の中に一軒の茶店がありまして、お客は私達二人だけでした。何を
飲んだのか食べたのか覚えていません。あまり話もしなかったと思います。手を引いて頂上に登りました。
良く晴れた日で、関東平野が一望でした。何も話さなかったと思います。ただただ遠くを見ていました。
地元に帰って、夜少々お酒が入りましてね、しんみりとした話になってしまいましたよホント。お酒は結構
いける方だったらしく飲み進むうちに・・・(と、ここまではよくドラマに出てくる話でこの後二人は・・・となる
んでしょうが)彼女だんだん陽気になってきまして、そのうちゲラゲラと笑い出すようになってしまったのです。
アハハ、彼女笑い上戸だったんですね、あはははは。私は眠くなり早く家に帰りたかったのですがなかなか
放してもらえなくてイヤ参りましたよ。モテる男の辛さをしみじみと思う若き日の私でした。
今日は低レベルの話になりました。恐縮です。本日の男と女の物語はすべてフィクションであります。
筑波山は双耳峰といって頂上が二つあります。一方を男体山、もう一方を女体山といいます。
2/15 ゴルフと植木
テレビのニュース番組に革命をもたらしたとされるNHKの「ニュースセンター9時」の初代キャスターの
磯村尚徳氏が当時の番組の最後に明日ゴルフに行く話をして、今時ゴルフを上流階級の者だけの遊びと
思っていたら間違いだと言うような事を言っていた。25年以上も前の事になる。
経済発展が続きいくら社会が豊かになったと言えども一般の庶民にはまだまだゴルフは一部の金持ちの
遊びとしてのイメージが強かった。その時は「そんなものかなぁ」と言う思いで聞き流していた。
何れにしても自分とは関係のない遠い世界の話としてその後ずっと思い出しもしなかった。当時も私の
周囲にはゴルフをしている人は殆どいなかったしゴルフが話題に上ることも皆無といってよかった。
ゴルフに興味があったわけではないし自分が生涯の内でゴルフなど出来るとは夢にも思っていなかった。
時移りバブル経済華やかなりし頃、日本中にゴルフ場が造成されそこには沢山の植木が植栽される様に
なって、一時は植木の全体の重要の50%をゴルフ場が占めると言われるようになった。植木業界と
ゴルフ場は切っても切れない関係となった。当然の事としてこの業界の人達もゴルフを始める人が多く
なった。直接ゴルフ場の植栽工事に関わった造園関係者はもとより植木問屋や植木生産者も少なからず
ゴルフをやりだしたのである。私の周囲にも俄かに増えてきた。「あれ、あんな人まで」と思うような
人々までが始めたのである。そんな人達をどちらかと言うと冷ややかな目で見ていたというのが自分の
スタンス、偽らざる気持ちであった。
ゴルフは贅沢、成金趣味、という思いが強かった。経済的にはゴルフも十分出来るところまで来ていた
が、植木仲間が次々と始めても天邪鬼な性格も手伝って敢て顔を背けていた。日本が豊かになったと
は言え困っている人々が少なからずいる。なかんずく世界を見れば飢えに苦しむ人々は数え切れない。
それなのに百姓の分際でゴルフなどもってのほか・・・などと「百姓の分際」で考えていた。ずっと昔の
社会主義国家がゴルフを資本主義国家の退廃したブルジョアジーの娯楽と定義付けていたように。
そんなある日、行きつけの書店でふと目に留まった文庫本があった。
「ゴルフ・プレー前夜に読むクスリ」という題名の本だった。著者は夏坂健氏で三笠書房から出版さ
れていたエッセイ集だった。買って帰って読み進むうちにゴルフに対するイメージがすっかり変わった。
ゴルフに興味がわいてきた。友人の勧めもありとうとう自分もゴルフを始めることになった。今から
15年程前になる。
ゴルフを始めてみてその楽しさが良く分かった。毎日でもプレーしたい心境にもなったがそこはやはり
単なる一庶民、金と暇がなかりけりで典型的な月イチゴルファーとなった。それは年月を経た今も
変わっていない。ゴルフにはまって行くのに併せて夏坂健氏の本もよく読んだ。氏の文章はユーモアに
溢れ示唆に富み知的でお洒落でエスプリが効いていてとても楽しい。これまでに氏の上梓したゴルフに
関する本はほとんど読んだ。ゴルフの何たるかを少しは理解できたと思っている。ゴルフが単なる遊び
ではないことも会得した。
ゴルフは本当にいろいろな事を教えてくれる。まず自分が如何に凡人であるかを厭と言うほど思い知らさ
れる。ゴルフは本当に難しい。いくら練習してもだめなのだ。こんなにも思いどおりにならないものも
少ない。ゴルフに対してはひたむきにならざるを得ない。謙虚な精神を培ってくれる。相手が投げたボ
−ルを打ち返す訳ではない。ただ止まっているボールを自由に打つだけだ。いわば一人相撲の世界なの
に何故こんなにもうまくゆかないのだろう。
ゴルフは人間の向上心に真っ向から挑戦してくる。難しいからうまく行かないから悔しいからこそ人は
練習し勉強し努力する。そんな人間どもの向上心をあざ笑うかのように容赦なく潰しにかかる。そして
努力を重ねる人間ほど強く打ちのめされる。自分には才能がないと落ち込み諦めかけた頃、ゴルフの
女神が何の風の吹き回しか突然微笑むときがある。これだからゴルフから離れられなくなるのだろう。
ゴルフは難しいが下手でも楽しめるのもまたゴルフなのである。ゴルフは至ってシンプルなゲームだ。
ただボールをひっぱたいて遠くにある穴ぼこに入れるだけの単純なものだ。誰にだって出来る。上手く
打てなくてもいつかは入る。上級者の倍の数を打つ気になればど素人にも出来る。ど素人でもたまには
すごいショットが打てる。長いパットが入る。例えまぐれであってもその爽快感と達成感には理屈抜き
に感動するだろう。
ゴルフは心理的なスポーツと言われる。ゲームも単純だが動作(スウィング)も本来単純だ。クラブを
振り上げたと同じようにそのまま下げてくればいい。ヘッドは自然に元の位置に帰る。頭では分かって
いるがそれが出来ない。ミスを恐れてつい手加減をしてしまう。それが失敗の元凶である。本来単純で
あるべきものを自ら複雑で難しい物にしてしまっているのだ。ゴルフと人間の心理は真に皮肉なものだ。
ゴルフとの戦いに疲れ果てて夢も希望もなくなり始めた頃、そんなに夢中になるなとゴルフが諭してく
れる。ゴルフも人さまざまで、いろいろな道がある事を教えてくれる。スコアだけがゴルフではない事。
マナーの大切さ、ルールに忠実な精神、先人達が築き上げた歴史と伝統の重み、限りなく豊かな自然の
恵み。ゴルフを通して啓蒙される人間精神の向上は万物への感謝の念と、人として生きてある幸福感を
もたらさずにはおかない。
ゴルフは実に贅沢なものだ。広大な自然の中で、良く管理されたコースの中で伸び伸びとプレーを楽し
むことができるのだ。ナイスショットの後にフェアウェーを颯爽と闊歩する様は例えようもなく爽快だ。
ゴルフが出来るということは、7つの恵みがあるということなのだそうだ。他所のサイトの受け売りで
恐縮だが、ここに幾つか紹介させて頂くと、まずある程度は経済力があるという恵み。ゴルフが安くな
ったとは言え用具などから揃えればまだスポーツの内では高いほうだ。そして健康な体であると言う恵
み。ゴルフが出来ると言う事は健康であると言う事。たとえ自分が健康であったとしても家族に病人が
いたりすればゴルフも思うに任せないだろう。次にゴルフ仲間、友人が居るという恵み。ゴルフは一人
では出来ないから気心知れた友人の存在は確かに幸せの名に値する。更にゴルフ場が近くにありそれを
支える会員が居て我々ビジターを受け入れてくれる恵み等々普段当然のようにゴルフをしているのだが
実はゴルフが出来るということはいくつもの幸福に恵まれていると言う事を思い知らされる。
時には古いゴルフ場を訪れることがある。クラブハウスも古くて狭いが何処となく趣がある。長い年月を経て
木々は鬱蒼と繁りコースに見事に溶け込んでいる。おちこちに散見する大木は神々しいほど堂々と屹立する。
それらはゴルフの長い歴史を象徴するかのように訪れる者たちに畏敬の念を抱かせずにはおかない。
ここで繰り広げられた先人たちの幾多のドラマと人生に思いを馳せる時、自らも同じ歴史の延長線上に
立つことの喜びと不思議さを思わずには居られない。
ゴルフは長い歴史と伝統に裏打ちされた誇り高きゲームである。何よりもまずマナーを尊び、相手に対
する思いやりと自然への深い感謝の気持ちを旨とし自らを律することを第一義とすることにある。
ゴルフへの真摯な姿勢は今も変わらないつもりだが、今日すっかり堕落したゴルファーと成り果てた自分
が少しばかり悲しくなくもないが、ゴルフから幾分かの距離を置くことで見えてくる物もあるかもしれない。
何時の日か再びあの燃えるような思いが湧き上がる予兆が微かな狂気と共に常に胸中に宿っている。
1/6 ホームページ作りの反省
このホームページを作り始めて1年になる。
その間、私は他のパソコンで一度もこの自分のホームページを見たことがなかった。
これを作っているパソコンはデスクトップの17インチのブラウン管画面のものでOSはwin98。
もう5年半も使用しているので調子もあまり良くない。ハードディスクとメモリは
容量の大きいものに交換した。CPU(pentium2)とマザーボードは性能の低いものなので
最新のソフトは動きが悪かったり機能の一部が使用できなかったりと何かと不便になってきた。
怖いのはハードディスク等の故障でパソコンが使えなくなることだ。数日使用できなくなる
だけでも今となっては考えられない。インターネット、メールは毎日の必需品で、それは
携帯電話を家に置き忘れた一日を想像しても分かるように何となく不安になるものだ。
脅迫観念にも駆られ自分への言訳ともして思案の末新しいパソコンを買った。
手作りも考えたが今ひとつ自信がない。自作機は次回に譲って今回は何処へでも持ち運べるのが
魅力のノートパソコンにした。私はパソコンを使って特別なことをする訳ではないのでスペックの高い
ものでなくていいのでオールインワンの初心者用のものを買った。インターネットで比較して一番安いと
思われる通販サイトを探し出して130,800円のものにした。
装備内容はCPUはceleron2,0 HDは40G メモリは256 CD-RW/DVD-ROM
とフロッピードライブがついて
0ffice2003PEソフトも入っている。03年9月発売のもので国内一流メーカー製なので結構安いと思った。
最新のゲームをするでもないのでpentium4もビデオ編集するでもないのでこれで十分と思った。
さて、この新しいノートパソコンで自分のホームページを見て驚いた。
15インチの液晶画面に映し出された背景画面の醜さである。液晶はかなり良くなったと聞いていたが
ブラウン管画面に比べてこんなにも精度が劣るのかと初めて分かった。
この淡い緑を基調とした背景は自分で作ったもので、水彩画タッチの和紙を思わせる風合いで自分では
ブラウン管画面で見て中々の出来と思っていた。それが液晶では「何だこりゃ!」の世界になっていたの
であった。和紙を水に浸けて滲ませたようなぼやけた背景となってしまっている。
掲載の写真の写りも悪い。プロバイダーから貰う10MBの無料枠内でこのホームページを作っているの
で、元々データをかなり小さくして載せているが、それでもブラウン管画面では全く問題はなかった。
さらに画面解像度で800×600ピクセルの大きさで作っていたので、この設定だと液晶画面では更に
写りが悪くなって見るに耐えない程になってしまう。1024×768なら何とかだが今度は文字や写真の
レイアウトが狂ってしまう。パソコンの設定は人それぞれで統一されたものはないから画面の表示も
様々になってしまう。htmlタグで編集できれば細かいレイアウトも可能なのかもしれないが、私はタグの
勉強を全くしていないから無理があるのかもしれない。
いっその事、各ページを全て表形式で作ってしまった方が良かったかもしれない。
皆さんはどうやってホームページを作っているのでしょうか。
何れにしても手直しが必要かもしれない。
背景画像を変更するか。写真もドット数を増やすか。表形式にページを作り直すか。
これらを全てやると大変な作業になってしまう。それでなくてもやっとの思いで作っているのだ。
しかし今はもう液晶モニターが主流なのでそれに対応するように考えなければならないだろうと思う。