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2020年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅(九州) 鹿児島市ふるさと考古歴史館(2020年2月14日) |
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鹿児島県歴史資料センター黎明館を10時頃に出発しました。入力したナビに従ってレンタカーは、一路、指宿方面へと走らせます。市街地から郊外へと向かっていますが、通行量は思ったより多い道です。やがて、バイパス風の道を外れて、JRの線路を横切って山裾のような場所へと導かれます。そして、広い駐車場に到着したのは、11時15分頃でした。 歴史館は、駐車場からは道路を挟んで向かい側にありました。 いつものように、下記にこのサイトで使用している縄文時代の時代区分を載せておきます。 【AMS法による区分】 草創期 15,000~12,000年前 早期 12,000~7,000年前 前期 7,000~5,500年前 中期 5,500~4,500年前 後期 4,500~3,300年前 晩期 3,300~2,800年前 【関連リンク先】鹿児島市ふるさと考古歴史館 |
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さて、朝一番に鹿児島県歴史資料センターに寄って、今日、二番目の博物館となります。外観からは、こじんまりとした感じを受けます。上の当初予定のスケジュールでは、明日の予定となっていますがスッキリしない天候では仕方がありません。入り口には、パネルが掛けられていましたので、以下に引用します。 ≪火山県、かごしま≫ 世界有数の火山地帯である日本列島、その中でも、南九州・鹿児島では活発な噴火活動が数多く見られます。なぜこの南九州に火山が集中しているのでしょうか? その謎を解く鍵は、薩摩半島と大隅半島に挟まれ、日本百景にも選定されている鹿児島湾(別称、錦江湾)にあります。鹿児島湾の水深は非常に深く、最も深いところで237mにもなります。この地域では、鹿児島湾を中心に東西に引っ張る力が働いているため、地下深くでは亀裂が生じ、マグマが上昇しやすくなっているのです。 霧島から鹿児島湾に至るこの地域は鹿児島地溝と呼ばれ、現在も活発な噴火活動を続ける硫黄島や諏訪之瀬島などもこの延長上にあります。 パネルには、上の文が書かれていました。そして、左の図に書かれた5箇所の『カルデラ』こそこの国の歴史を語ってくれることとなります。 日本列島でのカルデラ噴火の直近の例として7,300年前の『喜界アカホヤ噴火』と、3万年前の『姶良丹沢テフラ火山』は、この地図上に載っています。 日本列島におけるそれ以前のカルデラ噴火も地質学上では、記録されていますが、それらの噴火を我々の祖先は見ていません。つまり、日本列島に祖先が足を踏み入れた後のカルデラ噴火は、上記の2例となるようです。 またパネルでは、火山灰の地層(シラス台地)や剥ぎ取りの地層などの説明などが書かれています。 |
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この博物館は、2階に入り口があって、2階から1階へと螺旋状に展示されています。非常に珍しい造りの展示となっています。その2階の入り口が≪エントランスホール≫であり、続いて≪導入展示≫として、『地震から見る鹿児島市の歴史』と呼ばれています。 |
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続いて、この項の最初の写真の風景が目に入ってきます。その1階まで降りていくまでの≪常設展示室1(スロープ展示)≫(・旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・古代・中世・近世・近代)の展示があります。つづいては、年代別に紹介いたします。 ≪旧石器時代&縄文時代前半≫ 旧石器時代:土器が一般的に使われる前の時代 地球上の多くの場所が氷におおわれる氷河期と時期が重なります。 地球全体の海水面が下がり、 日本列島は大陸と陸続きになった時期もありました。 この時代の人々は動物を狩り、季節や環境の 変化に合わせて食べ物を探して 移動する生活をしていたと考えられています。 ナウマンゾウやオオツノジカなど大陸から渡って来た 大陸の動物たちは重要な栄養源でした。 縄文時代前半:気候が暖かくなるにつれ、海面は上昇し、ドングリの森が広がった。 ナウマンゾウなど大型動物に変わってシカやイノシシ、 鳥類など動きのすばやい小動物が増えたことで、 人びとは弓矢を作り、狩猟の技術を発展させました。 また、土器の発明で食べ物を煮たり貯蔵したりすることが 可能となり、生活が安定してくるにつれ、 人びとは集落を作って定住生活をするようになりました。 土器の表面に網目で文様をつけたことから 縄文時代と呼ばれてますが、この時期の鹿児島では 貝殻の文様が主流でした。 この展示では、鬼界カルデラ大爆発(約7300年前)を 境として、縄文時代を前半・後半に分けて紹介します。 ≪縄文時代後半≫ 東シナ海に面する地域や鹿児島湾内で貝塚がつくられた 貝塚はそこに住んでいた人びとのゴミ捨て場と考えられており、 捨てられた土器や石器の破片のほか、貝輪などの会製品、 イノシシやシカの骨や角を素材とした 釣針やかんざしなどが多数見つかっています。 また、動物や魚の骨、大量の貝類が出ていることから、 当時の人々の豊かな食生活の一端を垣間見ることが出来ます。 |
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以上が、旧石器時代から縄文時代の展示です。ここ鹿児島市ふるさと考古資料館では、縄文時代を前半部と後半とに分けて展示しています。そのことが、ここ鹿児島県の先史時代を物語っているようです。それは、縄文時代の前半のパネルに『鬼界カルデラ大爆発(約7300年前)を境として』の文言で明白です。 このことは、カルデラ噴火の影響力が他の地域とは別の意味を持っているという事なのです。もちろん、世界遺産登録を目指している北海道・北東北の縄文遺跡の地域では、一切、カルデラ噴火の影響を受けていませんので、こういう区切りはありません。 |
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ずう~っとスロープを降りて来ると、パネルには≪弥生時代、古墳時代≫→≪古代≫→≪中世≫→≪近世≫と続きます。すると、気になるパネルが飾られていました。以下に引用します。 掃除山遺跡の線刻礫 常設展示室 新・展示資料(2019/1/2~) 平成2~3年(1990~1991)、西谷山小学校西側の台地で掃除山遺跡の発掘調査が行われました。発掘調査では、縄文時代草創期(約12,800年前に桜島から噴出した火山灰に覆われていた)の住居跡や煙道の付いた炉穴、土器、石器などが発見されました。 展示品は、掃除山遺跡で出土した不思議な形状の石です。石材は砂岩で、幅・深さ・長さの異なる溝が刻まれています(線刻)。愛媛県久万高原町の上黒岩岩陰遺跡(国指定史跡)でも線刻礫が出土しており、縄文時代の「女神像」(線刻で女性の神や乳房が表される。信仰の対象と想定)とされています。 今回、鹿児島市教育委員会では、専門家に鑑定を依頼し、①線刻は意図的に施されている。②線刻のばらつきや施された場所から砥石(実用品)の可能性はないとの知見をいただきました。以上のことから、掃除山遺跡の線刻礫は、“何か”を表現しようとした縄文人の意思の痕跡が残る貴重な資料であることが分かりました。近年、同様の資料が鹿児島県南九州市牧野遺跡でも発見され注目を集めています。さらなる類例の増加が待たれます。 上掲のパネルのように、“線刻礫”の写真と解説文が展示されていました。しかし、何を刻んだのかが不明なままでは、意味を持たないでしょう。 尚、右の写真は、上の文でも紹介されている小生の地元の≪上黒岩岩陰遺跡≫の“縄文のヴィーナス”像が描かれた線刻礫です。 |
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≪不動寺遺跡≫ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
≪常設展示室2 不動寺遺跡コーナー≫へと続きます。パネルの解説では≪低地に住んだ縄文人≫→≪縄文人の豊かな生活≫→≪川とともに生きる人々≫が架けられています。しかし、壁面や展示台にに飾られた土器や石器の類は、多種多様です。 |
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展示コーナーには、所狭しと遺物が展示されています。ここまで、私たち以外は誰も見学に訪れません。独り占めじゃなくふたり占めです。唯一、“発掘体験コーナー”に居た男性学芸員らしき人は、いつの間にか居なくなって、話しかけることも出来ませんでした。 常設展示室2には、他にハンズオン体験コーナーや明治日本の産業革命遺産コーナーがあります。こちらについては、小生らが紹介するメインテーマでは無いので割愛します。入口は2階でしたが出口は1階だったので、見終えると自然と建物の外へ出ることとなりました。 |
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12時頃には鹿児島市ふるさと考古歴史館を出て、慈眼寺公園にある駐車場を後にしました。 鹿児島の市街地から海沿いの道を走って、歴史館は山沿いでしたが、次の訪問地である指宿へと続く道も同様に海が望める場所もあります。暫く車を走らすと、道路の案内板に『道の駅』との案内が出てきました。まもなく左手に道の駅いぶすき彩花菜館と案内があり、遅い昼食を取りました。 |
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さて、このレポートを書いている時点(3月25日)での情報でも、日本列島で『新型コロナウイルス感染症』の感染者が出ていない希少な県(4県のみ)の一つが鹿児島県です。下に後日、ホームページに掲載されていたので引用しておきます。 鹿児島市立ふるさと考古歴史館 2020.02.29 3月末日までのイベント中止について 【お知らせ】 新型コロナウイルス感染拡大を防止するため、3月末日まで 次のイベントを中止いたしますので、ご了承ください。 なお、館は通常どおり開館いたします。 [休館日は月曜日(休日の場合は翌平日)です] ・3月7日(土曜日) 「春のふれあいコンサート&メルヘンおはなし会」 ・3月15日(日曜日) 「子ども教室、郷土菓子(ふくれ菓子)を作って食べよう」 ・3月20日(金曜日) 「考古館映画会」 ・3月21日(土曜日) 「ふるさと考古歴史館教養講座」 ・3月22日(日曜日) 「子ども教室、南の島の貝がらでフォトフレームを作ろう」 ・3月29日(日曜日) 「春のふれあいフェスティバル」 ・毎週土曜日及び日曜日 「こうこかん映画会」 鹿児島市立ふるさと考古歴史館 館長 のお知らせが発表されています。幸運にも、今回、小生らの『フルムーン夫婦の旅』が無事に実行されました。 |
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