縄文文化を巡る!   
 2020年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅(九州)
鹿児島県歴史資料センター(2020年2月14日)

 朝早くから土砂降りの雨が降っていました。今日からは最終日までレンタカーを借りていますので、スーツケースを引きずっての移動は、そんなに頻繁にはありません。朝食を終え、チェックアウトを済ませ「タクシーを呼べますか」と、フロントでお願いするも「現在。出払っていて来れないそうです」との返事です。
 外は本降りの雨。仕方ありません、傘をさしホテルの前の電停へ向かいます。電停で女性に「鹿児島中央駅へは、こちらでいいですか?」の相棒の問いには「信号で停まっている次の電車がそうです」との親切な応えです。

 無事に乗り込んだ満席の電車内で運賃を準備し、鹿児島中央駅では大勢の乗客と一緒に降りました。昨日から利用している東口とは違って、レンタカーの営業所は西口と書かれています。西口を出て暫く探しますが、見つかりません。結局、手持ちの店舗詳細に書かれている地図には店の位置は書かれていましたが、出口の位置が分かりませんでしたので、駅出口を出てからの方向を間違っていました。

 無事にレンタカーを借りましたが、その際「大きな傘を持って行きますか?」と、営業所のオネーサンは親切な対応です。



 いつものように、下記にこのサイトで使用している縄文時代の時代区分を載せておきます。



【AMS法による区分】

草創期   15,000~12,000年前
早期     12,000~7,000年前
前期     7,000~5,500年前
中期     5,500~4,500年前
後期     4,500~3,300年前
晩期     3,300~2,800年前




【関連リンク先】鹿児島県歴史資料センター黎明館 

 
 ・2月11日(火)  松山  ~岡山 ~博多 ~大野城(コミュニティバスで大野城心のふるさと館を往復) 博多  ~姪浜(経由) ~東唐津(泊)
 ・2月12日(水)  東唐津  ~(末蘆館)唐津  ~吉野ヶ里公園(タクシーで往復)  ~鳥栖(泊)
 ・2月13日(木)  鳥栖 ~新鳥栖 ~熊本 ~山鹿市(山鹿市立博物館まで往復) ~ 熊本城観光 ~ 熊本 ~鹿児島中央(泊)
 ・2月14日(金)  鹿児島中央 ~鹿児島県歴史資料センター ~鹿児島市ふるさと考古歴史館 ~指宿市考古博物館 時游館 Cocco はしむれ~指宿(泊)
 ・2月15日(土)  指宿  ~姶良(姶良市歴史民俗資料館) ~上野原縄文の森 ~霧島温泉(泊)
 ・2月16日(日)  霧島温泉  ~西都市(西都原考古博物館)  ~宮崎埋蔵文化財センター ~宮崎市(泊)
 ・2月17日(月)   宮崎市  ~鹿児島中央  ~岡山  ~松山
 
【当初の計画】
 
 
 ・2月14日(金)  鹿児島中央  ~指宿(泊)
 ・2月15日(土)  指宿  ~指宿市考古博物館 時游館 Cocco はしむれ ~鹿児島県歴史資料センター 鹿児島市ふるさと考古歴史館 ~姶良(姶良市歴史民俗資料館) ~霧島温泉(泊)
 ・2月16日(日)   霧島温泉  ~西都市(西都原考古博物館)~宮崎埋蔵文化財センター ~宮崎市(泊)
 ・2月17日(月)  宮崎市  ~上野原縄文の森 ~鹿児島中央  ~岡山  ~松山
 
 

 さて、TVで昨日からの雨模様の週間天気予報を見ていて「明日の指宿方面でのトレッキングは止めとこうか」との思いに至って、土曜日の指宿から霧島温泉までに立ち寄る計画(上表参照)にしていた≪鹿児島県歴史資料センター≫と≪鹿児島市ふるさと考古歴史館≫を、前倒しで済ます事としました。

 それ以降の計画はあらためて計画し直す事とします。

 という事で、ナビには鹿児島県歴史資料センターを入れて出発です。鹿児島中央駅から、市街地をナビどおりに進みます。目的地に近づいてナビが「この先を左折」の指示があります。小生、通勤時間帯の慌ただしく通行する車の流れに沿っての走行中、案内表示を見つけられないまま、左折の場所を通過してしまいました。結局、直ぐ先の信号で左折して、引き返す羽目になってしまいました。

 仕切り直しで、無事にセンターの駐車場に着きました。そこでは、整理の人が案内してくれていました。駐車場には8時50分頃に着き、先着のご夫婦らしき方(レンタカーか?)も、車中で開館を待っている様子です。開館時間は9時ですので、少し待ってから入館です。


尚、駐車場への入り口が判り難く迷ったのは、以下の案内を後日知りました。案内してくれた人は、工事関係車両の誘導・案内をしている人だと判明しました。

 

≪鶴丸城御楼門建設工事に伴う黎明館正門の通行止めについて≫

丸城御楼門建設工事のため,下記のとおり黎明館正門(御楼門部)からの出入りが出来なくなります。つきましては,御迷惑をお掛けしますが,北御門入口(国立病院機構鹿児島医療センター側)へ迂回して御来館くださいますよう,御協力をお願いします。
お,車での御来館は通常どおりです。


通行止めの機関

平成30年9月25日(火曜日)~2020年4月11日(土曜日)まで
お,工事の進捗により日程が変更される場合もありますので,御了承ください。その際は,またお知らせいたします。




 駐車場は黎明館の裏側でした。工事の機材などをわき目に、正面玄関へと回り込むと、鶴丸城御楼門建設工事が目の前に見えてきました。入館は、丁度9時頃でした。
 当然、何処の県立の博物館も同じように、常設展と企画展が行われています。今日の私たちはと言うと、主には常設展の見学という事です。順路に従って進むと下のパネルが迎えてくれます。


≪鹿児島の自然≫

 鹿児島県は、薩摩半島・大隅半島を含む九州南端部(本土)とその周辺及び南西海上に連なる島々からなっています。
 本土は、今から10~3万年前に活動した姶良・阿多火山からの噴出物(シラス)におおわれており、現在活動している火山も多く、日本有数の火山地帯です。
 地形は、南北に約600kmと長く、高い山も多いので温室・暖帯。亜熱帯の生物が豊富に観察されます。
 佐多岬では、県本土の海岸地帯を代表する亜熱帯植物相が見られます。
 また、吐噶喇列島の小宝島から南の島々には、サンゴ礁が発達して独特の風景を見せています。
 特に沖永良部島では、隆起したサンゴ礁の中に美しい鍾乳洞が発達しています。
 


  


 会場に足を一歩踏み入れますと、今回の九州各県の博物館巡りでは初めてとなる県立の展示館ですが、さすがの規模と装いです。



 
 旧石器時代から縄文時代へと展示が続いていますが、それに続いて『南島の先史時代』コーナーがあります。これは、唯一日本列島で語ることが出来る、南の島へと続く文化です。展示のパネルから、以下を引用します。

 
≪旧石器文化≫

 人類の長い歴史の中でいちばん古い時代を旧石器時代とよんでいます。
 そのころは氷河時代ともよばれ、寒い氷期と暖かい間氷期とがくりかえしおとずれました。氷期には海水面が今よりも低く、日本列島の一部とアジア大陸とが陸続きになったこともあり、大陸の各地から動物や人が日本列島へやってきました。
 このころの人々は、各地を移動しながら狩りをして暮らしていました。道具としては石器や木器・骨角器などがあります。中でも、石器は暮らしをささえる大切な道具で、形やつくり方には時期や地域によるちがいがみられます。

 
  このコーナーの中央には“落とし穴”が展示されています。勿論、イノシシを獲るための罠です。この時代の遺物は石器が主となりますが、日本列島のあちらこちらから掘り出されているにもかかわらず、地域差がさほどありません。



≪縄文文化≫

 一万二千年ほど前、弓矢で狩りをし、土器で食物を煮炊きする新しい生活が始まりました。それからほぼ一万年間を縄文時代と呼んでいます。
 早い時期の南九州の縄文文化は、他の地域に先がけて目覚ましい発達をみせていました。
 その後、火山の大噴火や気候の寒冷化などの影響を受けながらも、後期になると再び文化の発展をみるようになります。
 このことは当時の植生と深いかかわりがあり、草創期から早期及び後期のいずれの時期も、南九州には落葉広葉樹の森が広がり、その森の恵みをうけて文化の調達がなされたものと考えられています。

 
 ご承知のとうりに、縄文時代は地域差や時代差が幅広い時代です。それは、小さな集団が様々な地域に散らばっているにも関わらず、その地方地方で独創的な文化の発展の仕方をしているからです。
 最も古い縄文土器といわれている土器は、本州の最北端。青森県。外ヶ浜町『大平山元遺跡』出土の土器片で、約16,500年前の出土となります。こちらの遺跡は『国会道・北東北の縄文遺跡群』として、他の15遺跡(参考遺跡2ヶ所)とともに世界遺産登録の申請をしています。
 しかし、本州最南端の地である鹿児島県にも、同様の縄文土器が掘り出されている事に驚きます。



≪南島の先史文化≫

 鹿児島の南には、薩南諸島とよばれる島々がつらなっています。さらにその南には沖縄の島々を経て、はるか台湾やフィリピンへと海上の道が続きます。
 遠いむかしから、この海上の道をたどってさまざまな交流がおこなわれてきました。南島の土器には本土の縄文土器の影響がうかがえるものもあり、本土で出土する貝製品の中には、南島から持ち込まれた貝でつくられているものが少なからずみられます。
 南島の先史文化は、多くの地域との長い間にわたる交流をとおしてはぐくまれていきました。


 

 
 先にも紹介しました青森県の場合は、北海道と密接な文化的繋がりがありました。しかし、ここ鹿児島の場合は、南へ延びる島々との文化的繋がりが見受けられるとの事です。この南の島々との文化的繋がりは、影響を受けたと思われるものと、主な文化の底流に流れる異文化を許容しない文化との違いで、後の文化圏の違いとして分けれるものでしょう。

 それは、沖縄諸島に育まれた歴史を参照すれば歴然です。それは、

 
本州 旧石器時代 → 縄文時代 → 弥生時代 → 古代 → 中世
 沖縄                   → 貝塚時代 → (琉球) → グスク


 との、弥生文化が相容れなかった点では、北海道と同様の軌跡をたどることとなりました。この南の島文化は非常に興味深いものです。残りの何日かが期待大です。




≪弥生文化以降≫

 

  

 

 

 


 『歴史資料センター』という名称から、博物館とか縄文館とかに特化していないので、様々な資料が展示されていました。そして、上の写真でみられるように、地域が違っていても同様な祭りや祈りが行われている様が窺えます。それら風習も興味深く見て回ったのでした。

 さて、黎明館を出たのは10時前でした。あらためてナビに次の目的地の『鹿児島市ふるさと歴史考古館』を入れ直し、出発です。


 


後日、鹿児島県歴史資料センター黎明館のホームページにて


黎明館行事の中止・休止のお知らせ

新型コロナウイルスなどの感染拡大を防止するため。下記の行事を中止または休止いたします。

【中止する講座など】
3月1日(日曜日)学芸口座「鳥羽の戦いと薩摩藩の砲兵」
3月8日(日曜日)企画展「あの人の家族への手紙幕末維新」展示解説
3月14日(土曜日)学芸口座「幕末薩摩を支えた家老たち」

【休止する催し物】
毎週日曜日御膳11時から行われる「ウィークリー・ミュージアムガイド」



開催中止・延期のお知らせ

新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため。下記催し物が開催中止・延期となりましたので、お知らせいたします。

【開催を中止する催し物】
第104回二科展巡回鹿児島展

【開催を延期する催し物】
写真展オードリー・ヘプバーン)2921年春に延期)
お問い合わせは南日本新聞社事業部099(813)5053まで


のお知らせが発表されています。幸運にも、今回、小生らの『フルムーン夫婦の旅』が無事に実行されました。