2003年           




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 6日【三国岳(峠)】
 満開の桜が咲く、吹田のアパートを出たのは6時頃だった。今日は「フルカラー特選ガイド(比良・朽木の山・・)」に載っている三国岳を歩く予定で、いつもの様に名神から湖西道路経由で朽木村へと道をとった。ひょっとしたら山菜のお土産が・・・と、甘い考えもあって車を走らせていたのだが、登山口に近づくにつれて「ナンジャ・コリャ」状態になっていた。朽木村の奥は、まだ春は訪れていなかったのだ。
   
 生杉の集落で「三国岳の登山口のある“ナマスギ”は、こちらですか?」と、尋ねると「この先です」と応えてくれたが、この集落は“おいすぎ”だったりして・・とにかく登山口に着き、雪の残る林に足を踏み入れたのは9時である。道(?)は、若走路谷(わかそうじだに)に沿って付いているみたいだが、“ガイドブック”の記述どうり歩けないのは残雪のせいで私達の責任では無い。小休止の後すこしで、“ナベクボ峠”は気持ちの良い稜線だった。右手(福井県側)の自然林を見ながらの急登の後、残雪の斜面を駆け上る(?)と三国岳だと思っていた。

 というのは(帰ってデジカメを確認するまで気が付かなかったのだが)、頂上の標識には“三国峠”と記されていたのだった。「なんで山のピークが峠なんだ〜」との疑問は、後述することとする。
そして相棒が「こっちの道はなんなん?」と言っているが、私は聞き流していた。(実はこの道が生杉ブナ林への道だった。)
     
 記念写真を撮って、“生杉ブナ林”へと帰路を取る。真新しい足跡が、地面や残雪に残っていて「この調子だと昼頃には戻れるかも?」・・・が、様子が変だと気付いたのはしばらく降りた後だった。だが相棒の当初の予定は「三国岳〜生杉ブナ林〜地蔵峠〜由良川源流〜三国岳〜生杉ブナ林〜登山口」だったので「地蔵峠へ出たらいいんよ」と、暢気なものだ。残雪に続く足跡はどちら(地蔵峠か、否か?)へ続いているのか、分岐に標識はあるのか?とにかく、ガイドブックの地図しか無くて不安がよぎる。何度かの渡渉は足跡を確認しながらの歩行で、先行の人(3〜4名くらいか?一人は女性)に任せた状態である。

 やがて左手の尾根の鞍部に向けて足跡が乱れている場所があった。傍らに壊れた標識に三国峠と書かれていたが、ガイドブックにはその三国峠の記載が無くて、その方向さえも判らない。やはり足跡はすぐ先で引き返していたが、私たちはそのまま鞍部へと進んだ。そして、林道に出会ったのだが「京都大学演習林」との案内板があった。「ええ〜京都へ降りないかんの〜」との私の動揺に、相棒が「ここが地蔵峠やない〜」で、ガイドブックと案内板で当初の目的のルートを辿れることと、結果的には相成ったのである。

    
 地蔵峠で昼食を摂り、所々雪の残っている林道を歩く。と、前方からスキーを担いだ若者グループ(6・7名)が上がって来た。「雪はありましたか?」に「残っていますヨ」と別れたが、相棒が「今の人ら、美男・美女揃いのグループだったなあ〜」「うん、京大演習林じゃけんなあ〜」と訳の分らない会話を交わす。ブナ林登山口でコーヒを点て、朝方の出発点にpm1時頃に帰り着いた。【waiwai記】

 こんな遠い所まで来て、2時間30分位の行程では惜しいので、一周コースにしてもいいな〜と思っていたのでおっちゃんがなんで慌てているのか分らなかった。地蔵峠で「京都に降りてしもた、登り返そう」と言われた時はビックリじょ!
 演習林には“熊、まむしがいるので入らないように”の看板が・・山菜の宝庫らしい。帰りは違う道を走るのが好きなおっちゃんのお陰で、ショウジョウバカマの群落やキクザキイチゲが道端に咲いているのを見つけて嬉しかったじょ。朽木村はほんとにどこでも絵になるいい所です。帰りに寄った“くつき温泉てんくう”もいい温泉でした。【千代記】

【後日談】
 帰宅後、三国峠を解明すべく“山と高原地図”を見ると山名が三国峠となっている。「ええ〜、ピークが峠?」という疑問は「困った時には役場へ聞け!」の持論で解決した。やはり「776m峰は三国岳(みくにだけ)が正しくて芦生の地図では峠となっている又、959m峰は、さんごくだけ(三国岳)と呼ぶ」そうで、峠と呼ぶのは古くからの街道(京都〜小浜)があったこの地方の呼び方だそうである。ちなみに、峠は“坂”と呼んでいたそうである。


 13日【焼尾山】
 春の訪れとともに相棒のネットサーフィンが大活躍である。11日の仕事から帰ってくると「鈴鹿ですごい処があるよ!」と、当初の“御池岳”コースを変更のオネダリだ。どれどれとhpを覗くと、「waiwai登山隊」にぴったりのコースが載っているでは、あ〜りませんか?
 早速「フルカラー特選ガイド」を引っ張り出して焼尾山を探すが・・・無い!無いのだ!!しかし、鞍掛峠を見つけた、何のことはない御池岳の向かいの山だった。しかし、登山口の発見から始めることになるだろう事は予想できた。

   
 前日にhpをプリントアウトして、吹田を6時に出発。先日は名阪を乗り継いでR306へと入ったが、少々の高速料金を出せば名神から関が原インター経由の方が、走るのは楽だと考えた。hpには「黄金橋をいつものように左折して・・・」とあるが、私たちのルートからは黄金橋を渡って右折してR306へと入る。「船原から中電開閉所に向かう」は直ぐに判ったが・・・記事中の「鉄塔群背基地の西北最奥地の舗装道・・・」を見逃して、変電所の周りをウロチョロして、変電所の向こう側にたどり着けない。結局、変電所には立ち寄らないで良かったのだった・・どっかヘンデンショ(^_^;)。30分のロスだ。

 登山口には男性2名が出発準備していた。偶然にも、私たちと同じプリントアウトを持っていた。「お先に!」と出発しようとすると、「そっちじゃ無いですよ!」と云われた。林道奥には立派な“鉄塔巡視路”があったのだ。四国電力の場合、鉄塔間は20分前後の間隔なのだが、ここは中部電力である。No.2鉄塔を通過して、No.3鉄塔で休憩していると2名組みが追いついてきた。「四国から出てきたので・・」と相棒が話をすると、偶然にも片方の人は“新居浜出身”と云う。「先週、偵察に来ましたから」とのことなので、私たちは後を付いて行くこととなった。尾根の北斜面を花を探しながら歩く。今日は歩行時間など気にしなくていい。

 トラバースの路を左に見送り、急斜面を喘ぎながら登るとNo.4鉄塔である。2人組さんは私たちに気を使ってくれているようで、要所では私たちが来るのを待っていてくれている。しかし、相棒はマイペースを崩さない。No.5鉄塔には向かわないで少々のアップダウンで、先ほどのトラバース道と出合った。ここからは路も不明瞭となるが、尾根を外さないように歩くと良い。L系鉄塔を目指すのだ。R系は谷を挟んでいるのでそちらへ迷う事は無い。L18鉄塔からL19鉄塔を目指す。
 
 L19鉄塔から目印も標識もない路(?)を進むと北斜面に伐採の手が入った尾根に出る。イワウチワの薄いピンクが目に入ってきた。ザックを降ろして撮影タイムである。相棒は重い機材を担いで来ているので嬉しそうである。野薔薇にも構わず、あっちへこっちへと忙しい。しばらくの撮影タイムの後、L20鉄塔へ向かう。尾根の道はイワウチワの葉ばっかりで(このあたりの花期は10日後ぐらいかも)、花には登山道もなにも関係ない。

 撮影タイムも多くなってきた。L21鉄塔を過ぎると、LとRの間の谷の詰めの箇所へ少し降りて行く。「マムシ注意」の看板があり、少し右に振るとR22鉄塔への標識がある。鉄塔を真上に仰ぎながら急坂を登る。はるか左手下にR306を走る車を見て、汗が吹き出た頃に鉄塔に着く。男性が一人いたガスに火をつけ休んでいた。イワウチワ尾根と呼べる尾根をコブを一つ越えると焼尾山の頂だった。もう12時をはるかに過ぎていた。
      
 昼休後、お世話になったお二人に挨拶して一足早く下山の途に着いた。この場で失礼ですが、お礼を言いたいと思います。又、hpの「鈴鹿の山風」さんにも、感謝したいものです。登山口には3時前に無事帰り着いた。【waiwai記】

 撮影の為、望遠レンズや三脚を持って来たものの急斜面の伐採地で出せず、おまけにおろし立てのズボンはバラに引っ掛けるわ、ひじを付いた所には鹿の糞があるわで・・・大変な事になりましたが嬉しかったじょ ヽ(^。^)ノ
 登山道には他に、バイカオウレン、カタクリ、R306号の路肩にはユキワリソウ、ミヤマカタバミが咲いていました。一番に楽しみにしていたイワウチワが見れたので、次は○○と△△じょ!  【千代記】

 
4月19日〜5月3日【シッキム・ヒマラヤ・カンチェンジュンガトレッキング】 ←クリックしてネ・・ (^_-)-☆
4月24日 ゾングリ(4030m)朝
雲がかかっている所、右から南峰、中央峰、主峰、西峰だそうです。

4月26日 ゴチャラ峠(4940m)
こちらからは南峰しか見えないそうです。