「エイト、あの指輪貸して。やっぱり私が自分で返すから」
マイエラ修道院の中に入った途端、ゼシカがそう言って手を出してきた。
その顔には、『こいつに預けておいたら、いつまで経っても指輪を返せない』って書いてある。
川沿いの道を突き当たりまで行った後、ドニの酒場でほんの一眠りするつもりが、陽が暮れる頃まで眠りこけてしまい、僕はゼシカの信用をすっかり失ってしまったみたいだ。
寝過ごしたのは、ゼシカだって同じなのに……。
「私、嫌いなおかずは先に食べる主義なの。ほら、さっさと探しましょ!」
うん。嫌いな物でも、残さず食べるっていうのは、いいことだね。
……ゼシカってすごく短気だけど、悪い人ではないんだよなぁ。

僕が指輪を渡すと、ゼシカは全然物怖じせずに、見張り番の騎士団員に話しかけてる。
指輪を返しに来たんだと話すと、騎士団の人達は驚くほどアッサリ、宿舎の中へ入れてくれた。
男子修道院の中にゼシカが入っていっても、中の人達は特に驚く様子は無い。
どうやらククールはかなりの問題児らしく、酒場の踊り子さんとかが、ツケを取り立てに来ることが時々あるらしい。
……ゼシカも、酒場で働いてると勘違いされたのかな? 確かにバニーガールの格好とかしても、何の違和感も無いかもしれないけど。

ここでもやっぱりドルマゲスの手掛かりは得られなかったけど、ククールが地下の拷問室でお説教中だという話だけは聞くことが出来た。


地下に降りると、ヤンガスが拷問室って響きだけで嫌な気分になってるのに対し、ゼシカは上機嫌だ。
「ねえ、奥の部屋の中から、話し声が聞こえてこない? きっとククールがお説教されてるんだわ。面白そうだから、見に行こうよ」
僕は、見になんて行きたくない。
ちゃんと団長室があるのに、わざわざ拷問室を使うなんて、お説教じゃ済まないことになってるかもしれないじゃないか。
だけどゼシカはサッサと尋問室に入っていってしまい、僕とヤンガスもイヤイヤながらその後に続くしかなかった。


「……またドニの酒場で騒ぎを起こしたようだな。この、恥さらしめ」
部屋に入ってすぐ、吐き捨てるような声が聞こえてきた。
これは確か、マルチェロって人の声だ。
「ずいぶんお耳が早いことで。さすがは聖堂騎士団の……」
そしてこっちはククール。だけど、その声はすぐにマルチェロさんの言葉に遮られた。
「どこまで、わがマイエラ修道院の名を落とせば気が済むんだ? まったく、お前は疫病神だ。そう、疫病神だよ。お前さえ生まれてこなければ、誰も不幸になぞ、ならなかったのに」
……疫病神って…何もそこまで言わなくても……。
そりゃあ、修道院の聖堂騎士がお酒飲んだり賭け事したりするのは良くないだろうけど、『生まれてこなければ』なんて言う権利なんて、この人には無いはずだ。
ヤンガスはもちろん、さっきまで楽しそうだったゼシカも、居心地悪そうにしてる。
とりあえずここを離れようと、一歩足を動かしたけれど、次に聞こえてきた言葉に、思わず足が止まってしまった。
「顔とイカサマだけが取り柄の、できそこないめ。半分でもこの私にも、お前と同じ血が流れていると思うと、ぞっとする」
……半分…同じ血?
その後も、マルチェロさんはククールに謹慎を言い渡したり、いろいろ言ってるけど、僕達はとにかくこの場を離れることにした。


立ち聞きしてしまったのなんて、ほんのちょっとの間なのに、すごく気が重い。
ドニの町で、そういう話を聞いてはいたんだ。
いい評判は全く聞けなかった、十年前に亡くなった領主っていうのがククールのお父さんで、その領主は自分の奥さんに子供が出来ない当てつけに、メイドに生ませた子供を跡取りにしようとしてたって。
だけど奥さんがククールを生んだ途端、その子供は無一文で、このマイエラ修道院に預けられたんだって話も。
その子供っていうのは、マルチェロさんの事だったんだ。
マルチェロさんは、あの態度を見る限り、ククールの事を良くは思ってないんだろう。
だからきっと今だけじゃなく、ずっとククールに辛く当たって来たんだろうと思う。
気持ちがわからないでもないし、無理も無いことだとは思うけど、ククールからは、そんな境遇を思わせる重い雰囲気なんてまるで感じられなかったから、余計にショックだった。

それでも何とか気を取り直し、修道院長に話を聞かせてもらおうと、中洲に建てられてる館に行こうとしたら、橋の上で警護をしている騎士団員に、道化師がこの橋を通っていったという話を聞かされた。
修道院長はお笑いが好きらしく、旅芸人を呼ぶことは時々あるらしいけど、このタイミングで道化師だなんて聞かされると、どうしてもドルマゲスを連想せずにはいられない。
騎士団長の許可を得ないと、橋を渡らせてはもらえないと言われ、仕方なくマルチェロさんの許可を貰いに地下室に戻ることにした。
出来れば、あの人とはもう関りあいになりたくなかったけど、今は仕方ない。

宿舎に入ると、ククールの姿が目に入った。
後ろ姿だけど、この真っ赤な制服姿は、見間違いようが無い。
キョロキョロして、辺りの様子を伺ってるようだったけど、すぐに僕たちに気づいて近付いて来た。
「あんたたち……。酒場で会った、あの時の連中だよな? どうしてこんな所に……」
ゼシカは地下での話を聞いてククールに同情したらしく、『今日は許してあげるわ』なんて言ってたのに、自分で会いに来いと言ったのをすっかり忘れてるらしいククールに、また腹を立ててしまった。
「なにが、どうしてこんな所に、よ! あんたが来いって言ったんでしょ! こんな指輪なんていらないわよ!」
そうして指輪を突き返そうとする。
だけどククールは指輪を見て何か思い出したらしく、いきなり僕たちに頼みごとをしたいと言ってきた。
「頼み!? 冗談でしょ? どうして私たちがここで、あんたの頼みまで聞いてやらなくちゃならないのよ!」
「……感じないか? とんでもなくまがまがしい気の持ち主が、この修道院の中に紛れ込んでいるのを。聞いた話じゃ、院長の部屋に道化師が入っていったらしい。この最悪な気の持ち主は、恐らくそいつだ」
道化師と聞き、すぐにドルマゲスの事が頭に浮かぶ。
ゼシカも同じらしく、それきり何も言わなくなってしまった。
院長の身を心配して、様子を見に行ってほしいと頼んできたククールは、院長の館への道順を説明してくれた。
橋で警護をしてる騎士団員は石頭で、まず通してもらうのは無理だと。
だけど他にも一つだけ、院長の部屋へ行く方法がある。
それは、修道院をドニ側に出て、川沿いをずっと行った先の廃墟から続く抜け道。
そこは大昔、修道院だったらしく、ククールから預かった指輪で入り口が開くらしい。
指輪を返しに来る前に寄り道した、あの廃墟だ。

一度修道院を出て、王様と姫様に事情を話し、修道院の近くで待っていてくださるようお願いして、すぐにルーラで廃墟へ飛んだ。
そこに残っていた石碑に、ククールの指輪を嵌めると地面が動き地下へと続く階段が現れた。
睡眠もたっぷり摂ってあるし、薬草も十分持ってる。
まさかあの寄り道が、こんな結果に結び付くとは思わなかったけど、今は運が味方してくれたんだと良い方に受け取り、僕たちはその階段を降りた。

昔は修道院だったというこの廃墟では、時間を節約する為に聖水を撒きながら歩いてるんだけど、長い間閉め切られていたせいか、ひどく空気が悪かった。
ヤンガスもゼシカも、ほとんど口を開かない。
「二人とも大丈夫? 少し休もうか?」
「アッシは平気でがすよ。だけどこうやって、あちこちにガイコツが転がってるっていうのは、ゾッとしないでげすな。魔物よりも苦手でがす」
確かに、亡くなって、そのままの状態で放っておかれたとしか思えない状態の白骨があちこちにあるのは、決して気持ちのいいものじゃない。
「ゼシカは?」
いくら気が強くても女の人だし、リーザス村みたいなのどかな所で育ったゼシカには、もっと辛いかもしれない。
「私も平気。今は休んでる時間なんて無いわ」
ゼシカの言うとおりだ。
ルーラで来れたおかげで、かなりの時間短縮にはなったけど、院長の部屋へ行った道化師がもしドルマゲスなら、一分一秒でも時間は惜しい。
「……ねえ。エイトは、あの修道院で、まがまがしい気、なんて感じた?」
いきなりのゼシカの質問に、僕は少しとまどった。
「私、ククールに言われてから、ずっとそういう『気』を感じようとしたわ。でも全然わからなかった。エイトは感じた?」
「……いや、僕もわからなかった。ヤンガスは?」
「アッシは、そういうのはサッパリでげすよ。……考えてみると、あのククールって若造にも、一緒に来てもらえば良かったでがすな。頭数は多い方が、何かと便利だったのに」
「いや、ククールは出来るだけ修道院長に近い場所に残った方がいいよ。もし僕たちが間に合わなくても、何かが起きた時、無理矢理に橋を渡って院長を守れる場所にいた方がいい」
きっとククールは今もあの場所から動かずに、いつでも院長のそばへ行けるようにしているだろうから。
「あんな奴、来てくれなくて結構よ。な〜にが、『オレは重大な任務を抱えてる』よ。素行が悪すぎて謹慎させられてるだけじゃないの。人にものを頼む時にウソつくなんて、サイテーだわ。あの見栄っ張り」
一理あるけど、ひどい言いようのゼシカの言葉に、思わず笑ってしまった。
「何がおかしいの?」
「いや、ごめん。何か昨日までとは、ククールの事を話す時の感じが違うから。もうあんまり怒ってないみたいだね」
「私だって、公平に人を見る目はあるのよ。……ククール、二階からイヤミに、あれだけひどい事言われた直後なのに、修道院長の心配しかしてなかったでしょう? ほんのちょっとだけ見直したのよ。……それにもう誰にも、私のように大切な人を殺されて悲しむような事にはなってほしくないの」
……王様も姫様も、呪いで姿を変えられはしたものの、生きていてくださっている。
城に残してきた人たちだって、死んでしまった訳じゃない。
大切な人を殺されてしまう悲しみは、僕には想像するしか出来ない。

ずっと下りだった階段が上りになり、もしかして抜け道に出られるんじゃないかという期待を込めて開いた扉の先には、かつては神父だったらしい人が、変わり果てた亡霊の姿になっていた。
「苦しイ……くるシい、苦シイ……。神ハ、いずコにおらレル? こノ苦しみハ、イツマデ続く?」
この修道院が使われてたのは、大昔だったって聞いた。
この人は、どれだけ長い間、ここで苦しんでいたんだろうと思うと……。
「我が苦シみぃッ! 我等が苦シミっ! おマエにも味わワセてやるゥゥゥッ!!!」
亡霊が襲いかかってくるけど、元は人間だった相手と戦うなんて……。
【ヒャド】
ゼシカの唱えた呪文が、亡霊に命中した。
「エイト! 何やってるの? 聖職者のくせに、自分が死んだことを認められない奴なんて、同情してやることないのよ! 不幸な死に方をしたのは、こいつだけじゃない。サーベルト兄さんだって理不尽に殺されたのに、立派にそれを受け入れて逝ったんだから!」
……僕はこんな時なのに、修道院の拷問室で感じたことを思い出した。
マルチェロさんがククールを良く思っていないのは、仕方ないことかもしれないなんて思ってしまった時のことを。
あれはただの八つ当たりだ。同情にも値しない。
あの時も、今も、僕が間違っていた。
いくら自分が苦しんだからって、それが他人を同じように苦しめていい理由になんて、なるはずがないんだ。

「ごめん、ゼシカ。ありがとう、ちゃんと戦うよ」
今は亡霊なんかに、足止めされてる場合じゃない。
僕は剣をしっかりと構え直し、亡霊に斬りかかった。

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