縄文文化を巡る!  
 2019年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅(北海道・北東北)
手宮洞窟保存館小樽市総合博物館(2019年6月20日) part-2

 今日の最初に訪れたかった総合博物館・本館を入ると、正面に列車が置かれていました。何故、小樽市の総合博物館が鉄道博物館になったのかは知る由もありません。どの展示室も鉄道に関連するものばかりで、小樽市の歴史に関するものには出合えませんでした。
 そんな中、『構内を走るSLに乗れる』というアナウンスを聞き、乗ってみることとしました。乗車時間は5分ほどで、機関車の転回場で10分ほどを要して帰ってきました。やはり、小さな子供連れの人達が主役でした。


 ここ本館の見学は適当に切り上げて、「小樽市の歴史資料の展示は運河館でも見れる」との情報を頼りに、そちらへ向かうこととしました。


【関連リンク先】 
小樽市総合博物館 本館及び運河館  手宮洞窟保存館



 
 
・6月17日(月) 松山  ~岡山 ~東京 ~新函館北斗 ~函館(泊)
・6月18日(火) 函館  ~洞爺  ~有珠山トレッキング 洞爺湖温泉(泊)
・6月19日(水) 洞爺湖温泉 (撮影) ~入江・高砂貝塚~北小金貝塚~東室蘭(泊)
・6月20日(木) 東室蘭  ~札幌~小樽  ~小樽市総合博物館・手宮洞窟保存館
 ~小樽(泊)
・6月21日(金) 小樽  ~札幌~大麻(北海道埋蔵文化財センター) ~札幌 
 ~函館(泊)
・6月22日(土) 函館  ~新函館北斗  東京  ~佐倉(泊)
・6月23日(日)  (国立歴史民俗博物館)佐倉  ~東京  ~岡山 
 ~松山
 

 


 移動は小樽運河を見ながら歩いて行く事としました。運河館へ向かう途中、観光客に出合う筈・・・が、あまり出合いません。有珠山などでは、近隣諸国の人らしき人達が団体で訪れていたのにねぇ~。只、個人旅行らしき人には出合いました。北運河と書かれた辺りを歩いて行くと、次々と人力車に乗った人達とすれ違います。


 


 結局、14時半頃に運河館へ到着しました。


【AMS法による区分】

草創期   15,000~12,000年前
早期     12,000~7,000年前
前期     7,000~5,500年前
中期     5,500~4,500年前
後期     4,500~3,300年前
晩期     3,300~2,800年前






 この運河沿いにある建物は、レンガ造りの建物が並んでいます。小樽市総合博物館(運河館)の向こうには、運河プラザという建物があり、観光案内所やお土産コーナー・喫茶コーナーがあります。この周辺は、小樽駅からの周遊コースとして案内されているようです。さて、総合博物館(運河館)の受付を終え、第1展示室へ入ります。市の博物館といえば、お決まりの『小樽の歴史』についての展示がありますが、前稿の本館でその展示があるものと思っていましたが、こちらの運河館での展示となっています。

 まず、≪北前船の模型≫や≪復元された商家≫などの展示があります。そんな展示物を見て回っていると、ガヤガヤと小学生らしき子らが見物に来ました。さて、この子らは何? 学校は休みなのでしょうか。

 すると、あるコーナーで流されていたビデオを行儀よく見たりもしていました。

 

 この運河館の由来などについて、以下の紹介文を載せます・


≪歴史的建造物 旧小樽倉庫≫

当館は明治26年に建てられた「旧小樽倉庫」の一部を利用しています。小樽倉庫は加賀の承認西出孫左衛門、西谷庄八によってつくられた営業用倉庫で、穀物や海産物などを預り受ける事業に使用されていました。
建物は木造の外壁に軟石を張り巡らせた「木骨石造」と呼ばれる、小樽の倉庫建築独特の様式になっています。屋根は北海道では珍しい瓦ぶきで、大きなシャチホコが上げられていることも特徴的です。




 すぐ先に、中庭風の場所へと出口があり、そこへ出るとすぐ先に[第2展示室]の入口が迎えてくれます。こちらの建物もレンガ造りです。ドアを入ると、蝶などの昆虫類を始めジオラマの森には、小動物からヒグマまで展示されています。


 そして、奥の部屋に向うと、やっと、小樽市の遺跡からの遺物の展示が見えてきました。そのスペースとの間には、洞窟へ入って行くかのような雰囲気を醸し出しています。やはり、そのスペースには、≪手宮洞窟古代壁画彫刻(レプリカ)≫とのプレートが掲げられていました。

≪陳列棚 A≫




≪陳列棚 B≫




≪壁面パネル≫



 

≪陳列棚 A≫

 

 


≪陳列棚 B≫

 

 


≪忍路(おしょろ)土場遺跡出土の土器群≫




≪陳列棚 C(【忍路(おしょろ)土場遺跡出土の土器群】)

 

   



 上掲の忍路土場遺跡の土器類は、口縁部が独特の形をしています。信濃川流域の火焔土器とはまた一風違っています。この時代、特許制度などはなかった筈なので、火焔土器を真似るのなら同じような形にしているでしょうが、どういう事なんでしょうねぇ~。

 しかし、北海道では交流の濃い北東北や信濃川流域とは、気候も採集した食料も違っていた筈なので、これらを調理する土器類も違っていても何らおかしくもありません。

 下記に転用しているのは、当館の≪パンフレット≫から。


≪小樽の古代を知る≫
第二展示室後半には、小樽市西部にある忍路土場遺跡跡(縄文時代の末期・前3500年前)の発掘資料を展示しています。発火具や漆製品など当時の生活を知る上で貴重な資料も公開しています。シュミレーターでは、当時の火起こしを体感できます。

≪当時の生活を≫




 

 小樽市総合博物館本館を訪れた際は随分と落胆しましたが、ここ運河館の第二展示場でやっと、目的を果たせたのでした。それにしても、昨日の室蘭での宿泊と、朝一番の特急電車での移動での小樽という行程は、十分には練られていない行程でした。
 この旅行の日程と行程の作成については、明日以降についてもトラブルは起こるのでした。


【資料集】

 忍路環状列石(wikipedia)