縄文文化を巡る!  
 2018年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅

岡谷美術考古館 ≪2018年10月11日≫

 本日の宿泊予定のホテルには、朝方『到着が19時過ぎとなります』と連絡していたのですが、昨日の記事に記述したとおり、17時頃に到着しました。そして、昨日の“事件(=当日は、岡谷考古館の休館)”のショックからの回復は、昨晩、捻り出した後述する解決策でした。

 そのホテルは、JRの改札を出て、高架橋を諏訪湖側へと渡ります。その駅裏の通りからは、諏訪湖通りへはスンナリとは出れませんでした。スーツケースをゴロゴロと運んで歩く事、10分余り必要でした。そもそも、本日の宿泊場所を決めたのは、岡谷より富士見町に近い宿泊場所を選ぶべきだったのです。

 上諏訪に宿泊場所を決めたのは、単に“地理に不案内”だっただけです。それは、富士見町が諏訪市の隣町だとの勘違いからだったのです。その事は、朝一(といっても、am10時開館)に、岡谷考古館へ寄ってから富士見町以下を辿ろうと頭を切り替えることで解決を図りました。

 そんなこともあって、富士見町の井戸尻考古館へは、当初、am9時頃には着く予定としていましたが、10時の岡谷考古館の開館を待って見学した後、中央高速道を利用しての移動へと変更したので大幅に予定の変更となりました。


 今日も、レンタカーはam8時に借りる事となっていました。チェックアウト後、駅までの道の件(ぐるっと回らなくては駅へは向かえない)を尋ねると、ホテルマンは『今、誰も居らっしゃらないようなので、こちらへ・・』と、裏口へと案内されました。お陰で5分は短縮。


 それにしても、岡谷までは車で30分も掛かりませんでしたので、開館時間までの時間調整が必要でした。案内標識に従って考古館の駐車場に停めて、岡谷駅を基点にして岡谷市内中心部を見て廻りました。


【関連リンク先】 岡谷美術考古館

 駅から、案内標識が充実している≪岡谷美術考古館≫
 
 ・10月9日(火) 
 松山  岡山新大阪  金沢市(石川県埋蔵文化財センター) 金沢市
 
 ・10月10日(水)  
 金沢市  富山市(北代縄文館・富山県埋蔵文化財センター・富山市民俗民芸村考古資料館)
 富山  長野  松本  上諏訪 
 ・10月11日(木)  
 上諏訪   〜岡谷(岡谷考古館)〜富士見町(井戸尻考古館)〜北杜市考古資料館
〜釈迦堂遺跡博物館〜甲府市 
 ・10月12日(金)  
 甲府市  松本  長野  軽井沢  〜御代田町(浅間縄文ミュージアム)〜高峰高原ホテル 
 ・10月13日(土)
 車坂峠〜槍ヶ鞘(ピストン) 高峰高原ホテル  〜軽井沢  高崎市 
 ・10月14日(日) 
 高崎市  群馬県立歴史博物館 高崎市  上野(国立科学博物館) 上野   東京  
 ・10月15日(月)  
 東京  新宿〜京王多摩センター(東京都埋蔵文化財センター)  東京  岡山  松山  


 開館時間の少し前に正面玄関に出向くと、女性が玄関前で掃除している様子。しかし、快く迎え入れてくれました。「実は昨日、拝観する予定でしたが定休日だったのですね」との相棒に、受付の方は「すみません、こちらの商店街が水曜日が定休日なので、それに合わせてほしいといわれるので・・」と応えていました。

 入館手続きを済ませ、いつものように「写真撮影は良いでしょうか?」と尋ねると「はい結構ですよ。撮影禁止と表示しているものがありますが、後で書類にサインをしていただければ結構です」との事。

 このような対応は初めての事でした、大抵の縄文館などでは『撮影禁止のシール以外は大丈夫ですよ』との対応が殆どですので、少々、驚きました。


 私たちは一目散に2階の考古展示室へ向かい階段を上がりました。部屋へ入ると、右手にライトに浮かび上がった土器が飾られていました。これが目的の一つ≪顔面把手付深鉢形土器≫でした。


尚、小生が使用している時代区分を以下に記します。

【AMS法による区分】

  草創期   15,000〜12,000年前
  早期     12,000〜7,000年前
  前期     7,000〜5,500年前
  中期     5,500〜4,500年前
  後期     4,500〜3,300年前
  晩期     3,300〜2,800年前



重要文化財指定書

≪顔面把手付深鉢形土器≫

≪顔面把手付深鉢形土器≫ 国重要文化財指定(1989年6月12日)

1966年(昭和41年)、岡谷市天竜町(天竜町郵便局そば)の海戸遺跡から出土。
高さ43.5センチ。
顔が外側を向いた珍しいスタイル。完全な形に復原された全国的にも数
少ない土器として、国の重要文化財に指定されている。           
顔表現の良さや全国的に美的なデザインである。              

 

  
 

2018年認定日本遺産【星降る中部高地の縄文世界】

 

―数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅―

■ストーリー概要
日本の真ん中、八ヶ岳を中心とした中部高地には、ほかでは見られない縄文時代の黒曜石鉱山がある。鉱山の森に足を踏み入れると、そこには縄文人が掘り出したキラキラ輝く黒曜石のカケラが一面に散らばり、星降る里として言い伝えられてきた。日本最古のブランド「黒曜石」は、最高級の矢じりの材料として日本の各地にもたらされた。麓のムラで作られたヒトや森に生きる動物を描いた土器やヴィーナス土偶を見ると、縄文人の高い芸術性に驚かされ、黒曜石や山の幸に恵まれて繁栄した縄文人を身近に感じることができる。

■構成市町村
長野県(茅野市、富士見町、原村、諏訪市、岡谷市、下諏訪町、長和町、川上村)
山梨県(甲府市、北杜市、韮崎市、南アルプス市、笛吹市、甲州市)


パネルには続いて

岡谷市における構成文化財(1)

●海戸遺跡出土品(顔面把手付深鉢形土器、顔面把手)
●榎垣外遺跡出土品
●清水田遺跡黒曜石原石
●花上寺遺跡出土土偶

岡谷市における構成文化財(2)

●目切遺跡出土品(顔面把手付深鉢形土器、壺を持つ妊婦土偶)
●広畑遺跡と出土土偶
●梨久保遺跡と出土品(コハクとヒスイの装身具)


と書かれています。




 

 

 




≪マメ圧痕のある縄文土器≫

  

 展示室の中央には、他の展示品とは違う飾り方をしている棚がありました。そこは、≪企画展示コーナー≫でした。その展示は≪スワニミズム『醸し国』連帯企画展 マメ圧痕のある 縄文土器≫とあり、≪目切606土器(縄文時代中期後葉)≫と≪志平153土器(縄文時代中期後葉)≫などの土器が飾られていました。

 私たち二人だけの入館者かと思いきや、何か関係者風の方が作業を始めました。企画展示品を持参したケースみたいなものに詰めて行くではありませんか。尋ねると『今日から企画展示の変更をする』とのことで、入れ替えの作業という事でした。


 学芸員だろう人と北海道・北東北の“世界遺産登録”運動のことで『何故?甲信越地方では同様の取り組みの話は無いのですか?』と話を振ると、こちらでもそういう話はありましたが、やはり『県によって温度差があり進まなかった』とのことでした。しかし、世界遺産に関する取り組みについては、小生の持論(=地方的な一時期の文化としてではなくて、日本列島に於ける縄文文化としての取り組みこそ本筋である)と同趣旨の考えをお持ちでした。


 昨年訪れた馬高縄文館や茅野市尖石縄文考古館などの出土品を眺めると、その豊かな感性や文化的素養の豊かさに驚かざるを得ません。そして、今回の甲信地方の考古館巡りを計画している最中の、ドキドキ・ワクワク感はこの後の旅への期待感を示すもので、裏切る事は無いでしょう。



≪広畑遺跡 出土土器≫
 

 


≪右、長野県宝 顔面把手付深鉢形土器≫
 

 

≪壺を持つ妊婦土偶≫ 岡谷市指定有形文化財(2004年3月30日)

1993年(平成5年)、岡谷市長地鎮の目切遺跡から出土。高さ14.9センチ。
住居址内から、頭・胸・脚がバラバラに壊れて出土した。
妊娠した女性をあらわし、豊穣と安産を祈願したものとされる。壺を抱えて
腰に手をあてたポーズの完全な姿は、国内でただ一点という貴重な土偶である。


 

 




 今日は甲府駅前のホテルで宿泊予定です。そして、当初は以下の行程を予定していました。

【富士見町(井戸尻縄文館など)→北杜市考古資料館→釈迦堂遺跡博物館→山梨県立考古館】

 しかし、昨日からの予定変更もあって3時間遅れの行程となりました。それもこれも、計画段階の“いい加減さ”が招いたことなので仕方ありません。一日目からの『石川県立埋蔵文化財センターの場所を確認しておけば・・』『岡谷考古館の営業日を調べておけば・・』『富士見町の位置関係を確認しておけば・・』と後悔は尽きませんが、“それも含めての旅なんだ”と思えば『ナンクルナイサー』。


 私たちは、列車時刻に間に合わない場合以外では急ぎません。岡谷からは中央自動車道に乗って、結局、11時20分頃に諏訪湖SAで昼食を調達して、富士見町を目指します。


≪市立岡谷考古美術館 パンフレット≫