あー、あせった。
ほんとに、ゼシカといると、一瞬でも気が抜けないな。
あそこで、いきなり怒鳴りだすとは思わなかった。
思えば、初めて会った時から、やることがメチャクチャだったよな。
問答無用でバケツの水ぶちまけるわ、屋内でメラぶっぱなそうとするわ。
もしあの時止めてなかったら、火事になってたかな? 反射神経のいいオレで良かった。


『ごめんなさい。もうよけいなこと言わないわ』
そう言ったゼシカの声は、悲しげだった。
宿まで送っていく間も、黙って俯いたままだったし、今頃は、泣いてるかもしれない。
でも、オレじゃあ慰められない。
悲しませてるのは、他ならぬオレだからな。
正直、マルチェロの言葉で、あそこまでショック受けられるとは思ってなかった。
……まあオレだって、全くショックを受けなかったとは言わない。
修道院を追い出されたとはいえ、信頼出来そうな連中に同行するように頼んでくれた辺り、少しは人間らしい気持ちがあったのかと思ってた。
野垂れ死にしてほしいなら、一人で放り出すだろうにってな。
マルチェロがどんなにオレを嫌って憎んでるか、ちゃんと知ってるはずのオレでも、そんな甘い事を考えるくらいなんだから、ゼシカみたいな純粋なコが、あんな言葉を聞けば、そりゃあショック受けて当たり前か。
それに、オレの為にあんな風に怒ってくれるとは想像つかなくて驚いたけど……酒場のおばちゃんに怒鳴った時にゼシカが言いたかった事も、全く理解出来ないって訳じゃない。

領主の息子に生まれて『ぼっちゃん』なんて呼ばれてたって、両親に死なれた時のオレは金も家もない、ただのガキだった。
そんなオレに対して、誰ひとり手を差し伸べてはくれなかった。
だけど、別に恨んじゃいないさ。
皆、自分たちが生きていくのに精一杯だ。
オディロ院長みたいな慈善家が近くにいたんだし、野垂れ死にされる心配はないと思ってたんだろう。
それでも……そうだな。
カッコ悪い話だが、一つだけ時々考えちまうのは、もしもあの日、誰かがオレの手を引いて、修道院まで送り届けてくれていたら、オレはこんなふうにマルチェロに対して、遠慮はしないで済んでたかもしれないってことか。
今ほど凶暴ではなかったけど、魔物が出るかもしれない道をガキが一人で歩くのは、やっぱりおっかなくて。
やっと辿り着いた修道院は、辛気臭くて不気味に見えて。
温厚な顔をして歩いてる修道士たちには、オレの姿なんか目に入らないみたいで。
だから、きっと、すがっちまったんだろう。初めてさしのべられた、その手に。
十年経った今でも、忘れられない呪縛のように。
我ながら運が悪いよな。
せめてオディロ院長に先に会えていたなら、また人生違ってただろうに。
……こんなこと、今更考えても仕方ねえよな。

『お嬢様』なんて、ついバカにしたみたいに言っちまうけど、ゼシカのように、ちゃんと幸せに育ってきた人間は嫌いじゃない。
そういう人間にしか持てない種類の優しさってのがあるのも知ってる。
実際、祈りを捧げに行ってた金持ちの家の中には、本当に打算も見返りもかけひきも、何にもなく親切にしてくれた人たちもいた。
まあ、金はあっても、心が貧しい連中の方が圧倒的に多かったのは確かなんだけどな。
オレがドニの町で気楽に過ごせるのは、辛気臭い気分を持ち込まずにいられるからだ。
誰も後ろ側を見ようとしない。こっちが見せたいと思う部分だけを素直に見てくれる。
別に観察眼や洞察力がないわけじゃなく、その方が楽な付き合いだっていうのを、お互い承知してるからだ。
でも、ゼシカにはそれは嘘の世界に見えるんだろうな。
わかるさ。
もし両親に死なれたばかりの頃のオレが、今のゼシカの前に現れたとしたら、絶対放ってはおかないだろうって。
親身になって面倒みてくれるだろうってことはな。
でも、それはありえないことだし、ゼシカみたいに全てにまっすぐ立ち向かえるほど強い人間ばかりじゃない。
オレだってそう。弱い人間だ。
兄貴の憎しみを理不尽だと思って、憎しみで返そうと思ったこともあったさ。
でも無理だった。
一番初めに、悪い人間じゃないってのを知ってしまったせいも、もちろんあるけど……。
オレにはそれだけのエネルギーが無かった。
修道院の暮らしってのは結構忙しくて、勉強にお祈り、魔法や武術の稽古、生活すること、それと息抜き。
それらを全部こなした上で、更に人を憎むなんて疲れるマネ、オレにはできなかった。
そういう意味では兄貴はたいしたもんだ。
尊敬しそうだ。

酒場に戻ると、エイトとヤンガスの姿が無かった。行き違いにでもなったか。
「ここにいた、バンダナとコワモテは?」
一応、マスターに確認する。
「お酒と料理を持って、町の外で待ってるお連れさんの所へ行くって言ってましたよ。中で飲めばいいのに、おかしなお連れさんですね」
トロデ王と姫様のところか。あいつらもマメだね。
「ククール、あんたずいぶん酒癖の悪いコと一緒に旅してるんだね。あのコだろ? 前にここでバケツの水ぶちまけてたの」
記憶力いいな、おばちゃん。結構前の話なのに。
いや、あれはシラフでやってた……とは言わない方がいいな。
酒癖、か……。そういえば、ゼシカにしては、結構飲んでたよな。
大丈夫だろうか……急に心配になってきた。
「おばちゃん、今日はホントにゴメン。マスターも。今度来た時は静かに飲むようにするから。おやすみ」
女の子たちが引き止めてきたが、適当にあしらって宿屋に戻った。
小さな宿屋だ、大部屋しかなく、四人一緒の部屋に泊まってる。
でも、たいていそうか。ゼシカが個室を要求したことなんて、一度もない。
それどころか、野宿に対しても、一切文句は言わない。
お嬢様育ちなのに根性がある。
育ちがいいからか寝相も良く、寝乱れた姿なんてのも見せてくれたことがないのが残念なところだが……。

そっと部屋に入ると、ゼシカはもう寝息をたてていた。
どうやら暴れも倒れもしなかったらしい。
それに……泣かれてもいなかったみたいで、ちょっとホッとした。
ゼシカは相当疲れてるのか、オレがすぐ脇に立っても、目を覚ます気配は無い。
そりゃ、そうだよな。
いくら優れた魔法使いだからって、体力的にはやっぱり女の子だ。
オレたちと一緒にするのは、可哀想すぎる。

……思えばさっき、なんであんなにはっきりと突き放してしまったんだろう。
いつものように軽口叩いて『体で慰めてくれ』とでも言っておけば、ゼシカも呆れてそれ以上は何も言ってこなかっただろうに。
ゼシカが、あんまりまっすぐぶつかってくるから、オレもついまともに受け止めちまう。
本音を晒すなんて意味のないことだって、わかってるのに。
オレとゼシカの共通点はたった一つ、敵討ちの相手が同じ奴ってことだけだ。
ドルマゲスの野郎がいなければ、お互いに知ることもない存在だった。
だから、ヤツを倒したら、そこでお別れだ。その後は会うこともないだろう。
なるべく嫌な部分は見せずに、思い出の中で美化できる程度の関係ってやつが望ましい。
何となくわかる。ゼシカはオレといると、見なくていいものを見てしまって傷つくことになるって。
今日のことがいい例だ。あの程度のことでショック受けてたら、とてもじゃないが神経が持たない。
見て見ぬふりできるタイプなら良かったんだが、ゼシカはそうじゃない。

今日は色々失敗しちまった。
ごめんな、ゼシカ。オレなんかのことで、悲しい思いさせちまって。
わかってるさ、棲む世界が違うってこと。それさえ忘れなければ問題ない。
大丈夫……明日からはまた元通りだ。


眠ってるとはいえ、ゼシカと二人きりなのは気まずくて、だからってまた酒場に戻るのもマヌケなんで、仕方なく一人で外をブラブラしてて、ふと気づいた。
マルチェロが何故、エイトたちにオレを同行させてくれるように頼んだかが、わかったような気がした。
もしオレを一人で放り出してたら、ドルマゲスの行方を突き止めさせるどころか、途中で諦めて修道院に舞い戻るか、そこまで行かなくても、この町でブラブラ住み着くとでも思ったのかもしれない。
だから、頼まれたらイヤと言えないタイプのエイトに、オレを押し付けたのか。
魔物や馬に変えられた主君も、人相の悪い盗賊あがりも、体力の劣る女の子も、見放さないエイトだ。
素行の悪い生臭僧侶だって受け入れて、最後まで見放さないと見込んだんだろう。
おまけに、オレの好きそうなナイスバディの可愛い女の子までいれば、オレが逃げ出す確立も低くなる。
要するにマルチェロは、オレを全く信用してなかったってことだ。

……バカみてぇ。
オレは、マルチェロの考えなんて全然わかってなくて、多少は兄弟として心配してくれてたんじゃないかなんて、甘い幻想抱いてたわけか。
おまけに、更に腹が立つのは、それがわかったからって、今更、旅を止める気にはなれないってことだ。
エイトやヤンガスに気まずい思いをさせて、ゼシカを悲しませても、あいつらはオレを見放さない。
そしてオレも、そういうヤツらの気持ちを裏切れる程、薄情な人間にはなれない。
例え、それを含めて全部、マルチェロの思う壷だったとしてもだ。

結局、たった一人の肉親が、実は誰よりもオレの事を理解してたって、わかったわけだけど……。
少しも嬉しくなれないってのが、何とも微妙な気分ってとこだな。

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