オレは暴力は嫌いだ。
他人を力で抑えつけようとすれば、自分が同じように力で抑えつけられても、文句が言えなくなるからだ。
極力、話し合いで解決してこそ、言葉を操る人間に生まれた意味があるってもんだ。
そのために、嘘や詭弁、ハッタリや屁理屈の技術も磨いてきて、なるべく口先での勝負に持ち込むようにしてきたし、大抵それで勝ってきた。
だから今まで、人を殴らなきゃならないような事態に陥った事は、ほとんど無い。
……という訳で、さっきだって慣れてないせいで、力加減がうまく出来なかっただけだ。
なのに何で、顔から血の気が失せてグッタリしてるエイトを見て、『やりすぎたか?』なんて罪の意識を感じちまうんだろう。
「兄貴〜。しっかりしてくだせえ」
ヤンガスの情けない声が届いたのか、エイトは目を覚ました。
「あっ、兄貴! 気が付いたでがすか?」
「あれっ…? 僕、どうして…っ…! つっ…ぅ……」
起き上がろうとしたエイトは、顔をしかめて腹を押さえた。どうやら少し吐き気もあるっぽい。
「大丈夫でがすか? まったくククールの野郎! とんでもねえことしやがる!」
ヤンガスがオレを睨む横で、エイトはぼんやりした顔をしてる。
目が覚めたら、また暴れだすんじゃないかと警戒してたんだが、どうやら少しは頭が冷えたらしい。
もしかして……身体が言うことをきかないだけかもしれないけど。
「……謝らないからな」
オレは悪くない。
あのままエイトを飛び降りさせるわけにはいかなかったし、持久戦になってたら、オレの方が不利になってた。
エイトのヤツ。おとなしそうな顔して、上背も無くて、おまけに撫で肩なのに、どうしてあんなに体力バカなんだ。
エイトは、オレと目を合わせようとせずに、ボソリと呟く。
「うん……いいよ。大丈夫だから」
その声は、『大丈夫』なんてものからは、程遠かった。
「エイト……何があったんだ?」
何があったも何も、姫が売り飛ばされたんだってことは、わかってる。
でも、そうじゃない。
思えば、湖畔の宿屋の時から、少しおかしいとは思ったんだ。
いや……もうちょっと前だ。
あの宿屋に行く途中の道程、全員が妙に無口になってた。
もちろん、街道が整備されてなかったから余分に体力使うってのもあったろうが、それだけじゃなかったんだ。
ドニの町で初めて会った時にも思ったが、このパーティーは、全くタイプの違う人間の寄せ集めだ。
それが一応まとまってるのは、リーダーのエイトが、呑気そうな顔して全員に細かく気を配ってるからだ。
だから、そのエイトがおかしくなれば、皆の空気も悪くなるし、無口にもなる。
で、願いの丘に昇るまでは、変わった様子は無かったんだから……。
「アスカンタ城でだな?」
エイトは顔を上げて、目を見開いた。
「何で……?」
当たりか。
「オレの勘の良さをナメるな」
「……すごい、ね、ククールは……。僕はダメだよ。全然……ダメだ」
「ダメとかダメじゃないとかは、どうでもいい。何があったのかを言え」
ここでしっかり問いただしておかないと、姫が戻った後でも、多分エイトの暴走は止まらない。
オレの悪い予感っていうのは、イヤになる程、よく当たる。
そんな無茶を続けてたら、命が幾つあっても足りやしない。そう遠くない内、取り返しのつかないことになる。
冗談じゃない。オレは死にたくないし、身近な誰かが死ぬのも、真っ平ゴメンだ。
「何か……あった訳じゃないよ。ただ……」
少し黙り込んだ後、エイトはゆっくりと話し出した。
「姫様の声が聞きたい」
ちょっと予想外の答えが返ってきた。
エイトの姫に対する態度には、ただの家臣以上のものがあるとは思ってたが、まさかこの場面でノロけるとも思えない。
「これ以上、離れ離れになっていたら、姫様の言葉まで忘れてしまいそうで……怖いんだ」
エイトの顔が青いのは、多分オレが殴ったからだけじゃない。
「アスカンタの王妃様が言ってた。励まされた言葉や、教えてくれたことを忘れなければ、いなくなってしまった人も、胸の中に生き続けるんだって。でも……僕には、それが出来なかった」
そういえば……川沿いの教会で、エイトには親も兄弟もいないとかいうことを、トロデ王が言ってた気がする。
「お前……両親のこと、覚えてないのか?」
微かに頷いたエイトは、まるで十歳にもならない子供のように小さく見える。
「僕にだってきっと、励まされたことも、教えてもらったことも、あったはずなんだ。だけど何も覚えてない……。僕は…自分の両親を、初めからいなかったのと同じにしてしまったんだ……。もしこの先、誰かがいなくなってしまった時、僕は自分の胸の中でさえ、その人たちを殺してしまうんじゃないかと思うと……それが……怖いんだ」
ようやく、飲み込めた。
湖畔の宿屋での、エイトの一見、無神経な言葉。
こいつがわからないって言ってたのは、『家族を殺された気持ち』じゃなく、『失った家族を想う気持ち』の方だったんだ。
「この……」
オレは本当に暴力は嫌いなんだが、思わずエイトの頭に拳骨を振り下ろしてしまった。
「バカ!」
それならそうと、サッサと言え! 知らなかったから、つい怒っちまったじゃねえか!
いろんな言葉が頭を巡って、何から言えばいいのか、整理がつかない。
励ましてくれるような親ばかりじゃなくて、自分の子供を追い出すようなダメ親もいるんだとか、励まされた直後に『出て行け』とか言われて、却って混乱する事もあるんだとか、いっそ優しくされた事だけを忘れられれば、こっちも変な引け目を感じずに済んで楽なのにとか。
……いや、違う違う。
こんな特殊な例なんて、その辺には転がってないんだから、何の参考にもならない。
それに……もし本当に、忘れたいと思ってる事だけ都合良く忘れられるとしても……。
多分オレは、それを選ばないだろう。
「誰が……エイトの記憶力なんてアテにするんだよ。少しでも、お前さんを理解してるヤツだったら、そんな無謀なマネしないぞ」
「ククール! いい加減にするでげす。少しは兄貴の気持ちも考えるでげすよ」
ヤンガスが、エイトの頭を撫でながら抗議してくる。
「だって、そうだろ? たかが一カ月前かそこらに聞いた話も、まともに覚えてないんだからよ」
オレは努めて、重い空気にならないように、軽い口調で続ける。
「あの時、王妃様は『忘れたら、初めからいなかったのと同じ』なんて言ってない。『弱虫に戻ってしまったら、本当にいなくなってしまう』って、そう言ったんだ」
あの時の王妃様の言葉は、かなり正確に覚えてる。
基本的にオレは、美女の言葉を簡単に忘れたりしない。
「確かにエイトは、呑気で鈍くて空気読めなくて、後先考えずに暴走する事もあるけど……弱虫ってのだけは当てはまらないから、安心しろ」
どんな教えや励ましも、覚えてるだけじゃあ何の意味も無い。
たとえ忘れてしまっても、その示す通りに生きられれば、そっちの方がいいはずだ。
「エイトの兄貴。アッシ、いいことを思いついたでがす」
ヤンガスが、いかにも名案だというように、言い出した。
「もし兄貴がアッシらの事を忘れてしまっても、アッシが兄貴を忘れる事はありえないから、大丈夫でがす。その時は、何とか思い出してもらえるように、頑張るでがすよ」
いや、ヤンガス。ズレたズレた。話がズレた。
今は、いなくなってしまった人の話をしてるんであって、それだといなくなってないから。
「そっか……。そうだよね」
オレが、どうやってソフトにツッコもうか悩んでる間に、エイトは何やら納得したらしい。
「誰も…いなくならせなければいいんだよね。そうならないように、僕が守ればいいんだ……。ありがとう、ヤンガス。誰かがいなくなっちゃう前提で考えてた、僕が間違ってた」
話はズレたままだけど、エイトは何かふっきれた表情になってる。
オレがそれなりに一生懸命励まそうとしたのは、全く無意味っぽくなってるけど。
……いや、まあ、いいんだけどな。エイトがそれでいいんなら。
男相手に、優しくした見返りを期待する気も無かったし。
とりあえず、二発も殴っちまったんで、エイトにベホイミをかけておく。
「ありがとう。……あの、ククール。何か、色々と迷惑かけてごめん」
全くだ。とんだ迷惑だったぞ。
「でも……ククールが親身になって怒ってくれたの、少し嬉しかった。前から思ってたんだ。僕に兄弟がいたら、こんな感じなのかなって。それで、ちょっと甘えちゃったのかも……」
「甘えんな、バカ」
思わず、一刀両断にしてしまった。
「そんな、ひどい」
エイトはたいして傷ついてもいない様子で、ヤンガスに慰めてもらってる。
「そんな事より、サッサとリレミト唱えろ、リレミト」
まだ親が生きてた頃。
自分は一人っ子だと思ってたし、遊び相手もいなかったから、弟が欲しいと思ってた時期があった。
エイトを見ていると、不思議とその頃の気持ちを思い出すなんてことは……。
何か、忘れてしまいたくなってきた。
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