「三天使物語(3)」

マサルとトシヒコは、ほけ~っとしながら上司の元へ向かう。初めてのことにやや呆然としていた。
「…こんなこともあるんだな」
「ね…」
「あいつも生きてるんだなぁ…」
「何それ。まるで生きてないみたいな言い方じゃん」
「いや、だってさ。コウノスケってロボットみたいだから、こんなことないと思ってたんだよ」
「まぁ、ケガしたり弱点もなさそうに見えるから、確かにロボットみたいっちゃロボットみたいだけど。…大丈夫かな、あいつ」
「大丈夫だって。見た目は子供だけど、いい大人なんだし。だって、たかが熱だろ?」

そう、熱を出したのだ。
病気とは無縁そうなあの無敵のコウノスケが。

二人が寝坊したあの日以来、コウノスケは仕事の時は必ず二人の部屋まで来るようになった。二人が起きていても関係なく毎回ドアをぶち破ってくるのだが、今日は何故かどちらの部屋にも来なかったのだ。来ると迷惑だが来ないと心配になる。
二人がコウノスケの部屋に行ってみると、現れたのはいつも以上に目の座った赤ら顔のコウノスケだった。熱がある…というのだ。二人は思わず、
『え、おまえでも熱とか出るんだ!?』と言ってしまった。
いつもなら、すぐに”うるさい”などと返ってくるのだが、ボーッとして反応が悪く、顔を覗き込んでもちっとも目が合わない。相当熱にやられているようだった。
今ならコウノスケを持ち上げて窓から放り投げられそうだ…なんて二人は思ったりもしたが、さすがに怖くてできなかった。
どう見ても仕事に行くのは無理そうだ。本人も弱々しい声で”無理だ…熱が出たと上に伝えてくれ…”と言うので、二人で上司にコウノスケが休むということを伝えに行くことになった…というわけだ。

「俺たちとチームを組んでから、熱とか出して仕事休んだことあったっけ?」
「ないな。っていうか、体調悪いところすら見たことないぜ」
「だよね。数年に一度しか風邪ひかない、みたいな健康体っぽいもん」
「今頃、”自己管理ができていないなんて、ぼくは社会人として失格だ”とか言ってそうだな」
「あ~言ってそう!仕事休めてラッキー!なんて一ミリも思えないタイプ」
「俺ならラッキー!って思うけどな」
「俺も!…あ、ってことは、今日は二人で天界の仕事やれって言われそうだね」
「面倒なこと押し付けられそうだよな。あ~あ、俺も病気になって仕事休みてぇなぁ」
「ほんとほんと。天界の仕事って面倒なことが多いんだもん。楽なのがいいなぁ、俺」
「それか、やることなくて休みになるといいよな」
「あ、それが一番いいね!休みたい!寝たい!」
「俺も溶けるぐらい寝てぇ!」
コウノスケがいないため、一気にだらけている。もはや仕事をする気など、これっぽっちもなくなっていた。

”仕事なし”に淡い期待を抱く二人。
だが、そんな呑気なことを言っている場合ではないということを、この後二人は知ることになる…
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
「なあああぁぁぁぁにいぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!!」
上司のあまりの大声に二人は思わず耳を塞いだ。周囲の窓ガラスにピキッとヒビが入る。
「…な、なんすか!そんな大声出して!」
「それは本当か!?」上司は目を見開き、顔面蒼白になっている。何故そんなにも衝撃を受けるのか、二人には理由が分からない。
「う、嘘なんて言わないっすよ。コウノスケは熱が出て、今日は休むって―」
バアァァァン!!
上司は目の前の机を大げさに叩き、わなわなと震えている。いったい何なのだ。
「…な、何なんすか?」
「たかがコウノスケが熱を出しただけ―」
「おまえたち!!」カッとものすごい形相で二人を睨む。
『は、はいっ!!』怯えながら二人が背筋を伸ばす。こんな顔、初めて見た。
「これは一刻を争う事態だ!!」
『はぁ?』
「今すぐコウノスケの部屋に行け!!」
「え、何で…」
「いいから行け!私は主天使様を呼んでくる!!それまでおまえたちは何とかしてその場を抑えていろ!!」
「え?」
「あの、何で主天」
「説明している暇はない!!!とっとと行けぇぇぇーっ!!!!」
パリーンッ!!窓ガラスが砕け散る。
『は、はいーっっ!!』
意味も分からず、二人は慌てて部屋を出た。
「ちょ、どうしたんだよ、あいつ!」
「あんな風に取り乱すところ、初めて見たよ!」
「たかがコウノスケが熱を出しただけなのに、何であんなに慌ててんだろ?」
「ね。変なの。何とかして抑えてろって…何のことかな」
「さぁ…?」
訳が分からないが、とにかく行くしかないようだ。
二人は首をひねりながら、とりあえずコウノスケの部屋へと急いだ。

コウノスケの部屋に着くと、ノックして声を掛けてみる。
「おーい、上がおまえの部屋に行けっていうから来たぞ」
「大丈夫か?」
応答はない。
「…寝てんのかな?」
「あいつなら寝てても俺たちの気配に気づいて起きるだろ」
「熱があるから気づいてないかもよ?」
トシヒコがドアノブに手を掛けて回してみると、鍵がかかっておらず、カチャッと開いた。
「…あれ、開いてる。あいつ、さっきボーッとしてて鍵を閉め忘れた?」
「…もしくは、俺たちがいなくなったあとに良からぬヤツが侵入した…とか」
「…え…」
二人は顔を見合わせた。先ほどの上司といい、部屋の中で何か良からぬことが起きていることも大いに考えられる。
「…まさか…熱を出すとコウノスケが黒いコウノスケになっちゃうとか…」トシヒコが顔を真っ青にする。
「はははっ!まさか!」マサルは笑って返したが、実はその言葉を聞いてトシヒコ以上に不安になった。
(…熱が出ると、昔のコウノスケに戻っちまう…という可能性はあるぞ。もしそうなら、黒いコウノスケになったと同じだ。主天使を呼んでくると言った上の言葉にも納得がいく…)
もし、黒いコウノスケになっていたら、どうすればいいのだろうか。その場を抑えろと上は言っていたが、コウノスケに指一本で守られてしまうような二人に、いったい何ができるというのか。きっと、何もできずに指一本で消されて終わりだ。
マサルはこのまま逃げたかったが、確認しないわけにはいかない。恐怖を感じながらも、トシヒコの肩をポンと叩いた。
「…まずは中を確認してみよう」
「うん…」トシヒコが頷いて、そっとドアを少し開ける。隙間から中を覗いてみると、部屋の真ん中に布団があり、そこにコウノスケが横になっているのが見えた。ただ寝ている…ように見える。
「…あいつ以外に誰かいるとか、おかしなところは…ないよな?」
「……コウノスケの気配以外は感じないね」
「…よし、じゃあ入るぞ」
「うん」

音を立てないように静かに部屋へ入る。あちこち見回したが、部屋の中はいたって普通だった。二人はお互い”どう?”と目で確認し合うが、どちらにも不穏な空気や気配などは感じられない。どうやら、何もなかったようだ。
「…何だ、別に何もないじゃん」
「よかった…」
ホッとしてようやく寝ているコウノスケのところへ抜き足差し足で向かった。布団の脇から寝ているコウノスケを覗き込む。熱で苦しいのか、少し息が荒い。額にはうっすら汗もかいている。
「…しんどそうだな」
「うん…」
普段のコウノスケとは比べ物にならない弱々しい姿に、二人はいじる気にもなれなかった。いつも厳しくされているだけに、”ざまぁみろ!”なんて言ってやろうかと思っていたのだが、そんな気も失せた。
それは見た目もあるかもしれない。どう見ても小さな男の子が熱に苦しんでいるようにしか見えないのだ。さすがの二人も親のような気持ちになってしまう。
「…タオルでも濡らして当ててやるか」
「あ、マサルのところに氷あるでしょ」
「ああ、氷か。そうだな、氷の方がいいな。ちょっと持ってくる」
「俺、とりあえずタオル濡らしとくよ」
「おう」
残されたトシヒコはバスルームへ向かった。棚をあちこち開けてタオルを発見すると、冷水で濡らす。若干絞りが足りないタオルを持って部屋に戻り、コウノスケの額に置こうとしたものの、前髪が邪魔で手が止まった。
(…起きるなよ…?)そ~っと前髪をよけて額を全開にすると、恐る恐るタオルを置いた。起こさずにタオルが置けてホッとする。そして、脇に腰を下ろして見たことのないコウノスケの寝顔をまじまじと見つめた。
(寝てる時は地上にいる普通の子供と変わらないなぁ。…結構可愛い……って、えっ!?)
トシヒコは今まで思ったこともないことを心の中で口走り、ブンブン首を振った。
(な、何が可愛いだよ!!普段のこいつの言動を忘れたのか俺はっ!!)
普段は可愛らしいところなんて一つもない、鬼教官なのだ。ただ熱が出て寝込んでいるだけで可愛く見えてしまうとは、何と恐ろしい錯覚。
「落ち着け、トシヒコ…!こいつはちっとも可愛くない…っぜんっぜん可愛くない…っ」
トシヒコが一人でブツブツ言っていると、
「う…」と声を上げて、コウノスケがゆっくりと目を開けた。結局起こしてしまうあたり、トシヒコらしい。
「あ…ご、ごめん…お、起こした?」
「……ト…シヒコ…?」
「うん。上に報告したら、コウノスケの部屋に行けって」
「……そう…か…」辛そうにゆっくり瞬きをしてボーッと天井を見つめている。
「おまえ、普段健康体だから熱に弱いんでしょ」
覗き込むと、ようやくコウノスケと目が合った。
「……そう…かもな…」
「医者には診てもらったのか?」
「……」
「…診てもらってないのか?あ、もしかして医者嫌い?」
「…医者が…好きなヤツは…いないだろう……」
「ま、まぁ…そうだけど。で、でも、医者に行って診てもらった方が早く楽になると思う…よ」
「……」ジッとトシヒコを見たまま、ぼんやりするコウノスケ。
「……あの、さぁ…」
「……なん…だ…」
「その…うるうるした目で見るのやめてくれる?」
弱々しいコウノスケはどうしても可愛く見えてしまって、トシヒコは調子が狂う。
「…やりたくて…やって…いる…わけじゃない」
「そ、そうなんだけど…ち、調子狂うじゃん」
「……惚れられても困る…」
「ほっ惚れるかっ!!バカ!!小さい子供が寝込んでるみたいだってこと!」
「……パパ」ボッとトシヒコの顔が赤くなる。
「だっ誰がパパだぁ!!もう黙って寝てろ!!」噛みつきそうな勢いでコウノスケを睨んで言うと、コウノスケの口元が笑ったように見えた。
「え?…えっ?おまえ、今、笑っ―」そこまで言ったところで、コウノスケは目を閉じて、そのままスゥ…と寝息をたて寝てしまった。
「……寝ちゃったよ…」
今のは見間違いなのだろうか。トシヒコには笑ったようにしか見えなかったのだが。そういえば、この前も一瞬笑ったような…なんてことがあった。

マサルの話では、泉で人間の女を見た時は地上にいる時と同じように笑ったそうだ。だが、それ以外天界では笑ったことはない…らしい。元上司だという主天使すら笑ったところは見たことがないというのだから、本当の話なのだろう。

(やっぱり見間違いか。笑えばいいのにって思ってるから、そう見えるのかもしれないな。)

額に置いたタオルが気持ちいいのか、先ほどより穏やかな顔になっている。
それにしても、コウノスケが”パパ”なんて冗談を言うのも珍しい。やはり熱があると普段とは違うことを口走ったりするのだろうか。
(…寝てるコウノスケが可愛いとか、”パパ”って言ったコウノスケが可愛いと思った俺もおかしいよ…)
コウノスケが弱々しいと自分がおかしくなる気がする。頼むから早くいつものコウノスケに戻ってほしい、トシヒコはそう思った。

タオルを触ると、もうぬるくなってきていた。かなり熱が高いのかもしれない。
「タオル、もう一回濡らすか」
よっと立ち上がったところで、ドアが開いてマサルが入ってきた。
「氷持ってきたぞ」
「サンキュ」受け取ろうとしたが、マサルが首を振る。
「おまえがやると悲惨なことになるから俺がやる」
「…ひど…」
「悲惨なことにならない自信はあるのか?」
「…ない」
「だろ?なに、タオル濡らすのか?もらうよ」
「ん、お願い」
「ほいよ。ん?あんまり絞れてないじゃん。もうちょっと絞らないとダメだろ」
「…すいません」
「本当、手先に関してはトシヒコはダメだなぁ」
「ふーんだ。マサルが器用なだけでしょ」
「俺は普通だっての。おまえが人一倍ひどいんだよ。ほら、タオル」
「おう。も~ひどい言い方だなぁ」
プリプリしながら再びコウノスケの額にタオルを置いた。
「コウノスケ、ずっと寝てんのか?」キッチンからマサルが顔を出す。コウノスケをちらりと見てから、マサルのところへ向かった。
「いや、さっき目を覚まして、また寝た。タオルが気持ちいいのか、さっきより顔は穏やかになったよ」
「そうか。じゃあ、氷のう作って当ててやるか」そう言ってマサルはキッチンを見て回り、ビニール袋を見つけると、氷のう作りに取りかかった。
「…なぁ、マサル」
「ん?」
「おまえ、コウノスケが笑ったところ見たことある?」
「はぁ?そんなの地上で―」
「そうじゃなくてさ。人間の女を見て…とかじゃなくて、自分に、だよ」
「…コウノスケが俺に向かって笑うって…こと?」
「そう」
「はは、ないよ、そんなの」
「…そっか。そうだよね、やっぱりないよね」
「?なに、トシヒコはあるのか?」
「う…ん…笑った気がするってことはあるんだよね」
「いつ?」
「さっきあったんだよ。え?と思ってる間にスーッと寝ちゃったけど。この前も一回あったんだ。たぶん、見間違いだと思うんだけどさ」そう言って、トシヒコは部屋に戻ってコウノスケの横に座った。
「……」
マサルは考え込む。
天界では笑わないとはいえ、笑えないわけではない。地上ではにっこり笑うし、人間の女を泉で見た時は地上と同じように笑っていた。
であれば、”人間以外の前では笑わない”ようにしていて、ふと気を抜いた時に実は笑っている…なんてことも有り得ないことじゃない。

(…もしかしたら天界では笑わないようにしてるのかもしれないな。主天使みたく、見たいと思ってるヤツもいるわけだし。…ああ、主天使の前で笑ったら、喜びすぎて何かすごいことになりそう…)

と、その時だった。

ガタガタガタガタ…

突然の揺れにマサルはビクッとした。
「え、な、何だ…っ!?」顔を上げて見回すと、揺れは部屋全体に起きている。しかし、地上のような地震など天界にはない。いったい何の揺れなのか。しかも、ものすごい大きな力を感じる。
「マサル!!コウノスケが…!!」慌てたようなトシヒコの声。
「どうした!?」キッチンを飛び出して、トシヒコと寝ているコウノスケに駆け寄った。
「うううぅぅぅ…」
「な、何だこれ!?」
苦しそうに唸るコウノスケの身体から、ゆらゆらと何かが出てきているのだ。凄まじい力を感じる。揺れと大きな力の正体はこれだ。マサルはその正体不明なものに恐れ戦く。
「何だよ、これ!!コウノスケの身体から何か良からぬモノが出てきてんのか!?」
「…い、いや、違うよ、これ。悪魔とか、そんなものじゃない」
「じゃあこれは何だよ!?」
「…普段と全然違うけど、これはコウノスケの力だよ…っ」
「この凄まじい力が!?コウノスケの!?」
「感じるのはコウノスケの気だけだから、間違いないよ。これがコウノスケ本来の力…なんだと思う」
「マジかよ!!」
「うううぅぅぅ…」苦しそうにコウノスケが唸ると、また身体から新たにゆらゆらと煙のように出てくる。
「…ど、どうしちゃったんだよ、こいつ!!」あわあわするマサルは、トシヒコの後ろに身を隠す。トシヒコも恐怖を感じているものの、初めて感じる凄まじい力を目の前にして興奮もしていた。強い者に憧れているトレーニングバカはやはり違う。
けれど、これが良くない状況というのは、本能的に分かった。
「…ど、どういうことかまだ理解できてないけど…と、とにかく…これはマズイよ!マサル!力貸して!俺たちの力でコウノスケを覆って、このとんでもない力を抑え込むんだ!」
「む、無理だって、そんなの!」
「無理でもやるの!」
トシヒコは両手をコウノスケにかざして集中すると、コウノスケを透明の膜で包み込んだ。
ゆらゆらしている力はその中に留まり、ぐるぐると滞留している。
「マサル!コウノスケの身体からこれ以上、力が溢れないように抑え込んで!」
「お、俺なんかがやったってきっと意味ないって!こんな凄まじい力、抑え込めるわけないだろ!」
「そんなのやってみなきゃ分からないじゃん!あの荷物がだいぶ運べるようになったんだから、日々力は増してるって!ほら!早く!」
「…ったくもう!あ、あとで役に立たなかったとか言うなよ!」そう言い返しながら、マサルも両手をコウノスケにかざした。トシヒコが作り出した膜の中で唸るコウノスケに神経を集中させると、コウノスケの身体をマサルの力で包み込んだ。すると、ゆらゆらと出てくる力が減ってコウノスケの苦しそうな顔が和らいでいく。
「ほら!トレーニングの成果が出てるじゃん!」
「あ、あれっ?」
マサルは自分で驚いた。知らないうちに、本当に力が増していたようだ。毎日の積み重ねは大事なんだな…と、こんな状況の中、改めて思った。
「よし、このまま抑えてて」
「お、おう」

コウノスケにいったい何が起きたのか。トシヒコは目の前の状況を頭の中で整理する。

力の強い者たちは、すべての力を表には出さない。普段は内に秘めて制御している。このゆらゆらと出てきているものがコウノスケの内に秘める力だとしたら、制御していたはずの力が出てきてしまっているということになる。
つまり、制御できない状況に陥っていると考えるのが妥当だ。
(制御できなくなってる理由……一つしかないな。)
「…この熱のせいだな」
「え、熱?」
「高熱でコウノスケは自分の力を制御できなくなってるんだよ。普段はコウノスケ自身が制御して抑え込んでる力が、身体の中から溢れてきてるってことだと思う」
「そ、そういうことか!…あ!も、もしかして、上があんなに慌ててたのは…」
「おそらくこれだね。コウノスケが熱を出すと、力を制御できなくなるって知ってたんだ。俺たちのレベルなら、制御できなくなったところで大した問題にはならないけど、コウノスケの場合は力が強大だから、制御できなくなるとかなり危険なんだと思う」
「そうか、だから主天使を呼びに行ったのか!」
「ってことは、相当ヤバイってことだよ」トシヒコが真っ青な顔でマサルを見る。
「え?」
「…つまり、主天使じゃないと抑えられない状態になるってことだよ」
「じゃ、じゃあ、俺たちが何やっても無駄じゃん!今のうちにここから出ようぜ!あとは主天使に任せて―」
「いや、主天使が来るまで、俺たちでできるかぎり抑え込んでいた方がいいと思う」
「えっ!何言ってんだよ!俺たちじゃ無理に決まってるじゃん!」
「昔読んだ書物に書いてあったんだ。制御できなくなったってことは、コウノスケの身体から無理やり出てきてる状態なんだ。だから、コウノスケの身体にも相当なダメージがあるはず」
「ええっ!?」
「…今、俺たちが抑えててやらないと、コウノスケがどうなるか分からないってことだよ」
「で、でも、俺たちじゃ―」
「やらないよりはマシだよ。いいの?コウノスケの身体がボロボロになって仕事できなくなっても。俺たちのチームは確実に順位が下がるし、チーム解散ってことにも成りかねないよ」
「そ、それは困る!!」
「でしょ?主天使が来るまで、このままできるかぎり抑えるんだ。きっと、もうすぐ来てくれるよ!」
「…わ、分かったよ。やるよ!」
「うぅ…」
コウノスケがまた苦しそうに唸る。カタカタと部屋の物があちこちで揺れ始めた。
「来るよ!!」トシヒコの声とともに、揺れが激しくなってきた。棚の上の物や本が落下していく。
「お、おい…さ、さっきよりひどくないか!?」
「身体から出ようとしている力がさっきより増えてるんだよ!マサル、集中して!」
「お、おう!」

先ほどと同じようにコウノスケ
の身体に神経を集中させるが、
コウノスケの身体から出て
こようとする力は、マサルの
力をぐいぐいと押してくる。
その力の強さにマサルは
歯を食いしばる。
「く…っ!中からものすごい
力で押されてる!!さっきの比じゃない!」
「マサル!頑張れ!」
「くぅ……お、おい!コ、コウノスケ!熱ごときに負けてんじゃねぇよ!!」マサルが発破を掛けるが、コウノスケはただ唸るだけだ。
「ううぅぅ…」
唸るたびにどんどん力が増し、揺れも一層激しくなる。身体から出たいと力が喚いているのか。
「く…そ…漏れ出した…っ」
まだまだ半人前のマサルの力では、いつまでも完全に抑え込むことはできない。ところどころからゆらゆらとコウノスケの力が溢れてきた。強い力に押されてあちこちに亀裂ができてしまったのだ。
外に出ようと力が亀裂に集まってきて、強引に押してくる。
「く…っ」
亀裂がどんどん大きくなり、全体にヒビが入ったのが分かった。
「ダ…ダメだ…もう抑えられない…!」
その瞬間、風船が割れるようにパンッと弾けて、その衝撃でマサルが後ろにひっくり返った。
「うわぁっ!!」
「マサル!」
マサルの力が消えたと同時に、抑え込んでいた力が我先にとコウノスケの身体から溢れてきた。
「…き、来た!!」トシヒコがグッと力を込める。すでに溢れていた力と合わさり、トシヒコが作った膜の中でぐるぐると渦を巻く。中では力同士がぶつかり合い、バチバチと閃光も走っている。
トシヒコは力を受け止めてみて、すぐに抑え込めなくなることを悟った。まるで刃を突き刺すように力が攻撃してくるのだ。力の差がありすぎて、その刃に太刀打ちできない。
(こ、これは…無理だ!…すぐに破られる!!)
そう思った途端、膜のあちこちに穴が開き、空気が漏れるようにコウノスケの力が漏れ始めた。穴はどんどん大きくなる。穴だらけになったトシヒコの膜が耐えられるわけもなく、あっという間に消滅した。
「くそっ!」
再度、膜を張ろうと試みるが、強大な力が部屋中に溢れてしまい、もう抑え込める状況ではなくなった。
「ダメだ…!部屋中に広がってもう抑え込めない…!何て力なんだよ!」
もう少し抑え込めると思ったのに…トシヒコは力の無さを痛感し、悔しかった。

溢れ出たコウノスケの力は、ぐるぐると竜巻のような風になっていく。部屋にあったあらゆる物がその風によって浮き上がり、部屋中を飛び回る。マサルとトシヒコは渦の中心に取り残されてしまった。どこにも逃げ場がない。
「…これじゃあ、脱出もできねぇな…」
へたり込んでいたマサルが、何とか身体を起こしてトシヒコの背中にもたれた。トレードマークのサングラスにはひびが入ってしまっている。
「無理…だね…ここで主天使が来るのを待つしかなさそうだ」
「来るまで…無事だと…いいけどな…」
「マサル、大丈夫?」
「…何とか…な」
「あ、サングラスが…」
「さっきの…衝撃でな。ま、あれだけの衝撃だから割れるわな。買い替える金なんてな……あっ!危ねぇ!」
トシヒコ目掛けて飛んできた分厚い本をマサルが力で弾き飛ばす。
「マサル!無理するな!それ以上は―」
「これぐらいならできるって、心配すんな!俺だってやればできるんだよ」
「マサル…。ごめん、巻き込んで」
「謝んなよ」
「でも…俺が抑え込もうって言ったから…」
「コウノスケの身体を守ってやりたかったんだろ?」
「うん…でも、全然ダメだった…」
トシヒコの頭に、嫌な未来がよぎる。そのまま心を引きずられそうになったが、
「まだダメだって決めつけんなよ」とマサルの声がして、現実に引き戻された。
「え?」
「まだ何か…できることがあるかもしれないぞ。他の手はないか?抑え込むだけじゃなくて、もっと他に何か」
「…他の手……」
コウノスケを見て考え込む。相変わらず苦しそうにしている。トシヒコが置いた額のタオルは、もうカラカラに乾いていた。
(こいつの熱さえ何とかできれば…)そう思って、トシヒコはハッとした。
「そうだ!熱だ!」
「熱?」
「もう力を抑え込むのは無理だけど、コウノスケの熱を下げることはできるかもしれない!」
「…そうか、こいつの熱を下げて、力を制御できるようにするってことだな!」
「うん!マサル、できそう?」
「…大丈夫だ、何とかなる!」
「よし、じゃあ、コウノスケの身体を冷やすよ!」
「おう!」
二人は再びコウノスケに両手をかざした。
コウノスケの身体に神経を集中させ、冷たい空気を送り込む。身体から湯気が出てきた。
「送り込んだ空気と熱がぶつかり合ってるぜ!」
「効果はあるみたいだね。続けよう!」
「おう!」
うめき声のような不気味な音と風の音に支配された部屋。窓ガラスも砕け散り、壁のあちこちが大きくひび割れてきた。部屋が崩れるのも時間の問題だ。
けれど、部屋がどうなろうと知ったことではない。今はとにかくコウノスケの熱を下げる方が大事だ。
二人は僅かに残った力でコウノスケの身体を冷やすが、それでもコウノスケの苦しそうな顔は変わらなかった。
「変化がないな…無駄な行為なのか…」
「そんなことないよ!きっと、やってる意味はある!」

そんな二人をあざ笑うかのように、部屋に渦巻く強大な力は容赦なかった。部屋の壁に固定されていた大きな棚が、メリメリと壁から剥がされ、宙に浮いたのだ。
「お、おいおい!嘘だろ!?」
「恐るべし、コウノスケの力…」
そして風に流されながら、こちらに向かって飛んでくる。
「ちょ…っ」
「マサル!頭下げて!」
ものすごいスピードで二人の頭上を棚が飛んでいき、そのまま壁にぶち当たってバラバラになった。
「危ねぇ~」
「…あ!」
回避して安心したのもつかの間、今度はバラバラになった棚が木片となって風に巻き上げられた。大きな物から小さな物まで、そして、割れて刃のようになったものなど、もはや凶器と化している。
「な…っ」
「マジかよ…」
木片たちは渦巻く風に飲み込まれていく。その後は容易に想像できた。風に飛ばされてあの木片たちが部屋中を飛び回り、そして……。
血の気が引く二人。コウノスケの身体を冷やしながら、猛スピードで飛んでくる大量の木片を防ぐなんて芸当は二人にはできない。それに残された力もあと僅か。どう考えても避けられない。身体中に木片が突き刺さる自分の姿が浮かぶ。
「くそぉ…っ」
「…こ、ここまでか…っ」

そんな二人の絶望を喜んでいるかのように、渦巻く風がさらに激しさを増した。部屋中に散らばって飛び回る木片たちの勢いも激しくなり、暴れるように風から放り出されていく。そして刃のように尖った木片たちが、マサルとトシヒコに向かって襲いかかってきた。身を守る術もない言わば丸腰の二人。どう足掻いても避けられない。
(もう…ダメだ…っ!!)
二人がギュッと目をつむったその時だった。
「よく頑張りましたね」
優しい声とともに突然、音が止んだ。うるさかった風の音も部屋の壁に物がぶつかる音も、ありとあらゆる音が消えたのだ。
(え…?)
恐る恐る目を開けると、そこにはすべてが止まった風景が広がっていた。吹き荒れていた風が消え、無数の木片は二人の目の前で停止している。 まるで時間が止まったかのようだ。
「え…」
「これは…」
二人がポカンとしていると、真っ白な美しい羽の天使が二人の前に舞い降りてきた。にっこりと二人に微笑む。
「お待たせしました。あとは私が引き受けます」
『しゅ、主天使…様!』
主天使は右手をコウノスケの額に当てると、シュウ…という音とともにコウノスケの額から何かを取り出していく。主天使の手の中に小さな赤い球ができ、それが少しずつ大きくなる。
「そ、それは…」
「コウノスケの熱です。力を制御できる状態までコウノスケの身体の中から熱を取り除きます。こうすることで溢れ出た力はコウノスケの身体に戻ります」
「なるほど…」
「冷やすんじゃなくて、取り除くんですね」
「ええ。マサル、トシヒコ、手をここへ」主天使が疲れ切っている二人に向かって左手を差し出す。
『え?』意味も分かぬまま、二人は言われた通りに主天使の左手に手を乗せた。その瞬間、その手から身体の中に力が流れてくるのが分かった。
「力が…流れてくる…!」
「…す、すごい…」
「少しですが、力を分け与えました。少しは身体が楽になるでしょう」
「ほ、本当だ!ありがとうございます!」トシヒコは明るい声で頭を下げた。もうずいぶん回復しているように見える。
(…さすがトレーニングバカ…回復力がハンパないな…)マサルは心の中で呟いた。そんなマサルに主天使が声を掛ける。
「マサル、あなたは横になっていなさい」
「えっ?だ、だ、大丈夫ですよ…」
マサルは強がってみせたが、主天使はマサルの手から今のマサルの状態を見たはずだ。本当は、今にも突っ伏しそうなぐらいヘトヘトだということはバレバレだろう。
そんなマサルに主天使がにっこり微笑む。笑っているのに恐いと思うのは何故だろうか。”普段怒らない人の方が恐い”そんな言葉が浮かんでくる。
「……はい、横になってます…」マサルは小さくなって、その場に横になった。沈んでしまいそうなぐらい身体が重く、もう二度と起き上がれないのではないかとさえ思う。それは力を使い果たしたということであり、つまり力の使い方がなっていないということだろう。
全然まだまだじゃん…そう思ったところで、急激に眠気に襲われてマサルは目を閉じた。
「…マサル?」
「大丈夫です。力を使い果たしているので、回復させるために眠ってもらいました。以前よりは力は強くなってきましたが、まだまだ力の使い方はあなたほど上手くありませんからね」
「俺が無理させちゃったんですね…」
トシヒコは心の中でマサルに感謝した。きっと一人だったら、あっという間にコウノスケの力にやられていた。二人だったから、ここまで何とか抑えられたと思うのだ。力を使い果たしてまでマサルが頑張ってくれたことが何よりうれしかった。
(マサル、ありがとな。今夜はとことん酒に付き合うよ!)

しばらくすると、部屋中に溢れていたコウノスケの力が、次々とコウノスケの身体へ戻り始めた。
「…あ、力がコウノスケの身体に戻っていく!」
「制御する力が戻ってきた証拠です」
コウノスケの顔も明らかに違った。ずいぶん穏やかな顔になっている。主天使がその顔を見て、額から手を離した。
「もう大丈夫です。今日と明日、安静にしていれば完全に熱も下がるでしょう」
「そうですか!よかった…!」
主天使の手の中にある赤い球は、まるで太陽のように燃えている。こんな熱がコウノスケの身体の中にあったのかと驚いた。自分たちの行為は何の足しにもなっていなかったのかもしれない。
「あの…それは…どうするんですか?」
「これですか?差し上げましょうか?触ると、一瞬で炎に包まれますけれど」主天使がニコニコしながら差し出してくる。
「い、いいいいりませんいりません!!」ブンブン首を振って拒否する。
「ふふっ冗談ですよ。これは熱がなくなるまで冷却します。冷えてしまえば無害ですから」そう言うと、その赤く燃える球を黒い幕で覆って自分の手の中に沈めていった。そんなことをして、主天使は熱くないのだろうか。心配になったが、主天使の表情は相変わらず穏やかだったので、ちっとも影響はないようだ。
「さて…と。次は部屋ですね」そう言うと、主天使は瞬きをしながら、ゆっくりと部屋を見渡した。すると、瞬きをするたびにひび割れた壁や割れた窓ガラス、木片となった棚も元通りになり、散乱した本や物が元の場所に戻って行く。
「す、すごい!!」あっという間に元通りになり、トシヒコは目をまん丸くした。ただ瞬きをしただけで、部屋を元に戻してしまうのなら、寮を建て直すぐらい大したことではなさそうだ。
(マサルから聞いてはいたけど、本当にこの人はすごいな!他の偉いヤツらと違って偉そうにしてなくて気さくで格好いいし!男だけど、惚れそう!!)
トシヒコはキラキラした尊敬の眼差しで主天使を見つめた。

「これで元通りですね。今回は部屋だけで済んで何よりです」
「あの…っ 今回のようなことはよく起きるんですか?」
「前は確か…四十年前だったでしょうか」
「へ!?よ、四十年前!?」
「頻繁には起きませんので、安心してください。時折身体に限界が来た時にこういったことが起きます」
「身体に限界…ですか。それはあまりにも強い力だから…ですか?」
「強い力というより、この小さな身体が原因ですね。小さな身体でありながら強い力を持っていて非常にアンバランスです。日々強い力をこの小さな身体に押し込めている状態ですから、数十年に一度、身体に限界が来て熱が出ます。そして熱が上がると制御できなくなり、こうして力が表に出てきてしまうのです」
「な、なるほど…」
「コウノスケが仕事に行けないほどの熱を出すことはほとんどありません。熱が出た時はこうなる可能性が非常に高いのです」
「だから、上がすごい慌てていたんですね」
「ええ。コウノスケの上司になる者には必ず伝えています。今の上司には四十年前の発熱時のことを話してありますから、慌てたのでしょう」
「四十年前はもっとひどかったんですか?」
「あの時は…トシヒコやマサルのように私が来るまでに抑え込んでくれた者がいなかったため、寮と隣の建物が崩壊してしまいまして、大惨事になりました」
「……そ、そうだったんですか…あ、あの、もし誰も抑え込まなかったら、コウノスケはどうなっていたんでしょうか。やはり身体に相当なダメージを受けるんでしょうか」
「ええ。溢れ出てくる力は、コウノスケの身体から強引に出てきていますから、身体のあちこちが破壊されてしまいます」
「じゃあ、四十年前は…」
「確か、意識が戻るまで三日はかかりましたね」
「三日も…」

穏やかな顔で眠るコウノスケ。四十年前のようなひどい状態にならなくてよかった…トシヒコはホッとした。
けれど、安心したと同時、別の感情が湧き上がってくる。
コウノスケの身体にそんな事情があるということをコウノスケから聞かされていなかったこと…それに腹立たしさを感じた。
熱で朦朧としていたかもしれないが、熱が出たと言った時に今後起こるかもしれないことを話してくれていたら、もっと早く上司に連絡できたし、主天使にも早く来てもらえたかもしれない。
なのに、コウノスケは二人には何も話さなかった。今日だけじゃない。チームを組んでから今日まで、話す機会は何度もあったはずだ。それなのに、一度も…一言もなかった。
(…俺たちには手に負えない、足手まといだって、そう思ってたのかもしれないけどさ…)
実際、手に負えなかったのだから、偉そうなことは言えない。けれど、それでも事情は教えてほしかった。
(何で…言ってくれなかったんだよ…。もしかして俺たち、コウノスケに信用されてないのかな…)
そう思ったら、気持ちがどんよりしてしまった。

「…トシヒコ?どうしました?身体が辛いのですか?」心配そうな主天使の声に、ハッとして顔を上げた。
「え、あ、いえ!な、何でもないです!」笑顔に無理があったのか、主天使が見つめてくるので、トシヒコは目を逸らした。が、すでに心を読まれてしまったようだ。
「……あなたの心に大きな哀しみを感じます」
「……」
「…このような事情があるということを話さなかったコウノスケに対して…ですね?」
「……」違うと言いたいところだが、もう心は読まれている。トシヒコは諦めて無言で頷いた。
「…そうですね。なぜ話してくれなかったのかと悲しくなるのも無理はありません。ですが、あなたたちを信頼していないから話さなかった…というわけではないと思います」
「…どうですかね。案外まだ俺たちを信用していないかもしれないですよ」ハハハッと笑っておどけてみせると、主天使は首を振った。
「そんなことはありません。おそらく…コウノスケはあなたたちを巻き込みたくなかったのではないでしょうか」
「……」
「上司ですら止められない力の暴走に、あなたたち二人が巻き込まれてしまったら、無事では済みません。あえて、説明しなかったのでしょう。不器用なこの子なりの優しさなのだと、私は思います」
「…そんな優しさ…いらないですよ。俺は…」そう呟くと、見透かしたように主天使が言葉を繋ぐ。
「ええ、分かっています。あなたはこのことをコウノスケの口から聞きたかったのですよね」
驚いて主天使を見ると、彼は優しく微笑んだ。コウノスケの気持ちも分かっていて、トシヒコの気持ちもきちんと理解してくれている。その優しさにジンときた。
誰にでも心を寄せられるなんて、何てすごい人なのだろうか。
強くて優しくて真っ白で。偉い人を毛嫌いするマサルが、この人が上司なら素直に従うと言った理由がトシヒコにもよく分かった。

「……だって…俺たち、コウノスケの仲間じゃないですか。仲間なら、話してほしかったです」その言葉を聞いて、主天使はとてもうれしそうに微笑んだ。
「…やはり私の見る目に狂いはなかったです。よかった」
主天使は寝ているコウノスケの柔らかそうな髪をそっと撫でた。
コウノスケを見る主天使は、まるで息子を見るような慈愛に満ちた目をしている。過去にどんなことがあって、今も主天使とコウノスケが繋がっているのかは分からないが、上司ではなくなった今もこうしてコウノスケの危機に駆けつけるのだから、二人の間には深い絆があるのかもしれない。
(…それにしても、見る目に狂いはなかった…ってどういうことだろう?)
トシヒコは言葉の真意を確かめたかったが、すっかりタイミングを逃してしまった。もう聞くに聞けない。

コウノスケを見つめながら、主天使が呟く。
「…コウノスケは、あなたの性格も考えて言わなかったのかもしれませんね」
「え?」
「あなたのことですから、事情を説明されて上司に連絡して逃げろと言われても、きっとここへ戻ってくるでしょう?」
「…う…」
図星だった。確かにこうなることが分かっていたら、トシヒコはここへ戻ってきていると自分でも思う。主天使が来るまでの間に自分にやれることがある、そう思うから。
「あなたがどうするのか、それがコウノスケには手に取るように分かったのでしょう。仲間だからこそ、話さなかったのだと思います」
「…仲間…だから…」
「…では、もし…あなたがコウノスケだったら、どうしていますか?」
「俺が…コウノスケだったら…ですか?」
「ええ」
考えてみる。
きっと首を突っ込むと分かっている半人前のヤツがいる。勝てるわけがないのに、それでも立ち向かってしまうようなヤツ。そんなヤツに事情を説明して上司に報告したら逃げろと言う……逃げるわけがない。
「俺も話さないでおくと思います。…そうですね、首を突っ込むと分かっているヤツに話しませんね」
「ふふふ。そうですよねぇ」
「あえて言わない…コウノスケの立場で考えれば、当然のことですね」
「そうですね。ですが、今回はそんなあなたの性格のおかげでコウノスケの身体へのダメージも周囲への被害も最小限で済みました。あなたの勇気に心から感謝しています」
「え…そ、そんな…。結局、抑え込めなかったわけですから…」
「私が到着するまで、二人で頑張ったではありませんか。私はその気持ちを大切にしてほしいのです。強くなるには気持ちも大切ですよ。コウノスケの強大な力を前にしても逃げ出さなかったあなたたちなら、これからも様々なことを強い心で乗り越えていけるでしょう。期待していますよ」
「…は、はい…!俺、頑張ります…!」
主天使に微笑みかけられると、何だか力が湧いてくる。自分も主天使のようになれたら…トシヒコは密かにそんな風に思った。

すると、突然ポンッと主天使が手を叩いた。
「?どうしました?」
「そうでした、あなたたちの上司にもうコウノスケは大丈夫だと伝えなければ。トシヒコ、お疲れのところ申し訳ないですが、上司に報告してきていただけますか?コウノスケはもう大丈夫だとは思いますが、万が一また熱が上がることも考えて、私はここにいた方がよいでしょうから」
「あ、はい!行ってきます!力を分けていただきましたから、もう元気ですし!」
「頼もしいですね。では、お願いします」
「はい!!」
トシヒコは元気よく立ち上がり、部屋を出た。駆け足で上司の元へ向かう。
(よかった!主天使が来てくれて!!コウノスケの力は本当にすごいんだな。本当にすごかった…。そりゃ、俺たちなんて指一本で守れるよな。)
しかし、しばらくすると、緊張が解けたせいか、今頃になってあの時に感じた不安と恐怖を思い出した。手足が震えてくる。
(…よかった……本当によかった…)噛みしめるように心の中で繰り返し、トシヒコは頷きながら先を急いだ。


トシヒコの軽やかな足音がだんだん遠のいていく。主天使は目を閉じてその音に耳を傾けていた。
「…力や能力だけでなく、不安や恐怖に打ち勝つ強い心も育ってきていますね。私が思っている以上にトシヒコは成長しているようです。そして…マサルも」
爆睡するマサルを見て、ふふふっと笑う。二人がこの職場で輝き始めている姿をこの目で見ることができて、主天使は安心し、そしてうれしく思った。
「このまま成長を続ければ、あっという間に同僚たちを追い抜かしてしまいますね」
「……」
「楽しみですねぇ…」
「……」
「いずれはあなたと肩を並べる存在になるかもしれませんね」
「……」
「…あら、コウノスケ。無視ですか?」
「…なんの…話…ですか。…たった今…起きたのですから、意地の悪いことを…おっしゃらないでいただきたい」コウノスケがゆっくりと瞬きをして主天使を見た。
「ふふふ。気分はどうですか?」
「…良いと思いますか」
「良くはないでしょうねぇ」
「…あなたがここにいらっしゃるということは、やはり熱が…上がってしまったということですね…」
「四十年ぶりでしたね。身体はどうですか?」
「…全身に痛みはありますが…以前より辛くはありません」
「そうですか」
「何故こんなにも…身体へのダメージが少ないのですか。すぐにいらっしゃってくださったのですか…?」
「いいえ。今回はかなり離れた場所にいましたから、四十年前よりも到着が遅れました」
「では……何故…」
「二人のおかげです」
「……二人?」
「マサルとトシヒコです。ずっと、あなたの身体を守ってくれていたのですよ」
「…え…?」主天使に言われて、初めて隣にマサルが寝ていることに気づいた。疲れ切ったように爆睡している。
「マサル…」
「二人があなたの身体から溢れ出てくる力を抑え込もうと頑張ってくれたおかげで、身体へのダメージは最小限で済みました」
そういえば…朦朧としていた時に、トシヒコと何か話したような気がする。マサルの声も聞こえたような…”熱に負けるな”と。あれは、空耳や夢ではなく、現実だったということか。
「トシヒコが状況を見てどうすべきか考え二人で対処したようです。さすがにあなたの力を抑え込むことはできませんでしたが、二人のおかげで周辺への被害も少なくて済んだのですよ」
「……トシ…ヒコは…」
「今、上司のところに報告に行ってくれています。少し力を分け与えただけですが、元気に歩いていきましたよ。あの子は本当に力の使い方が上手ですね」

二人が守ってくれた…
にわかに信じられなかったが、爆睡しているマサルの様子からしても、力を使い果たしているのは見て取れた。それに主天使がそう言うのだから、嘘ではないのだろう。
自分の力が他の者より強大だということは自覚している。この身体で生まれ、この力を持っている以上、これはどうしても起きることだと言われた。神から与えられた試練。生きている限り、受け続ける覚悟はできている。
しかし、そんな自分に与えられた試練に二人を巻き込むつもりはなかった。上に伝えさせて、あとは主天使に任せようとあえて説明をしなかったのだが、それが仇になってしまった。熱でぼんやりしていたとはいえ、きちんと説明すべきだった…コウノスケは後悔した。

けれど、何より不思議なのは、何故二人は逃げなかったのかということだ。どんどん力をつけているとはいえ、まだまだ二人とも半人前で、特にマサルはまだ力の使い方もなっていない。それに、心を読み取る能力に長けている分、力から伝わってくる恐ろしさはトシヒコ以上に感じ取っていたはずだ。相当な恐怖を感じたはずなのにも関わらず、逃げずに立ち向かったということになる。
二人がそこまでしたのは何故なのだろうか。コウノスケは不思議でたまらなかった。
「…二人は…何故…」
「トシヒコは、”コウノスケは仲間”だと
言っていましたよ」
(……仲…間…?)
その言葉にコウノスケはきょとんと
する。驚くのも無理はない。
これまで数々の者たちとチームを
組んできたが、コウノスケのことを
”仲間”という言葉で表現した者は一人としていなかった。だから、コウノスケには無縁だと思っていた言葉であり、聞き慣れない言葉なのだ。
(…トシヒコが…ぼくを仲間だと言った…?)
「もちろん、マサルも同じ気持ちですよ。二人にとって、あなたは大切な仲間なのです」
「……」
先ほどから嘘のような話ばかりで、コウノスケは混乱していた。頭の中を整理したいが、熱のせいでまだ普段のように考えもまとまらない。
(…仲間……なか…ま……そ、そもそも…仲間とは…何だ…)

目をパチクリするコウノスケ。主天使はそんなコウノスケが見られてうれしかった。昔から主天使の前では感情を見せないようにしているらしく、驚いたり慌てたりする姿もなかなか見ることができないのだ。
しかも、コウノスケが驚いている理由がトシヒコたちの行動によるものとあって、余計にうれしくなる。

二人のことをコウノスケに話したのは、二人の能力をコウノスケの職場なら活かせると思ったから。けれど、主天使にはもう一つの目的があった。長年願い続けていること、それがあの二人なら叶うかもしれないと思ったのだ。
感情を表に出すことが苦手なコウノスケ。当然、人とコミュニケーションを取ることも下手で、チームを組んだ者たちも、コウノスケのことを理解できずにすぐに離れていってしまう。
コウノスケには、メンバーを理解しあいお互いを大切にする、そんな”仲間”とチームを作ってほしいと主天使は願っていたのだ。
しかし、発言や表情で誤解されやすいコウノスケをなかなか理解できる者は現れなかった。気づけば二百年の時が流れ、コウノスケは若い同僚にとってますます近寄りがたい存在になってしまった。

このまま現れないのか…半ば諦めていた時、マサルとトシヒコの存在を知った。持っている能力、それぞれの境遇。様々なものが三人を引き合わせるために用意されたものではないかとさえ主天使は思ったのだ。
人の心や気持ちを読み取る能力があるマサルなら、コウノスケのことを理解して長く付き合っていけるのではないか。
強い者に憧れ、負けず嫌い。仲間を家族のように大切にする優しい心の持ち主。そんなトシヒコなら、強さだけでなくコウノスケ自身も受け入れてくれるのではないか。そして、コウノスケも自分と似た境遇の二人となら、理解し合えるのではないか。

自分の予想は当たっていた。今、主天使は心からそう思っている。
コウノスケの身体を力を使い切るまで守る二人は、もう”仲間”以外、何者でもない。
コウノスケに”仲間”ができた。長年願ってきた主天使にとって、これほど喜ばしいことはない。
今は混乱しているコウノスケだが、きっと”仲間とは何か”をもう知っているはずだ。二人を一人前にしてやりたい、そんな気持ちを持ったコウノスケも、心のどこかで二人を”仲間”だと思っている。
そう、ただ…気づいていないだけ。

(コウノスケが気づくのは、いつでしょうねぇ…)
それに気づいた時の反応が、また楽しみで仕方がなかった。

主天使がそんなことを思っているとは露らず、コウノスケは”仲間”という言葉について、考えがちっともまとまらず、困り果てていた。元々馴染みのない言葉である上に、まだ熱もある。そんな時に色々考えてもまとまるわけがなかった。
とりあえず、二人が助けてくれたという事実を受け止めることにした。コウノスケの力を前にしても逃げなかった強さは認めなくてはならない。
(…半人前のくせに無謀なことをしたものだ。あいつらの悪いところが出たな。)
コウノスケは呆れ返った。何とかなると思ってやったのだろうが、半人前が二人揃ったところで何とかなるわけがない。無謀なことをすれば、命に関わるのだ。もう少し自分の力量を考えて行動するように指導しなければと、今後の課題を頭の中にメモした。

……

…いや。
少し考えて、そのメモを消す。
今回、そんな無謀な二人に助けられたのだ。”悪いところ”とは言い切れない。
コウノスケの規則違反を上に言わない甘ちゃんで、感情豊かで泣き虫で。そして、挙句の果てには半人前なのに他人を守ろうとする。
コウノスケには理解不能なことばかりをする二人だが、もしかしたらそれは、良いところでもあるのかもしれない。

二人とチームを組んでから、想定外のことばかりだ。毎日のように何かが起きる。長年ここにいるコウノスケだが、あんなに手のかかる同僚は未だかつていない。きっとこれからも手がかかるだろうし、まだまだ想定外の出来事が起きるだろう。
先が思いやられる…コウノスケはため息をついて、隣で爆睡するマサルを見つめた。
顔のあちこちに傷があり、トレードマークのサングラスにひびが入っている。彼が頑張った証がそこにあった。
手を伸ばして指先でサングラスのひび割れに触れた。スゥ…と傷が消えていく。
(…どうせ…酒ばっかり買って、買い替える金もないだろうからな。)
すると、マサルがヘラッと笑った。
「…もう…飲めねぇよぉ…」どうやら夢の中で美味い酒を飲んでいるらしい。呑気すぎて呆れてしまう。コウノスケはもう一度ため息をついた。

(…まぁ、おかげで毎日飽きないけどな。)
「あらっ!」主天使の興奮したような声にコウノスケは、しまった!と思ったが、すでに遅かった。目をキラキラさせて、寝ているコウノスケの顔を覗き込んでくる。
「コウノスケッ?今…っ今、笑いましたねっ?笑いましたよねっ?」
「……わ…笑っていません…っ」
「いいえっ!今、確かに笑いました!私の目は誤魔化せませんよっ!まぁまぁまぁまぁ!この日をどれだけ待ちわびたことか!!」
興奮した主天使は、コウノスケの顔を両手で包み、鼻がくっつきそうな距離で凝視してくる。
「さぁ!もう一度笑ってください!ちゃんと!ニッコリと!!」
「……ち、近いです…」
「さぁ早くっ!」
「……か、勘弁してください…」
「ダメです!何百年待っていたと思っているんです!二百年ですよっ!?」
コウノスケは一瞬の気の緩みを後悔した。
(だから天界では笑わないようにしていたのに…ね…熱のせいだ…)
「さぁ!コウノスケ!!さぁ!さぁ!」
(ああ……誰か…)

その時、
「ん……」騒がしかったのかマサルが目を覚ました。ムクッと起き上がって、ショボショボした目でこちらを見た。すると、部屋の外から軽快な足音も近づいてきて、勢いよくドアが開いた。
「戻りました!」
(…た、助かった……)とコウノスケが思ったのもつかの間、目に飛び込んできた光景にマサルとトシヒコが固まった。
『……』
その目は誤解している。完全に誤解している。
無理もない。主天使とコウノスケの距離は、限りなくゼロに近いのだから。
トシヒコが一歩、二歩と後ずさる。
「……お…お邪魔だったようで…」
「…ま、待て…違う…」身動きの取れないコウノスケが弱々しい声で訴えるが、トシヒコは二人に視線を合わせないように開けたドアをそのまま閉めてしまった。
見てはいけないものを見たかのように、マサルも這いつくばってドアへと向かう。
「マ…サ…」
「コウノスケ!!」助けを求めるコウノスケの声は、興奮した主天使の声にかき消されて、マサルの耳には届かなかった。
「…ご、ごゆっくり……」
パタン…とドアが閉まる。
(ち、違うというのに……っ)
「まぁ、気が利く二人ですね!さぁ、コウノスケッ?もう一度笑ってくださいっ?笑うまで私は帰りませんよっ!」
(ああ……)
「さぁっ!!!」
限りなくゼロに近い場所から凝視されたコウノスケは、もう一度高熱にうなされたいと本気で思うのだった。
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
「お、完全復活だな」
「いつもの顔だね」
「…うるさい」ニヤニヤする二人に言われ、フンと顔を逸らす。
「うん!うん!やっぱりコウノスケはこうでないと!」やけにウンウン頷くトシヒコの態度は気になったが、やっと身体が元に戻ってコウノスケは内心ホッとしていた。
(これで主天使さまに絡まれずに済む。やはり天界では気を張っていなければ。)
それに久しぶりに地上の仕事へ行けるとあって、今日が待ち遠しかった。
コウノスケにとって、地上で仕事をすることが何よりの生きがいなのだ。熱が下がってからもしばらく天界での仕事を与えられていたため、つまらなくて仕方がなかった。
「行くぞ」
「おう!」
「あれ、愛しの主天使様は連れて行かないのかぁ?」
マサルの下らない一言に鋭い睨みをきかせて、地上へと降りて行く。
「怖ぇ~」
「マサルが”愛しの”って付けるからでしょ。怒られるって分かってて言うなんて、マサルってばMだね、本当に」
「俺はMだけど、誰かさんみたくロリコンじゃねぇぞ!」
「誰もロリコンなんて言ってないけど。って、Mって認めちゃってるよ、この人」
何て下らない会話なんだ、コウノスケはため息をついた。
「ねぇ、あの後、どうなったの?結局笑ってあげたの?」
トシヒコが尋ねてくるがコウノスケは答えなかった。一応、二人の誤解は解いたと主天使から聞いているが、もうその話題に触れられたくない。あの時間がどれだけ苦痛だったのか、二人にはきっと分からないのだ。
主天使には熱が出るたびに世話になっているし、上司だった頃から色々と助けてもらってきて、コウノスケの恩人とでも言うべき存在ではあるのだが、時折暴走するあの息子を溺愛する親バカのような行動には、毎回頭を悩ませている。ああなると、周りが見えなくなり、今回のように周囲に関係を疑われてしまう。
(あれさえなければ、本当に良い方なのに…)

「そんなの、この前会った時の様子で分かるだろ」
「…ああ、何か超ご機嫌だったね。あ、そうか。コウノスケが笑ったから?」
「それしかないだろ。俺たちを見るなり、”マッサル~トッシヒコ~♪”ってスキップしてきたんだから」
「お偉いさんのスキップなんて初めて見たよ、俺」
「俺だって初めて見たって」
(…主天使さま…あなたは何をやっているのですか…)
もうため息しか出ない。
「でも、あの人すごいね。コウノスケのあの凄まじい力をいとも簡単に止めて、パパッとすべてを元通りにしちゃうんだもん」
「確かにな。あの人が来なかったら、俺ら身体中に木片が突き刺さってたよな」
「瀕死の状態になってたかもね」
「主天使様様!だよな」
「ほんとほんと」

あの日のことはまだきちんと二人と話せていない。コウノスケの力の暴走が招いたことだし、仕事を休んでいた間、チームの仕事ができなくて順位が一つ下がってしまった。迷惑をかけたことを謝らなくてはいけないし、主天使が来るまで守ってくれたことには、きちんと礼を言わなくてはならない。天界では他の者の目もあってなかなか話せなかったが、地上なら話せそうだ。

地上に着き、ビルの屋上に降り立つ。
眼下には、今日のターゲットの人間が下を向いて歩いているのが見えた。
「…お、いたいた」
「落ち込んでるなぁ…」
「作戦通りでいいんだろ?」
「……」
「コウノスケ?」
「どうしたんだよ?」
「…一ついいか」
「なに?」
「…何だよ、改まって」
「…あの時は巻き込んですまなかった」
「…へっ?」マサルがきょとんとする。謝られるとは思っていなかったようだ。トシヒコは無言でコウノスケを見ている。その顔は少し悲しそうにも見えた。
「熱があると言った時、きちんと説明しておけば、おまえたちが巻き込まれることはなかった。力が暴走すると何が起こるか分からない。巻き込んではいけないと話さなかったことが逆に巻き込むことになってしまった。完全にぼくの判断ミスだ」
「…そんなの…しょうがないだろ。あの時はおまえ、熱で朦朧としてたし。なぁ、トシヒコ?」
「うん。それに、上がコウノスケのところに行くように言ったんだし、コウノスケが説明してたとしても、結局部屋に行くことになってたと思う。だから、気にしなくていいし、謝らなくてもいいよ」
「…しかし…」
「それにさ。コウノスケが俺たちに説明していたとしても、俺はやっぱり部屋に行ってたよ」トシヒコの意外な言葉に、コウノスケは首を傾げた。
「…え?何故…」
「…仲間なんだから、助けにいくのは当然のことだろ」
「!」

”仲間なんだから”
主天使が言っていたことは本当だった。
コウノスケはただただ驚いた。

”仲間”

トシヒコのその言葉は、コウノスケを不思議な気持ちにさせる。その気持ちは、今まで感じたことのないものだった。
(この気持ちは何なのだろう?……心が…温かくなっていく…これは…)
何という気持ちなのかは分からない。けれど、それは、手助けした人間が笑顔になった時と同じくらい、心地良くて温かいものだった。

「…なんて…ね。格好良いこと言ってるけど、結局俺たちじゃ全然抑え込めなかったから、偉そうなことは言えないんだけどね。…役に立てなくて悪かったな」俯いて申し訳なさそうに言うトシヒコに、コウノスケは首を振る。
「…そんなことはない。今持っている力以上のことをしてくれたと思っている。十分過ぎるほど助けてもらった」
「…コウノスケ…」
「そうだよ。俺はともかく、おまえはすごく頑張ったよ。あの状況でどうするか冷静に判断してさ」
「…もちろん、マサルもだ」
「へっ?お、俺も?」
「…暴走した力から伝わってくるものを、おまえはトシヒコ以上に感じたはずだ」
「…っ」
「耐え切れなくて心が壊れてもおかしくなかったと思う。哀しみ…怒り…そんな負の感情ばかりが溢れてくる中、よく心を壊さずに立ち向かったな」
「コ、コウノスケ…」
「…二人で抑え込んでくれたから、こんなにも早く回復できた。二人のおかげだ。……感謝している」
「……や、やめろよっ!そ、そんならしくないこと言うのっ」
「そ、そうだよ、何か気持ち悪―」
「だが、これだけは言っておく」
コウノスケはキッと二人を睨んだ。ビクッとして二人が姿勢を正す。
『ははははいっ!!』
「今回は二人だったから何とかなったが、一つ間違えば命に関わる。一人の時は無理だ。助けたいとか守りたいと思っても、心を鬼にして逃げろ。いいな?」
コクコクとマサルは頷いたが、トシヒコが悔しそうに俯いている。あれはまったく納得できていない顔だ。
「…トシヒコ、おまえ―」
「それでも俺は…何にもしないで逃げるなんて嫌だ」
「…死にたいのか?」
「…だって…やっとできた仲間を失いたくない」
「…っ」
「トシヒコ…」
「やっと、自分らしく生きられる場所を見つけたんだ。やっと…自分の能力を発揮できる仕事が見つかったんだ。この場所も、このチームも…失いたくないし、壊したくない。だから…っ」
トシヒコの目からはポロポロと涙がこぼれてきた。その涙は、口にした言葉が嘘ではないという証だろう。コウノスケにも、それは理解できた。
「…バ、バカだな。何も泣かなくても…」マサルが声をかけるが、トシヒコの涙は止まらない。
「…だって……あの時…もうダメだって思った時…このまま主天使が来なかったら、全員ボロボロになってチームも解散して…また独りになるんだな…って……もしそうなったらどうしようって…俺…」
「おまえ…そんなこと考えてたのか…」
マサルが悲しそうな顔でトシヒコの肩に触れた。


あの時、トシヒコは心の中で一人闘っていたのだ。どうすればいいのか、何をすれば助けられるのか、必死に考えていた。コウノスケを守り、自分が巻き込んだマサルも守りたい。
どうにもならなくなり、自分の力の無さを思い知った時、二人を失ってしまうかもしれないという恐怖に襲われた。また独りになるのか…その不安にトシヒコの心はかき乱された。
けれど、トシヒコは不安や恐怖を必死に堪えて闘った。マサルがトシヒコの不安や恐怖を感じ取ってしまったら、さらに動揺してしまう。弱い心をマサルに感じ取られてはいけない。トシヒコはひたすら冷静を装った。

二人を守りたい。
その一心で。


泣きそうな顔のマサルがトシヒコの頭を撫でる。
「…いっぱい色んなことを考えて、不安や恐怖を隠して頑張ってたんだな。ありがとな。おまえのおかげで、また三人で仕事ができるよ」
「マサルゥ…」
「でもな、もし全員がボロボロになって、チームが解散してたとしても、もう独りじゃないさ。おまえとはずっと仲間だ。違うチームになっても、違う職場になっても。もう、昔の俺たちじゃない。変わったんだ。…そうだろ?」
ニッと笑うマサルに、トシヒコが顔をくしゃくしゃにして抱き着いた。
「うん!…うん…っ」うれしくて、力いっぱいマサルを抱き締める。
「ト…トシヒコ……ちょ……ぐる゛じい゛…」
そう、怪力男は力加減ができない。あれだけ力の使い方が上手いというのに、こういうところでは何故か加減ができない。いったい何故なのか。トシヒコの七不思議の一つでもある。
「……あ、ご、ごめん…」
「は~…苦しかった……もぉ…怪力め!」
そう言ったマサルの顔は、言葉とは裏腹にとてもうれしそうだった。

そんな二人のやりとりを眺めていたコウノスケは、主天使の言葉を思い出していた。二人のことを聞いた時の言葉だ。

”マサルとトシヒコは、チームのために誰よりも力を尽くしてくれるでしょう。そして、あなたにとって、かけがえのない存在になると思います。”

”かけがえのない存在”

(…ああ、そうか。それが……仲間…か…)

また、心が温かくなる。
そっと左胸に手を当てた。

(この心地良さ……悪くない。)

「コウノスケ!」
トシヒコの声にハッとして顔を上げた。そこには、涙をぬぐってコウノスケを見つめるトシヒコがいた。
「…な、何だ」
「きっとまた、何十年後かに同じことが起きるんだよね」
「…おそらく…起きるだろうな。それがいつかは…分からないが」
「その時はおまえの力、完全に抑え込んでみせるよ」
「え…」
「主天使みたいに、すべてをどうにかするなんてことは無理だろうけど、おまえの力を抑え込んで、おまえの身体は無傷で守ってやる」
「…トシヒコ…」
「だからさ…その時は俺を呼んでよ。チームが違っても職場が違っても、どこにいても。…俺が行くから」
「……トシ―」
「だから!そのためにも早く一人前になって、コウノスケに追いついてやるからな。足手まといとか、力不足とか、そんなことは言わせない。打倒、コウノスケ!目指せ主天使!だっ!!」
「!?」
「へっ!?ちょ、お、おまえ、主天使目指す気!?」
「うん!!」
「な、何言ってんだよ!無理に決まってんだろ!」
「そんなの分からないよ!頑張れば、あそこまで行けるかもしれないじゃん!」
「い、いやいや、さすがに無理だって!大天使ならまだしも、そんな主天使なん―」
「無理じゃない!」
「いや、無理無理!!」
「無理って言うなっ!」
「だって無理じゃん!」
「嘘でも頑張れって言ってよ!それが優しさでしょ!」
「こればっかりは嘘でも言えねぇよ!無理だって!どう考えても無理!!」
「もう!マサルうるさいっ!」
トシヒコのチョップがマサルの頭に炸裂した。
「いってぇっ!!」
頭を抱えてうずくまるマサルに、トシヒコが鼻息荒く吠える。
「誰が何と言おうと!!俺は!主天使を目指すんだっ!!」
「…ぷっ」
込み上げてくるおかしさに耐え切れず、とうとうコウノスケは吹き出してしまった。
『!?』
主天使を目指す?何と無謀なヤツなんだ。天界の底辺にいるというのに、目指すべきところが上位過ぎて、おかしくて仕方がない。
「くくくっ……トシヒコ…おまえ……本当に…面白いヤツだな…っ」
「コウノスケが……」
「…笑ってる…」
「…ああ…おかしい……くくっ」

しかもトシヒコはいたって真面目に言っている。それが余計におかしい。何故この男はこんなに面白いのか。

ここが地上でよかった。もし天界だったら、またあの方が飛んできて、おかしなことになるところだった。
笑うコウノスケをポカンと見ている二人。そんな二人の様子も今のコウノスケには笑えてくる。
「…ま、まぁ…どこまで上に行けるかは分からないが…頑張るんだな」
「…お、おう!」動揺しながらも、トシヒコが頷く。
「ぼくを倒して―」
「主天使を目指す!俺が主天使になったら、”トシヒコ様”って呼んでくれよな!」
「…わ、分かった。…くくくっ」
やっぱり面白い。


ああ。
こんなに笑ったのは生まれて初めてだ。

こんな風に心から笑えるのも、”仲間”だからなのだろうか。

「仲間…か」
ポツリとコウノスケが呟く。
「へ?」
「何だって?」
マヌケな顔をした二人がコウノスケを見る。
そんな顔をして見ないでほしい。また笑えてくるじゃないか。

ああ。
本当に、こいつらは飽きない。
「マサル…」
「あ?」
「トシヒコ…」
「ん?」

コウノスケは二人に向かってにっこり笑った。
「仲間って…いいな」

『!!』


酒が大好きなマサル。
天然なトシヒコ。
けれど、いざという時は誰よりも頼りになる。
そんな二人。

…そう。

二人はぼくの仲間。

大切な仲間。

かけがえのない…

ぼくの仲間。


「よし、そろそろ行くぞ。三十分もロスしてしまった。作戦は忘れていな……ん?」
『……』
「?…おい、二人して何を座り込んでいるんだ。行くぞ」
「腰が…」
「く、砕けた…」
「は?」
「コ…コウノスケ……」
「何だ」
「おまえ……」
「だから何だ」
『微笑むのは人間だけにしてくれ……』
「…は?」


-おわり-


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