あれから、どれだけ経ったんだろう……。
ドニの酒場で知り合った連中に、オディロ院長の様子を見に行ってもらってる間、オレはと言えば宿舎の中でじっと待ってるしかできない。
しびれを切らして院長の館まで行こうとしても、扉に近づいただけで必ず誰かの邪魔が入る。
「どこに行くつもりだ、ククール。お前は謹慎の身だろう」
「団長殿の命令は『修道院の中にいろ』っていうだけだ。院長の館は立派に修道院の中だぜ」
「そんなことを言って、院長様にとりなしてもらおうと思っても、そうはさせんぞ。そんなつまらないことで、院長様を煩わせるな」
「じゃあ、ちょっと院長の様子を見に行ってみてくれ。さっき入っていった道化師って奴は普通じゃない。もしそいつが何か企んでたら、オディロ院長の身が危ないんだ」
「お前は、その道化師とやらは見ていないだろう? そんなことを言って、そのスキに抜け出すつもりなんじゃないか? ルーラを使うお前は、天井の無い所からなら、いくらでも抜け出せるからな。たまにはマルチェロ様のお言葉に従い、おとなしくしていろ。これ以上悪行が目立つようなら、本当にここを追い出されるぞ」
……さっきから同じような事の繰り返しだ。
いかに自分が、ここの連中に信用が無いかを、改めて思い知らされた。
おまけに腹立たしいことに、邪魔をしてくる奴らは、それなりに心配してくれて、追放処分にならないように、忠告してくれてるって訳だ。
それを無視して強硬突破っていうのも、気がひける。
それに今のオレは、処分中で剣を没収されてる状態で、強行突破なんて出来るかどうかも、怪しいもんだ。

だけど、どうしてこの最悪な気に、誰も気が付かないんだ?
これだけの禍々しい気に、聖職者の集まりである修道院の人間が、誰ひとり気づかないなんて、普通じゃ考えられない。
その道化師とやらが本当にヤバい奴で、この邪悪な気配を悟られないように出来る程の力の持ち主なのか。
……そして、意外とこっちが正解なのかもしれないが、オレが感じてるこの邪悪な気は、ただの気のせいで、おかしいのはオレの方なのか。
冷静に分析すると、オレ一人だけがこんなヤバイ気配を感じることが出来るなんて、そんなに霊感が強くなった覚えはない。
最近少し感覚がおかしかったし、神経質になってただけかもしれない。
これが取り越し苦労なら、それはそれでいい。
あの三人組には無駄足を踏ませたかもしれないけど、出来る限りの礼はしよう。

そう思った時だった。
院長の館から、総気立つような強力な邪気が迸ったのを感じた。
気のせいなんかじゃない。
あの最悪な気の持ち主が何か行動を起こしたに違いない。
「待て、ククール!」
制止してくる声を無視して、院長の館へ向かう扉を開ける。
目に飛び込んできたのは、橋の上で倒れている見張りの姿だった。
「どうしたんだ、そんなに慌てて……こ、これはっ」
オレを追ってきたヤツも、その光景を見て驚きの声を上げる。
「マルチェロを……団長を呼んできてくれ!」
「あ、ああ、わかった!」
応援を呼んでくるように頼み、オレは倒れている連中の所へ行く。
三人とも外傷は見当たらないが、ホイミをかけても回復した様子が無く、意識も戻らない。
橋の見張りだけじゃなく、館の中で院長を警護していたヤツもいた。応援を呼びに来た所を、この邪悪な気の持ち主にやられたのかもしれない。
そういえばさっき扉を開けた時、チラッとだけど院長の館に入って行く人影を見たような気がした。

オレは、オディロ院長の元へ行こうと立ち上がった。
だけど、ちょうどその瞬間……。
それまで息苦しくなる程の圧迫感を与えてきた邪悪な気配が、突然かき消されるように消えて無くなった。

「聖堂騎士団員ククール」
突然の気配の変化に戸惑っていると、宿舎から駆けつけてきたマルチェロに呼び止められた。
「これはどういうことだ。状況を説明しろ」
「説明なんてしてる場合じゃない。早くオディロ院長を……」
そう言ってる間に他の騎士団員たちは、院長の館に向かう者とケガ人の救助に当たる者に別れ、素早く動いていた。
……さすがはマルチェロ団長殿といったところか。とっくに指示なんて出し終えてるわけだ。
「状況は……オレにもよくわかりません。ただイヤな予感がしてここに来てみたら、もうこの状態で……」
「役に立たん奴だ」
マルチェロはオレの顔を見もせずに吐き捨てるように呟くと、そのまま院長の館へ向かおうとする。
「待ってくれ、オレも……」
「聖堂騎士団員ククール」
後に続こうとしたオレの足は、マルチェロのその一言だけで止められてしまう。
「命令だ、お前は部屋で待機していろ」


役に立たん奴、か。
確かにその通りかもな。
院長の元に駆けつけるどころか、ケガ人の手当すらも任せてもらえず、命令されるがままに部屋で待機してる奴が、役立たずじゃなくて何だって話だよな。
普段はまともに言うことも聞かずに、苛立たせてばかりいるっていうのに、こういう時には何故かおとなしく命令に従っちまう辺りが、我ながら情けない。

もう修道院内のどこにも、あの禍々しい気は感じない。
それが意味するものが何なのか……。
「ククール、マルチェロ様がお呼びだ。地下の尋問室まで来い」
部屋の扉が開かれ、マルチェロの側近に呼ばれた。
「オディロ院長は無事なのか?」
「心配ない、ご無事だ。すんでの所で侵入者を捕らえた。まったく、昔からお前が『イヤな予感がする』などと騒ぎだすと、ロクなことにならんな」
それは順番が逆だろ。
オレが騒いだから悪いことが起こるんじゃなくて、そういうことが起こる時に、人より勘が働くだけだ。オレのせいみたいに言うんじゃねえよ。
それでもオディロ院長が無事なのは、何よりだったからいいけどな。

しかしマルチェロがオレを呼ぶなんて、何の用件だろう。
それを訊ねても『とにかく行け』の一点張りで、見当がつかない。
尋問室の扉をノックすると、マルチェロの事務的な声が返ってくる。
「誰だ」
「団長どのが、オレを呼んだんじゃないんですか?」
「……入れ」
今度はその声に憎しみが混ざってる。
……わかりやすいヤツ。
扉が開かれ、騎士の礼をとって部屋の中を見た時、ほんの一瞬身体が固まった。
捕らえられた侵入者っていうのは、てっきり道化師のことだと思ってたのに、中にいたのはオレがドニの町で知り合った三人組だったからだ。
だけどすぐに気を取り直し、マルチェロの方へ向かう間に頭をフル回転させて、状況を把握する。
そうだ、さっきオレが院長の館に入っていくのを見た人影。
あれはこの連中だったんだ。そしてそのすぐ後に、あの禍々しい気が修道院の中から消えた。
こいつらが、道化師を追い払ってくれたってことか……。
話の内容までは聞かれてないだろうけど、オレがこいつらと話してる姿は、何人もの人間が見てるはずだ。
どういう関係なのかを問い詰められ、場合によっては処分されるってことか。
よし。ここでとるべき対応は一つだ。
しらばっくれることだな。
自分がいかにここでの信用がないかは、ついさっき再確認したばかりだ。
騎士団の指輪を見せられた時は、一瞬顔に動揺が出ちまったけど、慌てず騒がず嘘を突き通す。
「酒場で、スリに盗まれて困っていたんですよ。よかった、見つかって」
あまりに白々しい嘘が恥ずかしく、つい普段以上にスカした態度になる。
手袋の中に嵌めてる指輪を、どうやってスられるんだと、どうして誰もツッコみを入れないのかが不思議でたまらない。
マルチェロは、これで結構純情で、こんなあからさまな作り話でも、嘘だと決めつけることの出来ない素直なところがある。
「スリだとぅ!? おい、にいちゃん! そいつぁ、話が違う……」
オレの言葉に怒って詰め寄ろうとした強面男が、いきなり顔を歪ませた。
「そんな指輪、どうだっていいわ! あいつは最初っから、そういう魂胆だったのよ!」
おてんばレディのその声音と、テーブルの下から聞こえてきた音と、涙目になってる強面男の顔から連想すると……。
蹴ったな。
本当に、乱暴なお嬢さんだ。今度近寄る時は、ケリにも要注意か。
「大体、あんなケーハク男の言うことを素直に聞いたのが、そもそもまちがいだったのよ!」
ひでぇ言われよう……。
だけど、これは退散するチャンスだ。
「そういう訳です。ではオレは、部屋に戻ります」
オレはマルチェロ団長殿に一礼して、ドアの方へ向かう。
「待て!! まだ話は終わってないぞ!」
当然マルチェロは引き留めてきたが、『待て』とは言われて待つバカはいない。
意外にツメの甘い団長殿の声は無視して、オレは悠々と尋問室を出た。

部屋を出たところで、何やら階上で騒いでるのが聞こえてきた。
何だろうと様子を見ていると、緑の顔をした化け物が連行されてきた。
「無礼者! ワシは魔物ではないと言っておるだろうが! 我が家臣が修道院長の所に向かったまま戻ってこんから、捜しに来ただけじゃ!」
後ろから小突かれながらも、やけに尊大な口調で尋問室へ向かって歩いていく。
あれは、あの三人組と出会った日、ドニの酒場でケンカ見物してた魔物だ。
『我が家臣』って、あの三人のことか?
現れたタイミングが完全に同じだから、まず間違いないだろう。
仲間に魔物までいるとは、本当にあいつら一体、何者なんだ……?

一階まで上がると、修道士のチビが妙にバタバタしてた。
「あ、ククール。こんな所でフラフラしてたんですか。こっちはあなたと違って忙しいんですから、早く夕食を食べちゃってくださいよ。片付かないじゃないですか」
こいつはオレと同じように、早くに親を亡くしてオディロ院長に引き取られて育ったガキだ。
こいつがもっと小さかった頃、オディロ院長に頼まれて子守してやった事が何度もあるのに、その恩なんかちっとも感じてねえ態度だ。
……って。
「夕食? 朝食じゃなくて?」
「何を言ってんですか? あ、わかった。夜遊びのしすぎで寝ぼけてるんでしょう」
「寝ぼけてねえよ。もう夕食って時間じゃねぇだろ」
「確かに、少し時間は遅くなったけど……仕方ないじゃないですか。今日は不審者が捕まったり、ケガ人がたくさん出たりで忙しかったんですから。とにかく! 他の騎士団の方々を見かけたら、早く夕食を済ませてほしいと伝えてください」
オレは、中庭に続く扉を開けて、月の位置を確認した。
もう朝に近い時間だと思ってたのに、まだ夜半前だった。
それだけ、オディロ院長の無事を確認するまでの時間を長く感じてたってことか……。

……あの旅人たちが何者だろうと、たとえ魔物が仲間だろうと、オディロ院長を助けてもらったことには違いは無いんだよな。
だけどドニの酒場でのように、一暴れして逃げ出してくれりゃあいいものを、まさかおとなしく捕まるとは、面倒を増やしてくれたもんだ。
………………。
いや待て。もしかしてオレのせいか?
タイミングを考えると、オレがあそこで騒いだせいで、あいつらが捕まったっていうのが妥当な線か……。
……謝って……済まないな。
やっぱり、助けないとな。
マルチェロの事だから、あの連中の有罪は確定だろうし、そうなったら明日の朝一番で拷問だ。
逃がしてやるなら今夜中しかない。

「……なあ。他の騎士団員も、まだメシ食ってないのか?」
「そうなんですよ。僕はただの修道士だから、あまり強く言えないんです。ククールは一応は同じ騎士なんだから、声もかけやすいでしょう? どうせ謹慎中でヒマなんだろうから、お願いしますよ」
こいつは。いちいち言い方に可愛げがねえ。
「ああ、わかったよ。ついでに給仕もしといてやるから、お前は他の仕事してていいぜ。ケガ人の看病もしなきゃならないんだろ?」
「え……でも騎士団の方にそんなことさせたら……」
「謹慎中で帯剣もさせてもらえないから、今は騎士じゃない。それにオレが何しようと、気にする奴もいないだろ。いいから任せろって」
この修道院は、どうも口の悪いくせに騙されやすい奴が多い。
裏があるに決まってるこの申し出を、チビは喜んで受けて、二階へと上がっていった。
……さて、今日の地下の見張りは誰だったか。
何年も前にもらった眠り薬、まだ効果は薄れてないかも気になるけど、誰かで試してる時間は無いか。
牢のカギもくすねなきゃならないし、逃げ道も確保しなきゃならないしで、かなり忙しくなりそうだけど……。

ま、なんとかなるだろ。

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