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第4回雪山教室 『大山』(3月10日〜11日)
 
  
  昨晩からの雪が、テントを押しつぶさんばかりに(そんな大袈裟な!)降って、テントにへばりつく雪を落とすために、熟睡は出来なかったようだ。朝飯をかきこみテントをたたんで・・・出発!
  
  
 
 
 
 
  今日のコースは、下山キャンプ場から夏山登山道を取る。昨夜来の雪で夏道は消えている。尤も、私達はここは初めてなので様子は判らないが・・・・入山届けを提出して暫らく進むと、雪の量が膝を越す勢いだ。交代でラッセルとなった。真っ白の世界なので、上へ上へと登って行くのみである。暫らくすると、後から数人の登山者が追いついて来た。この頃には、ももまでのラッセルになり「ちょっと、休憩!」で、後続の人に先を譲った。小声で「わしらに先を行けというのか・・・」とぶつぶついいながら脇を通っていった。

 あったかいお茶を飲み、出発だが!すぐ先で、先程道を譲った人が、悪戦苦闘している。しかし、リーダーは辛抱強く待っている。5分がたち、10分がたったと思われる頃、私達のグループの一人に先頭が変わった。ラッセル車がやって来たかのようなスピードである。後を付いて行く私達も“やっと”という速さだ。先頭を変わりながらのラッセルも、やがて、胸までの雪に潜る個所もある。そして、悲鳴が・・・先頭のRSCGのYさんが、消えた・・・と、穴ッポコに胸まで落ちていた。しかし、自分の力で上がれない。二人がかりで引きずりあげたが、穴は2mほどの深さだった。そして、間もなくで“元谷コース”と出合った。ここからは、トレースもあり、雪も締まっていて歩きよかった。そして、雪で半分埋まった六合目の避難小屋で小休止。

 ここからは、白く輝く山々を観ながら冬山気分を満喫しながらの登行だ。が私は、一人皆から遅れ始めた。またしても、体調不良の虫が騒ぐ・・・しかし、ユックリ歩けばいい!と言い聞かせながら十歩進んでは立ち止まり、又進む・・・という状態で、雪に埋もれた頂上小屋を右手に見て、頂きに辿り着いた。・・・・なんという、眺めだ!言葉もない。

 【後日談】昨年来の体調不良は、三月の人間ドッグにて犯人が特定・・・過去数年に遡り、仕事のストレスから来た“潰瘍”だったのだ。そして、治療は今もつづいている・・・・

 
 第5回雪山教室 『八ヶ岳』(4月27日〜30日)
 〔1日目〕
  
 
  
  
 
  まだ、朝も明け切らない内に“諏訪湖IC”を通り、期待と不安の入り混じった少年の胸(だれじゃ〜それは)に関係なく、無事に「美濃戸口」に着いた。“行者小屋は未だ開いていない”との掲示板を無視して、美濃戸山荘に車を走らす。既に駐車場は満車だった。

 もう早春の雰囲気のする美濃戸山荘でお茶を頂き、柳川南沢に道をとり、行者小屋へむけ出発だ。ギラギラ照り付ける陽は、4月の末とはいえ蒸し暑いし、残雪の照り返しが眩しい。何回か雪の詰まった沢を渡り、正面に横岳が見えるところで小休止だ。ここら辺りが“白河原”と呼ばれるらしい。ふと気が付くと‘ラッセル車’のM君はズボンを脱ぎ、ふとももも剥き出しの姿で歩いている。

 何回か休みながら、淡々と雪道を歩いて行者小屋に着いた。山懐に佇む小屋は、阿弥陀岳から赤岳そして横岳に続く‘迫力のある’稜線を背景に悠然と建っている。小屋は準備中なのか、従業員が慌ただしく働いていた。荷物をデポして、阿弥陀岳へと向かうかと思っていたが、「天気予報では、明日は下り坂なのでまず赤岳へ行く」との変更だ。昨年は悪天候で、赤岳には行けなかったそうだ。

 テント場は数張りを観るのみだが、2〜3日経てばゴールデンウィーク客で賑わうことだろう。アイゼンを履いて文三郎道をとり赤岳を目指す。雪の下から見え隠れしてる桟道や、大岩の間の急登に息を切らせて中岳との稜線に着く。大同心や小同心が異様な姿を見せ、岩の塊のように前方に立ちはだかる‘赤岳’は、悠然と構えている。陽が当たる場所の岩の周りは、雪も解けて赤い岩が露出しているが、残雪と岩の混じった道をアイゼンで歩くので、歩きにくい。

 やがて、雪に隠れた鎖場や鉄バシゴの場所も、無事通過すると展望が開けた。そこが頂きだった。握手を交わして記念撮影をして、ゆっくり寛ぐ・・・・360度の大パノラマだ!

 下山路は、地蔵尾根だが・・・頂上直下の斜面でリ−ダーが考えている。雪の状態からザイルが必要かどうか?しかし、リーダーは、大丈夫と決断して「一人づつ、慎重に!」と地蔵の頭へ降りる。傾斜が緩くなると緊張も緩んでくる。そして、「展望荘」で一休み。‘こいのぼり’が風に泳いでいた。

 地蔵尾根の降りは、慎重に歩を運ぶ。カメラを取り出す余裕もなく、左右の景色や眼下に目を配る余裕さえ無い。やがて、ダケカンバの樹林帯に入り足取りも軽くなる。そして、間もなく行者小屋に着いた。

 
  〔2日目〕
  
  
  
  
 
 
  昨夜は、行者小屋の一等席に陣取りゆっくりと休めた。もっとも、RSCGのM君らはテントで御就寝だった・・・来週の奥穂高、そして夏のアルプス遠征を意識してのものか?立派な若者達だ。今日のルートは、硫黄岳〜横岳〜赤岳〜阿弥陀岳だが「これからの天候と、メンバーの体調で変更する」との事。まずは、赤岳鉱泉へ向かう。中山乗越を経て、降りていくと数人の登山者とすれ違う。

 赤岳鉱泉を後にして、北沢の上流部あたり(ジョウゴ沢か?)で木々がなぎ倒されて無残な景色に出合う、今年発生したデブリの跡だった。

 グループのアイドルの“矢井田瞳=やいこ”と呼ばれるM代さんは、歌を口ずさみながら付いて来る。大学のワンゲル部出身で、その可愛い顔からは想像出来ない程、全く恐れを知らない。彼女は、一人だけでも行動するパワーの持ち主で、バイクで北海道ツーリングをしたり、一人でテントを担ぎ“熊注意”の場所にテント設営して、夜を明かすなど・・・度肝を抜かれる話が、次々に出てくる。

 樹林帯のジグザグの後、林間から北アルプスを垣間見ることが出来る所で、小休止。再出発後、森林限界を超えて「真っ白の世界」が現れた。そこが赤岩の頭の尾根だった。雪に覆われた広いなだらかな尾根を辿ると、360度遮るものの無い硫黄岳の頂上にたった。頂上付近は、雪が無かった。巨大なケルンが続いている・・一体何個あるんだろう?火口壁を尻目に、大ケルンに導かれるように降ると硫黄岳山荘に着いた。

 ここからは、横岳へと‘鎖場’や‘梯子’が連続するが、雪の付き具合でその様子は一変する。岩稜を右に越すと大天狗が右手に現れた。そして横岳への桟道をアイゼンでガリガリ言わせながら昇り、頂稜を一歩一歩慎重に登る。頂きは直ぐだった。ついさっきまで小さく見えていた赤岳もずいぶん大きくなって来た。

 やがて、稜線を左から右に超えるとほとんど雪が消えた岩場だ。数箇所のクサリを過ぎ、今度は左へ越える。こちら側は雪が残っている。慎重に歩を運ぶ・・・と、ザイルを肩にした人とすれ違う。小尾根を越え少し降ると、雪の急斜面が現れた。

 「フィックスザイルを張るから、カラビナを掛けて一人ずつ降りる・・・声を出す事!」・・・全員、無事通過。

 そして、間もなくで昨日の下山路である地蔵尾根を過ぎ、赤岳展望荘に着く。

 ここからは、昨日の逆ルートなので勝手知った道である。そして、頂上小屋で祝杯である。今日歩いたルートを振り返り、感慨に浸っていると、ヘリが飛んできた。正面に見える阿弥陀岳の中腹あたりに、人が見える。そして、ヘリに人が回収された。その時は、私たちがその場所に行くとは知らなかった。

 赤岳を後に、阿弥陀岳へと向かう。そして、間もなく雪に覆われた中岳を過ぎ、細い稜線を中岳のコルに降りる。ザックが無造作に置いてあり、「さっきの登山者のだろう」と、転げ落ちないようにする・・・。リーダーは時計を覗き、疲労度を見て阿弥陀岳は止め此処から下山と決断した。

 ここのルートは、雪崩が出易いので気をつけて降りる事・・・・との注意の後、下山開始。急斜面の降りに、一歩一歩慎重に足を運ぶ、前を行く相棒が滑った・・・が、上手に停止・・・・訓練の成果か?と、私も足を取られた。これまた、上手く止めれた。ホッとする。やがて、傾斜が緩んだ斜面にさしかかり「尻セードで降りる」との事で、雪遊び・・・

 文三郎道と合わさると、行者小屋は目の前だった。

 
 [追記]

 本当に有意義な訓練だった。RSCGのメンバー、そして訓練生の仲間、それからリーダーの重松先生・・・どうも有難う御座いました。

 
 第6回雪山教室 『奥穂高岳』    ・・・都合で欠席(残念!)