プロフィール

  1962年11月4日 山梨県で、三人兄弟の次男として誕生
             大月市の山の中で育つ
             小学生のころから、渓流釣りや山菜取り、きのこ狩りなどをして自然の中で遊ぶ
  1978年4月    山梨県立都留高等学校入学、地球科学部に入部
  1981年3月    同校卒業
  1982年4月    信州大学理学部地質学科入学
             サークル「山歩会」に所属、北アルプスなど登山 
  1982年5月27日 
日本共産党入党
  1982年8月    原水爆禁止世界大会(広島)に参加
  1986年      北アルプス梓川(上高地、槍沢、涸沢)で卒業研究
  1987年3月    卒業論文「北アルプス梓川における礫の形態変化に関する研究」を提出
             同大学卒業
  1987年4月    ユニパルス株式会社入社
             デジタル指示計「F555」の設計などをおこなう
             株式公開に向けた業務にに携わる
  1994年12月   市議選立候補のため退職
  1995年4月    
春日部市会議員選挙で初当選
  1995年8月    原水禁世界大会(広島、長崎)参加
  1996年1月    前年に起こった米兵による少女暴行事件の抗議集会(那覇)に参加
             沖縄の基地の実態を視察
  1997年5月11日 結婚、新婚旅行はアラスカ
  1998年7月21日 長女誕生
  1999年4月    市議選再選
  2002年4月24日 次女誕生
  2003年4月    市議選3回目の当選
  2006年4月    春日部市と庄和町の合併により、1年早まった市議選で4回目の当選

  2010年4月18日 市議選で5回目の当選
 
 
 なぜ日本共産党に入党したのか

 私の父は林業労働者で、険しい山の中での重労働に従事し、母も内職やパートで働いていました。二人ともまじめに働いていましたが、家計は豊かではありませんでした。そんな両親を見て、「なぜ、裕福な人がいる一方で、まじめに働いているのに貧しい人がいるんだろう」と子どものころから疑問に思っていました。そして、いつしか「まじめに働いている人が報われる社会にしたい」と考えるようになりました。
 また、父母や祖母から戦争中のつらい体験を聞き、戦争のない平和な世界にしたいと考えていました。
 中学・高校のころに、日本共産党が戦争に反対した唯一の党であること、貧富の格差がない社会をめざししていることを知りました。
 大学に入学してすぐに先輩から入党の誘いを受け、日本共産党がソ連や中国の共産党とは違うこと、
民主主義や自由を大切にする政党であることがわかり、入党しました。

 
 政治家としての思い

 貧困のない社会、核兵器のない平和な世界をつくることが、私の夢です。
 ところが今、格差が拡大し、貧困が広がっています。これは、新自由主義に基づいて、財界や大企業が目先の利益ばかりを追求し、労働者・国民を犠牲にしてきた結果です。さらに、政府も新自由主義に基づく「構造改革」で国民に「痛み」を押し付けてきました。こうした利益第一主義、大企業中心の社会を根本から変える必要があります。普通に働き、普通に生活できる当たり前の社会にしたいと強く思います。
 春日部市でも生活に困っている人がたくさんいます。そういう人たちに寄り添い、あたたかい手を差しのべることが政治の責務だと思います。
 そのために、私は
日本国憲法日本共産党綱領を活動の指針としています。(日本共産党綱領については日本共産党中央委員会のホームページを参照してください。)日本国憲法では、特に前文、第九条の戦争の放棄、第二十五条の生存権(すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)が重要だと思います。
 市民のくらしを守り福祉を充実するために、常に憲法二十五条の立場で考え行動しています。

 
 趣味

 スキー、登山、釣り(渓流、海)、20代のころはスキューバダイビングもしました。
 


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