兄さんが死んでしまった。
リーザス像の塔の扉が開いているので、様子を見に行くと言って出て行ったまま、帰ってこなかった。
私はただ信じられなくて、遺体を見た時も、お葬式の時も、涙の一つも流れなかった。

お葬式から何日も経っているのに、まだ兄さんが死んでしまったという実感は沸かない。
だけど、いつも一緒にいた兄さんが、今はどこにもいない。
それだけは事実。

あんなに大好きだった兄さんが死んでしまったのに、私は普通に生活している。
食事の時間にはご飯を食べ、夜になったら着替えてベッドに入り眠る。
そうして、ある朝に突然気がついた。
兄さんを殺した犯人も、きっと私と同じように、いつも通りの生活をしているのだろうと。

……そんなの…絶対に許さない。


「兄さんを殺したのが、リーザス像の瞳を狙った盗賊なら、きっとまたあの塔に現れるわ。そこを捕まえて、みんなで兄さんの仇を討つのよ!」
村の男の人たちに教会の前に集まってもらったけれど、私の話に皆、お互いに顔を見合わせて困ったような顔をする。
「ですが、ゼシカお嬢様……。あのサーベルトぼっちゃんを殺してしまうような相手に、我々が立ち向かえるとは、とても……」
確かに、あの強かった兄さんが、争ったような跡も残さずに正面から一突きにされてしまうなんて、たとえ不意打ちされたとしても、かなりの大人数に襲われたに違いないわ。
きっと相手は、凶悪な大盗賊団か何か。
「だけど、これだけの人数が力を合わせれば、盗賊団相手でも何とかなるわよ。もちろん、手ごわいヤツは、私が相手をするわ」
「とんでもない! ゼシカお嬢様にまで万一のことがあったら、アルバート家はどうなるんですか! アローザ奥様だって、そんなことお許しになりませんよ」
「じゃあ、また盗賊団が来たらどうするの? 像の宝石を黙って持っていかせるつもり? それだけじゃないわ。この村を襲いにだって来るかもしれないのに、放っておくの? もう兄さんはいないんだから、これからは自分たちの力で村を守らなくちゃ!」
それでも皆、お互いに顔を見合わせるだけで、何も言ってくれない。
「みんな……。兄さんの仇を討ちたいとは思わないの……?」
それでもやっぱり、誰も何も言ってはくれなかった。
「わかった……。もういいわ。集まってもらってごめんね。もう戻って」

久しぶりに家の外に出て見た村の中は、すっかり以前の姿を取り戻しているように見えた。
まるで兄さんの死なんて、初めから無かったみたいに。
まるで兄さんが、初めからいなかった人みたいに。

「ゼシカ姉ちゃん、どうしてもサーベルト兄ちゃんの仇を討ちに行くなら、おいらたちは手伝うよ。だけどゼシカ姉ちゃんに何かあったら、やっぱりこの村はおしまいなんだからさ。な、ポルク」
「うん。ゼシカ姉ちゃんまでいなくなったら、今度はアローザ奥様がひとりぼっちになっちゃうよ」
ポルクとマルクが心配して私を家まで送ってくれたけど、サーベルト兄さんにあんなに懐いてた二人まで、私が兄さんの仇を討つことには賛成してくれない。

「ゼシカ、どこへ行っていたの?」
家に入るとすぐ、階段の前に立っていたお母さんが、咎めるような声でそう訊いてきた。
「お母さん、私……」
「喪に服している間は、家人は家を出てはいけないという家訓を知らないわけじゃあないでしょう? それなのに勝手に外に出るなんて、どういうつもり?」
私は、兄さんの仇を討ちたいという気持ちが伝わらないのが悲しくて、その思いをお母さんに訴えたかった。
お母さんだけは、家族なんだから私と同じ気持ちでいてくれてると思ってたのに。それなのに『家訓』なんて言葉を持ち出されて、たまらなく情けない気持ちで一杯になった。
「お母さん……? 私が外に遊びに出てたとでも思うの? 私はただ、兄さんの仇を討ちたいの! ねえ、お母さんからも村のみんなに言ってよ! みんな兄さんの事を慕ってくれてたんじゃないの? このままじゃあ、サーベルト兄さんが可哀想よ! 兄さんはずっと一人で、この村を守ってきてくれてたのに、どうして誰も、兄さんの為に戦うって言ってくれな……」
「やめなさい、ゼシカ!」
私の言葉を遮ったお母さんは、一つ深呼吸をした後、平静な口調に戻ってこう続けた。
「……明日、ラグサットさんが来ると連絡がありました」
「……え?」
あまりにも違いすぎる話に切り替えられて、しばらく意味がわからなかった。
「外に出てはいけないという家訓とはいえ、閉じこもりっぱなしでは、あなたも気が滅入るでしょう。ラグサットさんに連絡したら、ぜひゼシカを慰めたいというお返事が来ました。わざわざ来てくださるのですから、失礼な態度を取ることのないように」
「……お母さん? 何、言ってるの?」
「サーベルトが亡くなって、この家は女ばかりになってしまいました。あなたも慕っていた兄を亡くして、支えてくれる人が必要でしょう? サーベルトだって、あなたがちゃんとした家柄の人と結婚して、立派にこの家を継いでくれることを望んでるはずよ」
「やめてよ! 兄さんや私は、一体何なの!? 跡取りとしての価値しか無いの!? アルバート家が何よ! そんなもの、どうだっていいじゃない!」
「いい加減にしなさい! あなたには、責任ということの意味がわからないの!? アルバート家の人間として生まれたおかげで、あなたは今まで何不自由なく暮らしてこれたのだから、家訓にぐらいは従いなさい!」
それは、確かにそうかもしれないけど……。
だけど、兄さんはちゃんとアルバート家の当主としての責任を果たしてきたのに、あんな殺され方して、仇も討ってもらえないのはどうして?
それがこの家に生まれてきたってことなら、私、そんなの欲しくないよ。

「……ポルク。マルク。お願いがあるの」
「な、何? ゼシカ姉ちゃん。何でもするけど、あんまり早まったことは……」
「わかってる、どこにも行かないわ。ただ、明日来るっていうラグサットには、どうしても会いたくないのよ。だから、明日になったらあんたたちに、私の部屋の前で見張りをしてほしいの」
「ゼシカ。子供たちを巻き込むのは卑怯よ」
そうね、卑怯だわ。お母さんはこう見えて結構子供には甘いから、二人が見張りに立ってくれれば、それを無理矢理どかせたりしないって知ってる。
ポルクとマルクは、私とお母さんの板挟みみたいになっちゃったけど、私の願いを聞いてくれた。
「……わかった、そんなことなら、お安い御用だよ。それだったら、明日じゃなくて今からでもいいよ」
「うん。絶対誰にも入らせないから」
……ごめんね、二人とも。それは、私が困るの。
「今日はまだ大丈夫だから、帰っていいわ。子供はちゃんと寝ないと大きくなれないわよ。……それでね、明日は私、きっと誰にも会いたくないから、あんたたちも部屋の中には入ってこないでほしいの。勝手なこと言って悪いけど、お願い」
「ううん。ゼシカ姉ちゃんがそうしたいなら、わかったよ」
ごめんね、ポルク。マルク。兄さんが死んでしまって、私の心の中の何かも死んでしまったみたい。
あんたたちみたいな子供を騙すなんてひどいことが、こうして平気で出来てしまう。


その後、お母さんが何か怒鳴ってたけど、私はそれを無視して部屋に入り、机に向かってペンを取った。

[誰がこの手紙を読んでいるのかわからないけど、もし私以外の誰かが読んでいるのなら……。この手紙は遺書だと思ってください。きっと今ごろ、私はこの世にいないでしょう]

そう書き出して、私は初めて、自分が死をも覚悟していたことに気が付いた。

[私は東の塔に行きます。サーベルト兄さんのカタキを討つまで村には戻りません。お母さん。家訓を破っちゃってごめんなさい]

本当はお母さんのこと、罵りたい気持ちで一杯だった。
だけど、さっきマルクが言っていた『私がいなくなれば、お母さんはひとりぼっち』という言葉を思い出すと、ただ申し訳ないと思うだけ。

[だけど、家訓よりももっと大事なことがあると思うの。私は自分の信じた道を行きます。こんな娘で本当にごめんなさい]

本当にごめんなさい、お母さん。それでも私はどうしても、兄さんの仇を討ちたいの。

[あと、ポルクとマルク。ウソついちゃって、ごめん。私のこと許してね]

最後に、ポルクとマルクへの謝罪を認めて、署名をする。
書き伝えたいことがあるのが、この三人だけだなんて、あまりにも狭い自分の世界に今更ながら呆れてしまう。
兄さんがいなくなり、お母さんに逆らい、ポルクとマルクを騙した私は、まるでひとりぼっちのよう。


夜が更けて、家の人たちが寝静まるのを待って階下に降りた。
夜の間は、新しく雇った用心棒も家の外で見張りに立つから、見とがめられる心配はない。
私はありったけのお小遣いを持って、食堂の窓から外へと抜け出し、キメラのつばさを放り投げた。


ポルトリンクで薬草と花束を買って、再びリーザス村へ戻ってから、東の塔へと向かう。
私も魔物と戦ってレベルアップはしてきたけど、基本的には兄さんに守られながらだから、一人で魔物と戦うのが、こんなにキツい事だとは知らなかった。
それでも、この辺の魔物の事はよく知ってるから、勝てそうにない魔物からは逃げながら、何とかリーザス像の塔までは無事に着くことが出来た。

でもそこで、私は異変に気づく。
塔の敷地に入ってすぐの階段を、右に曲がった所にある扉は、兄さんが亡くなった後は盗賊対策に鍵をかけてあったのに、それが開かれていた。
ハシゴを降りた所にある宝箱や、途中に常備してある薬草なんかも無くなってる。
最上階に続く階段から見える宝箱も開けられてしまっていた。

冷静にならなくちゃと自分に言い聞かせながら階段を上り、リーザス像の前に、二つの人影を見つけた。
いかにも盗賊といった感じの太った男と、その手下らしい、一見平凡そうな若い男。
もっと大人数だと思ってたのに、ちょっと拍子抜けしそう。
だけどここまで昇ってくる間に、だいぶ魔法を使ってしまって、メラ3発分しかMPが無い私には、運が良かった。
花束が手から滑り落ち、床に落ちる。
ずっと盗賊と鉢合わせするかもしれないと警戒してたのに、花束なんて後生大事に抱えてたなんてバカみたい。


兄さん、すぐだからね。
たとえ完全に仇は討てなくても、最低でも一人は道連れにしてみせるから。
だから待っていて。
もう兄さんを、決してひとりぼっちにはしないから。

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