2012年「waiwai隊」 秋の山歩きの記録(撮影山行)  
   2012年10月9日(火)〜10月11日(木)  
   ・10月11日(木) 弥山頂上小屋〜土小屋駐車場から帰着     
       
     昨晩の遭難騒ぎは、何事もなかったように朝を迎えた。結局、新たに敷かれた布団を利用した様子はなかった。今朝は昨日の経験から、朝食時間を遅めに頼んで、小屋での朝食とした。カメラマンの列は昨日と変わらないが、朝陽を拝む人たちは少し多いようだ。又、Fさんは昨日降りてしまったのだ。  
  日の出を待つ 5:30  ガスの切れ間 5:52  
    隣の部屋に入った関西からのご婦人も6時前には顔を見せたようだ。厚かった雲は陽の出前にガスが動き、天狗岳が見え隠れし始めた。  
     
   
     
    6時40分頃からの15分程の間。ガスが退くまでの写真。続きはこちら     
     
   
    天狗岳が姿を現してからの5分間程の7時頃までの写真である。今日はカメラマンも少なくて、撮影場所は自由に移動が出来る。相棒も、三脚を抱えて移動していた。続きはこちら     
     
      
   私は、三脚を利用しないので気ままに、カシャッと押すのみだ。この後、まもなくで朝食時間となった。  
     
      
     
    朝食後、数枚の撮影で下山となった。この時間になると、朝早くから登ってくる人達とボツボツ出会う。二の鎖元から土小屋へと進むと、ルンゼから北壁を仰ぎ見える場所がある。紅葉に白い岩壁・・そしてガスが覆う。相棒は、三脚を構えた。シャッターを押すまでに、何組かの登山者と挨拶を交わすこととなるのは必然である。  
     
    アサマリンドウ  
     
    今日も、東稜をガスが襲っている。相棒が一昨日、このリンドウは違う種類ですよっと、言っていた“アサマリンドウ”は『紀伊半島南部と中国地方、四国、九州の低山の林内や道端に生えるリンドウ科の小型多年草です。秋には茎頂に(さらに株が充実すれば)上部の葉腋にも数個の花を咲かせます。花は青紫色で長さ4〜5cm、色合いはリンドウより青みが強いです。名前のアサマは「浅間」ではなく「朝熊」で三重県の伊勢にある朝熊山(あさまやま)に由来します。日本の特産種です。』だそうで、私も帰宅後のネット検索にて知りえた情報でした。  
     
      
     
    今日も平日にも関わらず、登山者は多い。それも、“山ガール”様の女子さえいた。私たちが山へ通い始めた15年前には予想だにしなかった事だ。その当時は“中高年の山ブーム”とTVの番組も組まれていたのだった。隔世の感である。そんな事は兎も角、駐車場に着いたのはもう昼前だった。その第一駐車場は、相変わらず車が溢れていた。  
     
     
     今回、初めて眼に留める事象・・弥山に奉られている“第三十五≪裏行場王子社≫”についてである。私たちが石鎚の登山道を辿るうち、興味を抱いた“三十六王子道”(そう、11年前になるが、現在では、色んな人達が辿っているようだ≪h.24年に“エントツ山さん”が辿った記録、その他≫)、それらの人達にとっての共通の教科書とも言える書籍(十亀和昨著≪石鎚山 旧跡三十六王子社≫)には、

 ≪第三十五 裏行場王子社≫
 『頂上社から南に岩場を少し下ると、閼迦(あか)の御水と言って岩間から清水が湧き出て、早天でも殆んど絶える事がない、お山の七不思議の一つである。・・・そこから十米位のところに御裏の覗とも又覗の行場とも云って、眼下は何十丈の絶壁でこの行場は昔は、第六子安場王子と同様先達が新参者を覗かせたものである。この覗の岩の下裏に不動尊の像が刻まれている。こらが覗王子であろう。誰の作か自然のものか又は神業か不明であるが、石づくりの不動として名高いが、仲々それを拝することさえも容易でなく実に危険な場所である。(上記書籍、p30〜31)』


 とあり、実際の踏査行の記事が『続稿 裏行場王子社と天狗嶽王子社(真鍋充親)p.93〜』に載せられている。

 
『私達は霧にぬれた弥山頂上から天狗嶽へと続く嶮しい鋸状の岩場を上り下りし乍ら、森田課長の先導に従った。この道は裏行場へ逆コースできはめる第三の道である。先人のある人たちは頂上裏の岩場から綱をたらしてのぞきによってその行場を拝したとも言ひ、又、ある人達は石殿裏の岩場をはってすヽんだともいう、そのいずれも危険きはまりない嶮路の連続である。

 ・・・今私達のはいつくばっている岩場の左真上に当る約二米位の処にちょっと広い窪地をみつけた。そこに足場がある。そこに飛ばねば次の行動が始まらない。然し一瞬まちがえば絶壁を谷ふかく墜ちてゆくことになりかねない、その真下のふかい渓々からも白い霧が、筋になって湧いている。この南壁はもしも踏み外しでもしたら、どこまで落ちていくか、測り知れない、瀑という形容のあてはまることを感じる。

 ・・・今私達も深いおそれのなかに身を任せて、そこにちかよることを断念した。そして深く深くその霊域にちかよれたことを感謝し、上方の岩場を拝礼した。まことにその膝下にまでたどりつけたことに満足しなければならない。感激の年をさヽげた次第である』

 
と、目的の裏行場王子社へとは、辿り着けなかったのである。この記録と、現在、安置されている弥山頂上広場にある王子社との因果関係などにつては、判らないのだが、この記録を書いている最中に、裏行場を覗きにいった記録が≪赤いクレパス君の日記≫に載っていましたので、勝手にリンクしておきます。
 
     
     
    後一泊する予定だったけど、昨日は横からでも墓場尾根の写真も撮れたし、これ以上いても今までと違う写真は無理と思ったんで降りる事にしたんじょ。石鎚山をフィールドにしている写真家はたくさんいるけど、私は、その足元にも及ばないんよね。体力、気力ともに落ちているのを感じる昨今だし・・・。(*_*;