2018年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅 石川県埋蔵文化財センター ≪2018年10月9日≫ |
|
恒例となった秋の“縄文ツアー”は、北海道の訪問の計画を練り上げ、いつもの旅行会社へ申し込みを済ませたのが9月5日のことでした。翌日、北海道胆振東部地震が起こりました。直ぐに頭を過ぎったのは、6月から7月にかけての『平成30年7月豪雨』で、JR四国の特急が運休し、8月の東京行きが飛行機便への変更を余儀なくされた事件でした。その日程は10月9日からでしたので、その時点ではJRの切符の手配は未だでした。そんなこともあって、直ぐのキャンセルが可能だったのでした。 そして、出発前にも日本列島への台風の接近がありました。運よく、朝鮮半島から日本海へと抜けて本土には被害が無かったのでした。 甲信方面の縄文の遺物の豊富さは認識していたのですが、“フルムーン夫婦グリーンパス”の旅では、北陸新幹線は未経験でしたので、北陸廻りでの遺跡巡りの計画を企てたのでした。しかし、北陸地方の縄文遺跡や博物館などの情報が少ないのです。しかし、偶然にも以下のサイトがヒットし、今回の“縄文巡り”の参考としました。 【参考サイト】トリグラフ・リサーチ『八ヶ岳稿房』 さて、計画を立てるべくJRの時刻表を検索していると問題が発生しました。それは、いつもの≪松山発7時20分≫の特急しおかぜ8号にて岡山で≪ひかり≫に乗り継ぐと、金沢行きのサンダーバードの新大阪での乗り換え時間が5分しかありません。そして、次発の≪ひかり≫は、一時間後なのです。 『困ったなぁ〜!』と、頭を抱えていたのですが、“フルムーン夫婦グリーンパス”の【利用条件】には≪JR線の特急(新幹線「のぞみ」号及び「みずほ」号(ともに自由席を含む)は除く)≫の記述を見付けました。この岡山から新大阪の区間は新幹線≪さくら≫が利用出来ます。その≪さくら≫は、岡山発が10時35分発と≪ひかり≫より12分遅れて岡山を出発するにもかかわらず、新大阪へは17分も早く到着します。 この列車時刻を見付けた際は『今回の旅は上手くいくぞ〜』と思ったものです・・。さて、結末はどうなるのでしょうか? |
|
・10月9日(火) 松山 岡山新大阪 金沢市(石川県埋蔵文化財センター) 金沢市 |
|
・10月10日(水) 金沢市 富山市(北代縄文館・富山県埋蔵文化財センター・富山市民俗民芸村考古資料館) 富山 長野 松本 上諏訪 |
|
・10月11日(木) 上諏訪 〜岡谷(岡谷考古館)〜富士見町(井戸尻考古館)〜北杜市考古資料館〜釈迦堂遺跡博物館〜甲府市 |
|
・10月12日(金) 甲府市 松本 長野 軽井沢 〜御代田町(浅間縄文ミュージアム)〜高峰高原ホテル |
|
・10月13日(土) 車坂峠〜槍ヶ鞘(ピストン) 高峰高原ホテル 〜軽井沢 高崎市 |
|
・10月14日(日) 高崎市 群馬県立歴史博物館 高崎市 上野(国立科学博物館) 上野 東京 |
|
・10月15日(月) 東京 新宿〜京王多摩センター(東京都埋蔵文化財センター) 東京 岡山 松山 |
|
さて、一日目の金沢には、pm2時に着く予定です。その行程を次に書き出します。 【松山(7:20)→しおかぜ8号 岡山(9:59)】 【岡山(10:35)→さくら542号 新大阪(11:24)】 【新大阪(11:46)→サンダーバード21号 金沢(14:20)】 今回、最初の訪問先の石川県埋蔵文化財センターへはバスを利用するよう考えていましたが、金沢駅へ到着する前にタクシー利用としました。そのことが、後に後悔の一つとなってしまいました。そこらあたりの事情については、以降の行間からお察し願います。 バスの利用を止めたのは、金沢駅での時間的な余裕が無かったことが一因でした。東京や大阪などの都市部でのバスと違って、田舎でのバス利用の不便さは十分に理解しています。 タクシーの運転手さんの話では、目的の石川県埋蔵文化財センターは「街から山へ向かって行った先で、バス停から歩くと数十分かかります」との事。「ネットでは15分と載ってました」との小生の言葉にも「15分では無理です」などの会話で、目的のセンターへ到着しました。 そんなこともあって運転手さんには、見学を終えるまで待っていてもらうこととしました。 |
|
当文化財センターについての事前の情報は、冒頭のサイトから得ていた相棒の貴重な情報でした。立派な建物の玄関ホールから左手に展示室への入口がありました。 ホールや資料室らしき部屋を忙しく出入りしている女性が数名立ち働いていました。展示室へ入ると、ネットで見た景色でしたが、相棒は「目的の土偶は2階よ」と、一目散に階段を上がっていきます。 その相棒が「おっちゃん、無い」と大声で呼ぶではアリマセンカ? |
|
≪展示室1F≫ |
|
≪左、深鉢 右、土偶が置かれていた筈≫ |
|
小生が展示室1Fの撮影をしていると、2Fから降りて来た相棒が「ちょっと、どういう事か聴く〜」と凄い剣幕です。そこで、展示室の外のロビーで何かの作業をしている女子にその旨を伝えます。 『わざわざ四国から、あの土偶を見に来たのに〜。どういう事ですか?』に、その女子は『今朝がた、滋賀県の安土城考古博物館へ貸し出しました。4時間前までいたんですけど・・』との言い訳に相棒は納得が行きません。“一つしかない土偶を貸し出して空っぽの棚にしているなんて〜”と、怒り心頭の様。 学芸員さんらしき女子は恐縮しながら『こちらへどうぞ』と、我々を別室に案内して土偶が載っている専門書を開けながら説明してくれました。このあたりで、相棒も少々落ち着いてきたようです。そして、土偶についての解説をしてもらえました。 専門家が撮ったような綺麗な写真の土偶は、現物を拝見したくなります。その本には『西日本の土偶』として紹介されていました。 |
|
≪コピー≫(石川県埋蔵文化財センター所蔵) 米泉遺跡・石川県金沢市 強引だが能登半島の西側を西日本に入れ、口絵では唯一の西日本代表。何とも武骨 な印象で、やはり本場とはちがうと思いきや、よく見ると乳房や腕の形、しまった ウエストに張り出した腰のラインなど。関東地方のこの時期の土偶に近しい。武骨 といったが、全身に赤色顔料を塗布されて、ていねいな作りにちがいない。顔がな いことを不思議と思うが、逆にこの時期の土偶には仮面をかぶった表現が多い。仮 面をはずしたその下は、との疑問に大きな示唆を与えてくれる。 |
|
【安土城考古博物館の案内チラシ】 |
|
≪旧石器時代≫(〜約1万2千年前) 旧石器時代は、人類が誕生してから土器の使用が始まる 約1万2千年前までにあたります。当時は気候の寒冷な氷期 と、温暖な間氷期とが何万年かの周期で繰り返される氷河時 代でした。 人びとは、多くの種類の石器とともに、木や骨・角などを 材料とした道具を使用していました。そしてナウマンゾウ やオオツノジカなどの動物を追い、平野や河川を望む段丘 や台地の上を移り住みました。また魚を獲ったり、クルミ などの木の実も採集していました。 石川県内でも、約3万年前には人々の生活が始まりました。 そこからは、東西日本各地の石器に類似した製品も出土し ており、幅広い移動・交流の行われていたことがうかがえ ます。 |
|
≪縄文時代≫ (約1万2、000年前〜2,300年前)) 氷河時代の終わり頃になると気候は温暖化し、日本列島 には、現在と同じような温帯の動物や森が現れました。縄 文時代の始まりです。この新しい環境の中で、人は土器を 使い始めます。 それまでの、焼く・蒸すあるいは生のままの食事に“煮る” という調理方法が加わりました。肉や魚は煮汁とともに、 一層おいしく食べられるようになりました。そして何よりも、 アクの強い山菜やトチ・ドングリ・クリなどといった、栄 養豊富な木の実の食用が可能になりました。また食料の少 なくなる冬場に備えた、木の実類の貯蔵も始まりました。 さらに弓矢や釣針・漁網などの使用は、人々の生活を豊か にし、約9,000年前には竪穴住居での定住生活が開始 されました。 |
|
さて、目的の土偶には会えなかったのですが、気を取り直して1F展示室へと戻りました。以下は写真と展示パネルによる解説となります。 そしていつものように、小生が使用している縄文時代の年代区分を載せておきます。 【AMS法による区分】 草創期 15,000〜12,000年前 早期 12,000〜7,000年前 前期 7,000〜5,500年前 中期 5,500〜4,500年前 後期 4,500〜3,300年前 晩期 3,300〜2,800年前 |
|
目的の土偶が展示室に無かった事で動揺したのですが、今回の“縄文巡り”の前途を暗示しているのか否か? 金沢駅→石川県埋蔵文化財センター→ホテル、というタクシーでの移動の料金などを考えると、レンタカーでの移動や翌日の行程を考えれば、もっと良い方法を取り得たのでは・・。との反省は次回へと引き継がれるでしょう。 しかし、ホテルの場所が金沢城と兼六園の近くだったことで、暗くなる前に金沢城見学へ行けました。ここは、アベックの見物客が殆どでした。縄文見物の殆ど人の居ない施設とは大違いです。 明日は、富山へ移動です。 【反省1 該当施設行き以外のバス便利用の際は、当該施設へ問い合わそう】 |
|