川沿いの教会を後にして、街道を東へ向けて出発したけど、次の目的地のアスカンタに到達するまでには結構日数が掛かりそうで、しばらくは野宿が続きそうだ。
資金稼ぎとレベルアップの間、よっぽどMPが不足しない限りは野宿ばかりだったから、野営にはすっかり慣れた。
薪を集めて火を熾し、聖水を撒いて魔物を近付かせないようにし、食事をして明日の準備をしたら、速やかに就寝タイムだ。
最初にエイト、次がヤンガス、そしてオレ、最後がゼシカの順で見張り番をする。
魔物に襲われる心配はほとんど無いんで、見張りとはいっても火の番をするだけで、気楽なもんだ。

月が隠れて、夜明けまであと少しという頃、ゼシカがムックリと起き出してきた。
寝ぼけ眼で当たりを見渡した後、空を見上げてるのは、星の位置で時間を確かめようとしてるんだろう。
やがて四つん這いになって近寄ってきて、オレの顔をジッと見上げてきた。目が据わってて、ちょっと怖い。
「ごめん、また寝過ごしちゃった」
しおらしいゼシカの第一声に、オレは少し拍子抜けした。
いつもだったらこの場面、ゼシカはオレに猛烈に抗議してきてるからだ。
実はもうとっくにゼシカの見張り番の時間になってるけど、疲れきって眠ってるレディを起こすつもりにはなれなくて、こういう時は、いつも寝かせたままにしてる。
この気の強いお嬢には、それが気に入らないらしく、『女だからって特別扱いするな』とか、『起こしてくれないと、自分で起きなきゃいけないと思ってプレッシャーになるんだ』とか、よく寝起きでこんなに怒れるもんだと、感心する程の文句を浴びせてきてた。
それが今は、息がかかりそうな近距離で、胸を一段と強調するような前かがみの姿勢で、上目使いに覗き込んで来てる。
普通だったら、誘ってると受け取れそうなもんだが、このコの場合は多分違う。
何ていうか、こう……目に色気を感じない。
「やっぱり、疲れた顔してるね」
あんまり無邪気なゼシカの物言いに、思わず『誰のせいだ!』と怒りたくなったが、レディに怒鳴るのはオレの流儀に反するんで堪えた。


オレが疲れてる理由はハッキリしてる。

『回復魔法が得意なお仲間がいらっしゃれば、旅の間も心強いですわね』
『ええ、本当に』

昨夜のゼシカあの言葉が、妙にカンに障った所から始まってるんだ。
オレは別に、『仲間』なんてものになったつもりはない。
オディロ院長の仇を討つために、同じ目的を持って旅をしてる連中に、少しの間、同行させてもらうだけ。
それが済めばサヨナラだ。
できることなら、マルチェロの奴に言われるまでもなく、とっくに敵討ちに出てたさ。
でも、こんなことを認めるのは口惜しいが、オレ一人の力では、あの道化師ヤロウに勝てる自信が全くない。
胸クソ悪いこと、この上ないぜ、ったく。
それでイライラしてたから、ついトロデのおっさんに、辛気臭い昔話なんかしちまったんだ。
あの化け物の姿のせいもあって、うっかり油断した。
『無理にとは言わんが』とか言っておいて、あんなにチロチロと見上げてこられたら……不覚にも、愛嬌みたいなモンを感じちまったんだよな。
あれが人間のおっさん姿だったら、絶対に気を緩めたりしなかったのに。

おまけにあのおっさん、『わしとミーティアの幸せ家族っぷりを見せつけては、なんだか悪い気がするのう』なんて、意味ありげにオレの方を見てきてた。
で、エイトもつられて気になったのか、やたらとこっちを見てきてたし、ヤンガスも場の空気を和ませるつもりなのか、『ともかく、城っぽい方角に思いっきりダッシュすれば、きっとアスカンタに着く』なんて、アホな発言してた。
なのに、トロデのおっさんにあんな話をするきっかけを作った張本人のゼシカは、何も感じなかったらしく、『今日はめずらしく、ククールもトロデ王も、あんまりしゃべらないわね』なんて、呑気な事を言っていた。
そもそも、このお嬢が、最初から素直にケガをオレに見せてくれれば、ああいう展開にはならなかったんだ。
自業自得なんだから、放っておけば良かったんだろうけど、辛そうにしてるのが可哀想になって、治療してやったのが間違いだった。
……まあ、痛みを堪えてる時の溜め息っていうのが妙に色っぽくて、とてもじゃないけど寝てられなくなったっていうのも、少しはあるか……。
だけどその後で『静かでいい』なんて付け足してくる毒舌さには、色っぽさのカケラもねえ。

「昨夜はククール、私のせいであんまり寝てないでしょう? 今からでも、少しは寝た方がいいわよ」
他の連中を起こさない為か、囁くような小声で話してる。この至近距離の理由は、単純にそれか。
方向はズレてるけど、一応は責任を感じてるらしい。
それにしても、今までと態度が違いすぎないか?
ちょっと真面目に優しくしただけで、これだけ変わるって、単純にも程があるだろ。
こんな胸の開いた格好して、どこがいいトコのお嬢なのかと思ってたが、こういう所は典型的な世間知らずだ。
いつか絶対、ロクでもない男に騙されるぞ。
「……わかった。じゃあ少し休ませてもらうから、後は頼むな」
彼女と話してると、ますます疲れてきそうなんで、おとなしく従うことにした。
ゼシカは満足そうに頷く。
「まかせといて。こんな野っ原に、迷える子羊なんて来ないから、心配しないでゆっくり休んでね」
……信じたのかよ、昨夜の話。
いやまあ、教会勤めしてたら、昼も夜も無く、職務を果たさなきゃならないのは本当だけど……。
オレが迷える子羊の為に、眠らない訓練なんてするわけないだろ。
あれだけ警戒心剥き出しにしておいて、どうして肝心な場面ではそんなアッサリ信じるんだよ。
この騙されやすさに、いつか巻き込まれそうな気がするけど、迷惑と感じるより、彼女のこれからの人生を心配する気持ちが先に立つほど重症だ。
……まあ、何回か痛い目に遇えば、懲りて学習するだろうけど。
せいぜい強く生きろよと、思わずゼシカの頭を、子供をあやすようにポンポンと叩いてしまった。
月が落ちて暗いんで、ゼシカの表情はよく見えないけど、身体が固まってるのはわかる。
怒りたいけど、大声出したら、他の連中を起こすから出来ないってところか。
手や足や魔法が飛んでくる前に、オレはその場をサッサと立ち去る事にした。

適度に離れた場所にある木に背を預けて腰を降ろすと、それまでウトウトしていた馬姫様が目を覚まして、ゼシカの傍に寄っていった所だった。
ゼシカは馬姫様の首に腕を回し、何か話してる。
多分さっきの件をグチってるんだろうけど、馬姫様相手なら、後で面倒なことにはならないだろう。
それにしても、話すと疲れるけど、こうして少し離れて眺めてる分には、やっぱりゼシカは可愛いな。
毎日毎日、人気の無い寂しい街道を歩いて、魔物と血なまぐさい戦闘を繰り返してると、綺麗なものが恋しくなる。
美女と白馬の組み合わせは、そういう荒んだ心を、わずかばかり和ませてくれそうだ。

マズい……。
和んで気が緩んだのと、昨日が疲れる一日だったことで、予想外の睡魔が襲ってきた。
この冷え込みの激しい時間帯に、こんな状態でうたた寝したら、風邪ひく確立が高い。
だけど、ダメだとわかってるのに、頭が身体に命令を伝えてくれない。
意識が地面に引っ張られるような感覚がして、身体が頭に何の情報も伝えてくれなくなった。

銀色の髪の子供が、修道院の宿舎の廊下を歩いている。
あれは、修道院へ来たばかりの頃のオレだ。
思い出しても何もいいことなんて無いのに、絶対に忘れることの出来ない、あの夜……。

わかってる。これは夢だ。
昨夜トロデのおっさんと、あんな話をしたのと、さっきのゼシカの言葉のせいだ。
なのに、どうしても目を覚ますことが出来ない。

ガキのオレは、夜の薄暗い修道院の建物を、おっかなびっくり進んでいく。
今のこのオレは、どこか上の方からそれを見るだけの傍観者だ。
宿舎を抜け出し、中洲へ続く橋を渡って、院長の館に忍び込む。
見つからないように、本棚の陰に隠れ、院長が館を出て宿舎の方へ行くのを見計らって、階段を上っていく。
ベッドに寝かせられているのは、黒い髪の少年。
苦しげな息で、高熱にうかされている。
オレはベッドの傍らに立ち……。

ダメだ!
この先は、見たくない。
夢だとわかってるのに、この結末がどうなのか知ってるのに、何で目を覚ませないんだよ!
バカなガキのオレは、ズレた掛布を直そうとして手を伸ばし、そして……。
次の瞬間には、喉元に指が食い込んでいた。


不意に首に何かが触れた。
現実の、このオレの首に受けた感触に、オレは跳ね起きて横に飛びのき、レイピアを抜き放った。
その剣の先には……。
気づいた時には、もう遅かった。
オレは、ゼシカの喉元に、レイピアを突き付けていた。


時間が凍りついた。


多分、ほんの数秒。
だけど果てしなく長く感じた膠着の後、馬姫様が激しく嘶いた。
それで、ようやくオレは我に返り、剣を引く。
首から剣が離れると、ゼシカは全身の力が抜けたように、その場にへたり込んだ。
「ゼシカ! 大丈夫か!? 首は……」
ケガが無いか確かめようと、首に手を伸ばすと、ゼシカは身を竦めながら、わずかに後ずさった。
その身体は微かに震えてて、瞳には明らかな怯えの色が宿っている。
「……ごめん」
謝って済むことじゃないとは思うけど…他に言うべき言葉が見つからなかった。

「一体全体、何があったんでがすか? 魔物が出たってわけじゃあ、なさそうだし」
ヤンガスが欠伸をしながら、こっちにやってきた。
エイトとトロデのおっさんは、馬姫様を宥めてる。
今の騒ぎで、全員を起こしてしまったようだ。
「ごめん。オレが……寝ぼけたんだ。それでゼシカに……」
「違うの!」
ゼシカが上擦った声で、否定してきた。
「私…、私が、余計な…事したのが、悪いの。ごめん、なさい、騒がせて……」
震える声で、時々言葉を喉につかえさせながら、それでもゼシカはオレを庇ってくれた。
「大したことじゃないなら、それでいいでげすがね。どっちにしろ、もう起きる時間だ。早いトコ朝飯にしやしょう。たっぷり寝たおかげで、腹ペコでがすよ」
ヤンガスがエイトたちの方へ戻っていった後も、オレはその場を動けなかった。
ゼシカもまだ少し震えてて、すぐには立ち上がれそうにない様子だった。
そして、オレはようやく気づいた。
ゼシカの手に、しっかりと毛布が握り締められてた事に。
多分、これをオレに掛けてくれようとして、その時に指が微かに首に触れてしまったんだろう。
まるで、あの時のオレと同じように……。

修道院に引き取られたばかりの頃、オレはマルチェロに付きまとってばかりいた。
子供に聞かせる話じゃないからだろうけど、誰もオレに、マルチェロがオレを憎む理由を教えてくれなかったからだ。
全く身に覚えが無いのに、どうして自分が嫌われるのかがわからず、それでも最初の優しさが忘れられなくて、何とか仲良くしてもらおうとしていた。
その事は次第にマルチェロを追い詰めていって、ある時あいつは心労が祟ったのか、高熱を出して倒れた。
オディロ院長が自分の館にマルチェロを運ばせ、自ら看病している時、その話を聞いたオレは、さっきの夢と同じように、夜中に院長の館に忍び込んだんだ。
院長が、オレとマルチェロに距離を置かせようとしてるのはわかってたから、院長が席を外した隙に二階へ上がった。
そして、ズレた掛布を直そうとした時、いきなりベッドに押し倒されて、首を締められた。
もしオディロ院長が戻ってくるのが、もう少し遅かったら、オレはあの時に本当に死んでいただろう。
院長に腕を引きはがされた後、マルチェロはすぐに気を失うように眠り込み、院長は訳がわからず泣くだけのオレを階下に連れていき、本当の事を教えてくれた。
本当は、オレがもう少し大きくなるまでは隠していたかったんだろうけど、事実を知らないままでいたら、オレとマルチェロがお互いに傷つけ合うことになると思っての事だったんだろう。

そしてオレは、寝耳に水の話を知った。
オレには、親父がメイドに産ませた、腹違いの兄がいて、それがマルチェロだという事。
オレが生まれた事で、あいつが母親もろとも、家を追い出された事。
母親はその後すぐに死んでしまい、マルチェロは修道院に預けられた事。
そしてマルチェロは、その事でオレと親父をずっと恨み続けて育っていた事を。
いつかは知る事になっただろうから、心ない人間に面白半分に告げられるよりは、オディロ院長の口から聞く方が数段マシだったとは思う。
院長は、マルチェロがオレの首を締めたのは、あくまで熱にうかされていたからだと。
そして、何もかもオレには何の責任も無いことだと、何度も言い含めながら話してくれた。
それでも、血の繋がった兄に憎まれ、殺されかけた事実は、子供心をこっぴどく傷つけるには十分だった。
オレはそれ以来、修道院の中で安眠することは出来なくなった。
心のどこかで、眠ってる間にマルチェロに殺されるんじゃないかと恐れていたんだろう。
おかげですっかり、夜更かしが得意になったし、マルチェロに近付くのにも懲りて、おとなしくなった。
特別、問題も起こらずに済んできたんだ。
表面上は、な。

「ごめん、ゼシカ。ちょっとイヤな夢見て、寝ぼけたんだ。本当に悪かった、ごめん」
「ううん、本当に、私が悪いの。起こしちゃって、ごめんなさい」
身体も声も、もう震えてはいないけど、ゼシカはオレの顔を見ようとしてくれない。
親切で毛布を掛けようとしてくれたのに、殺されかけたんだから当然だ。
こんな、十年も経った今になって、あの時のマルチェロの気持ちが少しわかる。
あいつはただ、怯えてたんだ。
首を締められて苦しくて、あいつが何を言ってたかを正確には覚えちゃいないが、『お前にはやられない』とか、『もう何も奪わせない』とか、そんな事を口走っていたような気がする。
きっと、熱にうかされたマルチェロの目には、オレが自分を殺しにきた悪魔のように見えたんだろう。
そして、ただ夢中で自分を守ろうとしただけなんだ。
あの時のオレは子供のくせに、病気のあいつを看病したら、仲良くしてもらえるかもしれないなんて、浅ましい下心がどこかにあった。
だけど、ゼシカはきっと、もっと純粋にオレを気遣ってくれたんだと思う。
……なのにオレは、その気持ちを無残に踏み躙ったんだ。
謝ったって、許してもらえることじゃない。

……いや、まだだ。
許されないなんて、自分で勝手に決めつけるより先に、言わなくちゃいけない言葉がある。
それはきっと、あの時のオレが欲しかった、たった一つの言葉。
「ゼシカ……。あの、さ。その毛布…オレに掛けてくれようとしたんだろ?」
こら。何、緊張してんだ。さっさと言え、オレ。
「あー、えっと…………ありがとう」
なんてことはない言葉を、ようやく絞り出すと、それまで俯いていたゼシカが、ツインテールをピョコンと撥ねさせて顔を上げた。
ちょっと驚いた様子で、まっすぐな瞳でオレの顔を見て、そして本当に嬉しそうな笑顔で頷いた。
「うん!」
……その子供みたいな仕草と表情を見た時、記憶の中の十年前のオレが、一緒に笑って頷いたような気がした。
あの頃の自分ごと、何かに許されたような気持ちになれた。

「ねえ……。さっきから、この手は何なの?」
ゼシカの声が、怯えじゃなくて怒った感じで震えてる。
気が付くとオレの手は、ゼシカの頭を撫でてしまっていた。
純粋で可愛いなって思ってたら、つい手が出てた。
「何って、深い意味はないけど、ちょうどいい高さに頭があるから、つい……」
ゼシカはブンブンと腕を振って、オレの手を払いのける。
「ククールはいつも私のこと、女だと思って甘く見てるのかと思ってたけど…違ったのね」
ゼシカが立ち上がり、ムチを構えた。
オレは身の危険を感じ、全力でその場から逃げ出した。
「女じゃなくて、子供扱いだったのね! 待ちなさいよ、こら!」
ムチを振り回しながら追いかけてくるゼシカから逃げながら、オレは声を出して笑っていた。
子供扱いしてるってのが、妙に納得いって、ツボに嵌まってしまった。
そして、この子供みたいに純粋な心に、最後の最後で酷い傷を残さずに済んだらしいってことに、本当に心の底からホッとしたんだ。


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