無事にビーナスの涙を手に入れて、あとはゲルダにこの宝石を渡して、馬姫様を返してもらうだけって時に、ククールが水を差すような事を言ってきやがった。
「しかし、あの抜け目なさそうな女盗賊が、本当に宝石と引き換えに、姫と馬車を返してくれるのか? 最悪、宝石は奪われて、姫も馬車も戻ってこないなんてことに、ならなきゃいいんだがな」
「ゲルダはあれでも、約束はキチンと守る奴でがすよ! それは、アッシが保証するでげす」
「ヤンガスの保証ね。そいつがアテになりゃいいんだが……」
何で、こいつはこう、何でもかんでも、捻くれた方向に考えようとするんだ。
「あんたも、盗賊なんてやってるワリに、案外呑気だよな」
「盗賊じゃなく、元盗賊でがす。アッシはもう足を洗ったんだ」
「元でも現役でも、どっちでもいいけどさ。考えてもみろよ。もしさっき言ったみたいな展開になったら、エイトはきっと女相手でも容赦しないぜ。この立派な一軒家は、たちまち血の海だろうな」
おい!
お前こそ、元が領主のおぼっちゃんで修道院育ちのくせに、どうしてそんなに考えることが物騒なんだ。
「エイトの兄貴だって、そんな乱暴なマネ……」
『しない』と言いたかったが、剣士像の洞窟での暴走ぶりを見た後となっては、自信が持てない。
「ま、ゲルダはあんたの知り合いなんだから、上手く話をまとめるんだな。オレとしても、目の前で美女が傷つくのは見たくない」

「さあて、いよいよゲルダの奴にビーナスの涙を渡して、馬姫さまを返してもらうでがすね。ここはアッシにまかせて、みんなは見ててくれりゃいいでげす。きっと、うまくやるでがすよ!」
う〜! ククールのヤロウが変なこと言いやがるから、妙に緊張してきちまったじゃねえか。
大丈夫だ。ゲルダは強欲で執念深いが、誇り高くて潔い。
この宝石を渡せば、ちゃんと馬姫様を返してくれるはずだ。

だけど……宝石には目がないはずのゲルダが、ビーナスの涙を受け取っても、あんまり嬉しそうじゃない。
それどころか、宝石を突っ返そうとしてきやがった。
「……あたしがした約束は、たしかビーナスの涙を持ってきたら、馬を返すのを考えるってことだったね。じゃあ、今考えた。やっぱりあの馬は返せないね。この石コロは、あんたたちに返すよ」
「なっ……約束がちがうぞ! 女盗賊ゲルダともあろう者が、そんなガキみたいな理屈言うなよっ!」
それじゃあ、ククールの言った通りになっちまうじゃねえか!
……ん? 両方取ろうとしてる訳じゃないから、最悪ではないのか?
「約束ね……そういえば、あんた以前、あたしにこの宝石をくれるって、約束してなかったかい?」
「うっ! 何を今さら、そんな大昔の話を……」
「自分だって、約束破っといて、よく言うよ。とにかく、あたしは、あの馬を手放す気はないからね!」
さっきのククールの言葉が、頭の中をグルグル回りやがる。
このまま馬姫様が戻らなかったら、エイトの兄貴はどうするだろうか。
こっちは約束は守ったんだから、馬姫様を勝手に連れ出すって方法もあるんだろうが、鎖を外すのに手間取ってる間に邪魔が入ったら、エイトの兄貴がキレちまうかもしれねえ。
「……お前の言うとおり、あの時の約束を破ったのは悪かった。お前がオレに腹を立てるのも無理ねえ」
ゲルダは腕ずくで出られて引くような女じゃねえし、そうなったら本当に血を見ることになりかねない。
そうなった時、どうすりゃいいのか、オレにはわからねえ。
頭を使うのは、苦手なんだ。
「でも今回のことは、オレひとりの問題じゃねえんだ。仲間のためにも引くわけにはいかねえ」
オレはこういう時に上手い言葉を思いつく程、頭が良くねえ。
だから、床に手をついて頭を下げる。
「この通りだ。オレはどうなってもいいから……頼むから、あの馬を返してくれっ!」
エイトの兄貴とゲルダが争うなんて、オレにとって、これ以上辛いことは無い。
それくらいなら、八つ裂きにされた方がまだ楽ってもんだ。

ゲルダが息を呑む音が聞こえた。
「……わかったから、もうやめな。大の男が、簡単にアタマなんか下げるもんじゃないよ!」
頭のすぐ上から声が降ってきて、左の頬に手が添えられた。
「それじゃあ……」
「あんたを困らせてやろうと思ってたけど、バカバカしくなってきたよ」
困らせてやろうって、そんなガキみたいな理由でゴネたのかよ。
「あの馬のことは、好きにすればいいさ。でも、そのかわり、ビーナスの涙はやっぱりもらっておくよ。それが約束だったんだからね」
「ああ、もちろんだ。ありがとう、ゲルダ。……それと、本当にすまなかった」
「……ったく、うっとおしいね! これでもう用は済んだろ? どこへなりと行っちまいな!」
シッシと追い払うような手振りの後で、ゲルダはボソッと呟いた。
「あんた変わったね、ヤンガス」


「話はついたでげす。さ、馬姫様を迎えに行くでげす」
入り口のドアの前で待っていた三人の所に戻って、そう声をかける。
だけど、めでたい報告なのに、エイトの兄貴の顔は沈んでいた。
「ヤンガス……ありがとう。ごめん、姫様の為にあんな土下座までさせちゃって……」
「何言ってるでがすか、兄貴。人に頭を下げるのは恥ずかしいことじゃないって、アッシに教えてくれたのは、エイトの兄貴でげすよ」
「えっ、僕……知らないよ?」
「アッシにはそうなんでがすよ。さ、馬姫様が、顔を長くして待ってるでげす」
「「いや、それは『顔』じゃなくて、『首』!」」
ククールとゼシカから、ダブルでツッコミが入った。


ゲルダの家を出ると、馬姫様が外で待っていた。
売り飛ばされる前と全く同じ、馬車を牽いた姿でだ。
「じつはゲルダさまから、前もって馬を返す準備をしとけって、言われてたのさ。なんだかんだ言って、ゲルダさま、あんたらがビーナスの涙を持ってくるって、信じてたみたいだな」
ゲルダの手下が、照れくさそうに教えてくれた。
……何でえ、あいつ。本当にオレを困らせるためだけに、あんなこと言ったのかよ。


情報屋のダンナが帰ってきてるかもしれないんで、とりあえずパルミドに戻ろうってことになったんだが、どうにも最後にゲルダの言った言葉が気になった。
オレはやっぱり変わったんだろうか。
ゲルダを喜ばせる為に取ってくるはずだったビーナスの涙を、馬姫様を取り戻すために手に入れた時には、確かに流れちまった時間に、複雑な気持ちになった。
もしかしてゲルダも、自分の為じゃなく、宝石を渡された時に、寂しいものを感じたのかもな……。
「兄貴! すいやせん、パルミドに行くのは、少し待ってほしいでげす。すぐに戻るんで、待っててくだせえ!」
そう言い残してオレは、ゲルダの家へ駆け戻った。


「来なくていいものを、またノコノコ現れやがって! いったい何の用だってんだい?」
オレの顔を見るなり、ゲルダは不機嫌そうに眉間にシワを寄せた。
何の用って改めて言われると、用って程の用は無い。
ただゲルダは、オレがビーナスの涙を取ってくるのを、やっぱり何年もずっと待ってたんじゃないかって気がしたんだ。
もしそうだとしたら、やっぱりゲルダもオレのことを、まんざらでもなく思ってるって事で、そうなると、ずっと苦いメモリーだと思ってたのが、甘酸っぱいメモリーに変わる可能性だってあるってことで……。
だからオレも、馬姫様の為だけじゃなくて、お前との昔の約束を忘れてたわけじゃないんだって、そう言うつもりだったんだが、こんな顔で睨まれると、言い出しにくい。
「……いや、お前がさびしがってるかと思ってな。会いに来てやったぜ」
「それって、あたしを口説いてるつもりなのかい? まったく、どのツラ下げて言ってるんだか……。顔を洗って、出直してきな!」
……洗ったって、この顔は綺麗にはならねえよ。
やっぱりゲルダがオレに気があるかもしれないっていうのは……オレの思い過ごしなんだろうか。

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