三角谷で暗黒大樹の葉を貰った後、レオパルドとの決戦の前に、ちょっとばかりレベルアップしておこうと、オレたちはスライムばかりが生息している風鳴りの山へとやってきた。
もちろん目的は、メタル系スライムを倒しまくって、経験値を得ることだ。

正直なところ、とっくにレオパルドなんかに負けるレベルじゃないとは思うんだが、どうしてなんだか、メタル狩りには途中で止められない、魔力みたいなもんがある。
特にメタル系スライムってのは、すぐに逃げ出しやがるから、ついこっちも熱くなっちまうんだよな。

逃げようとするはぐれメタルを、それより前に、得意のメタル狩りで仕留める。
「オレとゼシカのコンビの前から、逃げられると思ってるなら甘いぜ」
ゼシカのピオリムとタンバリンの補助のおかげで、はぐれメタルなら隼メタル斬りでほぼ一撃だ。
「な、ゼシカ。やっぱりオレたちって、相性バッチリだよな。ホレ直したろ?」
「何をバカなこと言ってるのよ。ホレ直すためには、初めに少しはホレてなきゃならないのよ。だから、無理。前提が間違ってるわ」
ゼシカは、本当にいつも容赦がない。
メタル系に有効な特技を持たないゼシカは、ひたすらタンバリンを叩きまくってるから、少しフラストレーションも溜まってるっぽいな。
「はいはい、二人とも、そこまで。今日はもう遅いから、このままここで野営するよ。水場まで移動しよう」
おい、ここで野宿かよ。
っていうか、それ以前に、まだメタル狩りを続けるつもりかよ。どこまでレベル上げれば気が済むんだよ。

(よくも……)

突然、背中に悪寒が走った。
「どうしたの?」
ゼシカがちょっと心配そうに訊いてくる。
「いや、別に、何も」
レディに余計な心配なんて、かけるもんじゃない。
でも何だ? 今のは?
悪寒が走ったのはほんの一瞬で、今はもう何ともない。
でも、何かイヤな予感がする。
オレのこういう予感って、イヤなことほど外れてくれないから困りもんなんだよな。

何とかと煙は高い所が好きっていうけど、うちのリーダーも、その『何とか』の部類みたいだな。
ルーラがあるんだから、わざわざ野宿なんてしなくていいだろうと言ったのに、エイトが『一度こういう見晴らしのいい所で眠ってみたい』なんて言いやがるから、結局その通りになった。
基本的に、どいつもこいつもエイトに甘すぎる。……オレも含めてな。

でも確かに、ここの眺めは悪くない。
水場に近い北西側の端からは、雪越しの教会の屋根や、雪山地方に続くトンネルまで見渡せる。紅葉を上から見下ろすってのも、滅多に出来ない体験だ。
この場所に続く小さなトンネルの両側に聖水を撒いて、簡単な結界を張っておいたから、特に見張りをする必要も無い。
だけど修道院時代の早起き癖のせいで、夜明け前に起きちまった。
朝の礼拝だけは出ないと厳重懲罰だったから、どんなに夜更かししても、この時間に目が覚めるようになっちまったんだよな。
冷え込みの一番厳しい時間帯なんで、とりあえず焚き火に薪を足しておく。
隣で寝ているゼシカを見ると、眉間にシワを寄せて、肩をすぼませて小さくなっていた。
基本的に薄着スタイルだから、寒いんだろうな。
起こさないように、そーっとマントを肩からかけてやると、ゼシカはうっすらと目を開いた。そのままジーッと、オレの顔を見てる。
しまった、起こしちまったか。
よけいなことだったかと後悔したけど、ゼシカはまた目を閉じた。
「ありがとう……」
そう小さく呟いて、寝息をたて始める。
今度は、安心しきったような緩やかな顔で、ゆったりとした雰囲気で。

……やばい。
何だよ、この可愛さは。
前から可愛かったけど、ここ最近の可愛さは危険レベルだ。
たったこれだけのことで、情けないことに動悸が静まらない。

(憎い!)

いきなり、心臓をハンマーで殴られたような衝撃が来た。
さっきまでとは種類の違う動悸に襲われる。
何だよ、これ。

(我々が一体、何をした……)
(なぜ経験値が高いというだけで、山で静かに暮らす我々をこんな目に……)

怨念の籠もった声が、頭に直接響いてくる。
ヤバい……!

(呪ってやる……この恨み。断じて晴らさずにおくべきか!)

動悸がどんどん激しくなる。
「……っ、起き……っ」
仲間に異変を知らせようにも、痛みが強すぎて声が出ない。
手足がちぎれそうに軋んで、自分の身体なのに、何一つ自分の思い通りにならない。

(呪われろ! 狩られる者の苦しみを、思い知るがいい!)

身体が押し潰されるような圧力を感じて、その後、目の前が真っ暗になった。


痛みが少しずつ治まり、視界が戻ってくる。
すぐ目の前に、ゼシカの寝顔がある。
一瞬、本気で死んだかと思ったけど、何とか助かったらしい。
それにしても、さっきのは一体、何だったんだ? 『呪われろ』とかって、物騒なこと言ってる声がしてたけど。
とにかく、皆を起こして、今のことを話さないと。
これがオレだけのことで済む保証なんて、どこにも無い。今の事が、この場所のせいかはわからないけど、とにかく移動はした方がいい。

オレが声をかけようとする前に、ゼシカが目を覚ました。
今度は寝ぼけ眼じゃなく、かなりハッキリとした様子で、オレの顔をジーッと見続けている。
「みんな、起きてーっ!」
ゼシカはそう叫んで跳ね起き、いきなりムチをオレの横っ面めがけて振り抜いた。
オレは咄嗟のことに反応出来なくて、それをまともにくらっちまった。
……だけど、全く痛くない。
いくらゼシカが力は強くないといっても、伝説のグリンガムのムチで打たれて、無傷で済むはずなんて無い。
「早く起きて! 魔物よっ!!」
続くゼシカの声で、エイトとヤンガスも跳び起きる。
そして、それぞれ槍と斧を手に、こっちに向かってきた。
何がどうなってるのかサッパリわからないが、この殺気は間違いなくオレに向けられてるものだ。
本気で命の危険を感じて、オレはとにかくその場から逃げ出した。
ちゃんと立ち上がって走ってるはずなのに、何故か異常に目線が低いことを、疑問に思える余裕がある程のスピードで。


ありえねえ……。
よりによって、このオレの美貌が、こんな変わり果てた姿になるなんて。
とりあえず逃げ延びたオレは、この身体に何が起こったのかを確かめる為に、水面に映る自分の姿を見てみた。

何とそこに映ってたのは、どこからどう見ても、マヌケで締まりのねえ顔をした、はぐれメタルだった。

その後、恐る恐る元の場所に戻ってみると、オレがいきなり行方不明になったことになってて、ちょっとした大騒ぎになってた。
特にゼシカは、オレのマントを握り締めたまま、泣きそうな声でオレの名前を呼び続けてた。
だけどオレは、それに応えて出ていってやることは出来なかった。
雷光一閃突きか、大魔神斬りの餌食になるだけなのが、本能でわかったからだ。
こうなった原因は、この状態になる前に聞こえてきた言葉でだいたい見当がつく。
大量虐殺した、メタル系スライムの怨念の呪いの集合体ってとこだろう。
昨日一日だけで、軽く3桁は殺したもんなあ。
何で、その呪いがオレに来たかは……昔から呪いをかけられるのは、美男美女って相場が決まってるからな。一種のお約束だ。
……ってことはトロデ王も?
もしかして本人の言う通り、ロマンスグレーのナイスガイなのか……?


しばらくは皆、風鳴りの山でオレの事を捜してくれてたけど、完全に朝になる頃、三角谷に移動した。
こんな姿になっちまったけど、この身体は異様に早く動けるのが不幸中の幸いで、何とか誰にも見つからずに馬車の中に潜り込んで、ここまで付いてくることが出来た。
この状態で、あんな山に置き去りにされたらと思うと、ゾッとする。

「ねえ、もしかしたらククール、私みたいに暗黒神に操られて、どこかに行っちゃったんじゃないかな?」
人里に来て、気を張っていられなくなったのか、ゼシカは大きな瞳からボロボロと涙をこぼし始めた。
「黒犬が、空を飛んでる最中に私たちを見つけて、不意打ちでククールに杖を触らせたのかもしれない。どうしよう、もしそうだったら……。早く見つけて、助けないと……」
ゼシカの顔は真っ青で、両手も震えてる。
自分が暗黒神に操られた時のことを思い出してるんだろう。
「大丈夫だよ、ゼシカ。それだけは無いから」
エイトが、やけに自信たっぷりな声で断言する。
「どうしてそんなことがわかるの? だって、そうでもなかったら、ククールがこんな風に黙っていなくなったりするはずないじゃない!」
普段は『バカ』とか『いい加減』とか『軽薄男』とか、容赦なく言われまくってるのに、意外とオレってゼシカの信用があるんだな。
「わかるよ。だって、もしククールが暗黒神に操られていなくなったんなら、僕らは今頃、生きてないよ」
「えっ?」
エイトの言葉があんまり突拍子が無いんで、ゼシカの涙も一旦引っ込んだみたいだ。
「考えてもみてごらんよ。あのククールが悪の手先になったらだよ? 邪魔な僕らを無傷で放ったままいなくなるはずないよ。無防備で寝てる間に、ザラキで息の根を止めてから、いなくなるはずだ。これは自信持って言えるよ」
おい、ちょっと待て、エイト! てめえ、表出ろ!
「確かに、ククールは勝つためなら手段は選ばねえでがすよ。しかも『3対1なんだから、闇討ちだって立派な戦術、何が悪い』とか、自信たっぷりに言いそうでがすな」
ヤンガス! オレにだって、騎士道精神ってもんがあるのを、忘れるな!
「そう……よね。ククールだもんね。あの面倒臭がりが、後の面倒を残していなくなったりはしないわよね」
ゼシカ、お前もか……。
ああ、どうせオレは面倒臭がりだよ。
こんな姿になったのは、スライムごときの呪いだって、わかってんだ。
暗黒神の呪いほど強力じゃないだろうから、ふしぎな泉の水を飲めば解けるだろ。
近い内に、姫様にも話を聞くために泉に行くこともあるだろうし、それまでこうやって馬車に隠れてればいいや。面倒臭がりのオレらしくな。

「エイト! 馬車の中に、魔物が入りこんどるぞい!」
あまりの暴言の数々に、つい身を乗り出してたらしい。トロデ王に見つかっちまった。
エイトとヤンガスは、オレの姿を見た途端に、目の色が変わる。
しかも、普通に魔物を見つけたって目じゃなくて、大量の経験値に眩んだ目だ。
怖えよ、お前ら! 
『狩られる者の苦しみを、思い知るがいい!』
姿を変えられる前に聞いた、怨念の籠もった声を思い出す。
そして、狩られるスライムたちの気持ちが、ちょっとだけわかった気がした。
あれだけ素早く動けるのに、たまに人間に狩られるのは、この剥き出しの殺意と欲望に身体が竦んで動けなくなるんだろうな。
ちょうど、今のオレみたいに。

「こら! あんたたち、何、経験値稼ごうとしてるのよ! ここは魔物と人間が共存する集落なんでしょう? いじめるんじゃないの!」
ゼシカがエイトとヤンガスを嗜め、馬車の中からオレを引っ張り出して、そっと地面に降ろしてくれた。
「ごめんね、怖かったでしょう? でもあなたも悪いのよ。勝手に馬車に入り込んだりするから。これに懲りたら、もうイタズラしちゃダメよ?」
……ゼシカって、言うことはキツい時あるけど、弱い者には本当に優しいよなあ。

トロデ王と姫様を連絡係として三角谷に残して、他の三人がオレが行きそうな場所の手掛かりを探しに行った後、オレはミーティア姫様に何度か話しかけようとしてみた。
だけど一応口はあるのに、動かし方がサッパリわからない。
姫様とは、同じように呪いで姿を変えられた者同士、少しは意志疎通出来るかと思ったけど、やっぱりダメみたいだ。
今更ながら、誰にも言いたいことが伝えられないってのは、本当に大変なことなんだな。
トロデ王は、姿だけは化け物だけど普通に話せるし、人間と同じ物を飲み食いできるし、よく考えたら大して可哀想でも無いけど、姫様は本当に気の毒だよな。
オレ、ちゃんと知ってるよ? 姫様が本当は、人間の美人のお姫様だってことは。
でも、ちゃんとわかってるはずなのに、大抵の時は、そのことは忘れちまってるんだ。
そして、多分それはオレだけじゃない。
じゃなかったら、誰も姫様に馬車なんか牽かせてねえよ。
これって、かなりひどい話だよな。
おまけに、無事に呪いが解けたところで、待ってるのは、あんなチャゴスなんかとの政略結婚だ。
いくら何でも、それはあんまりだよな。
ついつい馬扱いしちまうお詫びに、どんな手段を使っても、姫様のことは幸せにしてやるからな。
っていうか、どんな手段を使っても、エイトに姫様を幸せにさせてやるから。


日没が近くなった頃、ルーラの魔法が起こす光と風が、こっちに向かってきた。エイトたちが戻ってきたんだ。
「おお、戻ったか。それでどうじゃった? ククールの行きそうな所はわかったか?」
トロデ王の問いに、みんな黙って首を横に振った。
人間って、たった半日でこんなにやつれてしまえるのかってぐらい、疲れきった顔をして。
「これから、闇の世界にも行ってみようと思います。戻ってくるのに少し時間がかかると思いますので、ご報告にあがりました。かなり強行軍になると思いますので、王様と姫様は、このままここでお待ちください。……もしかして、ククールが来るかもしれませんから……」
そう言ってエイトは、まほうのせいすいを買い足すと言って、ヤンガスを連れて道具屋に向かった。
いつもは回復魔法はオレと分担してるから、エイト一人だとMPの消耗が激しくなるのを見越してのことだろう。
昨日メタル系スライムを倒しまくったから、闇の世界の魔物相手でも命の心配は無いだろうけど、こんなことやってたら、体力が保つわけがない。
特に、ここに残ったゼシカはもうフラフラで、立ってるのもやっとって感じだ。
「ほれゼシカ、そんな所に立ってないで、こっちへ来てお座り」
素直にトロデ王の言葉に従ったゼシカは、姫様のそばにいるオレに気がついた。
「このコ、今朝のはぐれメタルよね? すっかり懐いちゃったみたいね」
「懐いたというのかのう? 何を考えてるわからない、ボーッとした顔をしとるから、よくわからん」
くっ……。このおっさんに、顔のことは貶されたくねぇ。
だけどトロデ王は、普段は自分の面倒さえ満足に見ないのに、ゼシカの為に甲斐甲斐しくミルクを温めて、砂糖まで入れて渡してやった。
「その様子じゃと、まともに食事も摂っておらんじゃろう。とりあえずこれでも飲むといい。そんなことじゃあ、ククールを見つける前にお前が倒れてしまうぞ」
さすが亀の甲より年の功。同じ年頃の娘を持つだけあって、ゼシカへの気遣いはちゃんとしてる。
「……ククールね、どこにもいないの……。あんなに目立つ人なのに、どこで訊いても、誰に訊いても、知らない、見てないって……」
泣き出してしまったゼシカを、トロデ王も、戻ってきたエイトとヤンガスも、何とか宥めようとするけど、ゼシカはずっと泣いたままだ。

ごめん、ゼシカ。
今朝はさ、不謹慎だとはわかってたんだけど、ちょっと嬉しかったんだ。
ゼシカが本気で心配してくれるのを見て、オレって結構、大事に思われてるんだなって。
だけど、心配してくれるのは嬉しくても、悲しまれるのは少しも嬉しくない。
オレだって、わかってるよ。
こんな風に何も言わずにいなくなったヤツを、ここまで一生懸命捜してくれる人間と一緒にいられる幸運なんて、そう滅多にあるもんじゃないって。
そして、それだけ想ってる人間に突然いなくなられることが、どれだけショックで不安な気持ちになるかもわかってるよ。
だって、ゼシカが突然いなくなってしまった時と比べれば、自分がどうなったのか知ってる今の状態の方が、オレにとっては何百倍もマシだもんな。

レディに対して無礼なのはわかってるけど、とにかく何とか慰めたくて、オレはゼシカの膝の上に飛び乗った。
本当は手を握って、肩を抱いてやりたいけど、手が無いんでこれが精一杯だ。
エイトとヤンガスは咄嗟に武器を構えたけど、殺るなら殺りやがれ。レディを泣かせたままでいる方が、よっぽど重大事だ。
「……もしかして、慰めてくれてるの?」
ゼシカはゆっくりと顔をこっちに向け、泣き腫らした目で何とか笑いかけようとしてくれてるのに、トロデ王が横から余計なことを言ってきやがった。
「いや、さっきまではミーティアの周りをウロチョロしとった。只の節操の無い女好きじゃな」
「まるで、ククールみたいですね」
それに対してエイトが、鋭いんだかボケてるんだか、微妙なことを言ってきた。
「そう言えば、逃げ足の速い所とかも、そっくりでがすな」
更にヤンガスまで加わって、『おどかした時の行動とかからわかる気まぐれさ』とか『打たれ強くて耐性高いのにすぐ逃げるのは、実は面倒臭がりだからだ』とか、いつの間にか、オレとはぐれメタルの共通性の話題になってる。
「ふふ。何のことかわからないでしょう? 私たちね、もう一人仲間がいるのよ。その人、あなたと同じで、とってもキレイな銀色の髪をしてるの」
ゼシカはオレを、子犬のように抱き上げる。
「こんな風に困ってる時は、いつもそばにいてくれたのに……。どうして、今、いないの? どうしよう、もしこのまま二度と会えなかったら……」
オレはいるよ。いつもと同じように、ちゃんとここにいるのに。
人間の姿の時は、何も言わずに伝わってたことが、どうして姿が変わっただけで伝わらなくなっちまうんだろう。
「ゼシカ、悪い方にばっかり考えちゃダメだよ。ククールならきっと大丈夫。あいつは抜け目ないし勘もいいから、誰かにスキを突かれたりなんて、まず無いよ」
「そうでがす。ククールの野郎は、はぐれメタル並にしぶとい奴でがすから、そう簡単に誰かにやられたりしないでがすよ」
「わかってるわよ、そんなの! じゃあ、ククールはどこに行っちゃったの? どうして戻って来ないの!? ……考えたくないけど……もう……」
ゼシカは力一杯オレを抱き締めたまま、声も憚らずに泣き崩れた。

ああ、ちくしょう! さっきから、お前ら回りくどいんだよ!
レディの慰め方ってやつが、ちっともわかってねえ!
確かにゼシカは、芯が強くて逞しいけど、それと同じくらい臆病で心配性なんだ。
おまけに、世界で一番強くて頼りになると信じてた兄貴を、ドルマゲスなんかに殺されちまってる。
どんなに強い人間でも、どんなに信じて愛してても、死に別れるのだけは避けられないってことを思い知ってる人間を、理屈で安心させようとしたって絶対無理なんだ。
「私、バカだ……。こんな、ことになってから……後悔、したって遅いのに……」
ゼシカは、何か言う度に、自分自身を追い詰めていくみたいだ。
「もっと…素直になって、ちゃんと、言っておけば良かった……っ!」
その声があんまり悲痛で聞いていられなくて、オレは何とか身を捩って、開きっぱなしの締まりの無い口で、ゼシカの口を塞いだ。

完全に陽が沈み、代わりに顔を出した月明かりの下、ゼシカは、驚きに大きく見開かれた瞳でオレを見つめ、ポツリと呟いた。
「……ククール?」

乙女のキスのおかげか、姿の変わった自分をわかってもらったからか。
次の瞬間には、もう呪いは解けていた。
魔物に変わった時は、あんなに苦しかったのに、人間に戻るのは本当にあっという間で、何の実感も沸かない。
「戻った……」
たった半日なのに、やけに久しぶりに聞こえる自分の声。掌に感じる地面の感触。
そして、膝の下の柔らかい感触。
……ん?
下を見たら、オレの身体の下敷きになって、ゼシカがクッタリしていた。


それから一時間くらいは、大騒ぎだった。
オレが潰して窒息寸前だったゼシカは、ホイミをかけて気が付いたら、またワンワン泣き出すし、泣き止んだと思ったら、泣きすぎで頭痛いとか言い出すし、軽く熱は出すし。
エイトとヤンガスには、オレは悪いわけじゃないのに、人騒がせだって怒られるし。
トロデ王には、魔物になる辛さが少しでもわかったら、これからはもっと優しくしろ、とか勝手なこと言われるし。
でもまあ、とりあえず良かったってことで、そのまま外で宴会になった。
今回のことは、誰かが傷ついたわけでもないし、ロスしたのも一日だけだし、終わってみれば本当に笑い話で済む出来事だった。
それなのに大騒ぎしちまって、酒でも飲まなきゃ、お互いに照れ臭くてやってられねぇからだ。
でも朝から全員、ロクに飲まず食わずでいたから酒の回りが早く、真夜中になる前にはすっかり眠りこけちまった。

なのに、身に染み付いた習慣ってのは怖いもんで、オレはまた夜明け前のこの時間に、目が覚めてしまった。
そしたら昨日と逆で、ゼシカが起き上がってオレの顔を覗き込んでいた。
「……もしかして、オレの寝顔に見とれてた?」
「まさか」
えらく即答だった。
オレは起き上がって、そっとゼシカの肩を抱く。
いつもなら『気安く触るな』って怒られるとこだけど、今日のゼシカは素直に身体を預けてくる。
不安がらせてる時は、『どこにも行かない』って言葉で伝えるより、『ここにいる』って体温で伝えた方が、ずっとわかりやすいってことだ。
「そんな見張ってなくたって、オレはもういなくならないよ。ゴメンな、心配かけて」
「ううん、ククールが悪いんじゃないもの。それに大変だったのもククールなんだし」
「う〜〜ん。大変でもなかったけど、オレのこの美貌が、あんなマヌケ面になってたって事だけは、ちょっと耐え難かったかな」
「大して変わらないわよ。だから私、あれがククールだってわかったんだし」
う〜ん、そろそろ、いつもの毒舌ゼシカちゃんに戻りつつあるな。
やっぱり、今のうちにハッキリさせとくか。

「なあ、ゼシカ。昨日の『素直になって、ちゃんと言っておけば良かった』ことって、何なんだ?」
「えっ……」
不意打ちされて、ゼシカはあからさまに動揺した。
「オレさ、旅に出てから、世の中には自分の想像もつかないような事もたくさんあるって知ったけど、もう片方では、世の中って意外と『お約束』な事で溢れてるってことにも気が付いたんだよな」
昨日は、可哀想だと思う気持ちが先に立って気がつかなかったけど、ゼシカのあの泣きっぷりは、仲間が行方不明になったってだけじゃあ、ちょっと大仰すぎる。
「あれはお約束の、『失いかけて、初めてかけがえのない人の存在に気が付いた』ってヤツじゃねえの?」
「えっ、や……ちが、あの、それは……」
逃げようとするゼシカ身体をしっかりと抱きとめ、耳元に囁く。
「何が『初めに少しはホレてないと、ホレ直せない』だよ。ゼシカは嘘は苦手だと思ってたけど、女って、天性の嘘つきなんだよな。すっかり騙された」
「騙してなんて……。ね、ちょっと、離して」
この、うろたえっぷり。やっぱり間違いないとは思うけど、手は緩めない。
「んー、やっぱりオレ、抱かれるより、抱く側の方が好きだ。人間に戻れて、本当に良かった」
「や、ちょ、待って。ねえ、エイトやヤンガスが起きちゃう……」
「心配ご無用。昨夜、ゼシカが真っ先に酔い潰れた後に、しっかりクギさしといた。『邪魔しやがったら、寝込みにザラキだ』ってな」
「ひどっ! サイテー!」
「ほら、大声出したら、本当にみんな起きちまうぜ」
鬼畜とでも何とでも言え。このままゼシカに完全復活されたら、この件はウヤムヤにされるような、悪い予感がしてるんだ。ここでハッキリさせとかないと。
「ねえ……お願い。ちょっと、腕ゆるめて……」
「何で? 別にとって食おうってわけじゃないのに」
「だ、だって……」
ゼシカが腕の中で小さく震えてるのが、直に伝わってくる。
……ヤバい。ただちょっと動揺させて、逃げ口上を思いつかせないようにするつもりだったのに、ここまで意識されると、こっちまで引きずられる。
そっと身体を離すと、ゼシカは今まで見たことが無いような、儚げで頼りなさそうな顔をして、オレを見上げていた。
他の誰にも、こんな姿を見せてほしくない。他の誰にも触れさせたくない。
どうしようもない独占欲に、自制が効かなくなる。
「……ゼシカ、目つぶって」
「えっ……」
意味が正確に伝わったらしく、ゼシカは更に身を堅くする。
「イヤなら、魔法で燃やしてかまわないから」
「そんな……ズルい」
ズルいのはわかってる。昨日の今日で、ゼシカがオレを傷つけるような行動には出られないって。
でも、相手が弱ってるスキに付け込むのは、戦闘と恋愛のセオリーだ。
「お願い、待って……」
小さく震える声は、逆に誘惑してるようにしか聞こえない。
月が沈んで夜の闇が去り、朝陽が世界の色を取り戻し始めた時、ゼシカはようやく観念したように、そっと目を閉じた。

唇が触れるまで、あと数センチというところで、身体が縮んだような気になり、いきなりゼシカの顔が遥か上にあった。
両腕から、ゼシカの身体の感触が消えた。っていうか、腕が消えた。
「く、ククール……」
ゼシカが、呆然とオレを見下ろしてるけど、呼びかけられても返事は出来ない。

おい! 呪いは解けたんじゃなかったのかよ!?
乙女のキスっていう、伝統的な呪いの解き方で!
……そういえば、伝統的な呪いの中には、夜の間だけ人間に戻れる、なんてのもあったっけ。
くそっ、人間の姿に戻った時点で、念の為ふしぎな泉の水を飲んでおけば、こんなことにならなかったのに。
「クク……クッ、あは、ははっ、も、もうダメっ……!」
ゼシカは、堪えられない、というように大爆笑し始めた。
「バ、バカすぎっ! それ天罰よ、きっと。見境なく女の子口説いてばっかりいるから、反省しなさいってことよ」
ゼシカの声で、他の連中も目を覚ましたけど、何故か誰も、心配も同情もしてくれなかった。
ゼシカはずっと、腹を抱えて笑い転げている。
……この先、この話の続きをしようとしても、思いだし笑いされて、ウヤムヤになるのがオチなんだろうな。

いくら世の中が『お約束』で溢れてるったって……。
『いいとこなのに、あとちょっとって所で邪魔が入る』なんて、いくら何でもベタすぎるだろ!

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