私の買ったカップを、安物呼ばわりしてくれたククールは、お詫びだと言って、私の好きなチェリータルトを買って帰ってきた。
ポルトリンクのこのお店のタルトは、とっても美味しくて、いつもお昼前には売り切れてしまう。
昨日も、色々と用事を済ませてる内に夕方近くになってしまって買いに行けなかくて、今回は諦めるしかないって思ってたのに。
「お気に召していただけたようで、何より。どうかこれで怒りをお納めくださいませんか? ゼシカ様」
「別に、私はあんなつまらない事で、怒ってなんかいないわよ」
むしろ、わざとらしい丁寧な言葉遣いとか、私が食べ物に釣られると思ってることとか、そっちの方がよっぽど腹立つわ。
だけど、好物を前に怒りを保つのって、つい顔が緩んじゃうから難しいのよね。
「でも嬉しいわ。ありがと。ククールのカンの良さは、時々怖くなるわ。よく私の好きな物がわかるわね」
「……ゼシカは無邪気すぎ」
「えっ?」
「そんな、カンで何でもかんでも、わかる訳ないだろ? オレが昨日ゼシカを見つけられたのは、雑貨屋の外に『ゼシカお嬢様を一目見たい』って、男どもが集ってたからだし、このタルトは野草売りの女の子が、実はここの菓子屋の娘で、ゼシカの贔屓にしてる店だって聞いたから買ってきただけ」
……野草売りの…女の子?
「周囲の状況を推理や考察出来るヤツを『カンが良い』っていうならいいけど、根拠の無いカンなんて、まず当たらないからな。そんなものを信じてると、尤もらしいことを言う奴に騙されたりするから、気をつけろよ」
何よ……。
いっつもいっつもいっつもいっつもいっつも! えっらそうに!!
「つまり、物事には必ず表だけじゃなくて、裏もあるって言いたいわけね?」
「そういうこと。ところでもう一つ……」
「もう結構よ。お説教はたくさん」
「いや、説教じゃなくて、オレはただ……」
「要するにククールは、表では私にお詫びなんて言ってたけど、裏では朝っぱらから女の子を口説いてたってことじゃない! もういいわよ、よくわかった。ククールが私の事を考えてくれてるなんて、自惚れたりしないから安心してちょうだい!」
もうこれ以上ククールの顔を見たくなくて、部屋に戻ろうとした私の背中に、『勝手にしろ!』という声がぶつけられた。
ええ、勝手にするわよ。

何よ!
ククールが気難しいのは知ってるから、あのカップの色を選ぶ時、誰の物よりも迷って悩んだのに。
白って、色塗り忘れに見えるんじゃないかってだけじゃなく、茶渋も付きやすいんじゃないかとか、色々と安物なりに真剣に考えた私がバカみたいじゃない。
……もうやめよう、ばからしい。
ククールなんて、今ちょっとは怒ってたって、すぐに何事もなかったような態度に戻るんだから。
私ばっかりが、ククールに振り回されるのは不公平だわ。
出航したら、温かいお茶を飲みながら甘い物でも食べて落ち着こう。
あ……。
タルト…持ったまま来ちゃった。
…………食べ物には、恨みも罪も無いわ。
これはこれで、しっかり美味しくいただこう。

この船を手に入れてから、今日でちょうど一カ月。
色々と寄り道したけれど、波や風の状態が悪くなければ、明日の昼前には西の大陸に上陸する予定。
この一カ月は野宿からは解放されて、雨風を気にせず眠れる日々が続いていたけれど、海岸沿いの町でドルマゲスの手掛かりを掴めないようなら、また陸路で情報集めをしなきゃいけない。
ちゃんとしたキッチンや、お風呂や、ベッドとは、またしばらくお別れになる。
夜の内に部屋を整理し、必要最低限の私物を馬車に移すと、少し寂しい気持ちになった。
トロデーン城から借りてきた本や、ポルトリンクで買った雑貨なんかは、船に残していくし、この船だって一カ月も寝起きすれば、やっぱり愛着だって沸く。
少しは、しんみりもしちゃうわ。

だけど。
感傷に浸ったのも束の間、ドタドタと走る足音が聞こえてきた。
「いた! ゼシカ!」
こういう走り方するのって、ヤンガスかと思ってたら、駆け込んできたのはククールだった。
「甲板まで来てくれ。早く!」
ひどく慌てた様子で私の腕を掴んで、走り出した。
「ちょっと、何? 魔物でも出たの!?」
「来ればわかるから、とにかく早く!」
とにかく早くって……。
私は足の速さには自信があるから平気だけど、普通はこれだけ身長差があったら、歩幅が違い過ぎて、引きずられて転ぶわよ。
ククールって本当は、フェミニストでも何でもないんじゃないかって、疑いたくなる時があるわ。

満月に照らされた甲板には誰もいなくて、急がなきゃならない何かがある気配は無かった。
ただ中央にランプが置いてあって、その側に小さな植木鉢と毛布が置いてあるだけ。
「良かった、間に合った」
ククールがホッとしたような声でそう言ったけど、私には何が間に合ったのかわからない。
月明かりとランプの明かりで照らされた鉢には、雑草が何本か生えてるだけだった。
「もっとこっち来いよ。遠いと見えないだろ。あ、その毛布ちゃんと巻けよ。レディが腰を冷やすのはマズいからな」
……勝手なのか、優しいのか。やっぱりこの人、よくわからない。
何か気が抜けてしまって、とりあえずククールに促されるままに、鉢の傍に腰を下ろす。
「ほら、これ。今から咲く」
ククールの指した先には、ただの雑草。
……じゃない…?
草のように見えるものの全部に、小さな蕾が付いている。
ということは、これは草じゃなくて茎なの?
蕾は見る間にほころんでいき、月が真上に来た時に一斉に花開いた。
「これ何? 何の花?」
花自体は小さくて、特別珍しい形でも色でもないけど、満月の光を受けて輝く姿は、何だかとても神秘的に見える。
「まんげつ草」
「……まんげつ草って、あの…マヒとかを治す、あのまんげつ草?」
我ながらマヌケな事を訊いてると思うけど、ククールの答えがあんまりアッサリしてたのと、あまりにも聞き馴れすぎた単語だったから、つい他にあるかと思ってしまう。
「まあ、普通は球根の方しか見ることも無いからな。修道院で栽培してたから、オレは花を見る機会も結構あったけど」
「そういえば、満月の夜にしか咲かないから、まんげつ草って名前なんだって、何かで読んだことあるわ」
だけどリーザス村でもポルトリンクでも、まんげつ草は扱ってなかったから、たいして興味も持たなかったんだっけ。
「こんな可愛い花が咲くなんて、知らなかったわ」
旅に出て、知らない土地へ行って、新しいことにばかり目が向いてたけど、今まで身近にあったものでも、こんな風に気づこうともしないで通り過ぎてたものって、たくさんあるのかもしれない。

「気にいってもらえたなら良かった。本当は一カ月前、ポルトリンクで渡したかったんだけど、あの時はゼシカの機嫌が悪かったから」
一カ月前のポルトリンクと言われ、すっかり忘れていたあの時の、色々な怒りを思い出してしまった。
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ。まるで私が気分屋みたいじゃないの。あれはちゃんと理由があって怒ってたんだからね」
「わかってる。あの時は、全面的にオレが悪かった、ごめん」
あんまり素直に謝られ、少し拍子抜けしてしまった。
ククールは少しバツが悪そうに、私と目を合わそうとせずに話し出した。
「オレ、嬉しかったんだよ。ゼシカがオレに『白』を選んでくれたこと。嫌ってる人間には絶対に選ばない色だろ?」
「……そうかもね」
「だから何かお返ししようって、あの日は一晩中考えたんだよ。ゼシカが負担に思わない程度の金額で、喜んでもらえる物をって。……なのにエイトのヤツが、あのタイミングでホワイトシールドなんて作りやがるから」
「……それとこれと、何の関係があるの?」
「その後で、それより安い物なんて、渡せるわけないだろ!?」
「だから、なんで、そんなとこで張り合うのよ! 金額と気持ちは正比例しないでしょう?」
いっつも人のことを子供扱いするくせに、自分の方がよっぽど子供じゃないの。
「……で、パーティーの財布と錬金釜を握ってるヤツと張り合っても勝ち目ないから、どうするか考えたんだけど、オレ、ゼシカが何が好きなのかってこと、何も知らなかったんだよな。だから……」
ククールは、ちょっと照れ臭そうに、こう続けた。
「結局、オレの好きな物を選んじまった。オレが、ゼシカと一緒に、この花が咲くのを見たかったんだ」

不意打ち、やられた。
ほんのちょっとだけど、鼓動が早まってしまう。
この男、ほんとに女たらしだわ。
こういうセリフを、どうしてこんなにサラッと言えるんだろう。
……あれ? でもポルトリンクには、まんげつ草は売ってなかったはず……。
「ねえ、もしかしてこれ、野草売りの女の子から買ったの?」
「当たり。種類は選べないところを何とかって頼んでみたら、鉢付きで譲ってくれた。だからオレは決して、朝っぱらから女の子を口説いてたわけじゃないからな」
う……。薮蛇つついてしまった。
「わかったわよ、誤解して怒鳴ってごめんなさい」
ククールの日頃の行いが悪いせいだとは思うけど、私も早とちりしやすい所は直さなくちゃいけないとも思う。
「それと、ありがとう、お花。すごく嬉しいわ」
「いや、ほんとに大したもんじゃないし。もし邪魔になるようなら、球根の方を薬に使ってくれて構わないから。そう思って、これを選んだっていうのもあるからさ」
何かククールって……。見た目は派手だけど、修道院での質素な暮らしが身についてしまってるのか、本当に変な所でリアリストっていうか、ケチくさい所があって、おかしくなっちゃう。
おまけに変な所で、自分に自信が無いのよね。
「ううん、私が喜ぶものを、一生懸命考えてくれたっていう気持ちが嬉しい」
金額と気持ちは正比例しないけど、選んでくれる時間と気持ちは正比例すると思うもの。「でも何より、ククールの好きなものを教えてもらえたってことが、一番嬉しいの」
それを、私と一緒に見たいと言ってくれたことが嬉しい。
ククールのこと、もっとたくさん、教えてほしい。
きっと、知れば知るほど、また知りたくなって。
そしてその分だけ、もっと好きになっていく気がする。
……あくまで仲間として、だけどね。

「酒とギャンブルと美女……」
「…………はあ?」
あんまり突飛な事を言われ、ついマヌケな声をあげてしまった。
「いや、他にオレの好きなもの。だけど、これはプレゼントされても嬉しくないだろ? あとオレの好きなもので、ゼシカが喜びそうなものって、何かあるかな?」
うん…まあね。
こういうヌけてる所があるって一面も、見せてくれるのは確かに嬉しいんだけど。
ククールのこと、知れば知るほど……ただのアホだって気づくだけかもしれない。


風華様。キリリクSS、大変遅くなって申し訳ございません。
まさか、こんな難産になるとは、思ってもみず……。
こんな感じに仕上がりましたが、お気に召しますでしょうか?
謹んで進呈いたしますので、お持ち帰りくださるなり、流し読むなり、ご随意にどうぞ。

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