〔ゼシカ……最後に…これだけは…伝えたかった……。……この先も、母さんはお前に手を焼くことだろう……。だが、それでいい……。お前は、自分の信じた道を進め……。さよならだ……ゼシカ………………〕

リーザス像から聞こえてきた声は、確かにサーベルト兄さんの声だった。
お母さんとケンカばかりしていた私に、いつも味方してくれていた兄さん。
その兄さんは、やっぱり最後まで私の味方をしてくれた。
だけど私は、天へと昇っていく兄さんの魂に、安心させてあげられる言葉を、何一つ言えなかった。
だって、いつだって私のワガママを聞いてくれて、どんな望みも叶えてくれた兄さんは、『行かないで』という私の最後の望みを、叶えてはくれずに逝ってしまったから。
兄さんの言葉で、はっきりと別れを告げられてしまった私は、ただ泣く以外に何も出来ない。


「あの……」
頭の上で、遠慮がちな声がした。
「僕たち、村の子供たち……。ポルクとマルクに、君を連れ戻すように頼まれたんだ」
そこまで言われてようやく、今この場にいるのは、私だけじゃなかったことを思い出す。
「二人とも、すごく心配してたよ。だから、出来るだけ早く村に戻って……」
その声が途中で途切れ、足音が静かに、少しだけ遠ざかる。
「今は、あの姉ちゃんをひとりにしてやるでげす。アッシらは一度、村に戻るとしやしょう」
それは私に向けられた言葉ではなく、私に話しかけていた若い男を諭す、いかにも盗賊風だった男の声。
兄さんの仇だと思い込んで殺そうとした相手の、思いもかけない気遣いに、私は慌てて立ち上がった。
「あ、ねえ……」
階段を降りていこうとする二人を呼び止める。
「名前もわからないけど、誤解しちゃって、ごめん。今度ゆっくり謝るから……」
ポルクとマルクに頼まれたっていうことは、あの二人は、私が嘘を吐いたって気づいた上で、許してくれたっていうこと。
だから若い男の言う通り、出来るだけ早く村に戻らなければならないのはわかってる。
だけど……。
「もうしばらくひとりでここにいさせて……。ごめん。すこししたら、村に戻るから……」
でも、もう少し。あと少しだけ私に、兄さんのことだけ考えていられる時間をちょうだい。

気の済むまで泣いた私は、リーザス村に帰る前に、ポルトリンクに寄ることにした。
魔力も全部使い果たしてしまっていて、塔を降りるのもやっとだったから、きちんとした宿屋で眠りたかった。
普通に生活していたら、使ってしまった魔力を回復させるには、ただひたすら安静にしてても何日もかかるけど、ちゃんと魔除けの結界が張られた空間の、回復の魔方陣が描かれた土地の上に建てられた宿屋の中で休めば、数時間で体力も魔力も回復することが出来る。
昔は、魔物と戦うことでお金を稼いで生計を立ててた人も多かったから、宿屋はそういう冒険者用と一般の旅人用に別れていて、冒険者用の宿屋は宿代が高かったらしい。
だけど今の時代は、魔物と戦いたがる人はほとんどいなくなってしまって、かつては冒険者用だった宿屋も宿代を安くして一般のお客さんも泊めないと、立ち行かなくなっているそうだ。

そういうわけで、リーザス像の塔で稼いだわずかなお金で、私も宿で回復できたわけだけど、そうしておいて大正解だった。
リーザス村に戻って家に帰ると、またお母さんが『家訓家訓』ってうるさく言い出したから。
ヘトヘトの状態でこれをやられたら、きっとたまったモンじゃなかったわ。
お母さんたら、私が兄さんの仇を討つつもりだって報告したら『先祖の教え』だの『あなたは女でしょ』だの、くだらないことばかり言って。
あげくの果てには『今からあなたを、アルバート家の一族とは認めません』だって。
そんな何の意味も無いものを認めてもらえなくたって、痛くも痒くもないわ。
おまけに『出ておいきなさい』って言ってもらえて、かえって助かった。
お母さんがそんなことするなんて、まず絶対にありえないけど、泣いて止められるのを振り切る方が、よっぽど後味が悪いもの。


自分の部屋に入って、旅の準備をする。
この村で着てた服は、『アルバート家の娘としてふさわしい』とか何とか、お母さんが選んだ窮屈な服で、敵討ちの旅に出るのには向いていない。
こっそりお小遣いを溜めて買ったけど、着る機会の無かった、肩をザックリと落とした動きやすい服に着替える。
ちょっと胸が開きすぎてる気はするけど、店員さんは『よくお似合いです』って褒めてくれたし、何より少しぐらい激しく動いても、ボタンが弾け飛ぶ心配をしなくていいのが気に入ってる。
そして、この服に色を合わせて兄さんがプレゼントしてくれた、ピアスとネックレスを着ける。
昨日までは、兄さんの形見なんだって思うのがイヤで、目にするのも辛かったけど、今はこれを身に着けると『自分の信じた道を進め』と言ってくれた兄さんの言葉が聞こえるような気がする。
本当は村に戻る前、ポルトリンクでドルマゲスらしい怪しい男の噂を耳にしていて、そのまま後を追いたかったんだけど、これを置いたままでは行けないのが、とりあえず村に戻ってきた理由の一つ。

必要最低限の物だけ持って部屋を出て、ポルクとマルクに向き直る。
しゃがんで目線を合わせると、二人は不安な瞳で泣くのを堪えてるように見えた。
「ポルク。マルク。あんたたちのこと、いろいろと利用しちゃって、ごめんね」
こうして二人に謝ることが、私がもう一度村に戻った、一番の理由。
「ゼシカ姉ちゃん……。本当に、村を出ていっちゃうの?」
「うん。だから、これからは、あんたたちふたりが、この村を守るのよ。サーベルト兄さんがよく言ってたわ。ポルクとマルクは将来、村を守る立派な戦士になるだろうって」
こんな小さな子供たちにしか頼めないのが少し悲しいけど、それでも兄さんがずっと守ってきたこの村には、やっぱり平和であってほしい。

子供たちを外に送り出し、お母さんに最期の挨拶をしにいく。
「それじゃあ、言われたとおりに出ていくわ! お世話になりました! ごきげんよう!」
ごめんね、お母さん。
お母さんに最後にお別れを言いたくて戻ってきたって気持ちも確かにあったの。
今まで育ててくれてありがとうって、それも伝えたかった。
だけどこんな言い方しか出来ない、こんな娘で本当にごめんなさい。

大分時間をロスしたから、本当は家の前からキメラのつばさを使ってポルトリンクへ行きたいんだけど、これがこの村を見る最後になるかもしれないと思うと、それも出来なかった。
子供たちにもう一度お別れを告げ、兄さんの墓を参ってくれてたおばあさんに、ポルクとマルクがあまり無茶をしないように見ててくれるよう、お願いしておく。
村の入り口まで来て、最後にもう一度だけ振り返る。
兄さんがいなくなっても、この村は以前と変わらないように見えるから、きっと私がいなくなっても、同じように村は何も変わらないだろう。
だから、私が心配するようなことは何も無い。
何か大事なことを忘れてるような気はするんだけど、ドルマゲスを少しでも早く追い詰めるため、私はキメラのつばさを放り投げ、リーザス村を後にした。

ああ、もう、イヤ!
ドルマゲスが、南の大陸に渡ったらしいって噂を耳にしたのに、定期船が魔物の為に出港できなくて、もう何日も足止めされてしまってる。
初めのうちは、対策を立てるまでの辛抱だって我慢してたけど、ここの人たちって、ただ困ってるだけで、具体的なことは何もしようとしない。
危険な魔物は私が退治するって申し出ても、断られてしまう。
それも『ゼシカお嬢様にそんなことさせたら、後でアルバート家から何を言われるか』だって。
まるでアルバート家さえ関係無ければ、私自身のことはどうでもいいみたいな言い方じゃないの。
こんなことなら、お母さんに『ゼシカはもうアルバートの一族の人間ではありません』って一筆書いておいてもらえば良かったわ。
こうなったら、一人でも動かせるボートか筏でも無いかと辺りを見回すと、リーザス像の塔で会った二人組の姿を見つけた。
そうだ。リーザス村を出る時に、何か忘れてるような気がしたのは、これだったんだ。
盗賊と間違えたこと、ちゃんと謝るって約束したのに、村に戻った時、この人たちいなかったんだもの。私、待っててって言ったのに。
でも、今はそれはいいわ。

二人組に、いきなり『海の魔物を退治して』って頼むと、少し戸惑ってた様子だったけど、半ば無理矢理に引き受けさせた。
それを話したら案の定、さっきまで『船は出せない』の一点張りだった人達が、あっさりと出港の準備を始めた。
その現金さに、ちょっと腹も立つけど、とりあえずそれはいいわ。
船さえ出てしまえば、こっちのものだもの。
魔物が現れたら、私が出ていって戦えばいい。
そうなってから止めに入ってこれるような勇気のある人間なんて、きっといやしないんだから。


町で戦いの準備を終えて戻ってきた二人は、それまでとは雰囲気が全く違っていた。
船の上でもほとんど口もきかず、海から襲ってくる魔物を警戒しているみたい。
本気で魔物を退治しようとしてくれてるんだと思うと、一方的に利用しようとしたのが、申し訳ないような気持ちになる。

それまで穏やかだった海面が、急に泡立ち、すごく大きなイカ…いえ、タコ? まあ、そんなことどっちでもいいんだけど、とにかく魔物が現れた。
正直、思ってたよりもずっと強そうで、こんなのに勝てるのかと、少し不安になる。
「退がって!」
若い男の方が、私を背中で庇うように前へ出た。
私とそう変わらない背丈なのに、その背中が不思議と大きく見える。
「お前さんたちは、そのねえちゃんを連れて隠れてろ!」
太った男の方が、船員たちにそう指示を出す。
一緒に戦うつもりでいた私は、戸惑っているうちに、船乗りたちに寄ってたかって避難させられてしまった。

海の魔物は、何やら一人芝居みたいに長々と喋っていたと思ったら、いきなり口から、燃え盛る火炎を吐いた。
ちょっと! 海にいる魔物が炎を吐くなんて、反則だわ。
もしあれを、レベルアップしてない人間が受けてたら、間違いなく即死してる。
私も、死なないまでも、とても戦うどころじゃなくなってしまうかもしれない。
なのに二人は、全く怯む様子を見せずに戦ってる。
太った男がひたすら攻撃し、若い男の方は回復魔法で援護に回ってる。
何度も炎を受けて、太い足でなぎ払われて、それでも二人は一歩も引かずに戦い、ついに魔物を降参させてしまった。

魔物といえば普通は、肉体のない『力』の集合体なんだけど、稀に生き物が何かのきっかけで魔物化することがある。
基本的にそういう魔物は、今のオセアーノンみたいに特別強くて、滅多なことじゃあ殺すまでは出来ない。
だけどその分、その魔物が『力』を自分の身体に繋ぎ止めておけないほど弱った時、放出される『力』の量は物凄いんだって。
あ〜あ。私も一緒に戦ってれば、一段階くらいはレベルアップ出来たかもしれないのに、勿体ない。
でもまあ、いいわ。
とにかくこれで、定期船は普通に動くんだもの。

「思ったより、強いじゃない! 正直あんまり期待してなかったから、ちょっとビックリしたわ!」
そう言って駆け寄ると、二人ともちょっとムッとした顔をした。
あ……今のは、ちょっと失礼だったかも。
『期待してなかった』ってことは『負けて死ぬと思ってた』っていうように聞こえるよね。
二人だけに任せたら辛かったろうから、私も一緒に戦うつもりだったってだけなんだけど。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私はゼシカ。ゼシカ・アルバートよ。あなたたちは、なんていうの?」
ちょっと気まずかったんで、話を逸らすために慌てて自己紹介をした。
「アッシはヤンガスでがす。こっちは、アッシの親分である、エイトの兄貴でげすよ」
太った男の方が、そう教えてくれた。
「エイトにヤンガスね? 魔物を倒してくれて、改めてありがと! これでドルマゲスを追えるわ! じゃあ、いろいろ準備もあるし、一度さっきの港町に戻りましょう」
船を戻すように言いに行こうと階段を降りてる途中で、二人を殺そうとしたことを、まだちゃんと謝ってなかったことを思い出した。
それだけなら良かったんだけど、私は余計な事にも気が付いてしまった。
ヤンガスが左腕に装備している『うろこの盾』って、もしかしてリーザス像の塔の中の宝箱から盗った物じゃないかって。
リーザス村やポルトリンクにも普通に売っている物だから、お金を出して買ったのかもしれないけど、思えば、常備してあった薬草とかも、この二人が現れたタイミングで無くなってたのよね。
確かに二人は、兄さんを殺した犯人ではないけど、『盗賊』だってことは、誤解じゃないんじゃないかって……。
でも、後で謝るって約束したのは私だし、本当に二人が塔から色々盗んだって証拠も無いし、何より魔物退治もしてくれたことだし……。
…………え〜〜い! もう面倒なことはいいわ!

「あ、そうだ。ねえねえ。エイトとヤンガス。塔での約束、忘れてたわ。盗賊とまちがえちゃったこと、ちゃんと謝らなきゃね」
とりあえず余計なことは考えすに、約束通り謝っておくことにした。

「すんませんしたーっ」

でも、どうしても真剣味が足りない謝り方になったのは、仕方ないことだと思う。

船を港に戻し、エイトとヤンガスが旅の準備をしている間、私は二人に会ってからの事を、色々と思い出していた。
リーザス村やアルバート家とは何の縁も無いのに、子供たちに頼まれたからって理由だけで、私をあんな高い塔の最上階まで、連れ戻しに来てくれた。
魔物退治のことだって、誠意のかけらも無い頼み方をしたのに、渋々でも引き受けてくれて、私や船員たちのことを守りながら戦ってくれた。
きっとサーベルト兄さんだったら、同じようにするんだろうなって、そう思う。

誰も兄さんの仇を討とうとしてくれないことや、私個人の心配よりアルバート家のことばかり言われること。何よりこの私が、小さな子供を利用して平気な人間だったって気づいて、本当に信じていい人なんてどこにもいないんだって思いかけてたけど……。

……二人が戻ってきたら、お願いしてみようかな。私も仲間にしてって。
勝手なこと、たくさん言っちゃったから、多分『うん』とは言ってもらえないとは思うけど……。
その時はその時で、強引に付いていっちゃおう。
迷惑もかけるかもしれないけど、二人とも今のところ、攻撃魔法は使えないみたいだから、きっと役には立てると思うし。

だって、あの人たちとだったら、取り戻せるかもしれないもの。
誰かを心の底から信頼できる、素直な心を、もう一度。

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