「ねえ。トロデ王は結局、パルミドではゆっくり出来なかったのよね? だったらこれから酒場にいかない? ポルトリンクの人達は、ほとんど顔見知りだから、私が一緒にいれば、多分大丈夫よ」
まだ陽は高いけど、港町の酒場は昼からでも営業してるから、そう誘ってみた。
「いや……気遣いはありがたいが、ワシはもう、姫を残して飲みに行ったりはせんと約束したばかりじゃからな」
私の提案に、トロデ王は遠慮がちに答える。
「王様。せっかくゼシカがこう言ってくれてるんだし、どうぞ行ってらして下さい。姫様のお側には僕が付いていますから」
うん。エイトなら、きっとこう言うと思ってた。
トロデ王もその言葉に安心したのか、エイトと姫様を残して、皆で一緒に酒場へ行くことになった。


トロデ王には念の為に町中ではフードを被ってもらったので、酒場までは問題なく行く事が出来た。
そして、肝心の酒場では、私がおどりこの服なんて着てたせいか、旅芸人の一座と勘違いされてしまったみたい。
ちょっと釈然としないけど、トロデ王も、ちょっと変わった道化師のメイクだと思われたっらしく、普通に受け入れられたから、都合はいい。
おかげで、私がずっと側についてる必要も無さそうだし、トロデ王の気が済むまで、カウンタの端の方で座って待ってる事にした。


何だろう、この気分……何だか胸の中がモヤモヤする。
パルミドでの事件があって、私はもっと姫様に優しくしようって思った。
同じ様に悪い人に捕まったのに、私は大事になる前に助けてもらえたのに対して、姫様は売り飛ばされて、何日も鎖に繋がれる事になってしまった。
それがどんなに怖いことか、想像するだけで手足の力が抜けそうになる。
それだけじゃない。
普段から私は、重い物は持たなくていいとか、野営の時も火の番はしなくていいとか、普通に女として気遣ってもらってる。
だけど姫様は、私よりも先に知り合ったヤンガスでさえ、人間だった時の姿を見ていないせいか、エイトと王様以外は、つい本当の馬だと思って接してしまってる事があるような気がする。
何だか私ばかりが得をしてるみたいで、何となく申し訳ないような気持ちになってしまって……せめて唯一の同じ女同士なんだから、少しでも姫様の気持ちをわかるように努力しようって思った。
だから、トロデ王を酒場に誘ったのも、トロデ王の為というよりは、姫様とエイトを二人きりにしてあげる為だった。
ようやく取り戻せたばかりの姫様を、エイトが一人で残していくはずがない。必ず『自分が残る』って言うだろうって思ったし、実際その通りだったし。
それなのに、どうしてこんな、淋しいような気持ちになっちゃうんだろう。
馬になんてされて、言いたいことも言えなくて、自分がそうなりたいかって訊かれたら、絶対イヤだって答えるはずなのに。
……私、姫様のこと、羨ましいなんて感じてる。
あんなに自分を大切に思ってくれて、あんなに自分を必要としてくれる人が、いつも側にいてくれたら、どんなにいいかって……。
バカみたいよね。こんなこと考えるなんて。


「おや、ゼシカお嬢さま。こんな所にいらっしゃるとは、めずらしい」
そう声をかけられて振り向くと、一つ向こうの椅子に座っていた少し年配の船乗りさんが、すぐ隣に立っていた。
見覚えはあるような気はするんだけど……誰だっけ?
サーベルト兄さんは、この町にもよく顔を出してたから、きっと港で働く人の事は、ちゃんと全員覚えてたんだろうけど、私はリーザス村から外に出ることは少なかったから、実はポルトリンクの人達の顔は、あまり覚えてない。
「しばらく村には行ってませんが、サーベルトぼっちゃんはきっと、相変わらずお元気なんでしょうね」
…………え?
信じられない言葉に、頭の働きが止まってしまう。
だって、考えられない。
この町はアルバート家の先祖が造った町で、兄さんはリーザス村だけじゃなく、この港町で働く人達のことだって、いつも気にかけてた。
不便な事は無いか、船の運行に危険は無いか、どうすれば皆が暮らしやすいか、いつも考えた。
それなのに……どうしてこの町に、兄さんを知ってるのに、兄さんの死を知らない人がいるの?
例え長い間航海に出てたんだとしても、この港に入った時点で、真っ先に聞くことになる話じゃないの?
兄さんが亡くなってから、そんなに長い月日が経ったわけでもないのに、もう町の人達の口にも上らないほど……兄さんの存在は、忘れられてしまったの?
何も答えない私の様子を、船乗りは不審に思ってるようだけど……何も言う気力が沸かなかった。

完全に無防備だった背中に、いきなり、ずっしりと重みがかかった。
身体に、赤い服と革手袋を纏った腕が回されてる。
「ゼシカ……」
耳元で、掠れたような低い声がして、一気に現実感が戻った。
どうしてこの男は、こういう時に節操無しに絡んでくるの?
振りほどいて殴ってやろうと思って、立ち上がりかけると、更に低い声が続いた。
「飲み過ぎた…気持ち悪い……」
えっ?
「吐きそう……」
……え、ええええええっっっ!!!?
「やっ、バカっ! やめてよ、こんなとこで!」
「外の空気……」
「わ、わかった。わかったから我慢してよ! 私の背中に吐いたら、泣くからね!」

細身に見えて結構重い、迷惑極まりない身体を支えながら、すぐ側にあるドアからバルコニーに出る。
「お水とバケツ借りてくるから、まだ我慢してよ。すぐ戻るから」
急いで店の中に戻ろうとしたら、悪酔いしてるとは思えない力で引き留められた。
「いい、もう治った。船乗りだらけのムサ苦しい空間に酔ってたみたいだ」
さっきまで死にそうな声出してたくせに、ククールは完全にケロッとしてる。
「……騙したの?」
「そんな騙したなんて、人聞きの悪い。ゼシカと二人きりになりたかった男心が吐かせた、可愛い嘘だろ」
「どこが可愛いのよ、もう! そんな嘘吐いて、人を連れ出すなんて本当に……」
『最低!』って、続けようとして、ふと……本当に唐突になんだけど、それは違うって気が付いた。
「私……そんなに変だった?」
ククールは、私の調子が悪い時に、口説くようなマネはしてこない。
だとしたらさっきのあれは、不自然にならないように私を外に連れ出す為だったってことになる。
「変…って程ではなかったけど……大丈夫か?」
大丈夫かって……? もちろん、大丈夫に決まってる。
わかってた事を、再認識させられただけ。
兄さんがリーザス村やポルトリンクの人達を思う程には、誰も兄さんの事を思ってくれてないんだって。
今更、その事にショックを受けるなんて、バカみたいじゃない。
なのに……鼻の奥がツーンとなって、唇も震えちゃって、言葉が上手く出てこない。絶対すごく変な顔になってる。
こんな顔を見られたくなくて、海の方に顔を向けると、丁度海に夕陽が沈んでいこうとしてる所だった。
「いいのよ、別に……。ただ、兄さんがいなくなったことで、もっと困ってる人が、いっぱいいるはずだって勘違いしちゃってただけ。そんな訳ないわよね。だってこうやって、ちゃんと夜になったら陽は沈んで、代わりに月が昇るし、明日になったら、また朝が来る。世界は兄さんがいなくたって何の問題も無く、いつまでも変わらず回り続けるのに……」
アスカンタの王様のように、二年も喪に服されるのだって、いい迷惑だってわかってる。
でも……それでも、せめてもう少し……。

「回ってないだろ。少なくとも、ゼシカの世界は」
思いがけない言葉に、思わず振り向いて声の主を見てしまった。
「ゼシカの世界は回らなくなってしまったから、そこから出て、今ここにいるんだろ? ……そういう人間が一人いれば、オレはそれで十分だと思うけどな」
……うん。そうだね、私だけなんだ。
兄さんの仇を討てるのは私だけ。
私だけが、兄さんの無念を晴らすことが出来るんだ。
こんな所で、メソメソ泣いてる場合じゃないんだわ。

「ほら」
目の前にハンカチを差し出されたけど、何となく受け取るのを躊躇ってしまった。
「いい、大丈夫」
とりあえず、自分の手で顔を擦っておく。
だって何か……すごく手慣れた感じで、今まで何度も女の人を泣かせてるのかと、つい思っちゃったんだもの。
「ああ、そう」
ククールは、ちょっとスネたような感じで、ハンカチを戻した。
普段はクールぶってるくせに、時々こうやって、子供みたいになる。
「さっきは、ありがとう。ククールは基本カッコつけなのに、悪酔いなんて、カッコ悪い演技までしてくれて」
ククールはますますスネた顔になった。
「憎まれ口をきけるくらい元気になってくれて何より。普通のレディは、あれをカッコ悪いとは思わずに、この美貌とのギャップに、母性本能をくすぐられるんだよ」
それが普通なら、私は普通じゃなくて、本当に良かったわ。
何よ。素直にお礼を言ったのに『憎まれ口』だなんて、本当に素直じゃないんだから。
でもまあ、せっかくの気遣いに気づかずに、怒ったりしなくて良かった。
私もだいぶ、ククールの行動が理解出来るようになってきたわ。


パルミドの情報屋さんの言った通り、確かに西の荒野に船はあった。
だけど、すっかり朽ち果ててしまっていて、とても動かせるようには見えなかった。
それにこの船、今までポルトリンクで見たきた船よりも、ずっと大きいわ。
修理したとしても、海まで運ぶ方法なんて見当もつかない。
っていうか、どうしてこんな物が、陸のど真ん中にあるの?
ここで考えても無駄だって事で、ここから真北にあるというトロデーン城の図書室に行こうという話になった。
そこでなら、船がこの場所にある理由とか、船を海に運ぶ方法とかが見つかるかもしれないから。
でも、エイトがルーラで飛ぼうとしても、トロデーン城へ行くことが出来なかった。
それは多分……城全体が呪いに蝕まれてるせい?

ち〜ん

間抜けな音に、一気に気が抜けた。
エイトがいそいそと、錬金釜に駆け寄った。
好きね、ほんとに。
「あれ?」
驚きの声を上げたエイトに、トロデ王が後ろに引っ繰り返りそうなほど胸を張って近づいていった。
「よろこべ、エイト! わしが夜な夜な改造を加えたおかげで、錬金釜が大錬金釜にパワーアップしたぞ!」
錬金釜を見ると、確かにちょっと大きくなったみたい。
「なんと、これからは、材料となる道具が3つまで入れられるようになったのじゃ!」
エイトの目が、すごくキラキラ輝いてる。
「これで、もしかして破毒のリングが出来るかも」
パルミドの闇商人の店で、特やくそうとハイブーメランを高値で買い取ってもらって、すっかり味を占めたみたい。
「お前、まだ諦めてなかったのかよ。レシピが無いと、無理なんじゃないか?」
そこまで言ってククールは、フッと思い出したように、付け加えた。
「そういえば、オディロ院長の蔵書の中に錬金術に関するものも多かったな」
それを聞いたエイトの瞳は、更にキラキラと輝いた。


なので、今、私たちはマイエラ修道院に来ている。
あのままトロデーンに行こうにも、食料や聖水が足りないだろうし、途中で買い物出来る町なんかは無いらしいし。
どのみち、どこかの町に戻らなきゃならないなら、ちょっとぐらい寄り道してもいいだろうってことで、こうなった。
トロデ王も、自分の直した錬金釜をエイトが最大限に有効活用するつもりなのが嬉しいらしく、文句を言わなかった。
ククールはイヤそうな顔をしてるけど、元々自分が口を滑らせたのが原因なので、諦めたみたい。

亡くなったオディロ院長の部屋には、マルチェロがいた。
小さな祭壇に向かって何か呟いていて、私たちが入ってきたのに気がついてないみたい。
でも、ここまで来て挨拶もしないで回れ右ってわけにもいかないから、とりあえず近くまで行くんだけど、やっぱり気づかない。
どうやら、没頭すると周りが見えなくなるタイプみたいね。
「院長のカタキを討つには、もっとチカラを手にいれねば。ドルマゲスは強すぎる」
でも、そう呟く声はとても真剣で……。
ここにも……大事な人を殺されて、その仇を討ちたいと願っている人がいるんだって、わかった。
そう思ったのに、その後の言葉を聞いて、背中に冷水を流し込まれたような気持ちになった。
「ククールとあの旅人に居所をつきとめさせ、いまいましい奴らをいちどに……」
……いまいましい奴らって、誰? いちどに、どうするの?
訊くまでもなく、それが実の弟の命を狙う言葉だとわかった。でも、受け入れられない。

だって私、マルチェロのこと、本当はいい人なんじゃないかって思ってたから。
オディロ院長が亡くなって、庇ってくれる人の誰もいなくなったククールを自由にしてあげるために、修道院から追い出すそぶりを見せたんだって、そう思ってた。
私たちに譲ってくれた世界地図が、せめてもの優しさの印なんだって、そう信じてた。
なのに、どうして?
わからない……。
血を分けた弟をそこまで憎める気持ちが、私にはわからない。


錬金のレシピを調べる気など無くなってしまった私たちは、その晩はドニの町に泊まることにした。
少しでも、ククールの気持ちが晴れるといいと思って。
私はお酒はあんまり飲まないんだけど、今日はやりきれなくて、ついつい杯を重ねてしまう。エイトとヤンガスも気が重そう。

この町では、ククールは大人気で、酒場のテラスで飲んでいるおじいさんも、バニーや踊り子さんたちも、皆が声をかけてくる。
酒場のおばさんも、ククールの姿を見て、嬉しそうに話しかけてきた。
「おや、ククール。ツケはいつでもいいから、今日もたーんと飲んできな!」
「ははっ、サンキュ」
……あんなに酷い言葉を聞いた後でも、ククールは全然落ち込んだ素振りを見せなくて、それが却って痛々しく見えてしまう。
だから……。
「そういや、あんた、修道院にいるっていう、お兄さんとはうまくやってるのかい? 両親のないあんたにゃ、ただ一人の身内だ。仲良くするんだよ」
「……ああ。ありがとな、おばちゃん」
その会話を聞いていて、私は急に腹が立ってしまった。
「勝手なこと言わないで!」
店中の人が驚いて、私の方を見る。でも止められない。
「何にも知らないくせに、心配してるふりだけするのはやめて! そんなこと言うなら、仲裁ぐらいしてあげてよ!どうして今まで何にもしてあげなかったの? ククールが今まであそこでどんな思いしてたと思ってるのよ!」
「ちょっと待て、ゼシカ」
ククールが止めに入ってきた。
「ゴメン、おばちゃん、このコ酔っ払ってんだ。聞き流してくれ、ホント、ゴメン」
そのまま、私は裏口から外に連れ出された。

「ゼシカ、勘弁してくれよ。一応ここはオレにとって憩いの場なんだからさ。あんまり変なこと言うなよ、来づらくなるだろ」
「どうして? あんた、今までマルチェロにどんなふうに扱われてたか、話したこと無いの? 憩いの場だっていうなら、辛い時とか誰かに相談したりしなかったの? 気を遣ってるのは、いつだってククールの方じゃない。それで本当に気持ちは安らいだの? 助けてもらいたいって、思ったことはないの?」
「そんなに、まくしたてるなよ」
ククールは、あくまで冷静だった。
「辛気臭い修道院から抜け出してきてたってのに、ここに来てまで辛気臭い話して、どうすんだよ。オレがここに来てたのは、あくまで楽しむためであって、人生相談しながら酒飲む趣味はないんだ」
「……辛く、無いの? お兄さんにあんなこと言われて」
「ああ、あれで気が立ってんのか。確かにさっきマルチェロが言ってたこと、ゼシカには刺激が強かったかもしれないな。たいした話じゃないさ、ドルマゲスを見つけても報告しなきゃいいんだ。サッサと倒しちまえば、それでおしまい。簡単だろ?」
……ククールが遠く感じる。
「そういう問題じゃないでしょう? 私は詳しいことは知らないけど、あんなふうに憎まれて、命まで狙われるようなこと言われて、どうしてそんなに平気そうな顔していられるの? 無理しないでよ、私たち仲間じゃない。せめて私たちの前でぐらい、やせがまんしないでよ」
ククールは、困ったような顔をしている。
「気持ちはありがたいけど、オレはやせがまんなんてしてない。いいんだよ、別に兄貴のことは。
あいつはオレのことを嫌ってるから、キツくあたって冷たくする。憎んでるから、殺したいと思う。筋は通ってるだろ? どこも矛盾してない。わかりやすくて、むしろ清々しいくらいだ」

……目眩がする。自分が立っている世界が、まるで現実のものではないみたい。
わからない、本当に。
マルチェロのように、弟を憎む気持ちも。ククールのように、それを受け流してしまう気持ちも。
「ごめんなさい。もうよけいなこと言わないわ」
私が間違っていた。自分の知っている世界の範疇で、この人のことを理解しようとしていた。理解できるって、思い上がってた。
見てきた世界が違い過ぎるのに……。
ククールはきっと、私なんかが想像もつかないほど、いろんな苦しい思いや辛い思いをしてきて、汚いものもたくさん目にしてきていて……。
それでもちゃんと人に気を遣ったり、思いやる心を忘れずにいてくれてる。
それだけで充分じゃない。頼もしい仲間だわ。これ以上、何かを望むのは贅沢すぎる。
きっと私なんか、一生かかっても、ククールの全ては理解できない。

なんだろう。そのことが今……すごく、悲しい。

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