ゼシカの話によると、ククールは急に不機嫌な様子になって、外へ出ていってしまったという。
どうにも気になったワシは、眠い目を擦りながら、ククールを追って外へ出た。
ククールは、教会のすぐ傍の木にもたれて、月を見上げておった。
今宵は、修道院長がドルマゲスに殺された夜と同じ満月じゃった。
ワシも決して忘れることの出来ない、あの夜を思い出しているのだとしたら、急に不機嫌になったというのも、無理のない事かもしれん。
じゃがワシには、どうもそれだけが理由ではないように思えるのじゃ。
「……ククールよ。お前、何やら事情がありそうじゃな」
近くに行ってそう訊ねても、ククールはほんの少し顔をこちらに向けただけで返事もせず、また視線を月へと戻す。
ワシは、すぐ脇の切り株に腰をかける。
「話せば、気が楽になることもあるやも知れんぞ? まあ、無理にとは言わんが……」
そう言ったからとて、素直に話すヤツとも思えんが、どうにも放っておけん。


修道院長が亡くなられた事に対して感じておる責任もあるが、ククールの事が気にかかるのは、それだけではない。
実は、我がトロデーン王家と、マイエラの領主の家系とは、縁続きなのじゃ。
ワシのひい爺様の、更にひい爺様の、そのまた……とにかく、遥か昔のトロデーン王家の姫の中に、マイエラ領主の家に嫁いだ方があったらしい。
それ故に海を隔てた場所に住んでいながらも、ククールの父親だった領主の悪い噂も耳に入ってきて、親類としては耳の痛い限りじゃったが、だからと言って口出し出来る立場でも無かった。
何しろ、縁戚関係を結んだのは遥か遠い昔の話で、せいぜい冠婚葬祭の時に花を贈り合う程度の付き合いでしかなかった。
現にワシも、ククールの両親の葬儀に花を贈りはしたものの、一度も直に顔を合わせた事は無い。
それが、その忘れ形見のククールと、こうして共に旅をすることになるとは、何か不思議な縁を感じずにはいられんのじゃ。

「……なんだろうね。こう、うまくいかねぇんだよな。あいつ……マルチェロとは。いっそ、ほんとに血がつながってなきゃあ、お互い幸福だったのかもな」
少しの沈黙の後、ククールはワシの方は見ようとはせず、空を仰いだまま、ゆっくりと話し始めた。
「死んだオディロ院長は、このへんじゃ名の知れた慈善家でさ。身よりのないガキを引き取って、育ててた。まあ、オレもその一人で……。あのへんの領主だった両親がいっぺんに死んじまった後……金もない、親戚もいない。そういうガキには、あの修道院しか行く場所がなかったんだ」
親戚は、実はここにいるのじゃが……今更、とても名乗り出ることは出来ん。
言い訳がましくなるが、ワシの耳に領主一家の訃報が届いた時、家族だけでなく使用人に至るまでの全員が流行病に斃れたと聞かされたのじゃ。
海を隔てた地でもあり、面識もあったわけではない、血の繋がりは既に赤の他人に近い程度の親類の事。
子供が難を逃れて助かっている可能性を、調べてみようとまでは思わんかった。
もしククールが生きている事を知っていたなら、決して捨て置きはしなかったが、今になってそれを言ったところで、何にもなるまい。
全ては、十年も前に過ぎ去ってしまったことなのじゃから。

両親を亡くしたククールは、誰も頼る者のないまま、一人で修道院を訪れたのだという。
不意に、トロデーン城に来たばかりの頃のエイトの姿が頭に浮かんだ。
まだ両親の庇護を受けるべき年頃の幼い子供が、ある日突然に、世間の荒波に一人で放り出される気持ちを思うと、胸が痛むわい。

宿舎への出入りこそ、厳しく制限されるものの、三大巡礼地であるマイエラ修道院は、人の出入りは激しい。
そんな中で、見慣れぬ子供が一人で歩いていても、誰もがただ通り過ぎていくだけだったらしい。
誰にも気に止めてもらえず、どうすれば良いかわからずにいたククールに、最初に話しかけてきたのが、何とあのマルチェロだったそうじゃ。
「優しかったんだよ……最初のあの時は。『オディロ院長やみんなが家族になってくれる』って。『大丈夫だよ』って言ってもらえて、ようやくホッとしたんだ」
今のマルチェロからは、とても想像の出来ぬ話じゃった。
「だけど『名前は?』って訊かれて、『ククール』って答えた途端、あいつの態度が変わった」
『出ていけ』と『この場所まで僕から奪う気なのか?』と厳しい口調で責め、冷たい目をしてそこから立ち去っていってしまったのだという。
「オレには何のことだかサッパリわからなくて、ただ呆然とするだけだった」
そこにオディロ院長が現れたそうじゃ。
「オディロ院長は、オレとマルチェロの話を全部聞いてて、事情もすぐにわかったらしいけど、その時は何も教えてくれなかった。『すべては時間が……。ここでの暮らしが解決するだろう』って言って、何度も頭を撫でてくれた。……だけど……」
ククールは小さく、首を横に振った。
「時間切れだったみたいだ」
時間切れ……確かにそうかもしれん。
修道院長が亡くなり、マルチェロはククールを修道院から追い出した。
もう、修道院での暮らしが、二人の間の問題を解決してくれることはないじゃろう。

その後しばらくしてククールは、マルチェロが自分の異母兄であり、あの修道院でずっとククールと父親を恨み続けていたことを知ったそうじゃ。
しかし、マルチェロがどれだけ理不尽な憎しみを自分にぶつけようとも、ククールは憎めないのじゃろう。
本来なら正妻の子であるククールの方こそ、父親が母親を裏切り、傷つけた象徴であるはずのマルチェロを憎むことも出来たはずじゃ。
じゃがククールは、マルチェロが自分を恨む気持ちを『わからなくもない』と、あのような形で修道院を追い出されたことにさえ『いい機会だった』と言って許してしまおうとする。
「ちょうど、マイエラ修道院のきゅうくつな暮らしにも、飽き飽きしてた頃だったし」
冗談めかしてそう言ったククールは笑みさえ浮かべ、もたれていた木から背を離した。
それは、割り切っているでもなく、悟っているでもない。
ただ静かに諦めてしまっている悲しい姿に、ワシには見えた。
「ククール、お前……」
ワシの言葉を牽制するように、ククールは空を仰ぐ。
「ずいぶん、長話になっちまった。ほら、そろそろ夜明けだぜ?」
ワシがつられて空を見上げているスキに、ククールは教会へと戻っていこうとする。
「おい!!」
呼び止めようとしても、ククールは振り返りもせず、手を振りながら行ってしまった。

さっきククールは『時間切れ』と言っていた。
ククールはきっと修道院にいた間、『時間が解決してくれる』という、修道院長の言葉を信じていたのじゃろう。
それが院長が亡くなられたことで、叶わぬ望みになったと諦めた。
じゃが、本当にそうなのじゃろうか?
ワシは、ドルマゲスが修道院長を殺害した夜のことは、何一つ忘れはしない。
階上から聞こえてきた、『兄貴!』と叫ぶククールの声を。
ククールに院長を『連れて逃げろ』と託そうをとした、マルチェロの言葉を。
そこにはわずかながらでも、信頼の関係があったのではないじゃろうか。
時間は二人を、確かに解決の方向に導いていたのではないか?
もしも五年、せめて三年の時間があったなら、二人がもっと大人になっていたなら、きっと修道院長の言葉は真実のものになっていたに違いないと、ワシは思わずにはいられん。
そして、今は確かに切れてしまった時間じゃが、いつかは再び二人の時間が解決へと向かって繋がる時が来るのではないかと、望まずにはいられんのじゃ。

いつになるかは予想すら出来ぬがワシは、その時が来るのを必ず見届けなくてはならぬと感じる。
それはきっと、ワシの命を救ってくれた修道院長に、わずかながらでも報いるための、ワシに課せられた使命なのかもしれん。

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