縄文文化を巡る!  
 
2019年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅(北海道・北東北)
市立函館博物館・北方民族資料館(2019年6月22日)


 函館市での宿泊は、帰路に東京周辺の博物館に立ち寄る計画とすると、最寄りの新幹線の沿線で宿を取る事が望ましいと考えたからです。そこで、函館市周辺の博物館をweb検索した結果、市立の博物館がヒットしたのです。そこでは、以下が載っていました。

施設紹介

 博物館本館には、出土銭貨としては日本最大量を誇る国指定重要文化財「北海道志海苔中世遺構出土銭」を含む考古資料、アイヌ風俗画などの美術工芸資料、ペリー来航・箱館戦争・函館大火などに関する歴史資料、函館の古き良き時代を物語る民俗資料、地質/鉱物/化石資料や北海道内外の動植物資料をはじめとした自然科学資料などが収蔵・展示されています。


 と紹介されていて、いわゆる各市町村にある博物館と同様だろう・・と、計画を立てていたのです。交通アクセスは、函館駅前からは、路面電車が便利でしたので、宿泊先の駅前のホテルにスーツケースを預けて出発です。8時過ぎにホテルを出て、電停で電車を待ちます。直ぐに来たのは行き先が違っているので、パスします。直ぐに『谷地頭』行が来たので乗りました。料金は230円です。

 『青柳町』電停で降りますが、まだ8時半にもなっていません。開館は9時ですので、博物館がある函館公園を散策して時間潰しです。旧函館博物館1号と、すぐ隣に2号がありますが、どちらも今は利用されていないようです。有形文化財との表示もあります。

 時間潰しも終わってさて入館ですが、博物館の手前には以下の立て看板が建っていました。



市立函館博物館

 市立函館博物館は一九六六(昭和四一)年に、それまで吸い山間、先住民族間で公開していた資料を引き継いで開館し、現在は考古・歴史・民族・美術・自然・民族の貴重な資料を多数所蔵しています。
 △考古
 北海道の旧石器・縄文文化を代表する樽岸遺跡や住吉町遺跡、サイベ沢遺跡などの発掘資料(いずれも北海道指定文化財)、および恵山貝塚の骨角製品、函館市志海苔町から発見された日本一の出土量を誇る志海苔出土銭などを収蔵。展示しています。



 と書かれて、以下≪歴史・民俗≫≪美術≫≪自然≫≪民族≫等の展示の紹介がされています。



【関連リンク先】 
市立函館博物館


 
 
・6月17日(月) 松山  ~岡山 ~東京 ~新函館北斗 ~函館(泊)
・6月18日(火) 函館  ~洞爺  ~有珠山トレッキング 洞爺湖温泉(泊)
・6月19日(水) 洞爺湖温泉 (撮影) ~入江・高砂貝塚~北小金貝塚~東室蘭(泊)
・6月20日(木) 東室蘭  ~札幌~小樽  ~小樽市総合博物館・手宮洞窟保存館
 ~小樽(泊)
・6月21日(金) 小樽  ~札幌~大麻(北海道埋蔵文化財センター) ~札幌 
 ~函館(泊)
・6月22日(土) 函館  ~新函館北斗  東京  ~佐倉(泊)
・6月23日(日)  (国立歴史民俗博物館)佐倉  ~東京  ~岡山 
 ~松山
 

 


 入館料は一人100円でしたが、私達が一番のりでした。
 玄関ホールには、展示ケースに出土遺物が飾られていました。また片隅に休憩場所が設けられていて、そこには展示物の説明をしているプリントが置いてありました。ケースに展示している『日の浜遺跡の遺物』については、『縄文人とイノシシ -日の浜遺跡の動物形土製品ー』として、紹介されていました。




『縄文人とイノシシ』 -日の浜遺跡の動物形土製品ー
(一部、引用)

 縄文時代の北海道にはイノシシは棲息しません。しかし、函館市戸井貝塚や洞爺湖町高砂貝塚等からは牙を材料にした装飾品や大量の骨が発見されています。また、乙部町三ッ谷貝塚からはイノシシの頭骨を積み重ねた骨塚が発見されています。北海道の縄文人にとってイノシシは、本州同様に祭祀儀礼の対象であり、牙は威信財としての価値を持つ存在でした。(以下略)
 




≪日の浜遺跡出土≫

 



 

 



≪北海道志海苔中世遺構出土銭≫

国指定重要文化財






 館内案内図によると、この階が2階でした。ホールの奥に第一展示室があります。そこは、『昭和・なつかしの暮らし展』が模様されていました。どんな小さな街の博物館でも、その一角に展示されているものです。わざわざ四国から見に来る価値があるでしょうか。





 ぐる~っと見回しても、5分と掛かりませんでした。さて、常設展示は上の階にあるのでしょうか。と、階段を上がって、第二展示室へ入ります。階段を昇る際にも眼にしたポスター(右写真)です。これは、特別展として開催されているものだと承知していましたが、3階の第二・第三の展示室がこれで埋め尽くされているとは、思いもよりませんでした。


 結局、常設展示として展示されていた遺物は、玄関ホールの片隅の二個の展示ケースのみでした。市のhpで紹介されている市立函館博物館の「施設紹介」や博物館脇の紹介文にある展示はされていませんでした。
 私達は、早々に退館する事にしましたが、消化不良は否めません。そこで、館員に「日の浜遺跡の見学は出来ますか?」「ここからはどういう方法で行けますか?」と尋ねましたが、とても公共交通機関を利用しては、昼過ぎまでには行けそうもありません。




 こんな博物館で終わるんだったら、わざわざ函館で一泊した意味がないじゃ~ありませんか。「憤懣やり方ない」思いですが、「アイヌの資料館へは、行けないですか?」には「函館駅までで、十字街停留所で函館ドッグ行へ乗り換えて、末広町で降りると北方民族資料館で展示しています」との応えです。


 早々に博物館を出て、朝降りた停留所へ向かいました。言われた乗り換えは選ばないで、十字街電停で電車を降り歩く事としましたが、小雨が降ってきました。
 北方民族資料館には、停留所から10分ほどで着きました。博物館と同じく市立の郷土館です。こちらの方は新しい建物で、随分と綺麗に展示されているようです。

 ≪左、アイヌ風俗12ヶ月屏風 右、バイダルカ(三人乗り皮舟)≫

 


≪山丹服≫

 
 


 展示ホールには、「アイヌ風俗12ヶ月屏風」やラッコ漁などに使われた3人乗りの「バイダルカ」(トドの皮をはったカヌー)などが展示されていました。展示室1には、アイヌ民族をはじめ北方民族の衣服や装身具などが展示されていました。

 私たちが、綺麗な衣装などを熱心に見て回っていると、ホールから一目散に奥へと向かう白人らしい集団が通って行きました。展示室は、1から7までに分かれていました。そして、北方民俗資料館の入館パンフレットには、以下の案内があります。


≪函館市北方民族資料館≫
【入館案内】

 函館市北方民族資料館は、「旧日本銀行白建て支店」(1926年建築)を利用して、平成元年「函館市北方民族資料館・石川啄木資料館」として開館し、平成5年「函館市北方民族資料館」として独立しました。
 館内は「展示ホール」と7つの「展示室」に分かれ、展示品は、開拓使などが収集した市立函館博物館の旧蔵資料、北方民族の研究で世界的に有名な馬場脩先生や元北海道大学名誉教授の児玉作左衛門先生が収集したコレクションなどです。国の重要有形文化財に指定されているものなど、きわめて価値の高い資料を見ることができます。


 展示室3には、アイヌ文化の成立に関係すると考えられている1000年以上前のオホーツク文化を象徴する土器や北方民族が使っていた道具などが展示しています。

 このオホーツク文化は、北海道の歴史を語る【縄文時代→続縄文時代→擦文時代→オホーツク文化→アイヌ文化】は、本土とは違った道を辿っています。このアイヌ文化を造った人達をアイヌ民族と呼んでいます。

 wikipediaでは、『アイヌ民族は和人とは違う民族集団』と述べられていますが、小生は、この説とは少々異なる持論を持っていますが、ここではその詳細には触れません。



 下のコーナーで、大勢の異国の方がVIDEOに見入っていました。先ほど見掛けた人達でした。どういう集団かは判りませんが、これまでの北海道の旅で見かけた東洋系の人達とは違う人達でした。




 北方民族博物館を出たのは、11時過ぎです。函館発の12:02の電車で新函館へと向かわなくてはいけません。路面電車に乗って、10分もかからず函館駅へと着き、新函館北斗で予定の便(12:48分発、はやぶさ24号で東京着17時4分)で移動。
 今日は、千葉県の佐倉まで移動します。東京駅からは総武線に乗り換えです。この路線には特急などの指定席券の発売がありません。ぐるぐると、東京駅を案内どおりに歩きます。まだ下りだけでしたので良かったのですが、スーツケースを持って階段の登りなどをぐるぐると回されたら、それだけでくたびれた事でしょう。

 さて、ホームに降り立ったものの、色んな種類の行き先表示があります。前もって、webの『NAVITIME』で検索していた便でも、千葉で乗り換えの便と直通の便とがありましたが、何分、都会での電車利用には不案内。相棒が電車待ちのご婦人に訊ねると、『後の便が直通ですのでそちらを利用した方が良い』との進言でした。


 この総武線の利用には、後日談がありますので、乞うご期待。