縄文文化を巡る!  
 2018年「waiwai隊」 東京国立博物館
縄文 1万年の美の鼓動(特別展) ≪2018年8月3日≫
  3月18日の松山市考古館での講演会に出向いた際に出席者の一人に偶然にも『トーハクで、土偶展がある』旨の情報を入手しました。その方の情報は『特別展 「縄文−1万年の美の鼓動」』でした。事前に前売り券を入手し、JRの切符を購入しようと7月の中旬に旅行社へ出向くと『先週の災害で、JR四国の特急は運転を見合わせている区間があります』との事。急遽、羽田までの飛行機便へと変更して、8月3〜4日の東京行となりました。

 せっかく東京へ行くなら・・と、明治大学へも立ち寄る準備をしていました。



 
 さて、14時前に着いた“トーハク”は思っていたほどは混み合っていなくて拍子抜けでした。展示されている平成館で、受付嬢にチケットを提示して2階へのエレベーターに乗ろうとすると、『撮影禁止』と掲示されているではありませんか。そして、受付嬢から、ペットボトルをビニール袋へ入れるように言われました。尚、7月から開かれている特別展の入館を8月にしたのは、国宝の土偶が勢ぞろいする時期が8月だったのと、土・日を避けた日程にしたからでした。



【関連リンク先】 東京国立博物館の特別展サイト


 以下に東京国立博物館の特別展のサイトに載せられた紹介文を転載します。尚、文中の記述は小生が使っている歴史区分とは異なっていますので、いつものように小生が使用している歴史区分を載せておきます。


【AMS法による区分】

  草創期   15,000〜12,000年前
  早期     12,000〜7,000年前
  前期     7,000〜5,500年前
  中期     5,500〜4,500年前
  後期     4,500〜3,300年前
  晩期     3,300〜2,800年前



注:尚、本展については撮影は不許可でしたので、過去に小生が該当の考古館などを訪れた際に撮っていた写真を載せています。

 特別展「縄文―1万年の美の鼓動」 / 平成館 特別展示室   2018年7月3日(火) 〜 2018年9月2日(日)

縄文時代が始まったとされる約1万3000年前。狩猟や漁撈(ぎょろう)、採集を行っていた縄文時代の人びとが、日々の暮らしのなかで工夫を重ねて作り出したさまざまな道具は、力強さと神秘的な魅力にあふれています。本展では「縄文の美」をテーマに、縄文時代草創期から晩期まで、日本列島の多様な地域で育まれた優品を一堂に集め、その形に込められた人びとの技や思いに迫ります。縄文時代1万年にわたる壮大な「美のうねり」をご体感ください。

 展覧会のみどころ

 縄文時代とは?

旧石器時代が終わったおよそ約1万3000年前から約1万年間続いた時代を縄文時代と呼びます。その名称は、網目の文様をもつ土器が使われたことに由来します。縄文時代の始まりに少し遅れて氷期(ひょうき)は終わりを迎え、日本列島は温暖で湿潤な気候に変わり、現在と同じ山や森、そして川や海といった景観が整います。当時の人びとは、この多様な自然環境を利用し、狩猟や漁撈そして植物の採集を基本的な生業として定住生活を行いました。また土器や石器といった実用的な道具に加え、装身具そして土偶や石棒といった儀礼の道具などを作り出しました。


 

 まずは、2階の展示室へと入る前に音声ガイドを借りました。事前に音声は『杏ちゃん』との情報を得ていました。右のエスカレーターの画像でも判るように、会場は思った程の混雑ではありません。
 これは、同じ上野の東京都美術館で行われた『伊藤若冲展』の際の混雑ぶりがトラウマとなっていたからなのでしょうか。

 小生は、音声ガイドを借りる際に係の女性に『撮影はダメなんですか?』と確認しました。係の女性は『後のコーナーで撮影可能な場所もあります』と応えてくれたのでした。



  第1章 暮らしの美

縄文時代の人びとは、多様な資源環境を巧みに利用し、狩猟や漁撈、植物採集などを基本的な生業として竪穴(たてあな)住居に住まい、定住性の高い生活を送りました。土器の出現は縄文時代の幕開けを告げるものです。土器は当初、煮炊(にた)きの道具として用いられましたが、のちに単なる容器としての機能を超えた役割を果たします。また、弓矢に鹿角製釣針(ろっかくせいつりばり)や銛(もり)というような狩猟具や漁撈具、磨石(すりいし)や石皿など、木の実や根菜類を磨潰(すりつぶ)す調理具の登場も、新たな自然環境に合わせて生み出されたものです。当時の人びとの暮らしのなかで作られた、さまざまな道具に表現された美意識をご覧ください。



≪1.微隆起線文土器≫ ≪8.木製網籠 縄文ポシェット≫
 
【撮影場所など】
1.微隆起線文土器(青森県立郷土館、2018年5月9日)
8.木製網籠 縄文ポシェット(三内丸山遺跡・縄文時游館、2017年5月15日)

 第1章は、≪微隆起線文土器≫で始まりました。これは本年5月に出合った青森県立博物館での案内されていたとおりでしたが、以下にも同様に案内されている土器や土偶との再会がありました。この≪微隆起線文土器≫は、縄文草創期との案内ですが、これより古い土器も発掘されるようになっているようです。

【注:wikipediaより引用】

型式の新旧

豆粒文と呼ばれる文様を持つものを最古段階に位置し、隆起線文の太さは、時代が新しくなるほど細くなる傾向がある。隆起線文→細隆起線文→微隆起線文と順次龍線文が細かくなり、新しい段階に移っていくと考えられている。

放射線炭素年代測定法によれば、北松浦郡芳井町福浦洞穴の隆起線文土器はBP1万2700±500年、愛媛県上黒岩遺跡の細隆起線文土器はBP1万2165±600年である。



≪音声ガイドリスト≫

 1.プロローグ
   微隆起線文土器(青森県六ケ所村表館(1)遺跡)
 2.漆塗注口土器(北海道八雲町野田生T遺跡)
 3.土製耳飾り ほか(東京都調布市下布田遺跡ほか)
 4.硬玉製大珠 ほか(栃木県大田原市湯津上ほか)



展示 No.1〜No.25




 第2章 美のうねり

縄文土器は約1万年にわたって作り使われ続けますが、その造形美は絶え間ない変化の連続でした。時期や地域によって、器(うつわ)の組み合わせはもちろん、その形や文様にも大きな違いがあります。しばしば縄文土器の代表として紹介される火焔(かえん)型土器も、この造形美の大きなうねりのなかから誕生したものです。
この大きな美のうねりを、文様から追いかけてみましょう。縄文土器の文様は、土器の表面に爪や指頭(しとう)、縄(撚糸/よりいと)や貝に加え、木や竹で作られた棒や箆(へら)などの道具を使って描かれたり、粘土を貼り付けて表現されたりしたものです。草創期・早期・前期の縄文土器は、道具でつけられた表現に面白さを見出した美ともいえます。中期の火焔型土器に象徴されるような立体的な装飾は、器面に粘土を貼り付けることによって生まれた美です。後期・晩期の文様は、棒や箆などの描線(びょうせん)による構図の美に特徴があります。
縄文土器の形や文様の違いを通した、約1万年にわたる美の移り変わりをご紹介します。



≪28.火焔型土器・王冠型土器≫ ≪34.大洞式土器≫
 

【撮影場所など】
28.火焔型土器・王冠型土器(十日町市博物館、2018年2月16日)
34.大洞式土器(是川縄文館、2017年10月19日)

 土器に描かれた文様は、単なる器から出発した縄文土器を世界に類を見ない土器へと昇華していったのです。また、土器に描かれた様々な文様などとともに、身近な動物などを飾りに使った造形美などなど・・。縄文人の文化的素養の高さ、その精神性を推し量ると『これが原始時代?』と叫んだ岡本太郎の驚きも共感出来ます。


≪音声ガイドリスト≫

 5.関山式土器ほか(千葉県松戸市幸田貝塚ほか)
 6.深鉢型土器(山梨県甲府市安道寺遺跡)
 7.注口土器 ほか(茨城県稲敷市椎塚貝塚ほか)


展示 No.26〜No39



 第3章 美の競演

東アジアの東端に位置する日本列島で花開いたのが縄文文化です。狩猟や漁撈、そして採集を生業とした縄文文化は、世界最古級の土器を生み出し、世界の先史土器のなかでも群を抜く造形美を誇る土器を作り出した文化ともいえます。時期や地域によって千姿万態な縄文土器の造形美は世界的にも著名で、火焔型土器はその代表ともいえます。
一方、縄文時代中期に相当する時期のユーラシアの各地では、すでに農耕や牧畜が行なわれ、金属器の生産もはじまっていました。メソポタミアでは王や権力者が治める都市も生まれ、職人が工房の窯で焼いた土器が商品として多量に作られることもありました。これらの地域では、用途に応じて素直に作られた土器に彩色で文様を描き、表面を磨いたものが一般でした。
本章では、日本列島と、アジアからヨーロッパの土器の美を通して、各地の文化や社会が生み出した美の形を探ります。



 まず、ユーラシアから中国・朝鮮までの文化との違いです。7,000年前頃から出現した各地の『新石器時代』の文化は、日本列島の縄文時代とは全く異にする文化だと云えます。それらの社会は日本列島での『弥生時代から古墳時代』と同様の社会システムと云えます。農耕と牧畜を生業とする民とそれらを支配する王が君臨する社会でした。

 縄文1万年と同時代の世界の文化と比較する時、日本列島で花開いた縄文文化の特異さは群を抜いている事を改めて気付かされます。


≪音声ガイドリスト≫

 8.焼町土器(群馬県渋川市道訓前遺跡)
 9、彩陶鉢ほか(中国、甘粛省あるいは青海省ほか)


展示 No.40〜No.78



 第4章 縄文美の最たるもの

約1万年も続いた縄文時代にはあまたの形が作られましたが、縄文時代の出土品として国宝に指定されているのは、わずか6件です。初めて国宝に指定されたのは土偶「縄文のビーナス」で、平成7年(1995)と歴史が浅く、縄文時代への社会的、文化的な関心や評価が近来になって高まってきたことを表しています。
縄文土器の代名詞ともいえる火焔型土器は、器面から飛び出すかのような力強い装飾が持ち味で、縄文人の造形力の豊かさを教えてくれるものです。縄文時代中期は、何度か訪れる縄文社会の安定期のうちの一つで、国宝になった土偶「縄文のビーナス」や「縄文の女神」が登場したことは、当時の文化が成熟期を迎えたことを示しています。
土器や土偶に凝縮された「縄文の美」との出会いをお楽しみください。


≪79.火焔型土器≫ ≪80.土偶 縄文のビーナス≫
 

≪81.土偶 縄文の女神≫ ≪82.土偶 仮面の女神≫
 

≪83.土偶 合掌土偶≫ ≪84.土偶 中空土偶≫
 
【撮影場所など】
79.火焔型土器(十日町市博物館、2018年2月16日)
80.土偶 縄文のビーナス(尖石縄文考古館、2018年2月15日)
81.土偶 縄文の女神(山形県立博物館、2018年5月8日)
82.土偶 仮面の女神(尖石縄文考古館、2018年2月15日)
83.土偶 合掌土偶(是川縄文館、2017年10月19日)
84.土偶 中空土偶(函館市立縄文文化交流センター、2017年5月10日)


 縄文の国宝群の美しさは、目を見張らせるものばかりですが、それらは国宝に指定されている上記六点だけに限りません。多数の重要文化財指定の土器・土偶など、実際に目にすると“ため息”ばかりです。ロンドンかパリだったかは忘れましたが、『縄文特別展』の見物の人が「日本には何人のピカソが居るんだ!」と驚嘆の声の映像に接しました。世界の六大文明とは全く違う、別次元の縄文の文化に接する人びとの驚きの表情は、どこの会場でも一緒です。

 我々は音声ガイドを聞きながらの見物ですが、「男か女かどちらかねぇ〜」とのオバサマの声に相棒が「これらは、妊娠線があるから女性ですよ」と応えたりしています。私たちはこれらの土偶を事前に見ているので、造られた目的なども知っています。また、“杏ちゃん”の音声ガイドでも紹介しているのですが、一般の見物のオバサマには判らなかったようです。



≪音声ガイドリスト≫

 10.火焔型土器(新潟県十日町市笹山遺跡)
 11.土偶 縄文の女神(山形県舟形町西ノ前遺跡)
    土偶 合掌土偶(青森県八戸市風張T遺跡)
    土偶 中空土偶(北海道函館市著保内野遺跡)
 12.土偶 縄文のビーナス(長野県茅野市棚畑遺跡)
    土偶 仮面の女神(長野県茅野市中ツ原遺跡


展示 No.79〜No.84



 第5章 祈りの美、祈りの形

縄文時代の祈りの美、祈りの形の代表が土偶(どぐう)です。土偶は人形(ひとがた)の土製品で、縄文時代の始まりとともに登場します。当初は頭や手足は省かれていますが、乳房が表現されているため女性像であることが明らかです。土偶が命を育(はぐく)む女性をかたどるのは縄文時代を通して変わらず、安産や豊穣(ほうじょう)を祈るために用いられたと考えられています。一方、男性を象徴する造形として、石棒(せきぼう)が前期後半に出現し展開します。石棒には男性器を写実的に表現した例もあることから、子孫繁栄や豊穣のために造られたと考えられています。
縄文土器は抽象的な文様で飾られることが一般的ですが、人や動物をあしらうものがあります。これらの土器は単なる容器としてだけではなく、縄文人の思いを伝える器とも呼べるものです。このほかに、親の子へ対する思いを表した手形・足形付土製品、海や山の豊穣を祈り畏敬(いけい)の念を込めて作られた動物形土製品などがあります。
当時の人びとの心が強く映し出された、さまざまな形をご覧ください。



≪90.板状土偶≫ ≪101.土偶頭部≫
 

≪108.山形土偶≫ ≪115.遮光器土偶≫
 

≪129.線刻礫≫ ≪139.土面≫
 

≪155.蛇体把手付深鉢形土器≫ ≪175.手形・足形付土製品≫
 

≪196.狩猟文土器≫
【撮影場所など】
90.板状土偶(三内丸山遺跡・縄文時游館、2017年5月15日)
101.土偶頭部(岩手県立博物館、2018年5月11日)
108.山形土偶(松山市考古館、2018年2月4日)
115.遮光器土偶(東京国立博物館、2018年2月18日)
129.線刻礫(上黒岩考古館、2017年5月30日)
139.土面(御所野縄文博物館、2017年10月19日)
155.蛇体把手付深鉢形土器(尖石縄文考古館、2018年2月15日)
175.手形・足形付土製品(青森県立郷土館、2018年5月9日)
196.狩猟文土器(青森県立郷土館、2018年5月9日)

 こちらのコーナーを廻る頃、一段と込み合ってきました。時間的なものか、団体の見学者が入って来たのかは定かではありません。最古の土偶や我が郷土から出展の線刻礫。そして、日本各地から出土したさまざまな土偶や土器類の数々。そして、感動的だったのは出産の様子を土器面に施している土器でした。何故、土偶でなくて土器なのでしょうか? ただ、安産を願うだけなら器にする必要は何だったのだろう。このような女性器から顔を出す胎児を表わした土器や、男性器の巨大な石棒を目にして驚くのは老若男女は問わないでしょう。

 またもう一つの収穫は、小生が見たかった土偶のうち近頃発掘された草創期の土偶の、滋賀県東近江市の相谷熊原遺跡や三重県松阪市の粥見井尻遺跡の土偶が見られたことでした。女性の胴部だけを著わしたこれらの土偶こそ、土偶の作られた目的が見て取れます。

 そして、我が郷土から唯一参加しているのが『線刻礫』でしたが、こういう展示では何が描かれているのかが分かりません。小生の地元の考古館での展示では、拡大鏡が設置されていましたが、そういう工夫もアリだったのでは?


≪音声ガイドリスト≫

 13.土偶(滋賀県東近江市相谷熊原遺跡)
 14.ポーズ土偶 ほか(長野県岡谷市目切遺跡ほか)
 15.石棒(東京都国立市緑川東遺跡)
 16.遮光器土偶(宮城県大崎市蕪栗恵比寿田ほか)
 17.顔面付壺形土器(茨城県筑西市女方遺跡)
 18.土面ほか(岩手県一戸町蒔前遺跡)
 19.深鉢形土器(長野県富士見町藤内遺跡)
 20.顔面把手付釣手土器ほか(長野県伊那市御殿場遺跡ほか)
 21.狩猟文土器ほか(青森県八戸市韮窪遺跡ほか)
 22.顔面把手付深鉢形土器ほか(山梨県北斗市津金御所前遺跡)


展示 No.85〜No.198



 第6章 新たにつむがれる美

日本では明治時代になって、大森貝塚(おおもりかいずか)の発掘をきっかけにして近代的な考古学が始まり、「縄文」が発見されました。考古学の研究対象としての「縄文」とは異なる「縄文」の魅力を見出したのが作家や芸術家たちです。「藝術は爆発だ!」の名言で知られる岡本太郎(おかもとたろう、1911〜96)に「思わず叫(さけ)びたくなる凄(すご)み」で迫り、彼が考える芸術の本質に強く揺さぶりをかけたのが、東京国立博物館で出合った縄文土器でした。
一方、岡本に先立って多くの作家が「縄文」を愛玩(あいがん)したこともよく知られています。民藝運動(みんげいうんどう)の創始者である柳宗悦(やなぎむねよし、1889〜1961)は岩偶(がんぐう)のために専用の収納箱を作り、染織家芹沢_介(せりざわけいすけ、1895〜1984)は愛蔵する土偶を挿絵に描く事もあったのです。また、陶芸家濱田庄司(はまだしょうじ、1894〜1978)が弟子である島岡達三(しまおかたつぞう、1919〜2007)とともに、教材として縄文土器を作ったことはあまり知られていません。島岡はその経験と父である組紐(くみひも)師島岡米吉の技を生かし、縄文象嵌(ぞうがん)という新たな美を生み出しました。
本章では、作家や芸術家たちが出会い愛玩した品々をもとに、「縄文」の魅力をあらためて見つめなおします。



≪音声ガイドリスト≫

 23.岩偶ほか(岩手県岩泉町袰綿ほか)
    エピローグ


展示 No.199〜No.207



  

≪岡本太郎と東博≫

 「芸術は爆発だ」の名言で知られる芸術家
です。岡本は昭和26年(1951)に東京国立博物館
で開催された特別展「日本古代文化展」で「縄文」
と出会いました。そのとき受けた衝撃から、美術
雑誌「みずゑ」に「四次元との対話―縄文土器論」
を発表しました。美術品としては評価されること
のなかった縄文土器に美を認めたのです。それに
よって日本美術史の始まりは、飛鳥時代から縄文
時代に引き上げられました。後に岡本は、自らカメラ
を手に取り、自分の目に映る縄文土器や土偶を
写真に収めて「日本の伝統」を出版しました。  


≪顔面把手≫
 

 

≪深鉢形土器≫
 

≪深鉢形土器≫


 最後は岡本太郎コーナーで、ここが撮影用スペースとして設けられていました。あまりにも沢山の美術品を目にした疲れも、小生には心地よいものでした。特別展示室の出口で今回の特別展の図録を購入したのは言うまでもありません。エスカレーターで1階へ降り、常設展示コーナーへ寄り道をしてから帰りました。


尚、冒頭にも記したとおりに、大半が撮影禁止のコーナーだったため、今回は大半が小生が撮りためていた写真のみの掲示となりました。今までの小生の記事のように感動を写真にて表現できなかった事が残念です。