眠れない……。
修道院長の葬儀が終わった後、マルチェロの勧めで修道院の宿舎に泊めてもらってるんだけど、オディロ院長が殺された時の光景が頭を離れない。
朝から降り続いている雨のせいで、妙に蒸し暑いせいもある。
少し外の空気を吸いたくなってベッドから出ると、ヤンガスに声をかけられた。
「ゼシカの姉ちゃん、眠れないんでげすか?」
「うん……。ヤンガスも?」
「葬式の後っていうのは、気が滅入るもんでがすな。ドルマゲスに手も足も出なかった自分に腹が立って眠れねえでがすよ」
「私も……。ちょっと外の空気吸ってくるね。すぐに戻るから心配しないで」
ドアに向かう途中でエイトの方をチラッと見ると、彼は良く眠ってるみたい。
それでいいのよね。
全員で落ち込んでたって仕方ないわ。明日からはまたドルマゲスを追う旅を始めるんだもの。
私も戻ってきたら、ちゃんと眠らなくちゃ。
そうでなくても体力無いんだから、睡眠不足で足手まといになる訳にはいかないわ。

階段を降りて、修道院長の館に続くドアを開けると、板を急場しのぎで継ぎ合わせただけの橋が見える。
今降っているこの雨が昨日も降ってくれていたなら、橋が燃え落ちることもなくて、そうしたらもっと大勢の人たちでオディロ院長を守れていたかもしれない。
天候までがドルマゲスの味方をしてるのかと思うと、この雨さえも憎らしくなる。

橋を渡って、主を失った館に入る。
ここで何人もの聖堂騎士がオディロ院長を守る為に命を落とした。
今はきれいに片付けられて、悲劇が起こった形跡は残っていない。
……なのに、床が濡れている。
水の跡が二階の寝室に向かって続いている。そして階段を降りてくる足音。
ドルマゲスかもしれないと一瞬身構えたけど、姿を見せたのは真っ赤な騎士団の制服姿で、思わず安堵の息を吐いてしまった。
「誰かと思った……。こんなとこで何してるんだ?」
ククールはゆっくりと階段を降りて来た。
「今日はありがとな、院長の葬儀にまで出てくれて。客が好きな人だったから、きっと喜んでるよ。……そんな濡れた格好でいると、風邪ひくぞ?」
『そっちこそ』って言おうと思った。だけどククールの姿を見ると、その言葉は引っ込んでしまった。
床は濡れている。ククールの身体からは、微かに湿った雨の匂いがする。
だけどククールは、濡れていなかった。
きっと葬儀が終わってから、ククールはずっとこの建物の中にいたんだ。
雨が乾いてしまうほどの長い時間、オディロ院長が殺されたこの場所で、一体何を思っていたんだろう。

「ごめんなさい……」
言葉と一緒に、涙が零れた。
「私、何もできなかったくせに……」
「そんなことないさ。何も出来なかったのはオレだって同じだ。院長を守れなかったことは、騎士団の責任で……」
「違うの、それだけじゃないの!」
いろんな感情がグチャグチャで、潰されてしまいそうに重く心にのしかかる。
「私…羨ましかった。ククールのことも、オディロ院長のことも……。だって、私は兄さんを、ひとりぼっちで死なせてしまったから……」
だから、オディロ院長の所に駆けつけられた、ククールが羨ましかった。
たくさんの人に守ってもらえた、オディロ院長が羨ましかった。
「もしも私に、ククールみたいに、禍々しい気を感じる能力があったら、兄さんを助けに行けたかもしれないのにって……」
だけどそんな『もしも』なんて、どこにも無かったんだ。
「何も出来なかったくせに……。そんな私がリーザス像の塔に行ったって、兄さんを助けることなんて出来るはずがなかったのに……。でも、それでも私、兄さんのそばに行きたかった! あんな風に、私が知らない間に殺されたりしてほしくなかったのよ!」
リーザス像が見せてくれた兄さんの最期が、頭に焼き付いて離れない。
身体の自由を奪われたサーベルト兄さんに、まるで嬲るようにゆっくりと杖を突き刺したドルマゲス。

私はいつも守ってもらうばかりだった。
村で一番強い人だった兄さんを、守れる人は誰もいなかった。
そしてとうとう兄さんは最期まで、誰にも守ってもらえないまま逝ってしまった。
それが悲しくて。
一度も兄さんを守れなかった自分が口惜しくて、目眩がする。


一瞬、目の前が暗くなって、軽い衝撃を感じた。

次に目を開くと目の前は赤くて、雨の匂いが強くなっていた。
「大丈夫か?」
頭の上で声がして、我に返る。
私ったら、貧血か立ちくらみおこして、ククールにぶつかっちゃったんだ。
……ううん、ちょっと違う。
多分、ククールが…倒れそうになった私を、支えてくれたんだわ。
「ごめんなさい、大丈夫」
まだちょっと目が回るような感じがするけど、自分で立てない程じゃない。
何とか足に力を入れて、ククールから離れた。

「ゼシカ」
初めて名前を呼ばれて、ちょっとドキっとした。
「これ、受け取ってほしい」
そう言ってククールが差し出してきた物は、修道院長と騎士団員しか持てないという、あの指輪だった。
「今回は本当に世話になったし、イヤな思いもたくさんさせたみたいだしな。この指輪には僅かだけど身を守る効果のある魔法が封じられてる。少しは、敵討ちの旅の役に立つと思う」
「……受け取れないわよ、そんなの」
だって、本当に何もできなかったのに、こんな大切な物、貰う資格があるわけない。
「少なくとも、私は受け取れない。どうしてもっていうのなら、エイトかヤンガスに渡して。私は気持ちだけで十分よ」
「オレとしては、ゼシカに受け取ってほしかったんだけどな」
何、この人? まさか、こんな時にまで女を口説こうとしてる訳じゃないでしょうね?
「どうして、私なの?」
「どうしてって……女性の身で、敵討ちの旅なんて辛いだろ? それに……」
私は、一瞬で、カッとなった。
「バカにしないで! 敵討ちに男も女もないわよ! そんなに、女が敵討ちしようとするのが、おかしいの!?」
この人も、お母さんと同じことを言うんだ。
ヤンガスもそうよ、『娘っ子には荷が重い』だなんて。
どうして皆、女だからって差別しようとするの?

「人の話は最後まで聞くもんだぜ、お嬢さん。オレは女性に敬意を払うことはあっても、バカにすることはない」
心なしか、ククールの声が少し冷たくなった気がする。
「指輪をゼシカに渡そうと思ったのは、一つ余分に借りがあったからだ」
「……私に?」
「昨夜の尋問室でのケリ。あれって、オレのこと庇ってくれたんだろ?」
やだ、あれ見られてたの!? テーブルの下でのことだから、見えてないと思ったのに。
確かに、ククールの『指輪はスラれた』なんて白々しい嘘に、『話が違う』って追求しようとしたヤンガスを止めはしたわ。
だけど別にククールを庇ったとか、そういうわけじゃない。
だって、もう聞きたくなかったのよ。マルチェロの、あんな酷い言葉。

『お前は疫病神だ。お前さえ生まれなければ、誰も不幸になどならなかった』

あの時、自分が何を聞いたのか、一瞬わからなかった。
あんなひどい言葉、今まで聞いたこともなかったから。
ましてそれが、血の繋がった兄弟に向かって言う言葉だなんて、信じられない。
あのまま二人が一緒にいたら、また同じような言葉を聞くことになるかもしれないと思うと、耐えられなかった。
尋問室で立ち聞きしてしまった、あの『二階からイヤミ』の態度からすれば、ククールがドルマゲスのことを話しても相手にしなかっただろうっていうのは想像つくし、尋問されてる時に直接ククールが弁護しても逆効果だったっていうのも、その通りだと思う。
本人が言うように、ああやって後からこっそり助けに来るのがベストだっていうのは間違いないわ。
別にククールの為じゃない、自分の為よ。

「もっとちゃんとしたお礼ができればいいんだけど、オレは他にまともなもの、何も持ってないから。使わないとしても、荷物になる大きさでもないだろ?」
荷物って……。
この指輪って、聖堂騎士にとっては命と信仰の次に大切なものだって、騎士団員の人が言ってた。
聖堂騎士になれるのは、ほんの一握りで、大抵は修道士のまま一生を終えるんだって。
指輪を持つことに憧れて、それでも叶わない人も多いのに、どうしてそんな扱いなの?
「いらないって言ってるじゃない。それは聖堂騎士にしか持てない、命の次に大事な物だって聞いたわよ? どうしてそれを簡単に人にやったりできるの? いくら何でもいい加減すぎるわよ!」
ほんの少し目を伏せたククールは、自嘲したように呟いた。
「守るものが無くなったのに、騎士って言ったってなぁ……」
…………わかった。
この人、本当は指輪がいらないんだ。
持っていたくないから、手放そうとしてだけ。
私はただのダシでしかない。
「何よ、男のくせにウジウジと……。そんないらなくなった物を、お礼だなんて言って押し付けるようなマネしないで! 守るものが無くなった? だからもう騎士じゃないの? それで負けっぱなしで終わらせるつもり? また見つけなさいよ、守るものくらい!」
どうして、この人と話してると、こんなにムカつくんだろう。
「一人でスネてるところを、お邪魔して悪かったわね。私はもう戻るから、どうぞゆっくりイジけててちょうだい! 失礼しました!」


扉を開けて外に出ると、雨はもうあがっていた。
これなら朝になったら、すぐに旅を再開できるわ。

部屋に戻ると、ヤンガスももう眠っていた。
私も明日に備えてすぐにベッドに入ったけど、まだ怒りは収まらない。
何よ! あんなふうにひとりぼっちでスネてたって、何にもならないじゃない!
落ち込んでるヒマがあったら、敵討ちでも何でもすればいいのよ。私だってそうしてるんだから!
………………。
……私、だって……?

ようやく少し頭が冷えてくる。
私だって、兄さんが死んでしまった時は何日も落ち込んでた。
自分の悲しみで頭が一杯で、他の人の事なんて考えられなかった。
だけどククールは、オディロ院長が殺されてから一日しか経ってないのに、あんなに落ち着いてて、トロデ王にも私にも、すごく気を遣ってくれてた。
私だったら……きっと、あんなふうには振る舞えない。


……どうしよう。
何で、あんなこと言っちゃったんだろう。
わかってたのよ、ククールが本当はいい人なんだってことぐらいは。
おとなしく拷問されるわけにはいかなかったから、牢から脱出する時は何も言わなかったけど、あんなふうに後からこっそり助けにきたからって、私たちを逃がしたりすれば、それはククールがやったんだってことはバレるに決まってる。
そんなことは承知した上で、助けに来てくれたんだってことはわかってた。
亡くなったオディロ院長の事を、本当に大切に思ってた事だってわかる。
それだけ大事な院長やマルチェロが危ないってわかってても、目の前で倒れてる仲間がいたら、そっちを放ってはいけないような優しい人だっていうのも、知ってしまった。
……そうよ。ククールは院長だけじゃなく、騎士団の仲間だって何人も失ってしまってるんだ。
そんな悲しみや悔しさを、たった一人で耐えようとしてた人に、私、何てこと言っちゃったんだろう。
あの雨の匂いを感じた時に、そんなこと全部、わかってたはずなのに……。


……このまま何も言わずに別れたんじゃあ、いくら何でも後味が悪すぎる…よね?

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