2018年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅 群馬県立歴史博物館 ≪2018年10月14日≫ |
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昨日の軽井沢から高崎までの切符は、事前には入手していませんでした。軽井沢駅の近くで燃料を満タンにして、レンタカーを返却すれば駅の「みどりの窓口」で新幹線のグリーン席を購入(フルムーン切符を提示すれば、無料で入手)する。案内板には、14:59分は丁度、出発したところで、次発の15:55分(高崎着:16:14)の便に空きがあり無事購入。 乗車時間19分で高崎駅に着き、予約しているビジネスホテルへ向かうのだが、まずは、明日の“ぐるりんバス”のバス停を探します。そして、無事バス停を見付けて時刻表を確認、事前に入手している情報と一致。 さて、宿泊先は、駅の反対側へ向かいます。そして、スーツケースをゴロゴロと引きずりながら向かう途中に、該当のホテルの案内があるものの、信号を渡った先で判らなくなるという、アクシデント。 結局、電話でホテルまでの道順を尋ねると直ぐ目の先でした。そんな珍道中も、ホテルに到着すると、無事に今日の行程は終わりました。 【関連リンク先】 群馬県立歴史博物館 尚、小生が使用している時代区分を以下に記します。 【AMS法による区分】 草創期 15,000〜12,000年前 早期 12,000〜7,000年前 前期 7,000〜5,500年前 中期 5,500〜4,500年前 後期 4,500〜3,300年前 晩期 3,300〜2,800年前 |
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・10月9日(火) 松山 岡山新大阪 金沢市(石川県埋蔵文化財センター) 金沢市 |
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・10月10日(水) 金沢市 富山市(北代縄文館・富山県埋蔵文化財センター・富山市民俗民芸村考古資料館) 富山 長野 松本 上諏訪 |
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・10月11日(木) 上諏訪 〜岡谷(岡谷考古館)〜富士見町(井戸尻考古館)〜北杜市考古資料館〜釈迦堂遺跡博物館〜甲府市 |
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・10月12日(金) 甲府市 松本 長野 軽井沢 〜御代田町(浅間縄文ミュージアム)〜高峰高原ホテル |
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・10月13日(土) 車坂峠〜槍ヶ鞘(ピストン) 高峰高原ホテル 〜軽井沢 高崎市 |
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・10月14日(日) 高崎市 群馬県立歴史博物館 高崎市 上野(国立科学博物館) 上野 東京 |
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・10月15日(月) 東京 新宿〜京王多摩センター(東京都埋蔵文化財センター) 東京 岡山 松山 |
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朝食を済ませ、駅のコインロッカーへスーツケースを預け、昨日、確認済みのバス停へ。バス停の前のベンチで待つ事、10分余り“ぐるりん号”がやって来ました。乗るのは、先ほどから同じベンチに座っていた“浮浪者風”のオジサンと私達の三名でしたが、出発すると同時に駅の方から手を振って、ご婦人がバスに駆け寄ってきました。 結局、4名を乗せてバスは出発です。オジサンは、いくらも行かない先の停留所で降りました。やがて目的のバス停“群馬の森”に着きました。そこで我々の習性は、帰りの便の確認です。時刻表の確認に行く相棒に話し掛けて来たのが、例のバスに手を振って同乗となったご婦人です。 『美術館にバス便のプリントがありますので、ついて来て・・』とおっしゃります。相棒はご婦人と歩きながら、どんどん進んで行きます。結局、ご婦人は近代美術館のボランティアガイドをしていて、バス便のプリントを無事に入手、お礼を言い別れたのでした。 1Fのホールが繋がっている“歴史博物館”の受付で「企画展示は、要らない」と、通常の入場券を自販機で購入。 ≪常設展示室≫は、【東国古墳文化展示室】から【通史展示】の≪原始≫→≪古代≫→≪中世≫→≪近世≫→≪近現代≫へ続いて【テーマ展示室】で終了です。続いての展示室は、企画展示室となります。 |
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【東国古墳文化展示室】 【通史展示】 ≪原始≫ ≪狩猟採集民の道具≫ ≪旧石器時代の道具とその変化≫ |
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最初のコーナーの埴輪には小生、大して興味はありません。しかし、次の≪原始≫コーナーに入ると、遊動する旧石器人として≪岩宿遺跡の発見≫のパネルが掲げられていました。以下に引用します。 ≪岩宿遺跡の発見≫ 昭和21(1946)年、相澤忠洋は岩宿遺跡(みどり市)で、旧石器時代の土層(赤土)の中から石片を見つけました。相澤はその後も調査を続け、昭和24(1949)年には、明らかに人工品である槍先形尖頭器を発見しました。これは、日本の歴史の常識をくつがえす大発見でした。それまで、旧石器時代の日本列島には人が住んでいないと考えられていたからです。 この発見をきっかけに、翌年にかけて岩宿遺跡の発掘調査が行われ、209点の石器が発見されました。そして、岩宿遺跡には少なくとも3時期のくらしの痕跡(古い方から岩宿T〜V文化)があることがわかりました。 上記、岩宿遺跡については縄文遺跡に興味を抱いた後、キーワードの如く出て来る遺跡ですので一度はみどり市へ訪れてみたいと、思っていました。 上記、岩宿博物館のサイトはコチラから |
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≪縄文至宝の部屋≫ | |
≪土製耳飾り≫ |
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≪深鉢≫ |
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≪縄文至宝の部屋≫は狭いコーナーで、ケースに飾られライトアップされていました。 耳飾りは土製品であり、非常に精緻な造りとなっています。また石製品やヒスイ製品など当時の人たちの生活が垣間見える身の回り品にも驚きます。 同時に、既に大型獣が絶えていた時期にも関わらず、石槍や尖頭器などの出土にも驚きます。この時代になれば、武器と云えば石鏃などが一般的なのでは?と考えますが・・ |
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≪土器文化と定住生活≫≪縄文時代の交流≫ ≪縄文人の祈り(縄文ストーンサークル)≫ |
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展示している品はそんなに多くはありませんでいた。しかし、県立の博物館はこうあるべきでは無いでしょうか。常設展示は、その地方の特色を出すことで良いのでしょう。“お宝”は、それぞれの市町村の遺跡が発掘された場所に設置された縄文館や考古館などに飾られるべきでしょう。 |
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≪弥生時代から現代へと向かう≫ | |
≪再葬墓の世界≫≪水稲農耕文化の展開≫ ≪人の移動と社会の再編≫≪古代≫ ≪中世≫ ≪近世≫ |
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≪群馬県立歴史博物館のパンfyレット≫ |
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県立の歴史博物館は、上掲のパンフのような展示が通常のことです。当然、どこの歴史区分に重点を置くかは、その県の特徴が出てきます。その特徴は、古代、中世、近世に顕われます。そして、ここ群馬の特徴は、古代における≪埴輪≫でした。 さて、小生の興味はもっぱら縄文文化にこそあります。 常設展示室を出ると、右手には企画展示室の入口があり、女性が応対していました。我々は、常設展示のみでしたのでホールの正面玄関に向かいます。 一時間ほどの観覧を終え、出口へと向かいながら、小生持参の水筒の水を口にしたとき、オネーサンに『済みません、飲食はその先のドリンクコーナーでお願いします』と声を掛けられました。小生は、がん治療の一つの放射線治療の後遺で『唾液腺』の障害を負っています。 その影響で、水筒を手放せません。美術館などで、観覧中(展示物を前にして)は水は口にしません。しかし、展示室を出てホールから出て行こうとするそのおり、前述のような注意をされることは二度目です。一度目は、愛媛県立美術館での事、玄関ホールで預けていた傘を取り出した際、水筒の水を口にしました、遠くのカウンターに居たオジサンが寄って来て『あちらに飲食コーナーがあります』と言ってきました。 相棒が『わざわざ出口まで寄って来て言わんでも・・』と小声で話し掛けてきましたが、そのカウンターに居たもう一人のオジサンが寄って来て、『体調が悪いんでしたらいいんですよ』とのフォローに救われた覚えがあります。 『世の中、捨てたもんではないんです』 さて、今朝貰ったバスの時刻表で発車時刻を再確認します。もちろん、事前に調べていた時間どおりの11:09分発のバスで高崎駅着は11:42分です。高崎駅では、行と逆の道順で予定時間どおりの到着でした。駅ビルでは、昨夕とは違う食堂で昼食としました。 さて、高崎発(12:38)→上野着(13:22)で東京へ移動し、いつものように駅のコインロッカーに荷物を預けます。 |
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