2011年「waiwai隊」 秋の山歩きの記録(撮影山行)  
   2011年10月5日(水)〜10月10日(月)  
     
   ・10月9日(土)〜10日(月)槍沢ロッジ〜横尾〜徳沢〜明神(嘉門次小屋経由)〜上高地バスターミナル【往路を利用し帰帰着】   
     
   槍沢ロッジの朝(写真協会の人のザック)

  昨晩の槍沢ロッジは、大混雑だった。結局、相棒の隣りになった女性は私達が談話室でTVを見ている時に、談話室へ布団を持ち込んで休んだみたいだった。そして、喧騒は朝食だったようだ。夕食の場合、到着順に食事時間を割り振っていたようだが、朝食の場合、5時からの先着順となっていたのだった。勿論、私達は帰るのみなので慌てない。
 
     
    しかし、思わぬ邂逅があった。相棒の山岳写真の関西支部の支部長さん一行との偶然の出会いだ。廊下の端っこに布団を並べていたみたいだったのだが、相棒が「XXさん」と呼びかけても一瞬(いや、暫く)、判らなかったようだった。それは、相棒の形相があまりにも変わっていたのが原因だった。大阪から帰郷して、たった二年なのだが・・。その相棒の形相は、南岳小屋あたりから膨れていたのだ。本人は「洗面所に鏡が無いからヨ」と云い訳しているが、多分高度によるものだろう。  
       
     
   “梓川の朝”の写真は、こちらから・・・・・      
       
   屏風岩

  思わぬ出会いがあったが、朝食を終え小屋を出たのは、7時前だった。歩き始めると、槍沢に朝陽が差し込んで来た。それが、上の写真だ。
 
       
   横尾テン場  横尾山荘の広場

 横尾には8時40分頃到着だった。やはり、テン場は混雑していたし、トイレは団体が到着するたびに長い行列だった。
 
       
    今日は連休の真ん中の日曜日だ、涸沢から降りて来る人と行く人の群れだ。先日の小荒れで、稜線の小屋は一昨日は団体客のキャンセルだったという情報もあった。しかし、ばば平やこの辺りのテントの数だけは尋常では無い。もっとも、稜線までテントを持ち上げる人は山慣れた人達に限られるからだろう。  
     
   団体さんのお通りだい 道路に猿

  横尾で小休止とし、あまり長居はしなかった。次から次へと人の群れが押し寄せるのでは、街中に居るのと変わらない。それはそうと、画像が急に小さくなった訳は?言うまでもなく、コンデジの電池が無くなったせいである。メモリーは、予備を持って来ているが電池の予備は持ち合わせていないのだ。相棒が「もう、新しいのに買い替えたらどう?最近は、軽量になって性能も格段に良くなっているのに・・」と、ブツブツブツ・・・。
 
     
    さて団体さんが行き交う中、あっちにこっちにと路を行く。私の場合、すれ違える道を行く場合、左側通行なのだが本当はどちらがいいんだろう。決まりごとはないのだろうか?まぁ〜どっちでもいいんですがね。暫くで、真っ赤な顔をした“お猿さん”にも出合った。まだ朝方なのに〜、赤い顔をしやがってぇ〜。一体、何が恥ずかしいのだろう。  
     
  前穂岳〜明神岳 新村橋  
     
    朝陽はもう頭上高く昇ってきた。ここら辺りの紅葉(黄葉)は、寒波の影響も無いだろうから、あと一週間もすれば見頃になるんだろう。新村橋では、順番に撮影会が始まっていた。この橋を渡って、パノラマコースで“屏風のコル”を越えての涸沢は魅力満点だ。また、奥又白池へも行けるようだし〜。何時か計画してもいいかも?  
     
   徳沢園 徳沢テント村  
     
    徳沢では、団体さんの隙間だったみたいで、ゆったりする。相棒が「アイスクリーム食べる?」との要求である。幾つになっても、甘いものが好きなんですよね・・世の女性陣は。そして、ここの広いテン場もご多分に漏れず色とりどりのテントで花盛りである。そして、何回かの出会いか、行きの槍沢ロッジで御一緒だった、我々と反対回りのペアも同様にアイスクリームを買っていた。相棒は、この先の事を考えて、トイレへ寄ったのだ。  
     
   明神館 明神橋と明神岳南峰  
     
    横尾からは、寄り道なしで歩く。歩く。歩く。ただひたすら歩くのみである。明神館は、11時前だったが、ここは目指す嘉門次小屋へと一直線である。この辺りまで来れば、一般の観光客(登山者じゃ無いの意)が多くなる。橋を渡って直ぐ、男性から「涸沢はこちらの道でいいんでしょうか?」と尋ねられた。勿論、丁寧に応えるのが私の常である。「夕方までに着きますか?」にも、「大丈夫ですよ」と返事したが、何の根拠も無い。  
     
   嘉門次小屋 岩魚定食 嘉門次小屋の囲炉裏  
     
    嘉門治小屋は、そんなにも混み合ってはいなかった。丁度、いつも座る“いわなの池”の側が空いていた。ここには生ビールは置いていないみたいで、瓶ビールとした。勿論、岩魚定食とセットである。魚は、焼けば小さくなるのだが20cmぐらいの食べごろである。相棒が「骨酒があるんじゃねぇ」と言う。私が釣って来ても塩焼き以外の料理をしないのは、骨酒そのものの存在を知らなかったからだったのだ。来シーズンは、是非“骨酒”を飲もう。  
     
   河童橋 上高地バスターミナル  
     
    私達が食べ終わる頃、後ろに座った子連れのお父さんが「骨も食べれるから」と言っていたが、子供の方は躊躇しているみたいだ。普段、頭のある魚を食べ慣れていないんだろう。私達も、大阪暮らしの8年間ではスーパーで、“お頭付きの魚”にはお目に掛かれなったから、仕方が無いのかも。  
     
   

  満腹になれば、後は帰るだけ。自然に梓川の右岸を辿っていた。林道を歩いていると、綺麗に紅葉している木を見付けた。早速、相棒がカメラを構える。その内、行き交う人達が傍で撮影することとなる。大方、道端で三脚を据えると立ち止まって傍らで撮影を始める光景となるのである。
 
   
    梓川右岸の道は蛇行をしているので、左岸沿いの道より行程が長い。その事に気付くのは暫くしてからなのだ。少々の寄り道はどうってないのだが、具合が悪いのは、私のお腹の調子が悪くなったことだった。どうしたことだろう。今回、南岳へ上がった頃から本調子では無い。本当に不機嫌に、急ぎ足で無口になってしまった。ナンテコッタイ。観光客に挨拶をせにゃならぬのに、面倒くさい。結局、五千尺ホテルの横にあるトイレまでスタコラサッサである。その間、観光客の綺麗なオネーサンにも眼もくれずだった。  
     
    上高地バスターミナルは、アカンダナ駐車場行のバスの行列が一番多かった。しかし、一つのバスを待つだけで無事、車上の人となった。平湯では、自家用車でいつもの温泉でゆったりして、帰路に就いた。帰路の道路の混雑は、大阪生活8年間の修行が物を言い、焦る事も無く運転に没頭するのだ。決して"ボウオット"しないようにね。大した渋滞のは遭わなかったものの、平湯を夕方に出発し、やはり、自宅に帰り着いたのは、am5時過ぎだった。前述の体調不良は3日程回復しなかったし、一週間たっても未だ全快に至っていない。  
     
     
    嘉門治小屋でいわな定食を食べている間は、ルンルンだったおっちゃん。急にさしこんで来たみたいで・・・、普通の里山ならちょっと入って・・・となるんやけど、上高地の木道ではねぇ〜 (^_^;) と言う訳で、帰った翌日からも用事がたてこんでいて、二人とも体調が戻るのに4、5日かかったんじょ。車で寝ながら、全国あちこち登ったり撮影したりすると言う夢は、体力の低下と日常の用事で夢に終りそうねぇ。それ用に買った車なのにね〜。

 で、重い機材を担ぎあげた割には、成果は少なく余計疲れるわね。来年の山岳京都展に出せる山岳写真は一枚位はあるかな〜。(-。-)y-゜゜゜
 
   
 
 
       
   waiwai デジカメ写真

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南岳から望む
   
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
   

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梓川の朝